第2部・6
龍の返事をしっかりと受け止めると、凛は龍にこう指示した。
「言ったわね。まずあのケモノ達の注意を引きつけて。引きつけ方や動き方は指示するわ。
そして私が合図したらあなたの能力で時間を止めて、このロッカーに登って。
お姫様抱っこするくらいの力はあるわけだからロッカー登るのはできるわよね? できなかったらとりあえずロッカーから離れて。」
「わかった。がんばるよー。」
龍はのほほんと返事すると、メモ帳を取り出して何か書き始めた。
そんなことをしている間にもケモノ達はどんどんこちらに近づいてくる。凛は頭を抱えたが龍は呑気にメモをとっていた。
しかし呆れている暇は無かった。凛は周囲を確認した。ここにはコインロッカーが四台ある。ロッカーとロッカーの幅は人一人分程度。一台の横幅は凛の歩幅五歩分程だ。
ロッカーは壁にピタリとくっついた状態で置かれており、ロッカー間の通路は袋小路となっていた。
凛が乗っているのは袋小路の入り口側の部分だった。凛はトートバックの蓋を開けて救急箱を取り出し、準備は整った。
その間に龍は狼型のケモノ達に囲まれていた。龍はケモノ達には目もくれずにメモ帳をポケットにしまって言った。
「メモとった。で、注意ってどうやって引けばいい?」
「……それはもうしなくていいわ。」
凛がそう言った瞬間、一匹のケモノが龍に飛びかかった。「わっ」と声をあげて龍は避けたが他のケモノ達も次々と動き出した。
「そのままこの袋小路に入って!」
龍は言われたとおりロッカーの間に入り、行き止まりまで突っ切った。ケモノ達も後を追い、袋小路の中へと入っていく。
行き止まりの壁を背に立つ龍を追い詰めるようにケモノ達は龍に近づいていく。その時凛は先頭のケモノの尻尾をペンライトで撃った。
能力のせいで尻尾は焼け焦げ、ケモノは吠えながらキョロキョロと辺りを見回す。他のケモノ達も周囲の確認を始めた。
凛は救急箱から脱脂綿を取り出し、常盤との戦いで負傷した脇腹にそれを当てる。脱脂綿に血が染み込んでいった。
血まみれの脱脂綿を凛は袋小路の入り口側へ落とした。ケモノは人の血肉を主食としている。ケモノ達は血の臭いに吸い寄せられるように龍から離れ始めた。
そして脱脂綿にケモノ達が集まってきた時である。凛はトートバックに手を入れて叫んだ。
「龍、今よ!」
それは脇に抱えられる程の大きさの懐中電灯だった。二つの懐中電灯のスイッチを入れて下の通路を一瞬にして焼き払った。能力によって高火力レーザーと化した光はケモノ達を貫き、通路全体を焼け野原に変えてしまった。
「終わったようね。」
残ったのは焦げ付いて横たわる遺体達だけだった。追ってきたケモノは五匹ほど。もう一匹も立ち上がらない。
しかし凛は奇妙なことに気づいた。ケモノ達は全員に黒い痣のようなものがついていた。
倒した途端、ケモノの痣は消えていったのだ。凛は痣が消えていくのをずっと見つめていた。
その時、凛の左隣で声がした。
「うわー……。」
「ああ、ご苦労様。」
龍は既に隣に居た。実際に声を聞くまではうっかりケモノと一緒に焼き払ってしまったのではないかと思っていた。
音も、能力を発動するような仕草も無かった。「時使い」――――やはり敵に回すと厄介なことになりそうな能力だ。
龍は珍しく黙り込んで下をじっと見つめている。視線は血の染み込んだ脱脂綿に向いているようだ。
それから凛の方を見た。その時初めて龍の困惑した様子を見た。
「あのさ、怪我、してたの?」
「そうね。大した怪我じゃないけれど。」
「……そんな怪我、いつ、どこで?」
凛は不思議に思った。龍は能力を使って凛を追ってきていたのだから、その場面も見ていたかと思っていた。
「いつって……そりゃ常盤との戦闘でよ。見てたんじゃなかったの?」
「知らない……。なんで言ってくれなかったの?」
「別に大きな傷じゃなかったし、ストーカーさんに手負いだとは知られたくなかったしね。」
龍は少しふてくされたように俯いた。
「救急箱があるんだし、どこかで治療してきなよ。……その、君は俺のこと変態だとか言うけどさ、別に何もしないから。」
そう言って龍は急に大人しくなってしまった。そうしょぼくれられると凛も少し反応に困った。
