第1部・5
たどり着いたのはジェットコースター乗り場の裏だった。
ケモノの鳴き声も人の声もしない、気味が悪いくらい静かな空間だった。
奈々たちはそこに駆け込むとすぐに誰かが潜んでいたりしないか辺りを見回し、確認した。
けれど奈々たちを見つめるものは頭上に浮かぶ赤い月だけ。
誰もいないことを確認すると奈々はほっとしてそこに座り込んだ。
肌寒いくらいの風が奈々の髪をかすめていく。冷たくて、どこか寂しい風だった。
周囲に何もいないことを確認すると、鏡は霧也の方を見て言った。
「そろそろ教えてくれよ。
お前がこんなところに来た経緯と、お前の右目が赤い理由。」
霧也の目の色はいつの間にかもとに戻っていた。
霧也は頷いて言った。
「そうだね。じゃあ右目の話から先にしようかな。そっちの方が短いし。」
そう言って霧也はその場に座り込んだ。
鏡も奈々も興味津々で霧也の方に身を乗り出す。
霧也は一度手で右目を押さえ、そして離した。すると霧也の右目の色がここの空の色のような鮮やかな赤色に変わった。
そして、霧也は話し始めた。
「これが僕の能力。『スコープアイ』っていうらしいよ。」
「具体的にどういう能力なんだ?」
「能力を発動すると、遠くのものを拡大して見られるようになるんだ。
銃を撃つ時に狙いを定めるのに便利なんだよね。
ところで鏡たちの能力は?」
奈々と鏡は顔を見合わせた。
霧也に能力を教えていいのだろうか。
さっきの言動を考えると少々不安なのが本音なのだけれど。
けれど、さっき助けてもらったのは事実だし、相手が自分の能力を言った以上、こちらも言わないわけにはいかないだろう。
奈々と鏡はそれぞれのチケットを取り出して言った。
「俺の能力は『剣士』で、なんか竹刀が日本刀になる能力らしいぜ。」
「ふーん、日本刀なのになんで『剣士』なんだろうね。
それで川崎さんのは?」
「そういや奈々の能力はまだ名前聞いてないな。」
奈々はそう言われるとチケットをのぞき込んで書いてあることを読み上げた。
「えっと…『ロガー』。チェーンソーを出すことができる……だって。」
「ロガー…って木こりか?
だからチェーンソー?ずいぶん現代的な木こりだな。
ってかそれって武器?」
いきなり鏡につっこまれまくったが、奈々にだってわからないのだから答えようがない。
答える代わりに奈々は霧也の方を向いて尋ねた。
「そういえば、竹内君はどんな愚行をしたらこんな殺伐としたところに来ちゃったの?」
奈々がそう言うと霧也はなぜか目を丸くしてぽかんと口を開けたまま奈々を見た。
隣にいた鏡がポンポンと肩を叩いて「自覚症状がないんだ、許してやれ。」と言っていたがどういうことだかはわからなかった。
「んで、結局なんでここに来たんだ?」
鏡が尋ねると霧也は急に表情を曇らせて下を向いた。
下を向いているので表情は見えなかったが、とても悲しそうな表情だった。
その様子に、奈々たちは視線をチケットから霧也へと移す。
しばらくして霧也は顔を上げて話し始めた。
「二人とも、五月原栄恋ってアイドル知ってるよね?」
「知ってるけど…」
五月原栄恋は奈々たちと同年代で、少し前に大ヒットしていたアイドル歌手だ。
けれど、喉の病気で声が出なくなり入院し、芸能界を去ることになった。
透き通るような美しい声を持ち、アイドル歌手にもかかわらず素晴らしい歌唱力を持っていた人で、初めてその歌声を聞いたときのことを奈々ははっきり覚えている。
けれど、なぜ今そんなアイドルの話が出てくるのだろう。
奈々は不思議に思った。
鏡も首をかしげている。
すると、そんな奈々たちに霧也は言った。
「実はね、僕と栄恋も、川崎さんと鏡と同じように幼なじみなんだ。」
「ええ!?あのアイドルと!?」
「マジかよ、聞いてねえぞ!?」
「そりゃあ、言ってないから。」
驚きの声をあげる二人に霧也は笑ってサラリとそう言った。
だが、霧也の顔から笑顔はすぐに消えた。
霧也は重い口調で話し始めた。
「栄恋が喉の病気で歌が歌えなくなったことは知ってるよね?
