第1部・7
ケモノや、ガラの悪そうな人々から逃げつつ、遊園地の東へと歩き始めてもう2時間は経っていた。三人は息を殺しながらアトラクションの間を通り抜けて素早く移動していく。
いつどこに人やケモノが潜んでいるかわからない。
常に周りには警戒しなければならない。
そう思いながら歩いてしばらくした時、奈々は進んでいる道の向こう側から風を感じた。
奈々はスピードを上げてその方向へと歩き出す。鏡と霧也もすぐに奈々に続いた。
そして、アトラクションの影が消えると同時に赤い光が飛び込んできて、視界が晴れた。
「うわぁ……」
目の前に広がっていたのは先ほどまでの狭苦しい遊園地とは似てもつかない広々とした丘と、てっぺんにぽつりと立っている大きな観覧車だった。
奈々たちはゆっくりと丘を登る。
かなり長い時間歩き続けたので、足が少し痛かった。
普段奈々はあまり運動はしない。そのせいか丘のてっぺんについたころにはすっかり息切れしてしまっていた。
「つ、疲れたあ…」
奈々はそう言って思わず座り込んでしまった。
そして、観覧車の入り口の柵によりかかった。
霧也も少し疲れた顔で草原に座りこむ。
だが、鏡だけは休憩をとらずに丘の向こう側を険しい表情で眺めていた。
こんな固い表情の鏡は珍しい。奈々は心配そうに聞いた。
「…鏡、どうしたの、モアイみたいな固い表情して。
また奇怪な狂獣でもいた?」
「…モアイって…」
霧也がつっこんでも鏡の表情は変わらなかった。
そして鏡はチケットを取り出して、チケットと景色を交互に見ながら表情をさらに険しくする。
そしてしばらくして鏡は舌打ちしてこちらに戻ってきた。
一体何が見えたのか奈々が不思議に思っていると鏡は言った。
「くそっ…どうも遊園地の西と東はループしてつながってるらしいな。」
奈々はその言葉を聞いて左手でチケットを取り出し、丘の向こうの景色と見比べた。
ここは遊園地の東端、観覧車のある丘だ。そこから先の説明は書いていないがとにかくここが遊園地の東端であることに間違いない。
だが、その丘の向こうに広がるのは、本来なら遊園地の西端にあるはずの花畑だった。
そして花畑の向こうに見えるのは西側にあるはずのアトラクションばかりだ。
たしかに鏡の言うとおり、この遊園地の西端と東側はループしてつながっているようだ。
西と東がつながっているということは、北と南もつながっている可能性が高い。
遊園地の端から出ることはできないだろう。
奈々はがっかりしてうつむきため息をついた。
そんな奈々を見た鏡は言った。
「ばーか、まだ諦めるのは早ぇだろ?
他に方法がないか探してみようぜ。」
奈々は鏡の顔を見た。
空は赤く、風は冷たい。それなのに鏡の顔は少しだけ笑っていた。
自分だってつらいはずなのに、鏡は無理して笑っている。
それなのに、奈々は、一度うまくいかなかったくらいで座り込みうつむいていた。
くよくよしてる場合ではない。鏡は無理して奈々を元気づけてくれているのに。
鏡の様子を見て、申し訳ない気持ちになった。
「ありがとう。」と言おうと奈々が口を開こうとした時、霧也がそれを遮って言った。
「ところでさぁ、腹減らない?」
霧也は何の悪気もなさそうな顔をして雰囲気をぶち壊しにした。
奈々も鏡も途端に呆れ顔をして霧也の方を向いた。
そして奈々と鏡は冷ややかな声で言った。
「お前、タイミング悪すぎ……」
「竹内君、お腹減ったならそこらへんに草生えてるから…」
「KY……」
「ZITS…」
「ん?ちょっと待った、奈々。それは何の略だ?」
「え?地獄を見そうなくらい命知らずで低俗なサルの略だよ?」
そこまで言うともう鏡も霧也も硬直したまま何も言わなくなってしまった。
奈々はどうして鏡まで何も言わなくなったのか不思議に思い、首をかしげた。
別に鏡には何も言ってないはずなのに。
奈々と鏡に言われまくった霧也はふてくされて口を尖らせながら言った。