凛は救急箱をトートバックにしまってロッカーから飛び降りた。
「そう言うならお言葉に甘えてちょっと治療してくるわ。待ってて。」
龍は頷いた。凛はロッカーから離れてどこか治療のできそうな場所を探しに行った。
歩きながら凛は呟いた。
「ちょっとからかいすぎたかしら。」
結局、凛は再びアイスクリーム屋の厨房に戻った。そこが一番人気が無いように思えたのだ。
救急箱を取り出し、素早く手当てをした。軽い傷で、出血も少なかったので行動に特に支障は無さそうだ。
手当てをしながら凛は龍のことを考えた。龍については未だ謎が多い。
龍の言う「取引」に凛はまだ応じていないはずなのに、凛が何か命じれば龍はホイホイ言うことを聞くし、今のところこちらを陥れようとする様子もない。
龍は何者なのだろう。なぜ凛についてくるのだろう。「常盤を殺してもらうため」という答えに何か違和感を感じる。何かを隠しているようにも見える。
しかしなぜかこちらを騙そうと狙っているようには見えないのだった。
しかし、何より不思議なのは龍の言動よりも龍に出会った時の凛自身だった。
龍とは初対面であるはずなのに、以前どこかで出会ったことがあるかのような懐かしさを感じた。
レデストワールドのどこかでだろうか。それとも元の世界でだろうか。記憶を辿ってみるが答えは出なかった。
その時、携帯のバイブの音がした。携帯を見てみると先ほど送ったメールの返信が来ていた。
凛は救急箱をトートバックにしまって厨房を出た。
龍が何者かわからない以上、警戒を怠らずに現状維持。その方針でいくことにした。
龍はまだロッカーの上に居た。メモ帳を見ているようだった。周囲に異常は無さそうだった。
凛はロッカーの場所に戻ると龍に声をかけた。
「戻ったわよ。」
龍はメモ帳をしまって降りてきた。
「また何かメモしてたの?」
「んー、そうかも。」
凛は先ほどまでとの声色の違いを聞き逃さなかった。それから凛は言った。
「傷のことは黙ってて悪かったわ。それと、助けてもらったのにちょっと邪険に扱いすぎたわね。ごめんなさいね。」
「んー、そっか。」
「じゃあ、ちょっとこれから行くとこが……どうしたの?」
龍は何か言いたそうにこちらを見つめて動かなかった。淀んだ目だった。
龍は見透かすようにこう言った。
「君ってさ、俺のこと全っ然信用してないよね。」
凛はその言葉を聞いてクスッと少し笑った。
「そんなことないわ! ……なんてね。あなた、意外と目ざといのね。そうよ、そのとおり。」
「どーして信用してくれないのかな?」
「あなたが何者かわからないから。というのもあるけど、そもそも私、そういう主義なの。悪いわね。」
「ふぅん、そうなのかー。」
「それと、大人気ないけれど私も同じことを言わせてもらうわよ。あなたも私のこと全っ然信用してないのね。」
その時、龍は返事をしなかった。鈍く淀んだ瞳がただこちらを見つめていた。しかし、何も見ていないようにも見えた。
だが、どうやら図星のようだということはわかった。
「やっぱり。ね、結局、お互い様でしょう? 別に私は構わないわよ。どうぞ好き放題疑うなり利用するなりすればいいわ。私もそうさせてもらうから。」
「ふーん。それ、いいの?」
「ええ。」
「それで、ついてって、いいの?」
「何を今更。どうぞ、おいで。正直、こちらもあなたを敵に回したくなくなってきたところよ。」
龍はじっとこちらを見つめていた。こちらもじっと見つめ返してみたが、結局龍の考えは読めなかった。
すると、急に龍の口元だけが笑った。
「そっか。そうなのか。じゃあそうしよっかな。」
「言いたいことはそれだけ? 出発してもいいかしら。」
「いいよー。どこ行くの?」
凛は携帯を開き、メールを確認して言った。
「またお化け屋敷の方に戻るわ。ちょっとこれから人と会うの。」
「人? 何するの?」
「ちょっとお話。」
「ふーん、そうなのか。」
凛は携帯をしまって再び遊園地の奥の方へ歩いていく。龍も飼い主を追う犬のように後をついてきた。
歩きながら凛は龍に言った。
「そうそう、これから会う人の前で私がどんなこと言い出しても黙っててね。」
「黙るの?」
「そう、黙ってて。」
「そっか、わかった。」