第1部・28
轟く銃声。同時に響く爆発音。石造りの床が吹き飛んだ。物陰に隠れて伏せ、その場をやり過ごす。
爆発音も石が散る音も止んだ時、最愛の少女がナイフを片手に駆けてくる姿が目に入る。
霧也はそれを避けると部屋の反対側へと逃げる。栄恋の蒼い瞳が『逃がさない。』と言っているのが見えた。
その蒼い瞳とは対照的に左肩からは未だに血が流れている。急所ではないが出血量が少ないとはとても言えなかった。
「止めろよ!そんな状態で戦えるわけない!」
だが霧也の声に応じることなく栄恋は再びナイフ片手に走ってくる。銃を持った相手に少しも怯むことなく。
肩に傷を負っている上に相手は一人。普通なら特に手こずる相手ではない。
鏡達と会うまで、霧也は一人でこの世界を生き延びてきたのだから。時には容赦なく相手を撃ち抜いて。
でもどうしても非情になりきれない。今までケモノも人も何回も殺してきたのに。それはやはり相手が栄恋だからかもしれない。
奈々がチェーンソーを栄恋に向けた時も、思わず栄恋を庇ってしまったし。そのせいで事態が悪化したのだろうけど。
「どうしてそこまでするんだよ…」
霧也は呟いた。栄恋の唇が動いた。声なんて出てこなくてもわかる。何を言いたいのか。
『だって慎は私の恩人だもの。』
栄恋は手榴弾を取り出し、ピンを抜いて投げた。霧也は再び物陰に隠れて伏せる。響く爆発音。
それが止むとすぐに少しだけ顔を上げて栄恋に狙いをつけた。
だが引き金を引く瞬間、少しだけ手がブレた。おかげで銃弾は栄恋の耳元数センチの所を通り過ぎた。
普段の霧也なら有り得ないミスだった。微動だにせず冷たい目で栄恋はこちらを見る。
栄恋の唇がまた動いた。
『甘い。』
途端に栄恋は手榴弾を三つ立て続けに投げた。霧也は再び逃げる。同時に後ろで爆音が。
再び狙いをつけようとした時更にもう一つ手榴弾が来た。後ろには壁が。逃げ場がない。
だが霧也もそれでやられるほど雑魚ではなかった。とっさに霧也は空中の手榴弾に狙いを定めて銃を撃った。
手榴弾は弾き飛ばされ、部屋の反対側で爆発した。
ホッとした瞬間、栄恋はもう霧也の目の前にいた。ナイフの刃が迫る。それを霧也は銃で受け止めると一歩下がって距離を置く。
だが栄恋はその瞬間にすかさずナイフを霧也の腹目掛けて打ち込む。霧也は間一髪、なんとか避けきることができた。
「やるじゃん…ちょっとヒヤリとしたよ。」
霧也は少しだけ笑って栄恋を見た。迷ってはいられない。霧也は奈々と鏡の味方でいると決めたのだから。
栄恋を食い止めること。それこそが味方であることの証明。深呼吸をして目をつぶる。
そして目を開き、駆け出した。栄恋もナイフを手にこちらに向かってくる。
鋭い刃が霧也を狙う。だが霧也はその程度でやられはしない。うまくそれを避けて後ろに回り込む。
そして振り返ろうとした栄恋のナイフを弾き飛ばし、額に銃を突きつけた。
途端に静まり返る戦場。傷を負った女一人の動きを止めることくらいそう難しいことではない。
難しいのは、引き金を引く勇気。
「どうして川崎慎の味方をするんだよ…
どう見たって栄恋を利用してるだけなのに…」
『別にそれで構わない。利用されるだけでも、慎の役に立てるのなら。』
栄恋は唇だけ動かして霧也にそう伝えた。ズキンと何かが痛んだ気がした。
俯きつつも銃を突きつけ続ける。沈黙することもう数分。
間違いなく栄恋は霧也が引き金を引くことをためらっていることに気づいているだろうなと思った。
「生き残ろうとは思わないのか?
