期末試験
冬季休暇は短く、あっという間に新学期が始まった。
休みの間も相変わらず、毎日のように手紙のやり取りをしていたセラフィとエトハルト。
休み明け初日、朝迎えに来たエトハルトと久しぶりに顔を合わせたセラフィだったが、そんな気はしなかった。
だが、顔を見て直接話すことは手紙とは異なり、やはり楽しかった。セラフィは、馬車に乗っている時間をいつもより短く感じた。
いつものようにエトハルトと手を繋いで教室に入ったセラフィだったが、クラスの雰囲気はまるで異なっていた。
「セラフィ、おはよう!」
「セラフィさん、おはよう。」
「久しぶり、セラフィ。」
「セラフィさん、おはよ。」
教室に入った途端、皆口々にセラフィへ朝の挨拶をしてきたのだ。
今まで、アザリアとマシュー、クルエラとくらいしかまともに朝の挨拶を交わしたことのなかったセラフィ。
朝から多くの人に囲まれて戸惑ってしまった。
「お、おはよう。」
戸惑いながらもなんとか挨拶を返したのだが、セラフィは腕を引かれてエトハルトの背中に隠されてしまった。
「え?」
いきなりのことに驚いて声を上げたが、エトハルトが手を離してくれる素振りはない。
「…セラフィが減る。」
拗ねたような声音でぼやいたエトハルト。
嫉妬心を露わにしている姿に、周りの女子達がきゃっきゃと騒ぎ立てたがセラフィは何が起きているのか理解していなかった。
とりあえず、身動きが取れない状況に困っていた。
「こら、セラフィ嬢が困ってるだろ。」
教室に入ってすぐ、困り顔のセラフィに気付いたマシューは、エトハルトに近寄ると肩を掴んだ。
「だって…みんなしてセラフィのことを取ろうとするから…セラフィが減って無くなっちゃう…」
「アホか。変な理論を展開してないで早く解放してやれ。時期に先生が来るぞ。セラフィ嬢も困ってるだろ。」
「あ、セラフィごめん…」
エトハルトは背中に隠していたセラフィを隣に移動させると、両肩に手を置いて正面から見つめた。それはしょんぼりとした仔犬のような瞳であった。
「私は大丈夫だけど、もうすぐホームルームが始まるから。席に行こっか。」
「うん、ありがとう。」
セラフィに声をかけてもらえたエトハルトは、シルバーの瞳を輝かせた。
彼女の瞳に自分しか映っていないことが嬉しくて、どうしようもなく心が湧き立った。
「皆さん、おはようございます。休み明け早々に悪いのだけど、もうすぐ期末試験があるわ。前回赤点を取った者は、再試験になってしまうから今回の試験では絶対に赤点を取らないように。場合によっては、この学年に居残りなんてこともありえるわ。」
カナリアの言葉に、教室中がざわついた。
留年の可能性があるなんて考えたことがなかったからだ。
赤点を取っていない者でも動揺しており、前回赤点を取っている者においては、恐れ慄いている。
マシューは、斜め後ろを振り返って小声で尋ねた。
「アザリア、お前、前回赤点は取ってないよな…?」
「取ったわよ。」
「は……。いくつだよ。」
「んー、三つはあったかしら。」
「はぁーーーーー」
危機感なく、想定よりもひどい状況をさらりと口にしたアザリアに、マシューは深いため息を吐いて頭を抱えた。
自分事のように絶望した顔をしている。アザリアは、そんな彼のことを不思議そうな目で見ていた。
「だから、学級委員のみんな宜しくね。幸いなことに、我がクラスの委員達は皆成績優秀だから、進級が危うい子達の助けになってくれるわ。」
「え…」「は」
いきなり無茶振りをされたセラフィとランティスは声にならない声を出した。
セラフィは、そんな他人の人生の責任を負うような重大なことを…とプレッシャーに潰されそうになっており、ランティスについては、人のことなんて構ってやる余裕はないのに…と頭を抱えていた。
ただ一人動揺を示さなかったエトハルトは、これでまたセラフィと過ごせる理由が出来たなくらいにしか思っておらず、嬉しそうににこにこしていた。
昼休み、ランティスは前回赤点を取った者に声を掛け、食堂に集まってもらっていた。
それぞれの状況を正確に把握し、赤点回避の対策を考えるためだ。
前回赤点を取った者は、アザリア以外に、ランドルとロドスの二人がいた。
彼らは、祝賀会の時にセラフィのことを色々言ったせいでエトハルトに殺されかけたあの男子達だ。非常に気まずそうな、居心地の悪そうな顔で端っこの先に座っている。
そして、アザリアの保護者役としてマシューも同席していた。彼女の勉強が自分が見る気でいるらしい。
「三人か。私たちがそれぞれ付いて勉強を教えれば、期末試験くらいならなんとかなるんじゃないか?前回より範囲は狭い。セラフィさんはアザリアさんを…」
「アザリアは俺が見る。」
ランティスの言葉を遮って、マシューが強い口調で言い切った。
「セラフィ嬢のことだから、アザリアが赤点を回避出来なかった時に自分のことを責めるだろ。友人の責任を負わせるなんて酷だからな。俺がその役を代わろう。」
「確かに、マシューの言う通りだな。ではそうしよう。」
「なんで勝手に決めてるのよ…」
「安心しろ。俺は努力型だから人に教えることに長けてる。一緒に赤点回避するぞ。」
「分かったわよ。宜しくね。」
二人の話がまとまると、ランティスの視線はランドルとロドスに移った。まだ何も言っいないのに、びくっと肩を震わせた二人。
「では、彼らには私たち三人でつくか。そうすれば自分たちの勉強時間も確保できるだろうし。」
「僕が見るよ。」
「は?」
こういった場では反対はしないものの特に主張もしないエトハルトだったが、今回ははっきりと言葉にした。
「僕がこの二人を見る。だから、ランティスもセラフィも気にしなくて良いよ。二人も勉強時間を確保できるんだから、これが最適解でしょ?」
「「ひっ…」」
自分達にとって死刑宣告に近いその言葉に、ランドルとロドスは小さく悲鳴を上げかけたが、エトハルトに黙殺された。
「それはその通りだが…しかし、エトハルトに全て押し付けるような形になって申し訳ない気が…」
「私も…私も自分に出来ることはちゃんとやりたい。」
食い下がる二人だったが、微笑んだエトハルトはゆっくりと首を横に振った。
「学年一位の僕だからね。こんなこと足枷にすらならないよ。それとも君たち、この僕じゃ不足かい…?」
凍てつくような鋭い視線を向けられたランドルとロドスの二人は、首がもげそうになるほど強く縦に振った。
「め、滅相もござきませんっ」
「は、はい。エトハルト様に教えて頂けるなんて至福の極みにございます!」
慌てて肯定の言葉を口にした二人。その様子を訝しそうな目で見ているアザリア。
「なんかあの二人、人格変わってないかしら?」
「さぁ?元からあんな感じだろ。」
人格が変わった明確な理由を知っているマシューは、思い切り知らないフリをした。
「ほら、彼らもこう言ってくれているし、ここは僕に任せて。大丈夫、絶対に赤点なんて取らせないから。そう、絶対に。」
エトハルトは、最後の言葉とともにランドル達に圧のある視線を向けた。
『ああもう、色々と終わったな…』
『ああ、短い人生だったな…』
ランドルとロドスの二人は死んだ目で互いに視線を交わすと、諦めたように項垂れた。




