初めての自分
今日は生活発表会当日、学園敷地内に独立して建てられたホールには王宮の関係者に加えて、カーネル公爵とサンクタント侯爵の姿まであり、いつもとは違う物々しい雰囲気に包まれていた。
数百人は収容出来る会場は生徒達とその保護者及び関係者でほぼ満席となっている。
観覧するのは全校生徒だが、実際に発表するのは一年生と二年生のみだ。
各学年3クラスあり、学年関係なくくじ引きで決まった順に演目を披露する。今年は、クラス部門の次に個人部門の発表となっており、参加者はセラフィとエトハルトを含めて5人だ。
セラフィ達のクラスは4番目となっており、舞台袖からひとつ前のクラスである2年生の発表を見ていた。
演目の内容はダンスであった。
だが、この国の貴族達が嗜むダンスとは全く異なっていた。
皆、裾の長いサテン地で出来たマントのような異国の衣装をまとい、軽快なステップを踏んでいる。男女のペアで始まったダンスは、途中で他のペアと入れ替わり、男性同士女性同士で踊る。最後は、全員一列になって息のあったステップを披露した。
異国調のリズミカルな音楽に乗せた息の合ったダンスに、会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。さすがは上級生と皆が頷く、圧巻の演目であった。
会場内が熱気に包まれる中、セラフィは緊張で顔面蒼白になっていた。
「…うぅ、吐きそう。」
いつもの胃痛を通り越して吐き気が込み上げてきたセラフィ。呻き声を上げながら座り込んで口元を抑える。
今にも吐きそうな彼女を見たクラスメイト達は、途端に冷静さを取り戻していた。
『うん、彼女よりはマシ。』
皆、薄情にも心の中でそんなことを思っていた。
「ちょ、セラフィ!だいじょ…」
「セラフィっ。大丈夫、僕がついている。ね?大丈夫だから。」
端っこに蹲るセラフィの元に駆け寄ろうとしたアザリアを追い越してエトハルトがすっ飛んできた。
蹲る彼女の背中から覆い被さるようにして抱きしめると、安心させるように、何度も何度も耳元で優しく声を掛ける。
「「「きゃああああああっ!!!」」」
案の定、女子達から悲鳴が上がった。
一方セラフィは、エトハルトの体温と春の香りと優しい声に包まれて、少しずつ平常心を取り戻していた。
ほっとした彼女の身体からようやく強張りが取れた。
「ありがとう、エティ。落ち着いた。」
「どういたしまして。」
彼の腕に包まれて、安心した顔で目を閉じたセラフィ。こてんと首を傾けて彼の腕に預けた。顔色も戻ってきた。
「今悲鳴が聞こえたようだけど、なにかっ…」
悲鳴を聞きつけたカナリアが慌てた様子で舞台袖までやってきた。
そんな彼女の目に映ったのは、赤い顔をしている女子生徒達とその視線の先にいたエトハルトと彼の腕に抱かれているセラフィ。
カナリアのこめかみに青筋が立ったように見えた。
「エトハルト君…?」
舞台袖という薄暗い中でもはっきりと分かるほど、カナリアの笑顔は引き攣っていた。
「先生、これは人命救助です。」
エトハルトは動じることなく、ビシッと良い顔をして言い切った。
お約束の展開に、クラスメイト達から笑い声が上がった。
「次のクラス、準備をお願いします。」
カナリアが何か言おうとした瞬間、時間だと声掛けがあった。
くっと悔しそうな顔をするカナリア。そんな彼女に、エトハルトは微笑みかけた。
「では先生、行ってきますね。」
「…ええ、頑張ってきなさい。」
このクラスの担任として、応援の言葉しか口に出来なかった。
これが終わったら次こそ反省するまで徹底的に説教してやろうと、カナリアは心の中で拳を握りしめていた。
クラスメイトの中で唯一表舞台に出ないセラフィは、皆のことを見送る側だ。
あんなに関わりたくないと思っていたクラス発表だったのに、今は直接関わることが出来ない立場をもどかしく思う。
「皆、頑張って!」
セラフィは気付いたら舞台に向かう皆の背中に向かって声を発していた。これまでの自分なら絶対にしない行動だ。
自分の声に驚き慌てて口を塞いだが、皆の視線がセラフィに集中する。
あ……
私なんかが、偉そうなことを言っちゃった…
青い顔をして後悔するセラフィに、真っ赤なドレス姿のキャサリンが近づいてきた。
彼女の正面に立つと、スッと片手を挙げた。思わずぎゅっと目を閉じるセラフィ。
ー パチンっ
軽く高い音がした。
「セラフィさん、キャシーはこうして欲しかったらしい。」
ビリーの声に目を開くと、キャサリンとハイタッチを終えた瞬間が見えた。
「なんで貴方がやるのよっ!」
「ほら、もう一回。」
「もうっ。」
ビリーに言われたキャサリンは、不貞腐れた顔でまた手を挙げた。
「ほらっ」
キャサリンに催促されたセラフィは、恐る恐る彼女の手のひらに自分の手を近づけた。だが、彼女の手が触れる前に、キャサリンの方から手を合わせてきた。
先ほどよりも控えめな音がした。
「こういうのはテンポよくやるのが大事なのよ。もう行くわ。」
演目の冒頭を飾るキャサリンはドレスの裾を摘むと、足早に舞台へと上がっていった。
セラフィは、ハイタッチした感触の残る右手を握り締めながら彼女のことを見送った。
あんなに嫌われていたのに…
セラフィは涙が込み上げそうになるのを唇を噛み締めてグッと堪える。そんな感情が昂る中、アザリアが声を掛けてきた。
「セラフィ、皆並んでるわよ。」
「えっ?」
アザリアが顎で示した先を見ると、クラスメイト達が文字通り並んでいた。
皆、片手を挙げている。キャサリンと同じことをして舞台に上がるつもりらしい。
「…うそ。」
信じられなかった。
アザリアに急かされて片手を構えると、本当に皆手を合わせて行った。
「行ってくるね!」
「頑張ってきます。」
「構成考えてくれてありがとう。」
「セラフィさんのおかげよ。」
「ありがとう!」
各々、セラフィに温かい言葉を掛けてくれた。
胸の奥がじんわりと温かくなり、胸の前で両手を握りしめた。
それは、これまで味わったことのない多幸感であった。
「セラフィ」
最後はエトハルトだった。
彼は、彼女とハイタッチはせず、そっと手を合わせると指を絡めてきた。
「カッコいいところ見ててね。」
「うん。」
いつかの昼休みに見せてもらったエトハルトの剣舞を思い出したセラフィ。
彼の精悍な横顔まで思い出し、絡んでいる手のせいもあって、ほんのりと頬が赤くなった。
「ほら、行くぞ!」
エトハルトが最後かと思いきや、こうなることを予測していたマシューは物陰に潜んでいたのだ。
一向にセラフィの手を離そうとしないエトハルトのことを見かねたマシューは、無理やり彼のことを引き離した。
エトハルトは、笑顔でセラフィに手を振りながらマシューに引き摺られて行ったのだった。




