ブレないエトハルト
『僕と結婚してほしい』
あの夜、エトハルトが窓ガラスを突き破って自分の元に現れてくれたあの時からセラフィは彼と人生を共にする覚悟でいたのに、いざ言葉にされると嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
信じられない気持ちで胸がいっぱいになる。ポロポロと溢れる大粒の涙をセラフィは両手で拭った。
「私も、私もエティといたい。貴方がそれを望んでくれるのなら、他に欲しいものなんて何もない。」
涙を拭って赤さが残る瞳を細めて微笑むセラフィ。長いまつ毛は涙に濡れ、陽光を受けてキラキラと輝いている。
彼女の全身に、これまで感じたことのない幸せと充足感が溢れていた。
「ありがとう、セラフィ。」
跪いていたエトハルトは、立ち上がると共にセラフィに勢いよく抱き付いた。
泣きそうになっている顔を見られないよう、彼女の肩に肩を埋める。
「僕の人生は、君と出会って初めて動き出したんだ。僕の毎日に価値を見出してくれた君には、感謝しても感謝しきれない。愛しても愛しきれない。これほどまでに溢れる君への想いを僕はどうやって伝えたら良いんだろう…」
「私もだよ。エティがいなければ、心を無くしてあの家に囚われていた。人の優しさも自分の心も全て無視して生きていくはずだった。それをエティが変えてくれたの。」
「君の人生に僕の存在が何か作用したと思うと、心が震えてどうにかなってしまいそうだ。こんなにも君のことを想っているというのに、その全てを君に伝えきれないことがもどかしい…」
エトハルトは、肩に埋めていた顔を上げると自分よりも背の低いセラフィのことを見下ろした。優しく蕩けるような瞳を向ける。
「ちょっと僕の愛を伝えさせてくれる?」
首をかしげると、エトハルトはセラフィの顎に手を添えて少し上を向かせた。セラフィの瞳をじっと見つめ、頬が赤くなっていく彼女の様子を堪能する。
そして、自分の唇を重ね合わせた。
ゆっくりと互いの愛を確かめ合うように唇を合わせる二人。
誰もいない花畑の中心で何にも邪魔されず、瞳と唇とその体温でで互いの愛を伝え合う。
「セラフィ、愛してる。」
恥ずかしがって俯くセラフィの顔を上げ、瞳を見つめながら愛を囁くエトハルト。
彼の言葉と瞳と口付けに、セラフィは至福の時を過ごした。
***
新学期初日、いつものようにカナリアが教室にやって来た。
休み明けで賑やかな教室だったが、皆私語をやめて教壇に立つ彼女に視線を向ける。
「おはようございます。今日から皆さんは三年生ですね。最後の一年も一緒に頑張っていきましょう。最終学年を迎えるに当たりいくつか注意事項があるのだけど、その前に皆さんにひとつお知らせがあるわ。」
カナリアは、二年生の時と同様エトハルトと共に最前列に座るセラフィのことを見た。そして、にっこりと微笑むと言葉を続けた。
「セラフィさんは、カーネル公爵家に養子入りしたわ。これはカーネル公爵からの打診で、セラフィさんがそれを受け入れた形よ。良くない噂が流れるかもしれないけれど、苗字が変わっただけだわ。皆さんは気にしないように。」
カナリアの言葉に教室中がざわついた。
シブースト家は貴族社会で長年貶まれていた家であり、カーネル家は由緒正しい家柄で誰もが公爵家との縁を望んでいるほどだ。だからこそ、妬ましく思う者もいる。
また、ランティスにもいくつかの視線が向いていた。
親の都合とは言え、同じクラスメイトが自分の家に養子入りということに対して同情じみた目で見ている者もいた。
そんな中、エトハルトがまっすぐ手を伸ばしカナリアに向かって挙手をした。
「先生、一つ訂正です。」
キリッとした表情で訴えてくるエトハルトに、過去の経験から嫌な予感しかしないカナリア。
無視したかったが、彼が教室中の注目を一心に集めているためそれは叶わなかった。
「…なにかしら?」
思わずジト目でエトハルトのことを見てしまった。
