新入生研修④
調理を開始してから約3時間、外が暗くなってきたころ、ようやく全ての班がシチューを作り終えることが出来た。
厨房の隣にある食堂には、8人掛けの大きなテーブルが4つ並んでおり、そこに班ごとに分かれて座っている。
テーブルには、自分達で作ったシチューと、予め用意されていたパン、そしてセラフィが作った品が並んでいた。
皆同じレシピでシチューを作ったというのに、焦げて茶色い見た目のものから、材料が溶けてしまってただの液体にっているものなど、その出来は様々であった。
そんな中、セラフィ達のテーブルにあるシチューだけは光り輝くほど完璧な仕上がりであった。
「こ、これほどまでとは…見事な仕上がりだ…感服した…」
ビリーは、アザリアの作ったシチューの入った器を両手で慎重に持ち上げ、あらゆる角度から真剣に眺めていた。
その顔は恍惚とした表情をしており、食べ物に向けるものではなかった。
「いいから早くそれ返してよ…」
ちゃっかり自分達のテーブルに混ざっているビリーに、アザリアは呆れ顔を向けた。
彼女のスパルタ指導を受けたビリーは、彼女の料理にすっかり心酔してしまっていたのだ。
いつまでも器を離す気のない彼に、アザリアは諦めて彼用のシチューを取り分けてあげた。
「あの、アザリアさん…」
今度は別の班の女子二人が声を掛けてきた。システィーナとクロエラだ。
ビリーの話が聞こえてきて、恐る恐るアザリアの元へとやってきたのだった。
「良かったらその…私たちにも味見させてもらえないかな?」
控えめに笑う彼女達の手には、黒焦げのシチューが入った皿があった。
これは食べたら腹痛を起こしてしまいそうだ。
「うわ…これはひどいわね…まだあるからいいわよ。セラフィ、そのポテトサラダもあげていいわよね?これだけじゃ足りないもの。」
「あ、うん。もちろん!」
アザリアに言われて、セラフィは急いで残っていたポテトサラダをよそおうとしたが、なぜか手が動かなかった。
「え…?」
視線をポテトサラダから上に上げると、にっこりと微笑むシルバーの瞳と目が合った。
その優しい笑みとは裏腹に、セラフィの手はがっちりと彼に掴まれている。
「それ、みんなにあげちやうの…?」
「うん。なんか失敗しちゃったみたいで…あれだけじゃお腹空いちゃうだろうし…あ、エティも食べたかった?まだ材料あるから、追加で作ろうか?」
「…そういうことじゃない。」
「???」
なぜか拗ねているエトハルト。
その理由が分からなかったが、とにかく今は食べるものがない彼女達にお裾分けすることが大事だと、彼の手を払いのけて手を動かすことを選んだ。
「ねぇ、セラフィの作った料理を他の人に持っていかれることがすごく腹立たしいんだけど、何でだと思うー?ここに自分の分もあるのにさ。不思議だよね。」
エトハルトは、隣に座るマシューに向かって不思議そうな顔を向けた。
そんな分かりきったことを今更問われたマシューは、スプーンを落としそうになっていた。
「お前はっ!変なタイミングで変なことを聞いてくるな!ちょっとは自分でも考えろっ。まったく…どんだけ疎いんだよ…」
マシューは、荒ぶった気をおさめるようにスプーンでガツガツと口にシチューを運んだ。
「君たちは一体何の話をしてるんだ…??」
ランティスは一人話についていけず、困惑していた。
その後も、セラフィ達のテーブルには何人ものクラスメイトがやってきた。
シチューの残りを狙う者やセラフィの手料理をベタ褒めする者、アザリアの弟子にしてほしいと懇願する者など、皆友好的であった。
最初は当惑してていたものの、自分に向けられる純粋な笑顔に、セラフィも次第に笑顔を見せるようになっていった。
夕飯を終える頃には、皆すっかり仲良くなっていた。
料理という貴族子女達にとっては未知の共同作業が功を奏したらしい。無事、学園側の狙いを実現することが出来た。
片付けを終えた後は、皆自室に戻っていった。
だがセラフィは戻らず、ひとりで厨房に残っていた。明日の朝食の仕込みを行うためだ。
ちなみに、アザリアは、談話室でビリーに質問攻めにされていた。
セラフィは軽く袖を捲ると、まずは冷蔵庫の中身をチェックすることから始めた。
「やっぱり、ここにいた。」
エトハルトが厨房にやってきた。
だが、その顔にいつもの微笑みはなく、少し怒っているような雰囲気であった。
「あれ…エティは部屋に戻ったんじゃ…」
「約束したろ?僕の目が届かない場所にはいかないし、僕も目を離さないって。なのに君と来たら…勝手に一人で行動するんだから。」
怒っている雰囲気なのに、彼の声はいつものように優しかった。
「あ、ごめん…そうだった…」
「うんうん、分かれば良いよ。で、明日の準備をしたいのは分かるけど…20人分を今から一人で準備するのは大変でしょ?明日の朝、ランティスも交えて3人でやろう。今日は疲れたろうから、早めに寝た方が良い。」
「そう…だよね。」
セラフィは歯切れ悪い返事をした。
エトハルトの言うことは正論であった。でも、自分でも皆のためにできることがあると知った今、無性に何かしたい気持ちになっていたのだ。
なんとなく、新しく発見した自分のことを否定されたような気持ちで寂しさを感じてしまった。
エトハルトにはいつだって自分の味方であってほしい、無意識にそう願ってしまっていたのだ。
「もう仕方ないなぁ。」
エトハルトは、どこからともなくエプロンを取り出すとそれを身に付けた。
「僕はどうやら、セラフィのその顔に弱いらしい。今、皆のために準備をしておきたいんでしょ?なら僕も手伝う。僕は強力な戦力だからね、30分もあれば終わるよ。これが終わったら真っ直ぐ部屋に戻って早く寝ること、いいね?」
「ありがとう、エティ。…でもいいの?マシュー達もエティのこと待ってるんじゃない?」
「セラフィより大事なことなんてないよ。さぁ、早く取り掛かろう。」
「う、うん。」
とんでもないことをさらりと言い放ったエトハルト。
そのあまりに自然な言い草に、セラフィは自分の聞き間違いだと思うことにした。