元の世界に帰りたいとは思わないのか?」
『嫌。元の世界じゃ能力使えない。
あんな地獄に戻るくらいならここで死ぬ方がまし。』
霧也達が必死になって探す世界を『地獄』と言う栄恋の気持ちは霧也にはわからなかった。そんな風に言ってほしくはなかった。
元の世界に居た頃は気づかなかった。どちらかというとあの世界にいても不満ばかりだった。
けれどここに来て初めて気づいた。元の世界がどんなに素晴らしかったか。
退屈で面倒くさいだなんて感じられる世界がどれほど平和で幸せな世界だったのか。
『あんな所、嫌…』
その瞬間、栄恋がぐらりとよろけた。思わず銃ではなく手が出た…その時だった。
ズシンと激痛が走る。今まで一度も感じたことがないような、貫かれるような痛み。
痛みを感じる部分を見ると、銀色のナイフが霧也の腹に突き刺さっていた。
栄恋がナイフが抜くのと同時に思わず下にしゃがみ込む。腹の辺りに手をやった時、手が濡れたのを感じた。
腹の辺りから大量の血が流れ出していた。ぽたりぽたりと次々流れ出て小さな水たまりを作っていく。
痛みが強すぎて立つこともままならない。霧也はかがんだまま栄恋を見上げた。
赤く染まったナイフを握り、栄恋は霧也を見下ろしていた。
左肩から流れ出ている血はまだ止んでいない。顔が先ほどよりも青白い。
もう栄恋も相当苦しいのだろう。すぐに追い討ちをかけてはこなかった。
お互い血を流しながら睨み合う。やがて栄恋が口を開く。
『私が歌を亡くした時、「栄恋」はもう死んだの。
霧也が好きな「栄恋」はもういない。』
霧也は何も言い返せなかった。脳裏に元の世界のことが浮かぶ。
白い病院の中、光のない目でそとをぼんやり見る栄恋の姿を。
楽しそうに舞台に立って歌う、アイドルだった頃の面影はどこにもなかった。
霧也はよくお見舞いに行っていた。だが誰が来ても栄恋は窓の外を向いたまま。
ゼンマイの切れた人形のように、見向きすらしてくれなかった。
栄恋が言ったことに違いはない。アイドルだった時の栄恋と今の栄恋は全く違う。
昔の栄恋はもっと自由だった。今のように川崎慎の存在に縛られてなんていなかった。
声を失った時点で、もう栄恋の中の何かが歪んでいたのだろう。
それでも、そうだとわかっていても霧也は引き金を引くのをためらっていた。
『悪いけど、私は慎に手を貸すと決めたの。
霧也の味方にはつけない。私を救ったのはあなたじゃないから。』
栄恋はナイフを握り直した。そして鋭い刃の先を霧也の目に突き刺そうとした。
カチンと音が響く。霧也はなんとか銃を盾にしてそれを防ぐ。だが栄恋は引かなかった。
ナイフを押す力が強くなる。強い痛みのせいで思うように力が入らない。左肩に傷があるというのに栄恋の力は強かった。
このままでは押し負ける。霧也は精一杯力を入れているつもりだったが少しずつ押し負けてきているのがわかった。
栄恋を止め切れなかったら奈々と鏡はどう思うだろう。霧也のことは味方と思うだろうか、敵だと思うだろうか。
…きっと、「ああ、やっぱりあいつは裏切り者だったんだ。」と思うのだろう。
きっと、霧也は栄恋を引き止めずに行かせたと思うのだろう。
栄恋と敵対しなければならないのは辛い。けれど、止めなければならない。今が、無断でここに来たことの責任を取るときだ。
たとえ叶わなくても霧也は元の世界に戻りたかったから。澄んだ青空の世界が好きだったから。そのことを鏡と奈々には知っていてほしいから。
霧也は力を込めた。痛みをこらえてナイフの刃を押し返す。
そしてついに栄恋は押し返されてナイフを引っ込めた。そして少し驚いた様子で霧也を見る。
霧也はよろよろと立ち上がった。激痛が走る。だが倒れるわけにはいかない。
痛みに耐えながら銃を栄恋に向ける。
「もう迷わない…
僕も、栄恋の味方はできない。
栄恋が僕を殺すというのなら、僕も栄恋を殺すよ。」
そしてその瞬間、霧也の右目が紅くなった。『スコープアイ』の能力が発動した。
栄恋の目が鋭くなる。その目に霧也は照準を合わせた。
『…そう、ならこれで最後にしようか。』
栄恋の唇がそう動く。そして栄恋は手榴弾を二つ取り出した。
そして霧也を強く睨みつけるとこちらへ真正面から突っ込んできた。
相打ち覚悟だ。そうわかった霧也も駆け出す。接近戦に持ち込み、栄恋を狙い銃を撃つ。
だが栄恋の動きが素早くうまく照準が合わない。栄恋は後ろに回り込み一つ目の手榴弾のピンを外す。
霧也は冷静に手榴弾を打ち抜き、部屋の反対側へ飛ばす。爆音と同時に栄恋が後ろへ回り込みナイフを突き出す。
振り返ってからでは間に合わない。霧也は足で栄恋を蹴飛ばしてそれを防ぐ。
振り返って地面に叩きつけられた栄恋に銃を向けた。栄恋は地面に座り込んだまま霧也を見つめていた。
その時、霧也は栄恋の唇が微かに動いているのがわかった。
『5…4…3…』
何のことだかはすぐに察しがついた。
だが栄恋は手にはナイフしか持っていない。
前、後ろ、右、左。部屋の隅々を探すが何もない。なら…
『2…1…』
上を向いた。ピンの抜けた手榴弾が落ちてくる。
霧也は素早く銃を向ける。そして…
『…0。』
銃声と爆発音が同時に響いた。