痛いほどの優しさ
翌朝、セラフィはベッドから起き上がるのがひどく億劫であった。
朝の支度も朝食も気が乗らない。
何より、制服に袖を通すことが一番しんどかった。
昨日、キャサリン達に対して言い返してしまった手前、彼女達と顔を合わせることが怖いのだ。
昨日は気が昂っていたため気にならなかったが、一晩寝て冷静になった今、自分がしでかしてしまったことの重大さに気づき、またキリキリと胃が痛んできた。臆病な自分が嫌になる。
これが物語だったら、ハッピーエンドで終わるのに…
どんな顔で学園に行ったら良いんだろう…また何か言われるかな…
そんなことを考えながらもズル休みをする勇気もないセラフィ。
惰性でなんとか朝の支度を終えたが、いつもよりも遅い時間になってしまった。
ー コンコンコンッ
「お嬢様」
中々階下に降りてこないセラフィに痺れを切らしたのか、使用人が彼女の部屋を訪れた。
「今行くから。」
「いえ、その…お迎えが来ているようでして…」
「えっ???」
使用人の言葉を聞いたセラフィは慌てて階段を駆け降り、玄関へと向かった。
そこにはいつものように穏やかな表情で佇むエトハルトの姿があった。玄関の窓から差し込む朝日に照らされ、彼の銀髪はキラキラと美しく輝いている。
「おはよう、セラフィ。」
彼は、眩しいほどの笑顔を見せた。
セラフィはそのあまりの輝かしさに思わず目を細めた。
「おはよう…って、なんでエティがここに…??今日は、学園に行く日でしょ??え、寄り道なんてしてたら遅刻しちゃうよ?あれ、休みだったっけ?」
予想だにしていなかった、いきなりのエトハルトの出現に、セラフィは頭の中が大混乱であった。自分でも何を言っているかよく分からない言葉を発している。
エトハルトは、焦ってわたわたしているセラフィのこと見て微笑んだ。
「ふふふ。セラフィは朝から面白いね。そうだよ、一緒に学園に行こうと思って迎えにきたんだ。」
「急にどうして…」
「なんとなく、君のことが心配になってしまって、顔を見たくなったんだ。でも、杞憂だったな。本当に君はよく頑張っている。」
エトハルトは、目を見開いたまま固まるセラフィの頭を優しく撫でた。
その手は温かく、彼女の傷付いた心を癒すかのように優しくて心に沁みた。
「ありがとう、エティ…」
セラフィは涙が込み上げそうになるのを必死に堪えた。
彼の優しさが嬉しくて堪らなかったのに、その優しさはほんの少しだけ彼女の胸に痛みを与えた。なぜかは分からなかった。
「これは僕が勝手にしたことだよ。僕は朝からセラフィの顔が見られて嬉しいから。こちらの方こそ、ありがとう。」
「なんでエティがお礼を言うのよ。ふふふ、ほんとに変なの。」
少し笑ったセラフィはようやく血色が良くなってきた。
昨日は柄にもなく、エトハルトのために言い返してくれたセラフィ。
そんな彼女の様子を見ていたエトハルトは、嬉しさよりも不安の方が大きかった。
無理をした彼女が思い詰めていないか、自分のせいで心的負担が掛かっていないか、心配で心配で堪らなかった。
もしかしたら学園に来ることが嫌になってしまうんじゃないだろうか、そんなことまで考えていたのだ。
そして、不安に思うあまり、気付いたら彼女の邸にまで来てしまっていた。
ようやく見せてくれた、彼女の微かな笑顔に、エトハルトは心の底から安堵した。
「行こうか。」
「うん。」
セラフィは、エトハルトが差し出してくれた腕を取った。
学園に行くことが怖くないと言ったら嘘になるが、彼が隣にいてくれると思うだけで不思議と胃が痛むことはなかった。
「おはよう、セラフィ!」
「アザリア、おはよう。」
教室にやってきたセラフィを見たアザリアは元気に手を振ってきた。
だが、エトハルトの存在を視認した途端、思い切り睨み付けてきた。
「手っ!!」
「おはよう、アザリア嬢。ん?手ー?」
アザリアの剣幕にも動じず、エトハルトは手を上に上げて何のことだろうと不思議そうに眺めた。
そして、彼に繋がれているセラフィの手も一緒に持ち上げられている。
「無闇にセラフィの手を握らないっ!」
「ああそうか。じゃあこうすればいっか。はい、どうぞ。」
自分に対してヤキモチを焼いているのだと思ったエトハルトは、アザリアにセラフィの片手を渡して繋がせた。
そして、うんうんと頷き、満足そうな顔をしている。そんな彼の横顔を見たセラフィは、少し呆れており、アザリアに至っては、もう言葉が出なかった。
「おはよー。って、君たち何やってんの…」
朝からセラフィの両手に繋がれているエトハルトとアザリアを見たマシューは呆れて額に手を当てた。
「エトハルトが勝手にっ…」
「マシュー、おはよう。良いところに来たね。」
エトハルトは、マシューの手を取るとアザリアと繋がせた。
「よし、これでいい感じ。」
エトハルトは、ドン引きしているアザリアとマシューのことなどお構いなしに、ニコニコと嬉しそうに微笑んだ。
「なんで俺は朝からこんな目に…」
「私だっておんなじ気持ちよ…」
よく分からないまま4人で手を繋いで円を作っていたら、鐘の音とともに教師が入ってきた。
他の生徒達はお喋りを止め、慌てて席に着いた。
「入学早々仲が良さそうで何よりだわ。でももうホームルームが始まるから席に着いてちょうだいね。」
このクラスの担任である、カナリアは手を叩いて注目を集めた。
エトハルトを除く3人は顔を真っ赤にして足早に席に着いた。
「今日は、このクラスの学級委員を決めようと思うのだけど、誰かやってみたい人はいるかしら?」
学級委員という言葉に面倒さを感じたのか、立候補する者は誰もいなかった。だが、なぜが皆の視線がセラフィへと集中している。
え……なんで私のこと見るの…?
多くの目を向けられて、セラフィは固まった。この状況に、イヤな予感しかしなかった。