セラフィの嘘
セラフィは今深刻な問題を抱えていた。
これと比べたら、嫌がらせも陰口も先の見えない不透明な自分の将来もどうでも良くなるほど、今の彼女にとって切実な問題であった。
「どうしよう…お金がない…」
自室のベッドの上でひとり頭を抱えた。
元々、金遣いの荒い両親のせいで領地収入があるにも関わらず裕福ではないシブースト家。そのため、セラフィが自由に使えるお金にも限界があった。
毎月の小遣いとして得ている僅かなお金は、ランチ代と最低限の服代に消えていく。
母親がドレスを買ってくれることがほとんどであったが、ド派手なドレスを着ることが嫌で、セラフィは自分のお金でシンプルなワンピースを買い直していたのだ。
そんな中、度々盗まれる教科書や私物。学園で扱っている備品は決して安くはない。貴族にとっては微々たるものでも、セラフィにとっては高額であった。
それらを買い直すことを続けるうちに、手持ちのお金が底を尽く寸前となってしまったのだ。
エトハルトから貰ってしまった支度金も自分で返したくて小遣いのほとんどを貯金に回していたのだが、それにも手を付けてしまっている。
とりあえず、学食は1番安いメニューにしよう。ランチセットですらまあまあな値段がするから、スープとパンとかにしようかな…本当はお弁当を持参したいけど、急にそんなことしたら絶対エティに勘付かれるよね…
これ以上彼に迷惑を掛けたくない。
みんなにバレないようにちゃんと取り繕わなきゃ。
今度の休み、母親から貰ったドレスを売りに街まで行こうかな…一度も袖を通していないものもあるし、あのままにしておくより有益だよね。
***
「セラフィ、貴女それだけ?」
昼休みの時間、いつものように豪華なメニューを頼んだアザリアが驚いた顔でセラフィに尋ねてきた。
ステーキやサラダ、パンにデザートが並ぶ彼女のトレーとは真反対に、セラフィのトレーには白パンと野菜スープだけであった。
「あ、うん。朝ごはん沢山食べて来ちゃって…」
セラフィは咄嗟に嘘をついたが、アザリアがそれを疑問に思うことはなかった。
そうなんだーとだけ言い、自分のステーキに齧り付いた。
セラフィは、皆と合わせて食事を終えるように、ゆっくりと咀嚼してパンを食べた。
向かい側に座るエトハルトも気になっていたが、彼女が言いたくないのなら、無理に聞くわけにはいかないと思った。
セラフィから話し出してくれるのを待つことにした。
だが、それから一週間が経ってもセラフィから話をしてくれる素振りはなかった。
それなのに、相変わらず少ない量のランチを続けているセラフィ。
時折悩ましげな顔を見せる彼女のことを、エトハルトはもうこれ以上見過ごすことは出来なかった。
彼は、セラフィが逃げないように敢えて帰りの馬車の中で真相を尋ねることにした。
「ねぇ、セラフィ。今何に困っている?」
エトハルトは馬車に乗り込んだ瞬間、向かい側に座るセラフィに真っ直ぐな瞳で尋ねた。
初めて会った時と同じ、明確に困っている理由を聞いてくれる彼の聞き方。
あの時は、その配慮に助けられたのに、今は正直に言えないことが心苦しかった。
「別に何も…」
セラフィは見透かされてしまうことが怖くて、シルバーの瞳から目を逸らした。
誰かの嫌がらせで物を無くされて、そのせいでお金がなくて困ってるなんて、とてもじゃないがそんなこと言えなかった。
遠回しにお金を恵んでと言っているようなものだ。
きっと彼なら躊躇なく不足している分のお金を補ってくれる。もしかしたら、嫌がらせの犯人も捕まえてくれるかもしれない。
だからこそ、彼に言うわけにはいかなかった。
あんな父親に大金を払わせて、それでこんな私の婚約者のフリを続けさせて、それで今の自分の面倒まで見て欲しいなんてそんなこと言えるわけがないし、そんなこと望んでいなかった。
エトハルトには、いつものように何も気にせずただ微笑んで自分のしたいようにして欲しかった。これ以上、自分のことで迷惑を掛けたくなかった。
「セラフィ」
「え…」
狭い馬車の中、エトハルトはセラフィの眼前に迫っていた。
セラフィが目を逸らさないように、彼女の顎を手で支えて自分の方を向かせた。
「僕はそんなに頼りない…?」
エトハルトは、見たことのないほど不安そうな顔をしており、その声は今にも泣き出しそうで、僅かに震えていた。
セラフィは初めて見せる彼の表情に胸が締め付けられた。
それでも、口にすることは憚られた。
人に頼らずに生きてきたセラフィは、人への甘え方を知らない。
差し伸べられた手を取ることでさえ躊躇してしまう。
これ以上、優しい彼を巻き込みたくない…
セラフィはキツく唇を噛み締めると、伏せていた視線を上げ、エトハルトのことを見上げた。
「私達、婚約者のフリをしているだけでしょう?互いに踏み込み過ぎない方がいいと思うの。」
セラフィの言葉に、エトハルトは目を見開いた。その顔は色を無くし、拒絶されたという恐怖に染まっていく。
「え…せ、セラフィ?どうしてそんなこと…」
エトハルトの問いかけに、セラフィは答えなかった。
彼に迷惑を掛けたくない一心で吐いた嘘だったが、その代償は大き過ぎた。心が痛くて痛くて堪らない。自分で言ったくせに、傷つけた側なのに、呼吸が止まりそうなほど胸が苦しい。
もうこれ以上、エトハルトの顔を見ていることは出来なかった。
彼の手を振り切り、御者に言って無理矢理馬車を止めさせた。
「私、今日はここで降りるね。じゃあ。」
呆然とするエトハルトを置き去りにして馬車から飛び出した。
外に出た瞬間、堰を切ったようにポロポロと大粒の涙が彼女の頬を伝う。
あんなに良くしてもらったのに、最後の最後で彼にあんな顔をさせてしまった…
あんなこと言うつもりじゃなかったのに、深く傷付けてしまった。
本当に、自分は最低だ。
誰かといる資格なんて自分にはない。
もう誰も傷つけないように一生独りでいい。
独りぼっちよりも、大切な人の悲しい顔を見る方が何百倍も辛い。




