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“The Reddest World”  作者: ワルツ
第1部:裏切りの物語
33/45

第1部・32

淀んだ曇り空。重たい灰色。あの頃の青空なんてもう記憶にない。

暗く冷たい、あの頃の自分たちの家の雰囲気のような悲しい空しかもう覚えていなかった。

母親の金切り声。俯く父親。あの頃の両親の様子は今も頭に焼き付いていた。

多額の借金を背負った父、泣き叫ぶ母。

どうにかしたい。仲直りしてほしい。いつも思っていた。

多分奈々も同じだったのだろう。両親が喧嘩する度にいつも狭い部屋の片隅で泣きそうな顔でうずくまっていた。

けれど慎も奈々もまだ幼かった。この家に入った大きな亀裂を埋めるにはあまりに幼すぎた。

追い詰められた母の気持ち、どうすることもできない父の気持ち。どちらも正しく理解することはまだできなかった。

この冷たい空気の原因は父親だと慎は思った。母が泣いて怒鳴るのも、奈々が悲しそうに部屋の隅でうずくまらなければならないのも、全部借金を作った父親が悪いのだと思っていた。父が諸悪の根源だと思っていた。

実際何も間違っていないし、借金が無ければこんなことにはならなかっただろう。だが、自分は幼稚だった。

ある日のことだった。また怒鳴り声が飛び交う。耳を突き刺すような罵声の後、嘘のような沈黙が流れ、また罵声が。

もう夜中2時近い。先ほどまですすり泣く声がしていたが、奈々は既に布団を頭からかぶって丸くなって眠っていた。

だが慎はまだ眠れずに襖に寄りかかり罵声が飛び交う家の隅でぼんやり天井を眺めていた。

いつまで続くんだろう。そう思った時、急に怒鳴り声が止み、代わりに陶器が砕け散るような音が響いた。

慎が震え上がった時、誰かの足音と別の部屋の戸が開いて閉まる音が聞こえた。

どうやら母が居間から出ていったらしい。

その後の静寂は長かった。この世から音がなくなったのではと思うくらいに静かで無声。

慎はおそるおそる襖を開けた。床に散らばる食器の欠片。床に座り込みうなだれる父。死んだような目をして石のように動かない。

欠片を踏まないように気をつけながら慎は父の前に行った。

父の光のない目がこちらを見る。


「まだ寝てなかったのか…」


「…またか。」


思わず慎はそう言った。

憎くて仕方がなかった。

父はうなだれて独り言のように言った。


「…ごめん。」


「じゃあ借金返せよ。いつも口だけだろ。」


「…ごめん。」


感情のない声だった。慎はその態度に腹が立った。

父のその声の理由なんて全く気づかなかった。

あの時の自分はなんて幼稚だったんだろう。立ち上がり怒鳴って攻め立てた。


「あんたが作った借金だろ!?あんた何とかしろよ!こっちもなんとかしたいけどできないんだよ!

 誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ!あんたのせいだろ!?あんたが悪いんだろ!?責任取れよ!

 あんたが居なければこんなことにはならなかったんだろ!?」


敵意を剥き出しにして怒りをぶつけた。

そしてまた沈黙が訪れる。父親の目が再びこちらを見た。

光がない。喜んでいるのか悲しんでいるのか怒っているのかすらわからない無表情。そして問いかけた。


「悪いのは…俺か?」


慎は敵意と憎しみをを込めて言った。


「そうだろ。あんた以外に誰がいるんだよ。」


そう言って慎は部屋に戻った。

父が呟いた。


「…だよな。」


そして翌日、父はいなくなった。

母親が食器を壁にぶつけ、泣き叫ぶ中、慎は床に紙切れが落ちているのを見つけて拾った。

紙切れにはこう書いてあった。「ごめん。全部俺のせいだ。俺がよくわからない連中に騙されなければこんなことにはならなかった。許して貰えないだろうけど…ごめん。」と。

その時慎は初めて借金ができた原因を知った。父がいなくなったきっかけが何かということも。

そして父が今どうしているかもなんとなく想像がついた。


父がいなくなってからの生活はそれまで以上に厳しかった。母の収入では生きていくのがやっと。借金を返すのに費やすお金なんて入ってこない。

母は毎日仕事から帰ると呟いていた。「あいつが私たちを見捨てなければ…」

間違ってはいない。けど正しくもない。母が呟くのを聞くたびに慎にはそれが自分を責めているように聞こえた。

違う。あの人を追い詰めたのは俺なんだ。そう言うことはできなかった。

「あんたが居なければ…」…あの言葉は父には死刑宣告のように聞こえたのかもしれない。あの時あんなことを言わなければ四人でやり直すチャンスはまだあったかもしれない。

それを壊したのはお前だよな?母が悲しむ度に、奈々が俯く度に黒い声が囁いた。


そして、ある日急に母が自殺した。油を撒いて火をつけて。警察には火の不始末で片付けられたが慎も奈々も自殺だと確信していた。

そして奈々は心を閉ざした。

お前のせいだよな?お前のあの一言のせいだよな?黒い声はさらに強くなる。

そんなある日、突然見たこともない額の金が送られてきた。死亡保険のお金らしい。母と…父の。山の中で崖から落ちて亡くなっているのが見つかったらしかった。死亡してからもう相当経った時になって見つかったらしかった。

