第1部・4
「えいっ、えいっ、どっか行けーっ!」
耳が痛くなりそうなチェーンソーの音が響きわたる。
奈々はチェーンソーのスイッチを入れながらやみくもに振り回していた。
それをケモノはひょいひょいといとも簡単にかわしていく。
ただの犬だったらチェーンソーの音を聞いただけで逃げ出しそうなものだが、このケモノは全く怯えないどころか落ち着いてチェーンソーをかわして奈々たちに向かってくる。
なかなかケモノが逃げてくれない様子を見ていたら、なんだか奈々の方が逆に怖くなってきてしまった。
また奈々がチェーンソーを振った瞬間、ケモノは一歩後ろへ下がりそれをよけたかと思うと突然奈々に飛びかかってきた。
避けようと思ったが恐怖でとっさに足が動かない。
まずい。当たる。そう思った瞬間、鏡が素早く間に入りケモノの攻撃を止めた。
「大丈夫か?」
「う、うん。何あれ、全然逃げ出す気配ないよ…
ケモノって、ひょっとしてすごく気が強いのかな…奇抜な色した気色悪い犬にしか見えないのになぁ…」
「推測は後でな。来るぞ。」
ケモノはまた飛びかかってきた。
剣道をやっているせいだろうか。鏡は奈々よりも素早く動いてそれをかわしていく。
だが、刀でケモノを斬りつけることはしなかった。
多分、怖いのだろう。鏡の気持ちが奈々には大体想像がついた。
なぜなら奈々だって刀であのケモノを斬ることはできないだろうから。怖い、できない。多分そう思うだろう。
日常的に犬などの動物を殺したりすることなんてまずない。するわけがない。
殺せば当然血が出る。無残な死体が残る。そうなることを怖いと思うのは自然なことだ。
奈々はケモノの攻撃をかわしはしても刀で斬りつけはしない鏡の様子を見て少しだけ安心した。
ケモノを殺さないようなら、もし奈々が主人公だと鏡が知っても、殺さないでくれるかもしれないと奈々は思った。
けどすぐに安心してはいられなくなった。
鏡が自分を斬りつけてはこないとケモノはわかったのか、ケモノは積極的に鏡を攻撃し始めた。
鏡は刀でそれを受け止めたが、少しずつ後ろへ後ろへと追いやられていた。
後ろにあるのは固い壁だけ。そこまで追い詰められたら逃げ場がなくなる。
危ない。そう思って奈々が間に入ろうとした時だった。
重たい銃声が2回響き渡った。
奈々は思わず立ち止まって目をつぶった。
そして、目を開けた時に見えたのは、半ば怯えたような表情で立ち尽くす鏡と、血まみれの状態で地面に横たわって動かないケモノの姿だった。
奈々はショックで立ち止まってしまった。
先ほどまであんなに強気で鏡に襲いかかっていたケモノが今はもうピクリとも動かない。
奈々は鏡の刀を見た。血はついていない。
やったのは鏡ではないようだった。
「やれやれ、鏡、大丈夫?」
奈々たちと同年代と思われる少年の声が聞こえた。
奈々が路地の奥の方を見ると、そこには一見すると優しそうな雰囲気の少年が一人立っていた。
だが、右手に煙立つ銃を持っていることから、このケモノを撃ったのはその少年だということはすぐにわかった。
それと、少年の目が奈々は気になった。
右目の色が左目と違って赤色だった。
その少年に奈々は見覚えはなかったが、鏡はその少年を見ると非常に驚いた様子で言った。
「霧也!?なんでここにいるんだ!?」
どうやら鏡はその霧也という少年を知っているようだった。
霧也は鏡を見つけるとすぐに駆け寄ってきて言った。
「それはこっちのセリフだよ。
鏡もこのゲームに巻き込まれちゃったんだね。
あと川崎さんも。」
霧也は奈々の方を向いてそう言った。
奈々は霧也を知らない。それなのになぜ霧也が奈々のことを知っているのか少し不思議だった。
鏡は奈々が霧也を知らないのに気づいたようで、奈々に言った。
「ああ、こいつ、竹内霧也。隣のクラスの奴で俺の友達。」
「よ、よろしくね。ところで、なんで私のこと知ってるの?」
奈々が首をかしげながらそう聞くと霧也は笑いながら答えた。
「だって有名だし。鏡は川崎さんが…」
「わー馬鹿!言うな言うな!」
鏡が慌ててそう叫んだせいで後の言葉は聞けなかった。
それよりも気になることがあった。
霧也の目だ。なぜ右目だけ赤いのだろう。
現実的に考えて左右の目の色が違うのだっておかしいし、赤い目なんて見たことがない。
気になったので聞いてみた。
「あの、竹内君の目…」
「ああ、これか。
これが僕の能力なんだ。
あとで詳しく話すよ。」
どういうことかよくわからず、奈々は首をかしげた。
その時、またケモノの唸り声が聞こえた。
だがその唸り声は先ほどとは比べものにならないくらい弱々しかった。
ケモノは血まみれのまま地面に這いつくばり、顔だけ上げてこちらを睨んでいた。
先ほどまで嫌というほど攻撃をしかけてきていたが、今はもう立ち上がることもできないこのケモノを見て、奈々は心が痛んだ。
だが霧也はすぐにこう言った。
「うわ、意外としぶといな。
二人共、一旦逃げよう。こっちに隠れられそうなところあるから。」
そう言って霧也は銃をしまって走り出した。
鏡と奈々もすぐあとについていく。
奈々は霧也のさっきの言葉に少し反感を覚えた。
たしかにあのケモノは奈々たちを襲ってきたが、それでもあのケモノは生き物だ。
それなのに簡単に撃ち、その上しぶといなというのはさすがに酷いと思う。
怒りを感じている奈々とは裏腹に、鏡はなんだか少し悲しそうな顔をしていた。
鏡は小さな声で霧也に言った。
「…なんか、変わったな。」
霧也はすぐには何も言わなかった。…言えなかったのかもしれない。
悲しそうにうつむきながら霧也は言った。
「……やっぱりそうか。
……こっちに、慣れちゃったからかもしれないな…」
その霧也の悲しそうな、寂しそうな様子から、奈々はこのゲームがどんなにつらく、恐ろしいものかわかってしまった気がした。
けどそれは、所詮このゲームの辛さのほんの欠片に過ぎなかった。