クルエラの待ちぼうけ
学園が休みの今日、セラフィは自室で真新しいワンピースに袖を通していた。
質の良い光沢のあるミントグリーンの生地に最低限の飾りがつけられ、動きやすいようにスカートのボリュームは控えめになっている。
シンプルながらも上品さを漂わせる一級品だ。
侯爵家ジョークで布切れ呼ばわりされた高価な布地で作られたワンピースが納品されたのだ。
なんとか外出の日に間に合わせることが出来て、ナラはホッとした顔をしている。
「セラフィ様、如何ですか?」
「とっても素敵。ナラ、本当にありがとう。」
セラフィは鏡からナラに視線を移すと、嬉しそうに微笑んだ。
下ろしていることが多い長い金髪も、今日は一本の三つ編みに結われており、その先には、ほんの少しだけ銀の刺繍が入ったピンク色のリボンが取り付けられている。
ナラのエトハルトに対するほんの僅かな気遣いだ。もちろん、自分の後ろ姿が見えないセラフィは気付いていない。
「セラフィ様、アザリア様がお見えになったようです。楽しんできてくださいね。」
「うん、行ってきます!」
セラフィは、ナラに見送られて迎えにきたアザリアの元へと向かった。
今日はアザリアの馬車で街まで一緒に行くことになっているのだ。
クルエラとは家の方向が異なるため、彼女とは現地で待ち合わせをしている。
「セラフィ!とっても素敵ね!」
「ありがとう。アザリアもその服良く似合ってる。」
正面玄関で相対した二人は、制服でもドレスでもない装いに、互いに褒め合った。
アザリアは、鮮やかな濃紺のワンピースを着ている。裾にキラキラとして飾りが散りばめられていて、寒い冬にぴったりの落ち着いた華やかさがあった。
久しぶりに外で会えたことが嬉しくて、ついつい取り留めのない雑談を始めてしまう二人。これから買い物に行くというのに、おしゃべりが止まらない。
「そろそろ行かないと遅れてしまうよ?」
声がした方を二人同時に振り向くと、玄関の壁にもたれ掛かり軽く腕を組んで佇んでいるエトハルトの姿があった。
「エティ!どうしてここに?」
「…なんで貴方がここにいるのよ。」
喜びと困惑の声が二つ重なった。
セラフィは嬉しそうに瞳を輝かせ、アザリアはうんざりしたように口の端を引き攣らせている。
「セラフィ、今日の装いも本当によく似合っている。美しく自然の色味を着こなすその様は、まるで妖精のようだ。可憐で自由で愛らしい。」
二人の質問をまるで無視して、エトハルトはセラフィのことをうっとりとした表情で見つめてくる。
この場にアザリアがいなければ、すぐにでも抱擁をしてキスの雨を降らせていたに違いない。
「セラフィ、行くわよ。」
「あ、ちょっとアザリアっ」
アザリアはセラフィの腕を取ると、恍惚とした表情を浮かべるエトハルトの横を素通りしようとした。
「君にも迎えが来たようだけど?」
「は?何言って…」
「アザリア!」
なぜかマシューまでセラフィの邸へとやってきた。
「エトハルトのやつ、絶対セラフィ嬢のところに行くと思ったからお前のことを迎えにきたんだよ。こんなのと同乗したら死ぬだろ。」
「…そうね。」
セラフィとエトハルトと一緒に馬車に乗ることを想像したアザリアは、全身に寒気が走った。
密室でベタベタイチャイチャされてはさすがに身が持たない。今回ばかりは、マシューのお節介に助けられたと思ったアザリア。
大人しく、マシューとともに街まで向かうことにした。
そして、残されたセラフィとエトハルトの二人はなぜかアザリアの乗ってきた馬車で街まで向かうこととなったのだった。
***
一方、既に待ち合わせ場所に着いていたクルエラは、寒空の下噴水の前に立っている。
年が明けてからしばらく経ちもうすぐ春だというのに、曇り空の今日は真冬に近い寒さだ。
二人が中々来ないため一度馬車に戻ろうかと思ったが、今日は祝日で人手が多く少し離れた場所に停めてきたことを思い出してこの場に留まることにした。
「早く来ないかなぁ…」
クルエラは楽しそうに笑い合いながら歩く人たちを羨ましそうに眺めながら呟いた。
マフラーはしてきたが手袋までは持ってきていなかったため、冷えた手に息を掛けながら擦り合わせる。
それからしばらく経っても二人が現れる気配がない。
少し考えた後、クルエラは暖を取るために温かい飲み物を買いに行くことにした。ちょうど道路を挟んだ向かい側に、食べ物を売っていそうな屋台がある。
「ココアを一つください。」
「毎度あり。」
「同じものをもう一つ頼む。」
割り込みをされたと思ったクルエラは、思わず後ろに立つ人物のことを見上げた。
「え、らら、ランティス君…?」
「今日は冷えるな。」
ランティスは驚くクルエラのことを置き去りにして店主に二人分の代金を支払うと、当たり前のようにクルエラの分のココアも受け取って彼女に渡した。
「私の馬車が近くにあるから中で待とう。従者を残しておくから皆が来ても問題ない。」
「…ありがとう。」
馬車の前に着くと、ランティスはココアを持ち替えてクルエラに手を差し出した。
おずおずとその手を取るクルエラ。寒くて感覚のなかった指先がじんわりと温かさに包まれる。安心する温かさだった。
ランティスのエスコートで公爵家の馬車に乗り込むと、自分の馬車とは比べ物にならないほど豪奢な内装に、クルエラの緊張が高まる。
だがそれよりも何よりも、彼女の心拍数を急上昇させたのは別の要因であった。
「その、手……」
「冷えている。」
ぎゅっと握る手の力を強めたランティス。
エスコートで取ったクルエラの小さな手が心地よくて愛しくて、離し難くなってしまった。
彼女の手が冷えていることを口実に、しばらくの間温めるようにその手を握り続けた。