冬の朝
「セラフィ、なんか疲れてるね。」
いつものように学園へと向かう馬車の中、向かい側に座るエトハルトがセラフィのことを心配そうに見てきた。
「…少し準備を張り切りすぎて寝不足なだけだよ。大丈夫。」
セラフィは、余計な心配をかけまいと精一杯の笑顔を返した。
漠然とした将来への不安と両親の言い争いのせいで辟易しているなどとは言えない。
「最初はそうかなって思ってたんだけど、最近のセラフィは心が疲れている気がする。きっと何かあったんだね。」
「え…」
エトハルトは、優しく労わるようにセラフィの頭を撫でてきた。
驚いて見上げると、優しさが滲み出ているシルバーの瞳と目が合った。
何もかも見透かしてくるその澄んだ瞳に、セラフィは思わず目を逸らしてしまった。
優しくされればされるほど、それを享受することが怖くなる。彼なしでは生きていけなくなる、そんな気がして、心の奥底から警鐘が鳴り響く。
一線を引かなければ、彼がいなくなった後、自分は自分でいられなくなってしまう。何もかもが空っぽになってしまう気がする。そんな途方もない不安が押し寄せてくる。
「セラフィ、これから僕とデートしよっか。」
「ふぇ!!?」
暗い思考に陥っていたセラフィに、エトハルトは突拍子もない誘いをかけてきた。
予想だにしなかった言葉に、セラフィは驚き過ぎて言葉にならない変な声が出た。
「大丈夫。今日は午前中自習だったし、午後の授業には間に合うようにするから。学園にも連絡しておくよ。だから少しだけ待ってて。」
「えっ、でも、クラス演目の練習が…」
エトハルトは、セラフィの頭にぽんっと軽く手を置くと一度馬車を止めて御者の元へと行ってしまった。
これはもう決定事項であり、彼女の返事を待つ気は無かったらしい。
御者に話を付けた彼は、颯爽とセラフィの元へと戻ってきた。
「このまま街に向かおう。セラフィと出掛けたことは無かったから、すごく楽しみ。」
エトハルトは、心底嬉しそうに笑って見せた。
あまりに眩しい彼の笑顔に、セラフィは思わず目を細めてしまった。
「…いいのかな。」
こんな、本物の婚約者同士みたいに、エティのことを独り占めにしてしまって…
「これは、いつも頑張っている僕へのご褒美なんだからいいの。それに付き合わせてしまう君に少し申し訳ないけど。」
そんなことを言いながら、満遍の笑みでウインクを飛ばしてくるエトハルト。
自分のことを心配して外に連れ出してくれるのに、彼はそれを自分のためだと言い張ってくる。少し無理がある頑なな優しさに、セラフィは思わず吹き出してしまった。
本当に、笑ってしまうくらいに彼は優しい、改めてそう感じたセラフィ。
「ありがとう、エティ。じゃあ、これは私にとってもご褒美だね。エティと一緒にいられるんだから。」
セラフィは朗らかに笑って見せた。
自覚なしに吐露してしまった彼女の本音に、エトハルトは心を掴まれたような感覚がした。
彼女といる時にいつも感じている穏やかな気持ちとはまた別の、何か心を湧き立てるような強い感覚。
ああきっと、自分は彼女に望まれて嬉しかったのだと、ようやく分かった気がしたエトハルト。
どうかこのまま…
柄にもなくそんなことを願ってしまった。
誰かといる未来なんて考えたことが無かった。それで良かったし、それが良かった。
自分で変えられないことがあるのなら、大切なものは手にしたくない、いつでも手放せる身軽な自分でいたかった。
それなのに…
ー コンコンコンッ
その時、到着を知らせるノックの音が聞こえた。
エトハルトは、はっと我に返ると、笑顔でセラフィに手を差し伸べた。
「では、僕たちの初デートへ参ろうか。」
「うん。」
初デートという言葉に若干照れ臭さを感じながらも、セラフィは彼の手を取り、馬車から降りた。
晴れ渡った空の下、気持ちの良い朝だったが、澄んだ空気はきんと冷えていた。
セラフィはコートを着ているものの、基本的には馬車移動のため、それ以外の防寒具は身に付けていない。
一方のエトハルトは、どこから取り出したのかちゃっかり赤いマフラーを首に巻いていた。
マフラーをしている彼の姿は珍しく、こういう格好も似合うなとセラフィがなんとなく眺めていると、彼はいきなり慌て出した。
「セラフィ、ごめん!」
「え?」
エトハルトは自分の首からマフラーを取ると、ぐるぐるとセラフィの首に巻きつけた。
彼の温もりが残っており、想像以上に暖った。
「自分のことしか考えてなかった。セラフィに寒い思いをさせてしまった…」
「いや、私は大丈夫だから。それに、これだと今度はエティが寒い思いをしちゃう。」
「それはね、こうすれば大丈夫。」
エトハルトは、すぐ隣に立つセラフィの手を握ると自分のコートのポケットに仕舞い込んだ。
「ふふふ、あったかいね。」
「うん、あったかい…」
互いの温もりを分け合った二人は、そのまま街の中心部に向かい、朝から開いている店を見て回った。
途中、開いていた花屋でエトハルトが一輪のバラを購入し、セラフィの髪に差した。彼女は気恥ずかしそうにしていたが、彼はそれを満足そうに眺めていた。
その後もなんとなく店を覗いたり、路地裏で猫を追いかけたり、屋台でココアを買って温まったり、カフェで早めのランチを取ったり、自由な時間を過ごした二人。
あっという間に学園に戻らないといけない時間となってしまった。
「セラフィ、このまま…」
彼女の顔を見たエトハルトは言いかけた言葉を飲み込んだ。
セラフィから憂鬱とした翳りは消え去っており、とても楽しそうで、今日の天気のように晴れやかな笑顔を見せていた。
心の蟠りが少しは解消されたのだろう。
彼女の心の負担を軽減できた今、これ以上彼女のことをここに縛り付けておくことは出来ないと思った。そうしたくても、そうするだけの理由はもう無くなってしまった。
エトハルトは、名残惜しそうに彼女の手を握り直すと、嬉しそうに自分の隣を歩くセラフィの顔を覗き込んだ。
「そろそろ戻ろうか。みんな待ってるもんね。」
「うん。ありがとう、エティ。すごく楽しかった。」
「こちらこそ、ありがとう。」
セラフィとエトハルトの二人は晴れ渡った空の下、仲良く手を繋いで街を後にした。




