第1部・22
奈々達は遊園地の中を走り回った。
コーヒーカップやジェットコースターなど様々なアトラクションが並んだ入り組んだ構造の場所を走っていく。
紅い空がせき立てるように奈々を見つめる。
これで上手く捲ければいいと思ったのだがなかなかそううまくはいかないようでケモノたちは容赦なく追いかけてきた。
チラリと後ろを見る。
3体のケモノが後ろから追いかけてくる。
やっぱり迎え撃たないと駄目だ。
奈々は建物の角を指差して鏡と霧也に言った。
「二人共、やっぱり応戦しなきゃ駄目かも。
そこ曲がったら迎え討つよ!」
「くそっ、しょうがねえな!」
「わかった、急ごう!」
奈々たちはその角を曲がるとピタリと止まって振り返ってそれぞれの武器を構えた。
落ち着く暇もなくケモノたちの足音が近づいてくる。
そしてケモノたちが姿を現した。
途端に銃声が響き渡る。霧也は一ミリの誤差もなく先頭のケモノの頭を撃ち抜いた。
先頭のケモノは崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだ。
頭に空いた穴から血が流れていく。
それを見た後ろの二体の動きが怯んだ。
迷わず奈々は走り出した。チェーンソーののスイッチを入れ、赤い柄をしっかり握りしめ、ケモノたちに正面から突っ込む。
そして力いっぱいチェーンソーを振り回した。
空を裂くような痛々しい悲鳴が響き渡る。
二体のケモノは首から血を流して倒れ込んだ。
まだ油断はできない。チェーンソーの音を止めずに奈々は倒れたケモノを見つめた。
気味の悪い沈黙の中、チェーンソーの音だけが響き渡る。
張り詰めた空気はまだ消えない。
もう立ち上がってこないだろう。そう思った時だった。
急にケモノの目がギラリと見開き立ち上がり、奈々に飛びかかった。
一瞬奈々は恐怖を感じた。殺されると。
けれどそう思った時にはもう奈々の手はチェーンソーを振っていた。
鮮やかな鮮血が舞い、ケモノは張り詰めた糸が切れたように動かなくなった。
奈々は息を切らしながらケモノの亡骸を見つめた。まだこの光景は怖い。
けれどそれ以上に怖いのは自分がもうあまり迷いなくチェーンソーを振れること、そしてケモノが血を流して倒れている光景を見た時の恐怖が初めてここに来た時より薄れていることだった。
その時今度は後ろからケモノの声が聞こえた。
奈々が後ろを向こうとした途端銃声が響いた。
ケモノが悲鳴を上げて倒れる音が聞こえた。
奈々は霧也を見た。銃口から煙が上っているのが見える。霧也の目に迷いは全くなかった。
霧也は銃を下ろしてにこりと笑って言った。
「大丈夫だった?」
奈々は無表情で頷いた。笑っていられる霧也が少しだけ怖かった。
奈々はティッシュでチェーンソーについた血を拭き取って霧也と鏡のところに戻った。
霧也たちにも怪我はなさそうだった。
ただ、鏡はなぜか複雑そうに俯いていた。
奈々は少し心配になって鏡に言った。
「どうしたの?」
鏡は答えない。少し不安だった。
何もついていない綺麗な刀を握りしめたままただ俯いている。
奈々が再び鏡に声をかけようとした時、鏡は小さな声で言った。
「…何でお前らそんなに平然としていられるんだ。」
奈々はびくりと震え上がった。
だって怖かったから。死にたくなかったから。
何か言おうとしても言葉が出ない。何を言っても言い訳にしかならないと自覚しているから。
何も言えない奈々の代わりに霧也が言った。
「…鏡、仕方ないんだよ。
そうしなきゃ死ぬしかない。この世界に善も悪もないんだ。
必ず三人で脱出するって約束しただろ?」
「確かに約束した…
けど、そのためなら何をしてもいいのかよ。」
「…じゃあ今の状況、鏡ならどうしたんだよ。」
霧也の口調が少しだけ荒くなる。
鏡は少し言葉に詰まったがすぐに言った。
「死なない程度に攻撃して動きが鈍くなった辺りで逃げるとか…」
「川崎さんが一度倒したケモノがすぐにまた襲いかかってきたの見なかったのか?」
奈々は霧也の表情をチラリと見た。
いつも穏やかで冷静な霧也の表情が今は険しかった。
奈々はどちらに加勢することもできなかった。
どちらの言い分も奈々はわかってしまうから。
殺したくない。けど死にたくもない。
どちらかを選ぶことなんてしたくなかった。
険悪な雰囲気の二人をただ見ているしかない。
何て言えばいいのかわからない。
どちらかに味方した方がいいのか。それとも中立者面して二人をなだめればいいのか。
そうこうしているうちに霧也が俯いて小さく呟いた。
「そりゃ、お前の言うことは理想だよ…
けどそんなの…綺麗事でしかないんだよ…」
霧也は俯いたままどこかへ歩き出した。
どこかへ歩いていく霧也の背中はどこか寂しげだった。
奈々は霧也に声をかけられなかった。霧也はどんどん離れていく。
鏡は俯いて呟いた。
「くそっ…何なんだよ…」
「…竹内君にもきっと色々あったんだよ。
一概に責められないことだと私は思うよ。
…ほら、行こう。」
奈々は鏡にそう言って霧也に追いつこうと走り出した。
鏡はしばらく立ち止まっていたが渋々歩き出した。
霧也の後を追って二人は走った。
物音一つしない世界に足音だけがただ響く。
霧也が曲がり角を曲がった。
「おい、霧也、待てよ!」
そう言って鏡は霧也の後を追って曲がり角を曲がった。
奈々も続けて角を曲がろうとした。
その時、奈々の足は急に動かなくなった。
何かが震える音が聞こえた。それはとても小さい音だけど奈々には確かに聞こえた。
ケモノや武器などの恐ろしい音じゃない。もとの世界でもよく聞いた身近な音。
携帯のバイブの音だ。
先ほど休んでいた時に霧也が携帯らしきものをポケットに入れていたのを思い出した。
心臓が急に早鐘のように鳴りだした。バイブが鳴ったということは三人のうち誰かの携帯にメールか電話が来たということ。
不安がみるみるうちに広がり、奈々は動けなかった。
「…おい、奈々、どうした?」
鏡の声が聞こえる。
「…あ、なんでもない。」
そう言って奈々は慌てて角を曲がり、二人のところへ走った。
二人は立ち止まって奈々を待っていた。
霧也は表情一つ変えずにこちらを見ている。
霧也は奈々に言った。
「遊園地の南側にある城の方に行ってみようよ。
あっちの方はまだ行ってないから何かわかるかもしれない。」
「う、うん。」
奈々は無理に笑って頷いた。
そして三人は南方の城へ歩き出した。
けど奈々の不安は消えなかった。
今の音はたしかに携帯のバイブだった。
この中に三人以外の誰かと連絡をとっている人がいる。
もう疑いようもない事実だ。
疑いと不安は渦巻いていつまでも消えない。
もし連絡をとっている相手が慎か栄恋だったらどうしよう。
怖い。もうどこかに逃げてしまいたいくらい怖かった。
奈々は思った。
また、誰かに裏切られるかもしれない…と。