入院してから、栄恋は歌が歌えなくなったショックでずっと心を閉ざしていたんだ。
それで僕はよくお見舞いに行ってたんだけど…
ある日お見舞いに行ったら、栄恋が病院からいなくなってたんだ。
それで、看護婦さんたちと手分けして栄恋を探したんだけど見つからなくて、一回病院に帰ろうと思ってバスに乗ったんだ。
そしたら……」
「ここに来ちまったのか」
鏡がそう言うと霧也は頷いた。
バスに乗って…となると奈々たちと同じパターンだ。
霧也は再び話し始める。
「そして、ここに来てしばらくした時に……栄恋を見かけたんだ。」
「じゃあ、そいつもここにいるのか!?」
霧也は再び頷く。
栄恋がここにいるということは、栄恋も危ない目にあっているかもしれないかもしれないということだ。
どおりで霧也は不安そうなわけだ。
奈々がそう思っていると、霧也は不思議そうな顔をして言った。
「その時気になったんだけど…
栄恋、見たことない奴と一緒にいたんだよね。誰なんだろ…?
背の高い男の人だったと思うんだけど…」
背の高い男の人。そう聞いた奈々はふと行方不明になった兄、慎のことを思い出した。
◇ ◇ ◇
そこは遊園地のはずれにある小高い丘だった。
見下ろす世界はどこもかしこも赤い。
ケモノたちがはびこり、日々人間たちを狙っている。
人間たちはというと、こんな世界に来てしまったことに絶望してしまうものもいれば、この世界から抜けるために「主人公」か「魔王」を探そうと目を光らせているものもいる。
この丘に一人の少女が立っていた。
少女はしばらく何も言わず遊園地を見下ろしていた。
走り逃げ惑う人や目を光らせながら「主人公」や「魔王」を探す人、中にはお腹を空かせて食料を探し回る人もいる。
少女は思った。この世界に来たことを悲しんでいないのは自分くらいかもしれないな、と。
少女は顔をあげて息を吸った。
そして、一面に広がる赤い世界へ向かって歌い始めた。
透き通るような歌声がこの空に響き渡る。
元の世界では、喉の病気のせいでもうできなくなってしまったことだ。
けれどこの世界では違った。…「歌姫」の能力のおかげだった。
少女は歌った。美しい歌声は広い空に響き渡る。
初めて歌った時の忘れられない感覚が帰ってくる。
少女にとって、歌うことほど楽しいことは他になかった。
前の世界で、自分がもう歌えないと知った時の絶望感は今でもしっかり胸に刻み込まれている。
けれど、今は違う。今は歌える。
多くの人々にとって、ここは絶望の世界かもしれない。
けれど、少女にとって、ここは希望の世界だった。
「…栄恋、歌うなとは言わないがもう少し声を小さくしろ。
ここは丘だからケモノが多いぞ。」
栄恋と呼ばれた少女は歌うのをやめて振り返る。
そこには、二十歳過ぎくらいの背の高い青年が一人立っていた。
いかにも女子から好かれそうな整った顔立ちだが、その表情はどこか暗い。
けれどそれは性格のせいとかそういうことではなく、仕方がないことだったりする。
栄恋はメモ帳とペンを取り出した。そしてメモ帳にこう書いて青年に見せた。
『何か、私が慎にできることはない?』
栄恋は訴えかけるような目でその慎という青年を見る。
慎はため息をついて言った。
「別に何もない。」
慎はそう言って栄恋に背を向けて歩き始める。
栄恋は急いで慎を追いかける。
慎は栄恋の命の恩人であり、歌が歌えなくなり、絶望していた栄恋がここに来るきっかけとなった人物だった。
栄恋は必死で慎を追いかけた。
慎は栄恋の恩人だ。そんな慎に、何か恩返しがしたい。そう栄恋は思っている。
何ができるだろうか。何をしたいと慎は思っているだろうか。
栄恋はわからない。聞くこともできない。だから、こうして薄っぺらい紙切れに言葉を書いて見せることしか手段がない。
けれど、慎の思いを栄恋に教えてくれたことは一度もなかった。
慎は栄恋の方を見ずに言った。
「俺なんかに無駄な恩を感じる必要はない。とっとと好きなところに行けばいいだろ。」
そう言って、いつも慎自身の願いを話してはくれないのだった。