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“The Reddest World”  作者: ワルツ
第1部:裏切りの物語
21/45

第1部・20

それは、レデストワールドに来る前のことだった。

白い病室の中、四角い窓から外を眺めるだけの日々。

毎日が辛かった。

窓から見えるのは楽しそうに話す人々の姿。

暇つぶしにテレビをつけると音楽番組がやっていて、色んなアーティストが歌っているのだった。

そのころは音楽番組を見ると栄恋はいつも思った。

少し前まで、自分もあそこで歌っていたのに、と。

テレビに映る歌手を真似て口を開いても、どんなに願ってももう声は出ない。

喉の奥は痛くて、歌うことなんてできそうになかった。

テレビを見るとライトを浴びながら歌う歌手たちがうらやましくて悲しくて。だからそのうちテレビは見なくなった。

時々霧也や友達がお見舞いに来ることがあったが、気分が晴れることはなかった。

栄恋にとって、人生において一番大切だったものは、歌だったから。

誰が来たって失った声を返してくれるわけではない。

誰がどんな声をかけてくれたとしても慰めになんてならない。そう思っていた。


白い病室の中。いつも思っていた。

明るいライトの下で、観客の前で、いつまでも歌っていたかった。

歌さえあればもう他に何もいらない。

返して。もう一度歌いたい。

もう二度と歌うことができないのに、どうして私はここにいるの?…と。


ある日、病院を抜け出した。

なんでだかは今でもよくわからない。

どこに行こうとか、何をしようとか、そんなことは何も考えていなかった。

ただあてもなくふらふら歩いた。

どこだかわからない橋にさしかかった時だった。

栄恋と同い年くらいの女子高生二人とすれ違った時だった。


──…ねえ、今の人どっかで見たことない?誰だったっけ?


─あーわかった、五月原栄恋だ。

ほら、少し前にテレビに出てた。


─ああそうだ、病気で声出なくなったとかいう人でしょ。


─かわいそーだよねー。


女子高生たちはそう話しながら去っていった。

栄恋は立ち止まった。辛かった、悲しかった。

栄恋にとって声を失ったことがどんなに辛くても世間一般の人からすればただ「かわいそー」でしかない。

栄恋がどんなに嘆き悲しんでも、今日も世の中は何事もなかったかのように動くだけ。

歌に対する栄恋の思い入れの強さも声を失った悲しみの激しさも誰にも伝わらない。

誰にもわかってもらえない。もう一度歌いたい、誰か解って、と声をあげて泣くことすらできない。


栄恋は橋の上から川をのぞき込んだ。

底が見えない暗く濁った水に沈みきった表情が映る。

歌は栄恋にとってこの世の全てだった。歌えないのに生きている意味なんてない。

歌えたころは幸せだった。

明るいポップス、切ないバラード、激しいロック。

色んな歌を歌う度に違った楽しさが味わえて、悩みや不安なんて簡単に消え去っていった。

けれど、あの頃にはもう戻れない。


じゃあどうしてまだここにいるの?


栄恋は橋から身を乗り出した。

川の水面は深い闇のようだった。

そして栄恋が川に飛び込もうとした時だった。

何かが栄恋の服を掴んだ。

それ以上川に身を乗り出そうとしても、その手が邪魔でそれ以上前には行けない。

そして、栄恋はあっという間に橋の方に引き戻された。

栄恋はすぐに自分の服を引っ張った人物の顔を見た。

背が高い茶髪の男。…それが慎だった。

栄恋は慎を見るなりまず慎の頬をひっぱたいた。

こんなことしなければよかったと今では後悔している。

けれどその時は、自分を引き止めた慎のことが憎らしくて仕方がなかった。

引っ張った後はただひたすら睨みつけた。そして、メモ帳にこう書いて慎に突きつけた。


『なんで止めたの?』


栄恋は強く慎を睨んだ。どうせ自分の苦しみなんてわからないくせに、もうここにいても仕方がないのに、どうして止めたのか不思議で仕方がなかった。

すると慎は栄恋に尋ねた。


「じゃあどうしてあんたはあんなことしようとしたんだ?」


『もうここにいても仕方がないから。

 こんな生活、もう嫌だから。』


栄恋がそう書くと、慎はしばらくその文章を見つめたまま何も言わなかった。

何も言わなかったが、どこか悲しそうだった。

そしてしばらくして慎は言った。


「だから死ぬ…か…

 …何だそれ。死にたいんじゃなくて、生きたくないだけだろ。」


それを聞いた栄恋はキッと眉をつり上げて、メモ帳に殴り書いた。


『黙って、何もわからないくせに。

 生きたくなくて何が悪い?

