第1部・23
奈々たちが遊園地の南方についたのは再び歩き出してからもう10時間以上経ってからだった。
何度も道に迷ったのと、ケモノの邪魔が何度も入ったからだ。
遊園地の南方は今までのアトラクションが並んでいる風景とは一味違った。
そこはごちゃごちゃしたアトラクションはわずかしかない。
遠くに見えるものはピンク色の花が咲き誇る広い庭園。赤いレンガが敷き詰められた道。
そしてには中世風の古く寂れた城が立っていた。
そしてここはケモノたちの絶好の住処のようで城の周辺にはケモノがうようよしていた。
「すごいな…城の周りはケモノだらけだ。
迂闊に近寄れないな…」
霧也が呟くと鏡が続けて言う。
「たしかに…」
奈々だけは何も言わなかった。疑いを消せないままただ俯いた。
頭の中を駆け巡るのは先ほどのバイブの音ばかり。
ケモノがいるとかそんなこと全く気にならないくらいぼんやりしている。
鏡と霧也の声すらまともに聞いていなかった。
「…おい、おい奈々。」
「……あ、え?どうしたの?」
奈々はようやく鏡の声に気がついた。
「どうかしたか?大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。」
奈々は笑って嘘をついた。案の定それ以上鏡は何も言わない。
…本当に鏡は馬鹿だ。大馬鹿だ。奈々は何度も心の中で繰り返したことをまた思った。
その時霧也が奈々に言った。
「ちょっと疲れたな…少し休んでもいいかな?」
「なんだよ、ひ弱だな。もうちょいいけるって。」
奈々はチラリと霧也を見た。バイブの音が鳴った後から霧也の様子が妙だった。
何か考え込んでいるような表情で俯いている。やはり先ほどメールが来たのは霧也の携帯のような気がする。
目の前に大きな城があるというのにそれを無視して休憩を提案するのは妙だ。
…何か霧也は企んでいるのかもしれないと奈々は思った。
けれど確証はまだない。そんなことはないと願いたい。
願いたいが、願っているだけでは生き延びれない。
奈々は敢えて言った。
「いいよ、休憩しよう。
私疲れて眠くなっちゃったよ。」
そして奈々たちは人目につかない比較的安全そうな場所に移動した。
鏡はあまり納得がいかないようだったが奈々と霧也はお構いなしだった。
そこは何かの瓦礫の裏。とりあえずケモノに見つかる可能性は低そうだ。
奈々は座り込んで言った。
「眠いなあ…」
「確かに…あんまり寝てねえしな。」
鏡がそう言うと、霧也が優しく笑って言った。
「じゃあ僕が見張り番してるよ。一時間ごとに交代でいいかな。」
「おう、悪いな。」
奈々は黙って頷いた。
もし霧也が奈々たちを裏切っているのなら、奈々たちが寝ている間に何か行動しだすはずだ。
もしかしたら奈々たちを射殺するということもあるかもしれない。
奈々はもう先ほどからかなり霧也を疑っていた。
あの優しそうな表情の裏で、栄恋たちと手を組んでいるかもしれないと思うと怖かった。
鏡は霧也を全く疑いもしていない様子で言った。
「んじゃ、見張りよろしくな。おやすみー」
鏡はそう言うと瓦礫に寄りかかってすぐ寝てしまった。
奈々はため息をついた。
「もう…馬鹿なんだから…
じゃあ竹内君おやすみ。」
奈々もそう言って瓦礫に寄りかかって目をつぶった。
だが寝る気なんて全くない。
耳をすまし、神経を集中させる。耳で物音を聞き分け、霧也の行動を探る。
疑いたくない。けど疑わざるおえない。
だって死にたくない。それは人間にとって当たり前の生存欲。
もう二度と裏切られるのなんて見たくないのに。奈々は悲しく思った。
◇ ◇ ◇
紅い空に沈む遊園地は寂しげだった。
ここは遊園地の南方の寂れた城。
栄恋と慎はここに移動してきた。
窓際で歌いながら栄恋は空を眺める。
紅い空。輝く月。まるでささやいているようだ。
終わりは近いと。
そのささやきに答えるように栄恋は歌う。
その時後ろから慎の声がした。
「竹内霧也と連絡はついたのか?」
栄恋は歌うのを止めてメモ帳にこう書いた。
『うん、今この城の近くにいるみたいよ。』
「そうか、じゃあここに来るように伝えてくれ。」
栄恋は頷いてメールを打ち始めた。
栄恋の表情はこれ以上ないくらいに幸せそうだった。
メールを打つ音だけが響く。慎は黙り込んだまま何も言わない。
メールを打ち終わり、送信した後、栄恋は慎に聞いた。
『ナナさんどう思うかな?』
「恨むだろうな。俺のことも。お前のことも。竹内霧也のことも。」
栄恋は黙り込んだ。
静かに携帯をしまい、また窓の外の空を見ながら歌い出す。
澄んだ声が響き渡る。今日はなぜか慎が五月蝿いと言わない。
栄恋はここぞとばかりに大きな声で歌う。
城の中には栄恋たち以外にケモノも人もいない。
綺麗な歌声は城を包み込むように響く。
『歌姫』は歌い続けた。いつまでも、いつまでも。
『主人公』を呼び寄せるかのように。
そして、これが『歌姫』の最後の唄となるのだった。
◇ ◇ ◇
霧也が見張りを始めてから20分が経った。
今のところ変わった様子はない。
ケモノが近づいてくる様子もないし、うるさい音も聞こえない。
風の音が聞こえるだけ。異質な物音はない。
奈々は寝たふりを続けたまま耳を澄ました。
どうしてもあのバイブ音が頭から離れない。疑わずにはいられない。
その時、またバイブ音が響き渡った。
奈々は震え上がりそうなのを必死でこらえる。
霧也が何かを取り出すような音が聞こえた。
おそらく携帯だろう。
心臓が高鳴る。話し声が聞こえてこないので多分来たのはメールだろう。
誰からなのか。何と書いてあったのか。
不安で不安でいてもたってもいられない。
携帯を閉じてしまう音が聞こえた。
奈々は不安に気をとられて次の音を予測できなかった。
霧也のため息が聞こえたかと思うと、急に誰かが走り去るような音が聞こえたのだ。
奈々は思わず目を開けて起き上がった。
だがそこには誰もいない。
奈々と鏡、二人だけ。霧也の姿はない。
霧也は二人に何も言わず姿をくらましたのだ。
奈々の不安は確信になった。霧也は奈々たちを裏切った。
そうでなければメールが来るはずがない。何も言わず姿をくらますはずがない。
不安は悲しみと怒りに変わる。
まだ霧也が去ってから時間は経っていない。今なら追いつくかもしれない。
奈々はチェーンソーを取り出して立ち上がった。
霧也がどこに行ったのか突き止めてやろうと。
奈々は走り出そうとしたが、まだ眠っている鏡のことが気にかかり立ち止まった。
鏡は未だにアホ面で寝ている。
一瞬起こそうかと思った。だが奈々は起こさなかった。
万が一霧也が慎たちの所へ行ったとしたら?
鏡を連れて行くと、鏡を危険な目に合わせることになるのでは?
そんな思いが浮かんだから。
今となっては鏡は奈々にとって世界中で唯一信用できる人。だから……
「……ごめん。」
奈々は小さな声で呟いた。
そして鏡を置いて走り出した。
かすかに聞こえる足音を追って。
裏切り者を追って。
最後の戦いへ。決戦の場へ。