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“The Reddest World”  作者: ワルツ
第1部:裏切りの物語
35/45

第1部・34

その人は微笑んだ。首に抉られたような跡を残して血まみれで死んでいる慎と、血を吐いて目を開けたまま死んでいる鏡を目の前にして優しく微笑んでいる。

背筋が冷たくなった。永遠は逆光の中で微笑む。綺麗な髪が揺れて舞う。

永遠の表情と対照的な背景の紅い空が嘲笑うかのようにこちらを見つめていた。

奈々は手も足も出なかった。何か尋ねることすらできなかった。

永遠は首から血を流してる慎を見つめ、奈々に言った。


「優しいお兄さんね。うらやましいわ、私もそんなお兄さん欲しかった。」


口が動かない。手も動かない。

この人は何者だろう。何なのだろう。血まみれの死体を見て微笑むあたり、まっとうな感覚の人ではなさそうだった。

ようやく口を開いて奈々は尋ねた。


「貴女は…何?」


「…私?」


永遠が聞き返す。奈々が頷く。

永遠は古くて分厚い本を抱えたまま、秘密の話でもするように人差し指を目の前に立てて言った。


「私はね…魔女。『永遠の魔女』。けど『著者』でもある。貴女にとっては…私は、この世界の支配者と言っておくのが一番わかりやすいかしら。」


奈々にはその意味がよくわからなかった。

ただ一つ、この人がこの世界を支配し、イカれたゲームを主催し、奈々たちを巻き込んだ張本人だということはわかった。

少しの間忘れていた感情が蘇る。だが、立ち上がる力もチェーンソーを振るう気力ももう奈々にはなかった。もう動かない鏡からまだ手を離せないまま、人形のようにぼんやりと永遠を見つめている。

その時、後ろから聞き覚えのある声がした。


「永遠様、ゲームの勝者には商品を差し上げないといけませんよ。」


その人はいつのまにか奈々の真後ろに立っていた。ビクリと震えて振り返る。

奈々達を連れてきた案内人…洸の姿だった。

洸を見た永遠は先ほどより更に笑顔になり、楽しそうに言った。


「あら、確かにそうね。

 では主人公さん。貴女のお願いは何かしら?」


微笑む永遠の目を見られずに奈々は俯いた。何も思い浮かばなかった。

俯いた先に見えたのは鏡の顔。そして離れたところに慎の姿がある。できることなら、みんなを生き返らせてほしい。鏡も慎もついでに霧也と栄恋も…みんな。

そう頼みたかった。けれど頼めない。たとえみんなが生き返っても、それではこの世界からでられない。

奈々が欲しいのは『あたりまえの日常』。あたりまえのように学校に行き、話し、笑い……鏡たちの存在とあの青空の世界。どちらかが欠けていたら決して成り立たない。

この世界に来て少しした頃、鏡と霧也とした約束が蘇った。


『三人でこの世界から抜け出そう。…必ず。』


夢となり泡となり、もう絶対に現実にはならない。そうなった原因は誰だった?

慎?本当に?確かに慎は奈々が自分を殺すように仕組んだかもしれない。

けれど、もし奈々が慎の優しさに気づいていたなら?慎を最後まで信用できていたら?

そう思った時、奈々はもう一人責めるべき人物がいることに気がついた。


「私だ…」


奈々はぽつりと呟いた。約束を果たすには慎を殺してはいけなかった。けれど奈々は慎を殺した。

これが約束が果たされなかった原因じゃないとしたら一体何?

慎を信じきれなかった。奈々を裏切ったと思いこんでいた。栄恋を信じられなかった。慎を変えた原因だと勘違いしていた。

霧也のことも信じきれなかった。あんなに奈々たちに味方してくれたのに、たかが携帯のバイブ一つでどうして疑ったりしたのだろう。どうして冷静になれなかったのだろう。この城で会った時、ちゃんと話を聞けばよかった。

そして鏡のことも。

霧也を疑った時、相談すればよかった。鏡なら違う見方をできたかもしれない。心配かけたくなくて、少しだけ遠ざけていた。話すべきことを話さなかった。

ああ、一番誰のことも信用する気が無かったのは奈々自身じゃないか。

後悔と悲しみが溢れ出して止まらない。両手で目を多う。真っ暗な感情が溢れて覆い尽くす。

約束を破ったのは誰?川崎奈々以外に誰がいる?

