キャサリンとビリー
いきなり発言したビリーに、クラスメイト達の視線が集中する。
キャサリンとなんら接点のないと思っていたビリーが突如彼女のことを見知っているような発言をしたことにかなり驚いているようだ。
キャサリンはそんな周囲の困惑など気にしておらず、その視界に入っているのはビリー一人だけであった。
今にも殺しそうな勢いで彼のことを鋭く睨みつけている。
「いきなり、どういうつもりよ。」
「特に何も。君の歌声が素晴らしいことは幼い頃からよく知っている。だから口を挟んだまでだ。それに、またあの歌が聴けるのなら僕としても嬉しいからな。」
「よくもそんなことを…」
「僕に対する感情はこの場では置いといて、君の歌声を披露する。それで決まりだな。」
「どうしてそうなるのよ!」
「どうしてって…君の歌声の素晴らしさを知る僕もクルエラも今ここにいる。セラフィさんはきっとクルエラから君の話を聞いたのだろう。だから、君を陥れるためではないと、賢い君ならもう理解しているはずだ。」
真っ直ぐに見つめ合い交差する二つの視線。
それが数秒間の間続き、どこまでも真っ直ぐな瞳に耐えきれなくなったキャサリンの方が目を逸らした。
「…分かったわよ。もう、歌くらい歌ってやるわよ。その代わり、ビリーは私に二度と話しかけないで頂戴。分かったわね?」
「感謝する、キャシー。でもその約束は出来ないな。また後でこれまでのことを話す場を設ける。」
一歩も引かない姿勢のビリーに、またもキャサリンの方が折れて諦めた。
最後愛称呼びしていたことに、一瞬だけクラス内がざわついたが、キャサリンが一睨みするとすぐに静かになった。
その様子は、まだ彼女が干される前の時と同じような流れであり、セラフィは少しだけ懐かしく感じていた。
ビリーの話はよく理解出来なかったが、彼の助力が無ければ、キャサリンの気持ちを変えることはできなかった。
彼も彼で、彼女のためにやりたいことがあったのだろうと思ったが、セラフィはそれでもビリーに一言御礼を言おうと決めた。
「そろそろホームルームの時間が終わるから、続きはまた明日にして頂戴ね。それと、エトハルト君は忘れずに放課後職員室に来ること。」
最後の言葉に、クラス中からくすくすと笑い声が聞こえた。
家柄良し顔良し成績優秀の彼が、毎度の如く婚約者絡みの暴走で教師から注意を受けていることが皆おかしくて堪らないのだ。
「はい、カナリア先生。」
エトハルトは、相変わらず余裕の笑顔で返事をした。
彼は度々呼び出しを受けているものの、結局相手のことを絆して戻ってくる。昔から周囲の目と自分に向けられている期待を気にして生きてきた彼は、人心掌握術に長けているのだ。
そんな彼のことを一番良く知るマシューは、カナリア先生はまた無駄なことしてんなーと大あくびをしながら眺めていた。
次の授業が始まる直前、キャサリンのことが気になったセラフィは、やっぱり直接謝ろうと思い、席を立ったが、それと同時に彼女は逃げるように教室の外へ出て行ってしまった。
「あ…」
行き場を失った彼女の足は、仕方なく元の位置に戻り、椅子に座り直した。
完全に避けられている………
机の上に出した教科書を見つめたまま、セラフィは意気消沈した。
「セラフィ?次は移動教室だよ。」
エトハルトがセラフィの顔を覗き込んできた。
「それと、彼女が避けているのは君じゃなくて、ビリーの方。彼らは昔色々あったみたいで、仲が悪いわけでもないんだけど、しばらく距離を置いていたようで、少し複雑な間柄らしい。」
勝手に己を責めているセラフィに、エトハルトは知っていることを話した。
本来であれば部外者の自分が彼らのことを周りに話すべきではないと思っていたのだが、セラフィにはその場凌ぎの嘘をつきたくなかった。
「そう、なんだ…なら良かった…」
「そうそう。だから、セラフィは、必要以上に自分のことを追い込まないでね。君は彼らにとって良いきっかけを与えてくれたんだから。気に病むようなことは何もないよ。」
「私、二人のこと何も知らなかった…きっと他のみんなも口に出さないだけで、色んなことを抱えているんだよね。それが全て…とは言えないけど、少しでも皆が願う方向で形になると良いな。」
「本当に。そうなれば良いのにね。」
どことなく、悲しさと諦めが混じったような切ない声音だった。
人の機微に疎いセラフィでも、彼の喜怒哀楽には最近敏感になりつつある。思わず彼の顔を見上げた。
「エティ…?」
「僕もセラフィと同じ考えだってだけだよ。さて、授業に行こうか。」
「あ、うん…」
エトハルトに差し出された手を取り、二人は教室を後にした。
この時の彼の顔はいつもの穏やかな表情をしており、セラフィは自分の感じた違和感は杞憂だったと思った。
翌日の放課後、クラスメイト達から得意分野を聞き終えたセラフィ達は、会議室に集まっていた。
出し物の構成を考えるためだ。
まず、セラフィは自分が考えた骨子を書き出し皆に見せた。これを元に、細かい点を詰めていくつもりだ。
セラフィの書いた紙と、クラスメイト達の得意分野の一覧を真剣な顔で見比べるランティス。
その彼をなんとなく眺めているマシューとアザリア。そして、当たり前のように真剣なセラフィの横顔を見つめるエトハルト。加えて、今日はなぜかキャサリンまで同席している。
「で、なぜ君までいるんだ?」
誰もツッコまないため、この中で一番本気で考えていたランティスが思考を止め、キャサリンの方を見た。
これまでの彼であれば、ここに部外者が紛れ込んでいるだけで激昂してたであろう。だが、アザリア達の自由奔放さに慣れた今は、その声に苛立ちはなく、単純に気になって質問しているような声音であった。
「私には自分が何を歌うのか決める権利があるわ。だからここにいるのは当然よ。それに、」
キャサリンは相変わらず傲慢な態度で言い切ると、今度は打って変わってひどく疲れた表情へと変わった。
彼女の視線は会議室の入り口へと向けられている。
ガラス越しに人影が見えた。
そのシルエットから短髪にメガネであることが分かる。
その正体に気付いた全員が、キャサリンに可哀想な目を向けた。
「ちょっと!その目はやめなさい!…これは、元を辿れば全てセラフィさんのせいなのよ。貴女が私のことを巻き込むから…だから、その責任を取りなさいっ」
キャサリンは強い口調で言い切ると、セラフィに向かって人差し指を突き出した。
彼女の横柄な態度に、シルバーの瞳がすっと細くなりかけたが、すぐに大きく見開いた。
セラフィがくすくすと小さく笑い声を上げたからだ。
「え、セラフィ?」
「セラフィ?」
「セラフィ嬢?」
「セラフィさん?」
この状況で笑い出した彼女に、困惑するように彼女の名を呼ぶ声がいくつも重なった。
「あ…ごめんなさい。キャサリンさんに気安い態度を取ってもらえたことがなんだか嬉しくてつい…うん。キャサリンさんが活躍できる場面をしっかり作り上げるから。私、頑張る。」
セラフィは自分に言い聞かせるように力強く言うと、ぎゅっと両手で拳を作って握りしめた。
「…まったく、貴女といると調子が狂うわ。」
キャサリンは呆れて項垂れていたが、セラフィはまだ口元が緩んでいる。
エトハルト達はそんな二人の様子を微笑ましそうに眺めていた。




