愛の暴走と粛清
「ねぇ、セラフィ」
学園からセラフィの邸へと帰る二人きりの馬車の中、エトハルトは隣に座るセラフィの髪を梳きながら甘えるように彼女の名を呼んだ。
「僕の愛は重いかい…?」
「えっ」
セラフィは、勢い良く隣に座るエトハルトのことを見たが、伏せている彼の目と視線を合わせることは出来なかった。慌てて座り直す。
「本当はね、分かっているんだ。もっとちゃんと気持ちを抑えないといけないってことを。このままだとセラフィの負担になる一方だって。」
エトハルトは、セラフィの髪を梳いていた手を止めると、今度は彼女の後頭部に手を添えて自分の胸に優しく抱え込んだ。
大好きな春の香りに包まれ、カーテンの隙間から差し込む西日が温かく、セラフィは心地よい感覚でいっぱいになる。気持ち良さそうに目を細めた。
「でもね、どうにも抑えられないんだ…君のことが欲しくて欲しくて堪らなくて、触れれば触れるほど渇きが増す。自分が自分でないみたいだ…本当に、どうしようもない男だね、僕は。」
「……私は空っぽだから。」
セラフィは、エトハルトの胸に頭を預けたまま大きく息を吸い込むと、小さく溢した。
思いがけない彼女の反応に驚いたエトハルトは、自嘲気味に笑っていた顔から真顔に戻る。彼女の言葉に耳を傾けた。
「親からの愛も碌にもらえなくて、友達もいなくて、常に愛に飢えていてひたすらに乾いていて、だからエティの愛がいくらでも染み込んでいく。こんなにも愛を向けてくれるエティのこと、嫌に思うはずない。こんなの嬉しいに決まってる。」
「セラフィ…」
エトハルトは、セラフィから身体を少し離すと、シルバーの瞳を大きく見開いて彼女の顔を覗き込んできた。
その瞳には、驚愕と狂喜と渇望の感情が入り混じっている。
「僕はこんなにも必死に理性を保とうとしているのに、君と言う人は、どうしていつもいつも僕を試すような真似をしてくるのかな…」
「エティ…?」
セラフィの両肩を掴んだまま首を垂れ、ぶつぶつと独り言のよつに呟いているエトハルト。
そこにいつもの余裕や穏やかさは無く、仄暗い雰囲気を漂わせている。
名前を呼んでも反応を示さないエトハルトに、心配になったセラフィが彼の頬に触れようと手を伸ばしたが、彼に触れるよりも先に、手を握られてしまった。
「っ!?」
エトハルトは、セラフィの手を掴むともう片方の手で彼女の腰を支え、座席の上に押し倒してきた。彼女の上に跨り、覆い被さるように顔を近づけてくる。
その時、セラフィの邸に着いたらしく馬車は停車したが、エトハルトが彼女の上からどく気配はない。ここだけ時が止まったかのように固まって動かない。
ー コンコンコンッ
「ご到着いたしました。」
出てくる気配のない二人に、気を利かせた御者がドアの外から声を掛けてきた。
早く外に出ないと迷惑になると思ったセラフィは、エトハルトの身体を片手で押し返そうとしたが、びくともしない。
それどころか、セラフィに口付けをしようとエトハルトの顔が目の前に迫ってくる。
どこか狂喜じみたシルバーの瞳に、セラフィは見惚れて惹きつけられて目が離せなくなり、自由を奪われた。
未知への恐怖と期待の狭間で心が揺れ動く中、どうしようもなく囚われてしまい自分の意思で動くことの出来ないセラフィはそっと目を閉じた。
ー ガタンッ!!!!
「エトハルト様、一体何をされてるのです?」
怒りに満ちた、女性とは思えないほどのドスの効いた低い声が車内に響き渡る。
力づくでドアを開けたナラが鬼の形相で車内に現れたのだ。開け放したドアから入る西日に背後から照らされ、ナラの存在感が増していた。
ナラは、エトハルトのことをセラフィの上から引き剥がそうと腕を伸ばしが、その前に彼は自らどき、何事も無かったかのようにセラフィのことを抱き起こした。
「セラフィのことを送り届けていただけだ。」
エトハルトは、ナラとは真逆の方向を見ながらしれっと言い切った。彼女から見えない壁に向けた彼の目は、完全に泳いでいる。
「セラフィ様!ご無事ですか!このケダモノに何か嫌なことはされてませんか??」
ナラはエトハルトの言葉を無視すると、泣きそうな顔でセラフィの側に寄ってきた。
ペタペタと彼女の制服を触りながら、乱れがないか確認をしている。
「何もないよ。ナラ、ありがとう。」
「ケダモノって……お前の主人に向かって…というより、僕はセラフィの婚約者だ。愛し合っているのだから、少しのスキンシップくらい…」
「は?」
セラフィのスカートの皺を整えていたナラは手を止めると、ゆっくりとエトハルトの方を見た。
その目は血走り、眉は吊り上がり、こめかみには青筋がたち、彼女がブチ切れていることが容易に想像出来る。
「こんな狭いいつ誰が来るかも分からない馬車の中で欲情のまま相手に迫ることがスキンシップですか?これは愛でもなんでもありません。貴方様の身勝手であり自己満足です。真に相手のことを想うのなら、きちんと手順を踏んで相手の合意を得て、適切な場所で愛を囁くように。セラフィ様の優しさにつけ込んではいけません。」
怒りを通り越したナラは、恐ろしいほど冷静に淡々と吐き捨てた。
虫を見るような目を向けられて、思い当たる節しかないことを言われたエトハルトは、もう何も言い返せなかった。
「セラフィ…さっきはごめん…」
セラフィを玄関まで送るために馬車から降りたエトハルトは、しゅんと小さくなってセラフィに謝った。
エトハルトと手を繋ぎ隣を歩くセラフィは、ううんと小さく首を横に振った。
「ちょっと驚いたけど…でもエティに触れられるのは好き。安心するから。」
へへへと照れたように笑うセラフィ。
その美しく優しい横顔を見たエトハルトには、もう天使にしか見えなかった。
どんな自分も受け入れてくれて応えてくれる愛しい相手に、エトハルトのセラフィへの愛は増すばかりだ。
「もう明日にでも結婚して家に連れて帰りたい…そのまま一生閉じ込めて自分だけのものにしたい…いや、今からでも……」
「エトハルト様?」
セラフィの可愛さに悶絶して良からぬ方向に愛を拗らせていると、前を歩くナラがすかさず圧をかけてきた。
「…なんでもない」
キリッとした表情で取り繕うエトハルト。
風に乗ってナラのため息が聞こえたような気がした。
「私はいつだってエティのものだよ。」
「「は」」
何気なく返したセラフィの一言に、ナラとエトハルトは同時に反応した。
「セラフィ様…それはダメです、いけません。反則です。」
「セラフィ…ちょっと自制が効かなくなるか、それはダメ…」
「??」
今回ばかりは意見が一致したナラとエトハルトの二人。
終いには、そういうことは軽々しく言ってはいけないと二人してセラフィに説教をしてきた。
彼らの言っている意味はよく分からなかったが、結託している二人を見たセラフィは、なんだかんだ言いつつ二人は仲がいいんだなと勘違いをして温かな気持ちになっていた。