第2部・2
ジャケットを着ていたのは運がよかったなと思った。肌寒い風を背に浴びながら凛はお化け屋敷の裏へと向かう。
じめじめして薄暗い通りへと素早く入り込み、ペンライトを手に辺りに敵が居ないか確認する。
気配が無いことを確認してから音をたてないように凛はその場に座り込んだ。
ペンライトの電池が切れていないことと、先ほど拾った銃の弾数を確認してから鞄から三分の一ほど水の入ったペットボトルと先ほどの菓子パンを出して休憩に入る。
もう慌てることもない。こちらでの生活に慣れきっていた。
こちらの世界に来たのはもう相当前だった。具体的な日数はわからない。凛は携帯を開く。携帯の時計はこちらに来た日付と時間で止まったまま動かなかった。
最初は驚いた。寂れた遊園地に彷徨うケモノ達、こんな場所でわけのわからないゲームに巻き込まれるなんて本当に運が悪いと思った。
だが徐々にケモノへの対処の仕方も食料の確保も、他の参加者のあしらい方にも慣れてきた。
今となってはもうベテランといった感じ。そんなベテラン、なりたくもなかったが。
凛は先ほどの男性から奪った菓子パンの袋を見た。菓子パンの袋に商品名や製造者名は書いていない。
レデストワールド内で手に入れたものなのだろう。パンが手に入る場所を知っている辺り、あの男性もこちらに来てから長いなと思った。
袋を開けて口にパンを放り込む。味はまあまあ。わざわざレデストワールド内に食料を置き、生き長らえる術を与えておきながらこんなゲームをさせるとは本当にこのゲームの主催者は趣味が悪いなと思った。
水を少しだけ飲んで休憩は終わり。凛は再び何本ものペンライトを手に歩き出す。
右手の刺青のことを知った時はさすがに少しショックだった。面倒なポジションに立ったなと思う。
自分がこのゲームの参加者全員から狙われる「主人公」の立場になるとは。勿論凛がこのゲームを制するには、「魔王」を探して殺すしかない。
足音を殺して凛は進み、お化け屋敷の近くにある女子トイレの裏に出た。
環境としては最悪。足元はぬかるみ、ネズミのような形のケモノが時折通る。湿気が多く、壁にはコケらしきものが生えていた。
そんな道の真ん中に千切ったパンが落ちていた。踏みつぶされた足跡や汚れがついていてもう食べることは出来そうにない。
だいぶ前に凛がわざと落としておいたパンだった。「実験」用に。
おかしい、そう凛は思った。下に落ちていたパンは汚れてはいたのだが、カビが全く生えていなかった。この環境ならそうなるのが普通だ。
ケモノなどにかじられたような跡もなく、パンの切れ端はちぎった時の形のままで落ちていた。
凛は鞄の中からペンと、折り紙の袋を取り出した。折り紙はレデストワールド内のゲームセンターで偶然拾ったものだ。
凛は暗いグレーに見える折り紙を一枚取り出し、折り紙の裏に「実験」の結果をメモする。
メモが終わると凛は折り紙を丁寧に袋に入れて鞄にしまった、その時。
「何してんの?」
声のした方にペンライトを向ける。すぐ真後ろの曲がり角。だが、そこには誰もいなかった。
凛はペンライトを三本右手に持ち、警戒しながら辺りを確認するが人の気配はもう感じない。
凛の背後をとり、すぐさま逃げたとしても居なくなるのが早すぎる。凛は少しため息をついた。背後をとられた時点でまだまだ未熟だなと感じた。
先ほどの声、どこか懐かしく感じて、耳に残った。
人の気配が無いことを十分に確認してから凛は次の「実験」に移る。
女子トイレの隣に水道があるのを見つけた。本来なら園内の清掃用の水を確保するためにあるのだろう。
まあ、この世界ではよくこういった水道の水を飲んでしまっている奴もいるが。飲みはしなくてもこの世界に紛れ込んでしまった人々にとっては貴重な給水ポイントであるのは確か。
凛は蛇口をひねる。水は問題なく出る。それを確認してから凛は水道から離れて手榴弾を取り出し、水道に向かって投げた。
凛が耳を塞ぐのと同時に爆音が響く。爆発が終わった後、水道は木っ端微塵に砕け、水道の蛇口も本体から取れて地面に落ちていた。
凛は蛇口を拾い上げてもう一度蛇口をひねる。すると水が出た。
本当なら出るはずがない。水道管と蛇口はもう繋がっていないのに、この水は一体どこから出ているのだろう。
この結果もメモしようと鞄を開けようとした…その時、凛はペンライトを素早く横に向けた。金属でできた蛇口に、凛とその隣に金髪の少年の姿が映っていた。
だが再びペンライトを向けた時にはもう相手の姿はない。蛇口にも映っていなかった。
メモは後だ。凛は戦闘の準備をしつつ水道から離れる。先ほどから現れては消えるあの人物をどうにかしないと落ち着かない。
それに、その人物とは別にもう数人お客が来たようだった。いくつかの人の気配…足音がする。
こそこそ近づいているつもりだとしたら随分なお間抜けだ。凛はわざと目立つ表の通りへと出る。
