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無意識に溺愛してくる婚約者と愛を知りたくない少女  作者: いか人参


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初夏の訪れと春の匂い


本来なら夕飯を終えて寛いでいる時間だが、セラフィは既に寝支度を済ませ、ベッドの中に潜り込んでいた。

ズル休みをしてしまった彼女は食欲がなく、特にやることも無かったため早々に寝ることにしたのだ。


だが、目を閉じて寝ようとしても一向に眠くはならない。

何度か寝返りを打ち、ベッドの中でゴロゴロしていたが、頭の中ではどうしても明日のことを考えてしまい、そのせいで不安感が高まる。案の定、更に目が冴えてきてしまった。



しばらく葛藤したが、セラフィは寝ることを諦めてベッドから降りた。

机の引き出しを開けて、そこから布の袋を持ち出すと、またベッドの上にあがった。


ベッドの上に座ったセラフィは、じゃらじゃらと重量感のある金属音を立てながら、袋の中身を全て出し切った。

それを一つずつ数えながら並べていく。



「何もなければ、これでしばらく保つかな…」


彼女が真剣な瞳で見つめていたのは、今日手に入れた硬貨であった。


学園を休んだ今日、金銭を得るために何か行動をしなければと焦ったセラフィは、クローゼットの中からドレスを引っ張り出して選定し、使用人に頼んで売ってきてもらったのだ。


その戦利品である硬貨を眺めると、少しだけ気持ちに余裕が出てきた。





ー コツ、コツ


その時、窓の方から音がした。



あれ、窓の鍵は空いてるはずなんだけど…



こんな時間にこんなところから現れる人物のことを、セラフィは一人しか知らない。

また彼女が来てくれたのだろうと思い、躊躇なく窓に近づいてカーテンを開けた。


だが、その瞬間目を疑った。


そこには予想していたアザリアではなく、月光に照らされて神秘的な光を放つエトハルトの姿があったからだ。



セラフィは驚き過ぎて声が出なかった。

目を見開いて口を押さえ、カーテンを掴んだまま固まっている。



一方のエトハルトは、セラフィと目が合うと心の底から嬉しそうな笑みを浮かべ、窓枠に手を掛けた。

鍵が掛かっていないことを確認すると、躊躇なく窓を開けた。


窓が開くと同時に、初夏の訪れを感じさせる少し湿った風が室内に入り込んできた。

そして、その風には、春の香りが混じっていた。


聞き覚えのある春の香りに、セラフィの止まっていた時間が動き出した。



「エテッ………」


悲鳴に近い叫び声を上げそうになったセラフィ。

エトハルトはすぐさま窓枠に片手をつくと軽々と乗り越えて、音もなく彼女のそばに降り立った。そして、優しく彼女の口元に手を当てた。



「いきなり、ごめん…少し話がしたかっただけ。怖がらせるようなことは何もしないから。」


セラフィは反射で声を上げそうになっただけなのに、エトハルトの声はひどく怯えているように聞こえた。口元に当てられている手は冷たい。緊張しているようであった。


安心させるように、セラフィは黙ったまま何度も頷いた。


エトハルトは深く息を吐くと、セラフィの口元から手を避けた。



「君に謝りたかったんだ。」

「えっ??どうして…」


エトハルトの突然の謝罪に、セラフィは訳がわからなかった。

彼を傷付ける真似をしたのは自分で、責められるべきも自分で、こうしてわざわざ会いに来てくれること自体信じられなかったからだ。



「わたしがっ…私があんなひどいことをエティに言ったせいで…貴方が謝ることなんてひとつもないのに…」


泣きそうになっている顔を見せまいと、セラフィは俯いたまま声を振り絞った。

これ以上何か言われたら泣いてしまいそうで怖かった。

ここで泣いたらまた優しい彼に迷惑を掛けてしまう…そう思ったセラフィは堪えるようにキツく唇を噛みしめた。



「ほら、それ」

「え…」


エトハルトは、セラフィの顎に人差し指を当て自分の方を向かせると、親指で優しく唇をなぞった。


あまりの恥ずかしさに、セラフィは自分の顔が真っ赤になるのが分かったが、なぜかシルバーの瞳から目を逸らすことが出来なかった。



「馬車の中でもそんな顔をしてた。なのに僕は気づかなかった。セラフィ、本当にごめん。」


エトハルトは、セラフィ以上に泣きそうな顔をしていた。

そんな彼に釣られてセラフィの瞳にも涙が溜まる。



気付いてほしくないから隠してたのに、なのに、なんで目の前の彼はそれを謝るんだろう…エティが謝る必要なんてどこにもないのに。


そんなことで気に病まなくていいのに。

私のことなんか放っといていいのに。

私は何も気にしないのに。


こんなことで優しい彼の心をすり減らしてしまうのはいやだ。


でもなんでだろう…


エティに気にかけてもらえることをすごく嬉しいと思ってしまう自分がいる。


迷惑をかけたく無かったのに、私のことでこれ以上負担をかけさせたく無かったのに、こんなことで喜んじゃいけないのに…


彼の優しさを受け入れてしまいたくなる。

本当に、私はどんどん弱くなっていく。


いつか、彼の優しさを食い潰してしまいそうで怖い。




「そんなこと…いいよ気にしないで。私が上手く出来ていないだけで、エティは何一つ悪く無いんだから。それに私のことで貴方に迷惑、かけたくない…自分が弱くなってく…から…」


ここまで言うつもりじゃなかったのに、見透かしてくるシルバーの瞳に、セラフィは思わず本音を吐露してしまった。



こんな自分見せたく無かった。

彼の前では朗らかな自分でいたかった。

暗い感情なんて見せたく無かった。


それなのに私は…




「…良かった。」


その声には万感の思いが込められていた。


エトハルトは、これまで見たことのないくらい美しく華やぐような笑顔をセラフィに向けている。


そのあまりに美しく、何の邪念もない真っ直ぐな彼の笑顔に、セラフィは思わず息を呑んだ。




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