慎の悲しい予想は当たっていた。死亡保険のお金で、今まであんなに自分たちに重くのしかかっていた借金は嘘のようになくなった。

だが、黒い声は消えなかった。皮肉だね。二人殺して、お前は借金返したわけだ。

俯く奈々を見る度に黒い声が囁いた。そして罪悪感が奈々に優しくしろと言った。

少しずつ奈々は以前の明るさを取り戻していった。そんな時だった。レデストワールドに来ることになったのは。


栄恋と出会い、タクシーで送っていこうとした時、ここに来ることになった。

ここに来て一番苦しかったことはゲームの概要よりも自分の能力の代償のことだった。

能力を使う度に自分が自分でなくなっていくように感じた。

同情とか憐れみとか、当たり前だった感情が少しずつ消えていく。人を殺しても何も感じなかったし、栄恋に酷いことも何度も言った。そのことを悲しいと思うことさえなくなっていった。

少しずつ少しずつ自分が自分でなくなっていく。そんな自分が嫌で、見られたくなくて、栄恋を何度も突き放した。

けど何度突き放しても栄恋はついてきた。キラキラ瞳を輝かせてこちらを見てくる。まるで神様でも見ているようだった。

それが慎は苦しかった。自分はそんな良い人じゃない。その証拠に、慎は栄恋が人殺しの世界に来るきっかけを作ったのだ。

苦しい。でも今思うとそう思う時だけは、失った『優しさ』が戻ってきていた気がする。

でもそんな僅かな『優しさ』もどうせすぐ消える。この先の未来のことなんて想像しようとも思えなかった。

奈々と再会したのはそんな時だった。



怖かった。変わり果てた自分を見られることが。いや、最初から変わってなんていなかったのかもしれない。今まで隠れていた冷酷さが表に出ただけかも。

慎は奈々から両親を奪ったのだから。あの丘で奈々を突き飛ばした時、絶望したような目を見た時に思った。自分は人の人生をどれだけめちゃめちゃにしてきたのだろう。

両親が死ぬきっかけを作り、栄恋をこの世界に連れてきて、何人もの人を殺し、奈々を何度も苦しめた。

特に奈々は一番の被害者だ。今まで何人殺し、何度奈々を苦しめただろう?

父がいなくなった時、母が死んだ時、奈々はどんな顔をしていた?

このままだとあと何人殺すことになるかわからない。いつ自分が自分でなくなるかわからない。無限の屍を越えて生き残ったところで何になるだろう。


だから決めました。

今まで優しい人だと思わせてきた。騙してきた。

もう大丈夫だから。そう優しく言っておきながら全てを壊した原因を作っていた。裏切り、騙していた。


なら最後まで騙し通そう。

そして償おう。


川崎奈々の願いを一つだけ叶えよう。

自分が自分でなくなる前に。


生き残った者は一つだけ願いを叶えることができる。それがこのゲームのルールだろう?


それから慎はわざと奈々達の前で冷たく振る舞った。奈々を殺そうとするふりをした。

人が人を殺すのは、極限まで追い詰められた時だとこの世界で学んだからだ。

栄恋に冷たく当たり、霧也を利用し、そして鏡を撃った。全ての憎しみを自分に向ける為に。


ごめんなさい。

許されないことはわかっています。いくつ命を賭けても、亡くなった命は戻ってこないこともわかっています。

けれど謝らせてください。自分で自分を許すなんてできません。


ごめんなさい。川崎奈々。

両親を奪ってごめんなさい。

何度も苦しめてごめんなさい。


そして、何人もの人を利用してごめんなさい。

竹内霧也。利用してごめんなさい。栄恋をここに連れて来て、利用したことで一番苦しんだのはこの人だろう。

遠藤鏡。最善の未来を、夢を壊してごめんなさい。自分を奈々に殺させるように仕向けておきながらこう思うのはおかしいかもしれないが、この人には出来れば生き残ってほしい。

この人が奈々の一番の支えだと思う。

そして五月原栄恋。一番謝るべきなのは本当はもしかしたらこの人に対してかもしれない。

最後まで利用しつくしてごめん。あんなに尽くしてくれたのに、あんなことを頼んでごめん。

奈々に自分を殺させるように仕向けてくれだなんて。

そしてありがとう。こんな人の残酷な願いに応えてくれてありがとう。

本当にありがとう。栄恋の歌、良かったよ。


川崎慎は残酷な裏切り者。そう思ってくれて構わない。

実際、ずっと騙して裏切ってきたのだから。

本当にごめんなさい。


そして一つだけ願わせてください。

不可能だとわかっています。

でも、願わくば、みんなが幸せになれますように。



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