おそらく敵は四人。全員雑魚だ。道のど真ん中で立ち止まり、怯えて戸惑っているふりをして様子をうかがう。そして、先ほどの女子トイレの建物の脇の暗闇で何かが光るのが見えた。
凛が駆け出すのと同時に銃声が響く。他二カ所からも銃弾が飛んできたが凛には一発も当たらない。
やはり雑魚だ、おそらくこちらに来て間もないド素人。凛はペンライトのスイッチを入れて能力を発動する。
凛がペンライトを向けた方向は先ほどの女子トイレの建物の屋根だった。
ペンライトの光が一瞬にして建物を焼き切る。その屋根はずり落ちて敵が隠れているところへと落ちた。建物の切り口は日本刀か何かで切ったように滑らかだった。
「レーザー」…あらゆる光をその名のとおり超高温のレーザー光線に変える力。それが凛の「能力」だ。
凛はすぐに屋根が落ちたところまで行き、屋根の下敷きになっていた男を引きずり出して頭だけ屋根の下から出して先ほどもらった銃を突きつける。脅しにはこちらの方が効くのだ。
「こんにちは、お仲間連れてさっさと立ち去ってくれないかしら?」
だがすぐにそのお仲間が来た。銃をしまって駆け出す。ついてきたのは二人、銃を持ってるのは片方だけ、もう片方が持っているのはナイフだ。
凛はお化け屋敷のところからジェットコースター乗り場の方へと向かう。そして乗り場の下の階段の裏へと回り込む。
階段を盾にし、隙を見てレーザー一発。敵の手が焼け、銃が落ちるのが見えた。
ならあとは簡単だ。ジャケットからナイフを取り出して駆け出す。銃を落とした方の男に飛びかかり、太ももにナイフを突き刺す。残った一人はローキックで体勢を崩してから腕をナイフで切りつける。敵がナイフを落としたところでレーザーで太ももを撃ち抜き、敵はバランスを崩して床に倒れ込んだ。
まだあと一人いるはずだ。そのことは気になったがそれ以上に気になったことが一つあった。倒れた敵の傷口を踏みつけて凛は尋ねた。
「答えなさい。一緒に来てた二人の男はあなたのお仲間か何か?」
倒した三人の男は服装も年齢も全く違い、共に行動する理由などなさそうに見えた。すると男はかすれた声で言う。
「知らないっ…偶然会った…だけだ…!」
「偶然…ね。その偶然会った連中と一緒になって私を狙ったのはどうして?」
男は突然黙り込んだ。凛は更に強く傷口を踏んだが、相手は痛そうに声をあげるだけだった。
「言えないわけね?」
男は小さく頷く。凛は傷口から足をどけた。ジェットコースター乗り場の方から、新たに一つ、先ほどまでなかった人の気配を感じた。残り一人が残り二人に増えた。
「その程度の傷なら死にはしないわ、さっさと失せなさい。あと、私は忠告は一回しかしないわ。」
凛はそう言って倒れた男に背を向けて歩き出す。行き先は決まっていた。凛はジェットコースター乗り場の階段を登り始める。凛が階段を登り始めてから少しして、後ろからもう一つ階段を上ってくる音がした。
おそらく先ほどの連中の上で指示を出している人物がいるのだろうなと凛は考えた。多分指示を出している奴は先ほどの男共を脅して凛を狙うよう言ったのだろう。
大体そういう奴は自分から手は出さない。おそらく指示を出した人物はこの上で先ほどの戦いを見物していたのだろう。そして後ろから階段を上って近づいてくる奴がもう一人の雑魚だ。
冷たい空気に階段を一段一段踏みしめていく音がよく響く。上に行くにしたがって、鼻歌のようなものが聞こえてきた。よく聞くとその声は凛が聞いたことのある声だった。その間にも、後ろの足音はどんどん速くなって凛に近づいてきていた。
そしてやっと頂上にたどり着く。動かないジェットコースターの前に暗い茶色のような色の髪の毛の青年が座り込んでいるのが見える。
某付きのキャンディーを舐め、気味の悪い笑顔でこちらを見ている。
「あなたもここに居たなんて知らなかった。腐れ縁ってこういうこというのかしら。」
後ろの足音がもうすぐ真後ろまできているのを感じた。目の前の青年は言う。
「俺も、まさか『主人公』が君だとは思わなかったよ、凛。」
「さっきの奴らに指示を出したのはあなたね?」
「うん、ちょっと面白くなったらいいなと思ったんだけどどうだった?」
背中に銃口が当てられるのを感じた。が、銃声が鳴ることはなかった。かわりに銃が下に落ちる音がして、生暖かい血だまりが足元にできていくのがわかった。ペンライトの光が、ちょうど背後に居た相手の頭があった位置に向かって伸びていた。心にもない言葉で凛は返す。
「そうね、ちょっと面白かったわ。でもスリルが足りなかったかな。」
それを聞いた青年は笑いだした 。凛は久々に会ったその青年に言う。
「ところで常盤。あなたの目的はなぁに?」
常盤と呼ばれた青年はガリッと音をたてて棒付きキャンディーを噛み砕いた。
棒を投げ捨てて立ち上がり、凛の前まできて左手の甲を見せた。
「これで用件はわかるかな?」
凛は頷く。蛇の刺青があった。常盤がポケットに突っ込んでいる右手にナイフが握られているのが見えた。