 もうこれから先に幸せなんてない。

 これから先、死ぬまでどん底のまま。

 どうせ人間なんて最後は死ぬんだから今死のうが後で死のうが同じでしょ?』


それを見た慎は引きもせず、口ごもりもせず、迷わずに言った。


「これから先に本当に幸せはないのか? そんなこと誰が決めた?それはあんたの推測じゃないのか?

 自分の勝手な推測を信じ込んでここで死ぬのと、絶望に耐えてでも不確定な未来を見てから死ぬのは本当に同じことか?」


栄恋の手が止まった。どうしようもないくらいの正論だった。

栄恋は真っ直ぐ慎を見ることができずに下を向いた。

未来は不確定。吉か凶かはわからない。

そんなことはわかっている。

けれど今が苦しければ苦しいほど思考がネガティブになってしまう。

この先もどうせ一生このままだと思ってしまう。

未来に期待して、結局その期待が裏切られるのが怖いから。

栄恋はだらんと両手を下ろしてその場に立ち尽くすことしかできなかった。

すると慎が車道を走るタクシーに向かって手を振った。

タクシーは栄恋たちの目の前で止まった。


「あんたどこから来た?」


栄恋は驚いて目を見開いたまま、すぐに返答できなかった。

慎は栄恋に言った。


「放っておいてまた自殺されても困るから送っていくよ。」


この人は本当に優しい人なんだと思った。

見ず知らずの栄恋の自殺を止め、病院まで送ってくれようとしている。

何故だかはわからないが少しだけ嬉しかった。

その時は、その先の未来に期待できる心の余裕なんてなかったけれど。

栄恋は少し戸惑ったが病院の名前と場所を教えてタクシーに乗り込んだ。

運転手は黒髪で右目に眼帯をしている青年で、二人が乗り込むとにこりと笑った。

…それがレデストワールドの案内人の洸。

そして、結局タクシーは病院には行かず、二人はレデストワールドに来る羽目になったのだ。


ここに来た直後は、さすがに栄恋も怖かった。

出口のない世界と残酷なゲーム。地獄だと思った。

多分それが普通の感覚なのだろう。

けれど、自分の『能力』を知った時、恐怖は喜びに変わった。

栄恋の能力は『歌姫』。能力を発動している間は喉の病気と関係なく歌が歌えるのだ。

初めてその能力を使った時の感動を言葉になんて表せない。

発動したとたん喉の痛みが軽くなり、昔に戻ったような心地がして、いくらでも好きなように声が出せる。

嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

もう二度と歌えないと思って絶望していたから喜びは一層強かった。

そして一度でも自殺しようとしたことを心の底から後悔した。

あの時川に飛び込んでいたらもう二度と歌えずに死んでいただろう。

栄恋にとって、この未来は吉だった。

そして自分を止めてくれた慎にも言葉で表せないくらいに感謝した。

声にならない声でありがとう、ありがとうと何度も呟いた。

その瞬間から栄恋にとって慎は、最愛の恩人であり、栄恋にとっての神だった。


そして栄恋は決心した。

慎に恩返しをしようと。

ほんの少しでもいい、慎の役に立ちたい。

いてもたってもいられなかった。

止めてもらえて良かったという思いをわかってほしいと。

たとえ誰を傷つけても。何を犠牲にしても。


たとえその願いがどんなに残酷な願いだったとしても。


叶えてあげたいと思った。



◇ ◇ ◇



「…おい、聞いているのか、栄恋。」


栄恋は顔を上げた。

昔のことを思い出していたらついぼーっとしてしまったらしい。

慎は冷たい目で栄恋を見ている。

栄恋はごめんなさいとメモに書いて謝った。

慎は栄恋に言った。


「…足を引っ張るなと言った筈だ。

 あまり足手まといになるようなら置いていくからな。」


そう言って慎はまた背を向けて行ってしまおうとする。

それを見て栄恋は慌ててメモ帳に何かを書いた。

そして走って慎を追いかけた。

歩幅の広い慎に追いつくのは大変だったが、栄恋は必死に走った。

そして、慎の上着を掴み、慎にメモ帳を見せた。

まるですがりつくように。


「お願い、私に何かできることはない?

 そのためなら何でもするから。

 何を犠牲にしても構わないから。」


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