つかめない男
「で?支度金はいくら用意出来る?金の用意が出来たから婚約の話をして来たのだろう?まさか、手ぶらで婚約を認めてほしいなんて、そんな都合の良いことを言わないだろうよ。」
「お父様!」
あまりに失礼な物言いに、セラフィは声を上げたが、ネンスは彼女の方を見向きもしなかった。
ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、エトハルトの返答を待っている。
「ええ、もちろんでございます。そうですね、相場の5倍で如何でしょうか。それより多くてもこちらは構いませんが、大金が動くと疑う者もいましょう。」
エトハルトは涼しい顔で胸元から小切手を取り出すと、提示した金額を書き込み、それをソファーにふんぞり返るネンスに差し出した。
ネンスは、乱暴に小切手を奪い取ると裏表を凝視し、本物であることを確かめた。まがい物でないことが分かると、満足したように大きく頷いた。
「話が早くて助かるな。娘はくれてやる。おい、セラフィ、馬車まで送ってやれ。」
「お認め下さりありがとうございます。」
大金を前にして態度を一変させたネンスは、セラフィに向かって機嫌良くひらひらと手を振った。
エトハルトはネンスに向けて深く頭を下げると、セラフィに目配せをしてドアの方に向かった。それを見たセラフィは慌てて彼の後を追った。
外まで出ると、ようやくエトハルトはセ振り返りラフィの方を見た。
「やっぱり」
エトハルトは低い声で言うと、セラフィの方を見て目を細めた。
「あの、」
その瞬間、セラフィは怒られると思った。
あんなに親切にしてくれたのに、自分はそれを踏み躙ってしまったから。
それに、お金まで出させてしまって…
謝りたかったけれど、何から謝っていいか分からず言葉に詰まってしまった。
早く、早く謝らないと…
焦れば焦るほど喉の奥が締まり、声を出せなくなる。
謝ることすら出来ない自分に、セラフィは情けなくて涙が込み上げて来た。
自分の言いたいことを口にすることすら出来ず、家族どころか親切にしてくれた他人にまで迷惑を掛けてしまっている。
ひどい有り様だ…
「赤くなってる。痛かったろう?」
「えっ…」
エトハルトは、セラフィの手首を優しく持ち上げて状態を確認した。それは、ネンスによって付けられたアザであった。
「冷やすものがあれば良かったんだけど…気休めにでもなれば。」
彼はセラフィの赤くなっている手首を自らの手のひらで優しく包み込んだ。彼の指先は冷たく、熱を持った患部には心地良かった。
「どうして、こんなことを…」
もっと言いたいこと、言わなきゃいけないことがあったはずなのに、エトハルトの突然の行動に気が動転したセラフィはそんなことしか言えなかった。
「ごめんっ…許可も無く君の手に触れてしまって不快だったよね。」
「いえ、そうじゃなくてっ」
「あれ、違った?」
エトハルトは首を傾げて本気で悩んでいる。
自分がセラフィに対してどれだけのことをしてくれたのか、まるで自覚がないらしい。
「うーん、考えても分からないや。降参するから答えを教えてもらえる?」
「さっきの、婚約の話。貴方の名前を借りるだけのつもりだったのに、あんな大金…嫌な思いもさせてしまったし…それに、どうしてうちに来たの?来なければこんな…」
セラフィは途中で言葉を止めた。
これ以上言ったら彼を責めているように聞こえると思ったからだ。
「突然すまなかったね。これはうちの父親に言われてね。最初の挨拶は顔を見てしてこいって。確かにそうだなと思って、手紙が着く前に来たかったのだけれど、一歩遅かったようだ。迷惑をかけたね。」
エトハルトは、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「いや、ちょっと待ってよ…そもそも私たち互いに利用しているだけなのだから、正式な挨拶とかそんなものはいらないのに。どうしてそんなことを…?」
「一応侯爵家だと、ある程度体裁も大事なんだ。形式的なものが必要になることが多い。面倒な家柄だよね。」
「それはそうなのかもしれないけど、でもあのお金…結婚するわけじゃないのに、あんな大金をうちに渡してしまって…貴方の家は損をしてしまう。」
「あれは僕個人のお金だからサンクタント家には影響はないよ。まぁうちにとっては、大した額ではないけど。あ、自慢じゃないからね?」
エトハルトは、茶目っけたっぷりに笑って見せたが、セラフィには理解不能だった。
大金をドブに捨てるような真似をして、それで問題ないと笑っている彼が怖く思えて来た。
「貴方のお金だって問題よ!貴方のお金は貴方のために貴方自身が使うべきものなのに…こんな碌でもない家に使ってしまって…こんなの、私責任取れないよ…」
最後の最後に、保身の言葉が出た己に、セラフィは羞恥心が込み上げた。
しかし、エトハルトはそんな彼女の言葉など何も気にしていなかった。
「それで言うなら、これは僕のためだよ。だって、あの男にムカついたから。セラフィには悪いけど、黙らせたくなっちゃって。だからこれは、自分のために使ったお金だよ。セラフィは関係ない。」
「そんな…」
にこにこと楽しそうな顔で無茶苦茶な理論を展開してくるエトハルトに、セラフィは言い返す言葉を見つけることが出来なかった。
「私、貴方のことがよく分からないかも…」
「ああそれ、周りによく言われるやつだ。」
脱力したセラフィの言葉にも、エトハルトは動じることなくまた笑っていた。
掴みどころのないエトハルトに、自分の物差しで測れないことが多過ぎて、セラフィは一周回って冷静になった。
彼に対して色々思うところはあったが、今一番伝えたいことはたった一つであることに気付いた。
「ありがとう、エティ。」
仄かに笑ってお礼を言ったセラフィ。
初めて見せる彼女の笑顔に、エトハルトは目を見開いた。
心臓がきゅっと締め付けられたような気がしたが、初めての感覚でよく分からなかった。
「どういたしまして、セラフィ。」
よく分からない感覚は気にしないことにして、エトハルトも柔らかい微笑みを返した。