「セラフィの苗字はサンクタントです。セラフィ・サンクタント。カーネル家は謂わば彼女の実家になるということだけで、それは大したことではありません。」
「「「「は!?」」」」
カナリアは驚きのあまり声を出せず、その代わりに事前に養子入りの話を知っていたランティスやマシュー達の驚愕の声が教室に響いた。
「いやお前、ちょっと待てよ。養子入りの件は聞いていたけど、いつの間に婚姻なんて……」
「私の父の前でそんな話一言も言ってなかったと思うんだが?」
「ちょっと、セラフィ!結婚しただなんて私聞いてないわよ!!」
「セラフィ?エトハルト様と結婚って本当なの??」
矢継ぎ早に言ってくるマシュー達。
そんな彼らにセラフィは苦笑いを浮かべ、満足したエトハルトはそんなセラフィの横顔をにこにこと眺めている。
「え、エトハルト君…一体どういうことかしら?」
この一瞬の出来事で急激に老いたカナリア。動揺で声が震えている。
「やっぱり嫌だなと思っただけです。」
「はい…?」
「僕のセラフィがランティスと家族になるなんて嫌でたまらなくて、だからその前に彼女と家族になりたくて婚姻を結んだのですよ。」
なんてことのないように言い、にっこり微笑むエトハルト。
その隣で、真っ直ぐな彼の想いに触れたセラフィは耳を赤くしている。
「は…………」
言葉の通り、開いた口が塞がらないカナリア。口を半開きにしたまま呆然としている。
「ああ、こういう奴だったな………」
「私も忘れていた。これでこそエトハルトだな。」
「なんかもういいわ。」
「学生のうちに結婚だなんて…素敵だな………」
口々にぼやくマシュー達。
他のクラスメイト達も、エトハルトの発言によって公爵家に養子入りした件は頭から消えた。
「今日は一日自習にするわ……また明日からよろしくね……」
カナリアはひどく疲れた顔で教室を出て行ってしまった。
「セラフィさん、おめでとう。まさか私たちより早く結婚するだなんて思ってもなかったわよ。パーティーの招待待ってるわ。」
「あ、ありがとう…」
カナリアの退出とほぼ同時にセラフィの元へとやってきたキャサリン。
照れたように言うと、そそくさと自席へと戻って行ってしまった。
「セラフィさん、結婚おめでとう!」
「エトハルトもおめでとう。よくやったな。」
「本当に、いつも仲良さそうだなって思っていたけど、まさか休みの間に結婚してただなんて…」
セラフィは、あっという間にクラスメイト達に囲まれた。皆、口々に祝いの言葉を二人に掛けていく。
そこにはもうやっかみも疑いの目もなく、ただただセラフィ達のことを祝福する言葉で溢れていた。ただ一人を除いて。
「ねぇ、僕のセラフィに近くない?」
「「「・・・」」」
別の角度からやっかみを発揮してきたエトハルト。
彼の余裕のない様に、群がっていたクラスメイト達はドン引きしている。
「セラフィ、今からデートしよ。」
「え?でも授業っ…」
エトハルトは、セラフィの手を取って立ち上がらせると、彼女のカバンを持った。
「今日は自習だから大丈夫。これ以上ここにいるのは耐えられそうにないし。君を取られそうで嫌だ。ね?」
シルバーの瞳で懇願されたセラフィは、抗うことが出来なかった。
「いいよ。」
「ありがとう、セラフィ。大好き。」
エトハルトは勢いのままセラフィの頬に軽くキスをした。教室中から悲鳴が上がる。
またカナリアがやって来たら面倒だと思ったエトハルトは、セラフィの手を取り逃げるように教室を後にした。
春の香りと混乱するクラスメイト達を残して。
こちらで完結となります!
ゆっくりとした話を書きたかったのですが、想定の倍以上に長い話となってしまいました。。ここまで読んでくださった方いらっしゃったら、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
次はもっと短めでテンポの良い話を書こうと思っております。また機会ありましたら宜しくお願いします!