「…そこまで言わなくてもいいじゃんか…
お腹減ったんだからさぁ…」
でも霧也の言っていることもわからないことはなかった。
奈々たちは歩き始めてから何も食べていない。
奈々も少しお腹が空いていた。ここで休憩するついでに何か食べてもいいと思う。
だが、食べられるものなんて今あるのだろうか。
「竹内君、何か食べるものって持ってるの?」
「パンが少しとビスケットが少し。
でも三人分はないかな…
ここってなかなか食べ物見つからないんだよね…
川崎さんたちは何か持ってる?」
奈々と鏡はそれぞれの鞄の中をくまなく探した。
お弁当はもう学校で全部食べてしまったのであるのはおやつだけだ。
奈々は小さな袋を取り出して中をのぞき込んだ。
鏡も鞄の中をあさりながら言った。
「俺はあんま持ってねえなー…
買いすぎたオニギリが一つ残ってるだけだ。」
「どうやったらオニギリ買いすぎるの…
私は、ハバネロのスナック菓子と、激辛カレー味のお菓子と、あと赤唐辛子ならいくらでもあるよ。」
奈々がそう言うと霧也は少し意外そうに奈々のほうを見た。
そして霧也は奈々の持っている袋の中味を覗き込みながら言った。
「へー意外だな。川崎さん辛いもの好きなんだ。
川崎さんっておとなしくて清楚そうなイメージあるから甘いものの方が好きそうに見えるのに。」
「こいつの辛いもの好きは度が過ぎてるぜ。
よく赤唐辛子を生のままかじれるよなあ。」
「そっかな?おいしいんだけどな。」
奈々は首をかしげながらそう言うと袋の中の赤唐辛子をかじり始めた。
そして鏡と霧也もそれぞれ持っているものを少しだけ食べた。
ここは生き残れる保証なんてどこにもない世界。
食べ物もわずかしかないし、人を食べる生き物もうじゃうじゃいる。
一度座り込み、当たりを見回してみて、現在の状況がようやくわかってきた気がした。
悲しき世界。残酷な赤い世界。ここから抜ける方法なんてあるのだろうか。
それはもう何回も思ったことだが、それでも探すしかなかった。
休憩しはじめてしばらくたった時だった。
奈々の耳に何かが届いた。驚いて奈々は顔を上げた。
かすかだがたしかに何か聞こえてくる。とりあえず、誰か女の人の声であることは間違いなかった。
「何かの……歌…?」
奈々はぼそりとつぶやき、再び耳を澄ました。
そんな奈々の様子を見た鏡と霧也も周りの様子を伺いながら耳を澄ます。
たしかに歌が聞こえる。それも素晴らしく美しい声で、とてつもなく上手い歌だ。
歌っているのは素人ではないなと直感的に奈々は思った。
そんな時、奈々は霧也がとても驚いた顔をしていて、表情が固まっていることに気がついた。
「栄…恋……?」
そうつぶやいたかと思うと霧也は突然立ち上がり歌の聞こえる方向へ走り始めた。
驚いた奈々と鏡も霧也を追いかけた。
走れば走るほど歌声は近くなっていく。
奈々たちは霧也を見失わないように必死だった。
霧也は観覧車のある丘を駆け下りて、その向こうにある花畑の方へと走っていく。
奈々たちも霧也に続いて丘を駆け下りる。
とても美しい澄んだ歌声。思わず聞きほれてしまいそうなほどの歌唱力。
霧也が何を思って駆け出したのかはすぐにわかった。
そう、この声は……
そう思った時、霧也が立ち止まった。
薔薇に少し似た、けれど薔薇ではないピンク色の花が咲き誇る美しい花畑だった。
この世界には不似合いなほど可愛らしい花々の中、一人歌っている少女の姿が見えた。
少女は空を見上げながら、これまたこの世界には似合わないくらいの笑顔を浮かべて歌っている。
奈々たちが霧也に追いつくと同時に、少女は奈々たちに気づいて歌うのを止めてこちらを向いた。
アイドルだったことがよくわかる綺麗な顔立ちにサラサラした金髪。そして吸い込まれそうなくらい澄んだ蒼い目。
どう見たってテレビで何度も見たあのアイドルだ。
「栄恋…」
霧也は言った。その少女は、哀れな歌姫、五月原栄恋だった。