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無意識に溺愛してくる婚約者と愛を知りたくない少女  作者: いか人参


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どうかこのまま


昼食を取り終えたセラフィとエトハルトは、皆と別れて、最後の読み合わせをしようと人の少なさそうな教室を目指して歩いていた。


今日は発表会への来場が多く、中休みとなっている今、生徒以外の人達が学園内を多く行き交っている。エトハルトは、自分の身体を盾にしながらセラフィの手を引き、人の多い食堂近くの廊下を歩いていた。


教室のある方角に一つ角を曲がると、一気に人が少なくなった。ようやく、いつものように手を繋ぎ並んで歩くことが出来た二人。


その時、向かい側から歩いてきた青い瞳の少女がセラフィ達のことを見てきた。

金髪ストレートの愛らしい顔立ちをした少女は、見るからに高そうなドレスを着て、後ろには侍女と思われる女性を連れている。



お人形さんみたい…

高貴な身分の方、かな?



セラフィは、あまり見るのも良くないよねと思い、目線を下げたまますれ違おうとしたのだが、その少し手前で、床を鳴らすヒールの音か止んだ。

それとほぼ同時に、エトハルトはセラフィの手を離した。


えっ…


突然のことに驚いて彼の顔を見上げたが、シルバーの瞳がこちらを向くことはなかった。




「まぁ、エトハルト様!こんなところでお会い出来るだなんて!」


金髪の少女は、エトハルトのことを青い瞳で見つめると、照れたように口元を両手で隠した。その仕草は、恋する乙女そのものであった。



「ソフィリア嬢、ご無沙汰しております。」


エトハルトは、胸に手を当てると軽く頭を下げた。



「私のことはどうか昔と同じように、ソフィーと呼んでくださいまし。」


ソフィリアは花開いたような可憐な笑顔をエトハルトに向けた。彼は返事をする代わりに微笑みだけを返した。



「今日はお父様も来ていますのよ。宜しければこの後少しお茶でも…」


エトハルトと会えたことが嬉しくて嬉しくて堪らないという気持ちが顔にも態度にも言葉にも全開になっているソフィリア。


初対面のセラフィでも、彼女がエトハルトのことを慕っていることは十分に分かった。そして、二人が古くからの知り合いであることも。



「申し訳ありません。この後はまだ個人部門の発表がありますので。お父上にはどうか宜しくお伝えください。」


エトハルトはセラフィの背中にそっと手を当て、この場から立ち去る意思を伝えた。



「でしたら、また後日にでも!お手紙を差し上げますわ。」


「お心遣い痛み入ります。では、先生に呼ばれているので、ここで失礼いたしますね。」


「エトハルト様…」


エトハルトは、ソフィリアに一礼をすると、彼女の横を通り過ぎて行った。

さり気なく、セラフィのことを隠すように歩いていたのだが、青い瞳はそれを見逃さなかった。


怒りと嫉妬に塗れた瞳で、自分の横を通り過ぎるセラフィのことを睨み付けた。

これまで幾度となく受けてきたこの類の視線だったが、今までの誰よりもそれは本気であった。


すれ違う数秒の間、セラフィは息を止めてなんとかやり過ごした。



生徒しか立ち入ることの出来ない、教室がある校舎に着くと、エトハルトはまたセラフィの手を握った。



「ごめんね。」


「あ、ううん。えっと…さっきの方は?」


「特に。顔見知りなだけだよ。さぁ、発表まで時間がないから、最後の合わせをやろう。」


「…うん。」


エトハルトは嘘をついている。

セラフィは直感的にそう感じた。だが、それを問い詰める資格を持ち合わせていなかった。


婚約者のフリをしているだけの自分が、彼の交友関係に口を挟むことなんて出来ないし、そんなことするべきではない。

頭ではそう思っているのに、なんでこんなにも胸がざわつくんだろう…


もう一度尋ねたら答えてくれるだろうか。


でもそれが自分にとって嫌な話だったら?

……それは、聞きたくないし、知りたくない。


って、今だけの関係で、彼とずっといられるわけじゃないのに、私は一体何を考えてるんだろう。無意識に何か期待しているみたいだ。


これじゃダメだ。

こんなんじゃ、いつか立ち直れないほどに傷付いてしまう。

もっと感情を切り離さないと、彼と今いる理由をちゃんと思い出さないと。


これは互いの利益のためであって、それ以上でもそれ以下でもないんだから。そう、ただそれだけの関係なんだから。




「セラフィ、ここの教室を使おうか。」


「うん、そうしよっか。」


感情に蓋をした途端、胸のざわつきが治ったセラフィ。先ほどの動揺は消え、落ち着いてエトハルトに笑顔を向けることが出来た。


上手く振る舞えたはずなのに、一瞬だけシルバーの瞳が寂しく見えたような気がした。



「じゃあ、僕から行くよ。」


読み合わせを始めたエトハルトはいつもの穏やかで温かい彼であった。

普段の彼に、セラフィもホッとして読み合わせの練習を始めた。



三度ほど通しで練習すると、ホールに向かわなければいけない時間となった。



「セラフィ、そろそろ行こうか。」


台本を閉じて立ち上がると、エトハルトは手を差し出した。


いつもならすぐ取るはずの彼の手だったが、セラフィは躊躇した。

こうやって、差し出されるままに彼の優しさに甘えていたらいつか辛くなる日が来るのではと唐突に不安に思ってしまったのだ。



この手を取らない方が良いのかも…

なんでもっと早くに気付かなかったんだろう。


この手を拒絶することを考えるだけで、今もうすでに辛い。


でも、先延ばしにしたら今よりもっともっと辛い思いをすることになる。

それなら、気付いた今このタイミングで…




「セラフィ、遅れちゃうよ。」


エトハルトは、一向に手を掴もうとしないセラフィに、自分から彼女の手を取った。



「えっ」


拒絶しようと思っていたのに、あっという間に繋がれてしまった手。その手は温かく、セラフィにはそれを振り解くことは出来なかった。



「大丈夫、僕がついているから。」


セラフィが緊張で動かないと勘違いしたエトハルトは勇気づけるように声を掛けた。

その声は相変わらず、泣きたくなるくらい優しい色をしていた。



「うん、ありがとう。」


セラフィは頷くと、彼の手を取って立ち上がった。前を向いた彼女に、エトハルトも嬉しそうに微笑んだ。



いつか終わる今なら、少しでも長くここにいたい。ずっとじゃなくたって、後から辛い思いをしたって構わない。

その時が来たらちゃんとするから、だから今はどうかこのまま…



セラフィは、心の中で祈りながら温かい彼の手を握りしめた。




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