みんなを生き返らせても意味がないのなら、せめて奈々だけでも……そう願うことを慎と鏡は望むかもしれない。


できないよ。


奈々は心の底で呟いた。約束を破ったのは奈々自身。

絶対にこの世界から抜け出そう…そう言っておきながら、裏切ったのは奈々自身。だって奈々は川崎慎を殺した。そして、遠藤鏡も殺した。

『魔王』を殺したら皆殺し…わかっていたはずなのに。

約束を破り、慎を殺し、鏡を裏切って殺した挙げ句、自分だけ元の世界に帰るなんて。


「そんなこと…できない…」


奈々はそうつぶやいて立ち上がった。血まみれの足が悲鳴をあげるがかまわなかった。

奈々はしっかりとチェーンソーを握り締めて永遠の方へと歩き出す。足を引きずりながら一歩ずつ。

洸の声が聞こえた。


「永遠様…!」


「大丈夫、平気よ。」


そう言って永遠は洸を止めた。

奈々はチェーンソーを握ったまま、永遠の正面まで来ると、光のない目で永遠を睨みつけた。

そしてそのまま隣を通り過ぎた。先にあるのは紅い空を映す窓。

痛みに耐えながらようやく奈々は窓際へとたどり着いた。

冷たい窓ガラスに手をあてる。手の周りのガラスが少しだけ曇った。

そして奈々は再び両手でチェーンソーを握ると行く手を塞ぐ窓ガラスを叩き割った。

冷えた音とともにガラスが煌めいて落ちる。パキパキという音がよく聞こえた。

奈々は振り向いて永遠と洸を見た。

あの髪、あの目、あの表情。憎らしいけど奈々にあの二人を叩き潰す術はない。

奈々はチェーンソーを地面に置いた。そして、窓の縁によじ登った。ガラスの縁で手が切れたが、この心の痛みに比べればなんてことない。

冷たい風が顔をかすめた。地面が遠い。ここからなら、遊園地全体が見渡せる。


一人でこの世界を出るなんてできない。


鏡たちの命を犠牲にして手に入れた青空なんて何の価値があるというの?


青空を取り戻しても、ひとりぼっちじゃ虚しいだけなの。そうなるくらいなら…


「ごめん…ごめんなさい…!」


はろー はろー そしてさようなら。


奈々は窓から飛び出した。

前のめりに崩れ落ちた奈々の体は圧倒的な流れに巻き込まれて落ちていく。

紅い月の下、一人の少女のシルエットがはっきり浮かび上がる。

紅い空、観覧車、メリーゴーランド…壮大な景色が一気に通り過ぎて真っ暗になった。



◇ ◇ ◇



窓から冷たい風が吹き込む。

地面に置かれたチェーンソー。砕け散って煌めくガラス。

『主人公』の姿はもう見えない。

笑顔のまま窓の外を見つめる永遠に、洸が自分の上着をかけた。


「寒くはありませんか?ここは冷えます。早く戻りましょう。」


永遠は嬉しそうに洸に笑いかけた。

それから、もう一度あの窓を見て言った。


「ねえ、本当に『裏切った』のは誰だと思う?」


洸は少し驚いたようだった。

そして、少し考えこんでから言った。


「…川崎慎…あるいは川崎奈々では?」


永遠はつまらなさそうに口をとがらせてふてくされた。

洸はいつもそう。いつも優しくて側にいてくれるけど、私を傷つけるかもしれないことは決して言ってはくれないの。

永遠は分厚い本を握りしめながら言った。


「私は…本当の裏切り者は私だと思うわ。」


「何故ですか?」


「最後の最後…『著者』は少なくとも二回は彼らを裏切った…違う?」


洸はなんと答えていいかわからないようだった。

永遠は満足げに笑った。


「これっぽっちも悪いとは思っていないけどね。」


洸も笑い返して永遠の頭を撫でた。まるで小さな女の子を慰めるような撫で方だった。

少し険しい顔をして、洸は言った。


「黒園斬は、もう既に去ったようですよ。」


「そう…、見てくれなかったのね。」


永遠は悲しそうに俯いた。

つまらない。物語を途中で放り出す『読者』なんて。

本を持つ手に力が入る。少し俯いたが、すぐにまた笑って顔を上げた。


「まあいいわ。次は『黒の姫君』も巻き込むから。そう簡単には逃げないはずよ。

 あの人には、最後まで見てもらわなきゃね…。さあ、戻りましょう。」


「かしこまいりました。」


二人は割れた窓に背を向けると歩き出した。

過ぎたことにもう用は無いと言うかのように。

だが、永遠は急に立ち止まると、もう動かない遠藤鏡の姿を見て言った。


「悪いわね。こういうお話なのよ。」


そして、二人は暗闇のどこかへ消えていった。



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