妙案
「ねぇ、クルエラってその…キャサリンさんとは昔から仲が良いの?」
放課後の食堂、ちょっと話したいことがあると誘い出したクルエラに、セラフィは単刀直入に尋ねた。遠回しにそれとなく聞けるほど器用では無かった。
セラフィの唐突な質問に、クルエラは紅茶に入れようとしていた角砂糖を思っていたより高い位置からティーカップの中に落としてしまい、トポンっと音を立てて紅茶が撥ねてしまった。
「あ、ごめんなさい。」
「ううん、私の方こそいきなりごめん。」
幸い、跳ねた紅茶はトレーの外に出ることはなく、クルエラは自分のハンカチでさっと拭いた。
汚れたハンカチを小さく畳んでカバンにしまうと、ようやく彼女は口を開いた。
「特段仲が良かったわけじゃないの。うちは曽祖父の代からキャサリン様の家に仕えていて、それで私も幼い頃から彼女とご一緒させてもらうことが多くて、だから、古くからの友人…というよりも、主従関係という方が近いわ。だからその…セラフィにしたことも本当にごめんなさい…」
クルエラは心底後悔している顔で頭を下げ、セラフィに対して謝罪の言葉を口にした。
「ううん、それはもう大丈夫だから。同じ立場だったら私も多分同じことをしていた思うし…って、そういえば、今は大丈夫なの?その、私と仲良くして…」
「エトハルト様が根回しをしてくれたみたい。あれからキャサリン様が直接私に話しかけることは無くなったわ。」
「そう、なんだ…」
心晴れやかそうに笑うクルエラとは対照的に、セラフィは思わず視線を落とした。
自分の知らないところでまたエトハルトに助けられていたことを申し訳なく思うのと同時に、クルエラが責められる可能性を考慮していなかった自分を恥じた。
これじゃ、ただの偽善だ…
自己満足で相手のことを許して救ったつもりになって…何の力も持たない私が他の貴族の問題に口を出すべきでは無かったんだ。
自分もしてもらった分、私も人に優しくありたいと思うのに、その気持ちだけじゃ結局何も変えられない…それどころか、逆に相手の立場を悪くさせてしまう可能性すらある。
私にも力があれば…
「セラフィは、キャサリン様のことが気になるの?」
「ええと…そんなことは…ははっ」
曖昧に笑ったセラフィは、顔を上げられなかった。
今のキャサリンをどうにかしてあげたいという気持ちももちろんあるが、本当の目的は負の連鎖を止めること。自分と同じ想いをする人間をこれ以上増やしたくない。
そのためにもまずは今標的になっている彼女を救おうってだけ。
そこに、キャサリン救済のためといった大義はない。
自分の居場所を良い環境にしたいってだけ。
なのに、それすら今の自分に出来る気がしない…
『助けたいと思ってるけど、私には何も出来ないんだよね。ほら、私って権力も人徳もないでしょう?』
なんて、恥ずかしくて口に出せなかった。
自分の無力さを認めることは勇気がいる。なのに、他人にそれを曝け出すなど彼女には精神的なハードルが高過ぎた。
だからセラフィはつい、笑って誤魔化してしまったのだ。
彼女の悪い癖だ。
「キャサリン様は歌がとてもお上手よ。」
「えっ??」
突然のクルエラの言葉に、セラフィは目を見開いた。
そんな彼女の反応を見たクルエラは、余裕の笑みを返してきた。それは、これまでの彼女だったら絶対にしない確信のある顔であった。
「キャサリン様のこと、クラスの出し物の重要な役に起用しようと思っていたんじゃないの?」
「え、どうして…」
「だって、彼女の良い部分を引き出せる絶好の機会だから。クラスメイトの彼女を見る目が変わるでしょう。そして、セラフィには今回裁量が与えられている。だから、私にキャサリン様の得意なことを聞いて、それを上手く演目に当て込もうとしてるんだろうなって。でも、ふふふ、あまりに遠回しに聞いてくるから私の方から先に言ってしまったわ。」
クルエラは楽しそうに笑いながら、くるくるとスプーンで紅茶を混ぜている。
その様子は、楽しそうであり嬉しそうでもあった。
「それ、いい案かも…」
「またまた。セラフィったら、最初からそのつもで私に声を掛けてきたんでしょう。」
「…そうだったかも。」
信じて疑わないクルエラに、セラフィは話を合わせることにした。
ここで否定したとしてもやることは変わらない。クルエラの案を有り難く頂戴することにした。
「でも私なんかがお願いしてキャサリンさんは素直に頷いてくれるかな…ここは悪役ぶってけしかけてみる…?それ…意外にいけるかも…」
ぶつぶつと独り言を唱えながら、キャサリンに提案をする算段をつけるセラフィに、クルエラは今度は愉快そうに笑っていた。
「ほらな。ああいうのは女子同士の方が存外上手くいくんだよ。」
食堂の入り口、マシューは物理的エトハルトの足止めをしていた。
腕引っ張るだけでは体術で簡単に躱されてしまうため、耳元で『そんなことしたらセラフィ嬢に嫌われるぞ』と囁く精神攻撃も加えて。
セラフィから、今日は友人とお茶してから帰るから先に帰っててと言われたにも関わらず、エトハルトは笑顔で頷きながら、しれっと彼女の後をつけていたのだ。
たまたまその様子を見ていたマシューもまた、彼の後を追ってここまで来た。
そして、女子同士の会話に、呼ばれてもいないエトハルトが意気揚々と出ていこうとするところを力づくで止めていたのだった。
エトハルトほどではないが、マシューも少しは読唇術の心得がある。そのため、彼女達の口元が見えるギリギリの位置から見守ることで折り合いを付けたのだ。
「でもセラフィは僕の大切な友人だ。彼女の悩みは僕が全て解決してあげたい。」
「お前は、大切な友人のうちの一人である俺に対してもそんなこと思うのか?」
「思わない。」
「…相変わらず嫌味なくらい即答だな。だったら早く、セラフィ嬢が特別だと認めてしまえよ。」
「もちろん、彼女は特別だ。僕にとって唯一無二の存在だから。」
「お、お前は…お前は、ようやく…」
マシューの視界がじんわりとぼやけた。
ようやく、この幼馴染の情緒が育ったのかと、積年の願いが成就したような感極まる思いであった。
「うん、セラフィは僕にとって親友だから。彼女は特別なんだ。」
「は………………」
マシューの涙は引っ込むどころか、その瞳まで完全に乾き切ってしまった。
気が抜けてエトハルトを抑えていた腕の力が弱まると、彼は一目散にセラフィの元へと駆け出して行ってしまったのだった。




