新入生研修当日①
「遅かったね。大丈夫だったかい?」
サンドイッチに齧り付くと同時に、セラフィの正面にしゃがみ込んだエトハルトが声をかけて来た。
「なっ…ゴホッゴホッ…な、なんで…」
離れたところで女子達に囲まれていると思っていたため、いきなりの至近距離にセラフィはむせってしまった。
隣にいるアザリアが差し出したお茶をなぜかエトハルトが受け取り、口元に近づけてゆっくりとセラフィに飲ませた。空いた手で彼女の背中を摩る。
自分がやろうとしていたことを全てエトハルトに横取りされてしまったアザリアは、彼のことを軽く睨んでいた。
「大丈夫?」
「だ、だいじょぶ…」
盛大にむせったセラフィは涙目になって答えた。
「セラフィが遅いから何か困っているのかと思って、部屋まで行こうとしたんだけど、彼らに止められてしまったね…」
恨めしそうな顔のエトハルトが後ろを振り返ると、そこにはマシューとランティスの姿があった。
「いや、普通にありえないだろ…いくらなんでも女子の部屋に行くなんて…お前、そんなことしたら罰せられるぞ。」
「全くもって同感だ。いくら婚約者とは言え、クラスの風紀を乱すような真似は許せん。」
「二人とも大袈裟なんだから。」
二人に嗜められてもエトハルトは全く気にしてなかった。
「エティは他の子達といたのに、抜けてきて良かったの?私はアザリアといるから平気だよ。」
セラフィは笑顔で言った。
が、そのつもりだったのは本人だけで、誰が見てもそれは間違いなく寂しそうな顔であった。
「僕はセラフィといたいから。君を待っていたら周りに人が集まってきただけで、僕から他の人に話しかけることはないよ。興味なんてないから。」
「そ…っか。ならいいか。うん、そうだよね。それなら良いよね。」
「ふふふ。一人で頷いて、セラフィは変なの。でもなんか嬉しそうだからいいや。」
エトハルトとセラフィの二人は、顔を見合わせて笑っていた。
そんな二人を見たアザリアは、マシューと顔を見合わせていた。
『アレは、告白なんじゃないの!?一体どういうつもりであんなことをサラッと口にするのよ!』
『だーかーらー!俺に聞かれても知らないって!エトハルトが自分の感情に疎いだけだろっ』
この場にはランティスもいるため、二人は口パクで応酬した。
ランティスは、やっぱりあの二人仲が良いんだなと単なる事実として現状を受け止めていた。
「セラフィのサンドイッチ、美味しそう…」
「…一口食べる?」
輝くシルバーの瞳に抗えなかったセラフィはつい手にしていたサンドイッチをエトハルトに差し出してしまった。
「「「さすがに、それはっ!!!」」」
だが、三人に止められてエトハルトが口にすることは叶わなかった。
昼食後、セラフィとエトハルト、ランティスの三人は、厨房で材料の確認や備品のチェックを行っていたが、セラフィ以外の二人は他の女子生徒に用事を頼まれて行ってしまった。
荷物を運ぶのに男手が必要だとかなんとかで、頼みやすい学級委員に声を掛けに来たらしい。
戻ってきたら続きをやるから少し待っていてとエトハルト達に言われていたが、暇だったセラフィは黙々と作業を続けていた。
今はまだ昼休憩の時間で、他のクラスメイトは部屋で片付けを行っていたり外で談笑していたりと自由に過ごしている。
半分開いている厨房の窓から楽しそうな声が聞こえてきて、セラフィはほっこりした気持ちになった。
この学園に入学して初めてのイベントとなるから、皆に楽しかったって思ってもらえるように頑張ろうと、セラフィは一人でぎゅっと拳を握った。
だがその時、楽しそうな外の声に混じって、陰口が聞こえてきた。
「あの子って、エトハルト様の婚約者なのでしょう?なのに、どうしてランティス様とも親しくしてるのかしら?」
「やっぱり母親と同じで男好きなんじゃない?本当に目障りだわ。」
「本当ですわ。エトハルト様も嫌なお気持ちにならないのかしら?自分の婚約者が他の男と馴れ馴れしくしてるだなんて、普通は許されなくてよ。お優しいエトハルト様がお可哀想。」
「思い上がっている彼女は一度思い知るべきね。自分がどのような立場にいるのかを。二人の優しさに甘えていると、痛い目を見るって教えてあげないとよね。」
「まぁ、お優しいこと。」
話を聞いてしまったセラフィは顔を覆い、脱力してその場に座り込んでしまった。
私、無意識に母親と同じことをしてたのかな…
あんなに毛嫌いしていたのに…結局は、私もあの母親と同じなの…?
私はどうすれば良かった?
学級委員にならなければ良かった?
でも、皆にやれって仕向けられて断れなくて、そこにランティスが混ざってきただけで、私にそんはつもりは…
いや、周りから見たら、これも全部言い訳なのかな…
自分の都合の良いように捉えているだけで、無意識に他の人のことを傷つけているのかな。だとしたら、私は自分のことを許せない。
ああはなりたくないって思っていたのに、
どうしてこんな…
「…っフィ」
こんなことになるのなら、こんな思いをするのなら、誰かに辛い思いをさせるのなら、誰とも関わらなければ良かった。
あの時、エティの提案に乗らなければこんなっ…
「セラフィっ」
「え…」
自分の名を必死に呼ぶ声にようやく気付いたセラフィ。
目の前には、見たことのないくらい必死な形相ののエトハルトの姿があった。
「エティ…?だ、大丈夫?何かあったの…?」
「あったよ。」
「大丈夫!?私で良ければ何か力に…」
「セラフィが泣いてた。」
「え…」
エトハルトの言葉に、セラフィは思わず自身の頬を触ったが涙に濡れてはいなかった。
「セラフィの心が泣いてる。」
エトハルトは、座り込んでいるセラフィのことを抱きしめた。
「そんなこと…」
「ある。見れば分かる。」
大丈夫と言おうとしたのに、エトハルトに先読みされてしまった。
セラフィはそれ以上言い返すことが出来ず、しばらく黙ったままエトハルトに抱きしめられていた。
「言いたくなければ言わなくて良い。でも一つだけ約束して欲しい。僕の気持ちは僕に聞いて。他の人の話を信じないで。良いね?」
それはまるで、先ほどの陰口を聞いていたかのような口ぶりであった。
有無を言わせない強い口調に、セラフィは彼の腕の中で黙って頷いた。
彼女を慮るように、エトハルトは優しくセラフィの頭を撫でた。
「ありがとう、エティ…」
どこまでも優しいエトハルトに、セラフィは様々な感情が込み上げ、一言お礼を言うことで精一杯だった。
彼はセラフィの言葉に呼応するように、抱きしめる腕の力を強めた。




