独占欲
『一度逃げると逃げ癖がつく』
朝目覚めたセラフィの頭にふと、そんな言葉がよぎった。
確かにその通りだと思ってしまった。
昨日は柄にもなく嘘をついて休んでしまい、そのせいか今日は昨日よりも億劫に感じてしまっている。もし、ズル休みをしてしまったことを周囲に勘付かれていたら、クラスメイトと顔を合わせることも気まずい。
今日も休んじゃおうかな…
セラフィは起き上がろうとした身体をまたベッドの中に戻してしまった。
だがその時、セラフィの脳裏に銀髪の美しい彼の姿が映った。自分の方を見て、優しい微笑みを向けてくれている。
『明日も迎えにいくから』
聞き慣れた、耳心地の良い彼の声まで聞こえてきた。
「…行かなきゃ」
ハッとしたセラフィは誰に言うでもなく言葉を発すると、勢いよくベッドから飛び降りた。行くと決めた彼女に、もう迷いはなかった。
「エトハルト様がお見えです。」
いつもと同じ時間に迎えに来てくれたエトハルト。
この時間に合わせて支度を終わらせていたセラフィは、制服のスカートを掴み、急ぎ足で彼の元へと向かった。
たったの1日ぶりだと言うのに、彼が迎えに来てくれる朝がひどく懐かしく感じられ、彼女の足取りは風を受けているかのように軽やかだった。
「おはよう、セラフィ。」
「エティ、おはよう。」
玄関に向かうと、そこにはいつものように陽光に照らされて美しく佇むエトハルトがいた。
その姿は、いつにも増して輝いているように見える。
セラフィは当たり前のように差し出してくれた彼の腕を取った。そこに躊躇いは無かった。
「セラフィ!おはようっ」
教室に入るとすぐ、アザリアが笑顔でセラフィの元へと駆け付けてきた。
「アザリア、おはよう。」
昨日のことを何か聞かれるのではと、セラフィは一瞬身構えてしまったが、何か聞いてくることはなかった。
ほっと胸を撫で下ろすセラフィ。それはアザリアなりの気遣いであった。
「おはよー」
マシューは、教室に入るなり、笑顔で談笑しているセラフィとアザリアそして、それを優しい眼差しで見守るエトハルトの姿を見て心から安堵していた。
「あ!マシュー、良いところに来たわね!」
マシューの登場に、目を輝かせたアザリアが目ざとく反応して声を掛けてきた。
何かを期待するような目で彼に近寄っていく。
「…なんだよ。」
既視感のある光景に、マシューは思わず半眼でアザリアのことを見た。
あからさまに警戒してくるマシューを見たアザリアは、思わず吹き出した。彼に対して気を遣うつもりはないらしい。
「ふふはっ!そんなに警戒しないで!来週試験だから、昨日の授業のノートをセラフィに見せて欲しいってそれだけよ。いいでしょ?」
「別に構わないけど…なんで俺の?それならエトハルトに頼んだ方が…」
アザリアからのお願いに、難色を示したマシュー。
なんとなく横にいる件の彼から冷気を飛ばされているような気がしたため、命惜しさに遠回しに断ることにしたのだ。
もう夏だと言うのに、冷気に当てられたマシューはブレザーの上から腕をさすっている。
「マシューのノートはとても綺麗で分かりやすいし、それにこれ昨日の話よ?あんな状態じゃ、板書どころか話を聞いていたかすら危ういわ…いや、あれは間違いなく聞いていなかったわね。」
「ああ確かに、それはそうだな。」
「あんな状態じゃねぇ…」
「君たち、一体何の話をしているのかな?」
「「ひいっ!!!」」
セラフィに聞かれたくない話をしてくる二人に、エトハルトは脅すように黒い笑顔を向けてきた。その圧に、思わず後ろに飛び退いた。
エトハルトは、アザリアの動きに驚いたセラフィの肩をそっと抱き、庇うように自分の方に引き寄せ、マシューに声をかけた。
「君のノートを僕に貸してくれ。セラフィには僕が写したノートを貸すよ。」
「あ、うん。みんなありがとう。」
理由はよく分からなかったが、なんとなく不穏な空気を感じ取ったセラフィは、深く考えず彼の提案を受け入れることにした。
そんな二人のすぐそばで、アザリアとマシューの二人は顔を近づけて小声で内緒話をし始めた。
「なんかあれ、独占欲が一層強くなってない?あの二人の間に一体何があったのよ。たかがノートごときで全く…」
「そんなこと俺に聞くなよ!俺だって知りたいよ。あいつの複雑怪奇な心情なんて読めん。」
「でもあの二人…」
「ああそうだな。」
アザリアとマシューの視線の先には、これまで以上に仲良さそうに話す二人の姿があった。
「ホームルームを始めるわよ。」
鐘の音とともにカナリアが教室に入ってきた。
入り口付近で話していたセラフィ達も慌てて自席へと戻って行った。
カナリアが出欠を取り終えると、エトハルトが真っ直ぐ手を挙げた。
「先生」
「何でしょう?」
連絡事項を伝えようと手元の書類を確認していたカナリアは、エトハルトの呼びかけに顔を上げて首を傾げた。
「僕、セラフィの隣の席にしたいです。」
「はい…………??」
突然のエトハルトの我儘発言にカナリアは固まった。他のクラスメイト達も驚いた顔で一斉にエトハルトの方を向く。
「特に席次に決まりはないですよね?」
「ええ、それはそうだけど…」
「それなら良いですよね?」
「だからと言って、今突然言われても…」
「婚約者同士、いかなる時も隣にいるべきだと思うのです。」
「…もう勝手になさい。」
一歩も引かないエトハルトの姿勢に、呆れたカナリアの方が折れた。
許諾を得たエトハルトは、周囲のざわつきなど全く意に介さず、意気揚々とセラフィの隣のクルエラと席を交換してもらっていた。
エトハルトの真っ直ぐな言葉を聞かされたセラフィは、真っ赤になって俯いている。
にこにこ顔のエトハルトと恥ずかしそうにしているセラフィのことを目にしたアザリアとマシューは、心の中で同じことを思っていた。
『『なんという独占欲…………』』




