第七話 ショッピングとポージング。
「ふふん、筋肉〜、弾けろ筋肉、燃やせ脂肪、僕らの味方は乳酸だ♪ 今だ、腕立て! そこだ、懸垂! 林檎をくだーけぃ♪」
小さくはあるが、上機嫌そうな筋肉姫の方から鼻唄が届く。
「ビール、ビルビルボディビール♪ やぁマスタング! 今日の大会、ベルトは頂きだぜ!? はははビル、まだまだ大胸筋の作りが甘いな!♪」
……途中で、台詞が入りました。
楽しそうに吊るされた服を手に取りながら、わざわざ声色を変えて喋りぬいている。
声自体は天使の歌声、天上の楽器。完璧なテンポとキー、澄んだ声で口ずさみ、タンタンとサンダルの先で床を叩いてリズムを取っている。
だが、俺の興味はそんな所に執着しない。出来るだけ他人のふりオーラを出しつつ、洋服屋 in the 筋肉に声をかける。
「……あの」
「唸れ大腿筋! 世界記録を目指して〜♪ 挑め驚異のダンベル二〇〇キロ……うむ? 何だ、主殿」
「……それ、何の曲なの?」
「え、知らないのか? 筋肉舞踏会。カラオケでも良く歌うのだぞ」
カラオケ! まさかのカラオケ配信曲入りましたコレ! どんな客層が歌うんですか、想像させないで!
余りの驚愕に後ずさり。その拍子に背中が女の子にぶつかってしまい、慌てて振り返ってその子に頭を下げる。
真に愛らしい笑顔を浮かべて会釈を返してくれた女の子の顔が、俺の背後を見てみるみる内に引き攣っていく。
「うわ、うわわ、うわわわあ! ほ、ほほほ本当にごめんなさい殺さないで! 失礼します!」
早口で言って走り去っていく。ちょっと本気目に瞳が潤んでいるのが見えた。何か辛い。いい知れなく辛い。
「……」
一つ溜息を吐いて振り返ると、楽しそうな広背筋がパッツンパッツンに盛り上がっているのが見えた。鬱だ。
「あ、この服可愛い……ぬぅ、Sサイズ……」
ちょーっとそれは入らないですよね。SってスモールのSだもの。ちなみにMは、マッスルのMでも無いよ。
心で呟いて目を逸らす。女装が趣味の男友達と買い物に行った時の気分である。
げんなりと首を振り、店の中を見回す。
所々で年ごろの少女達が目を輝かせ、真剣な様子で様々な生地・デザイン・値段の服を手に手に取っている。
ここはいわゆるレディースのセレクトショップ。セールだかで、嫌に人が多い。
一人キョロキョロしている俺を、3,4人程の少女の集団が小さく指さしているのがチラと見えた。こう言う時、大抵の男はこう思う。
「女の子向けの店って、気まずいヨネー」
早く決めてくれないかなぁ。
取りも直さず、大型デパート内での一幕である。
ショッピングとポージング
「れれれれレティシアあああぁぁ揺らさなあいでぇぇぇええあ」
あの後。俺はレティシアに抱えられてあの場から逃走を果たしていた。
正確に今の状況を描写するなら、そう、荷物のように肩に担がれているのである。
景色も、吐く息も、プルプルゼリーおばさん(29・独身)も全て置き去りにするスピードだ。いやこれはもうスピードじゃない。馬力だ。
レティシアはトップアスリートばりに大腿筋を唸らせて膝を突き上げ、空いた腕に筋肉の割れ目をぴっちり浮かべながらの全力疾走。
強靭な足が地を蹴り、その度に致死量の縦揺れが俺を襲う。
「我が、主殿を守るッ!!」
何に陶酔してるんだろうか、主人公に相応しい台詞が聞こえた。
それはいいから酔いから守ってく……えぷ。
「ふはは、ふは、ふあははははははは! 愉快! 愉快なりー!」
「あばばばばばば! やめやめ揺らさなあああああふぅ」
ガシコンガシコン揺さぶられる強制メリーゴーランドは、世界を狙える丸太足・佐藤が飽きるまで続けられた。
哄笑を響かせながらメロスの如く風になり、アスファルトの道を駆け抜け続けること二十分。
何せ、一回駅前通り過ぎて反対側に行って、そこから反転して帰って来たからネー。
「……あ、ぱ」
燃え尽きた視界の中、自分の口から何か白い靄が出かかっているのが見える。
すわエクトプラズムか! 魂が旅立ってついでに現世からも立ち去ってしまう! と言わんばかり、無理やり白い靄を噛み閉めて租借し飲み下す。
味はしなかったが、何か大事なものが戻って来た感覚が嬉しい。膝に手をつき、さあ立ち上がろうとした所で眩暈を感じ、へたり込んだ。
視界の隅で、俺を下ろしてからどこかへ消えていた佐藤(筋肉)が戻ってくるのが見える。
「んむっ、んムッ、んンムゥッ!」
ゴキュゴキュ! とレティシアは、人間に有るまじき肺活力でアルミ缶をぺっこぺこに圧縮してしまっている。
健康的に反らされた喉、腰に当てた手、風呂上がりの一気のみポーズであらゆる打撃を無効化できそうな太い首に汗が光っている。
いや、肌が露出している所は全て汗でヌラヌラ、テカテカ! 照り、光っている……!
「ぷ、はーーー! 美味いぞ、このホットお汁粉!! 主殿も飲むか!? 飲むか!?」
「はぁ……お汁粉? ってちょ、おま熱い熱い熱い! ほっぺが陥没しちゃう! そもそも何で夏前にお汁粉売ってんですか!?」
ググイと押しつけられたホットお汁粉の缶に、割と深刻にダメージを受ける。
熱々のお汁粉缶を押しつける手を思わず払いのけた。ヌルリ! 汗でちょっと滑って気持ち悪い。
熱い。痛い。熱……でもちょっと気持ちい……い、いやいやダメダメダメ! おマゾさんはハードルが高すぎます!
「こんなに美味しいのに何故飲まないのだお汁粉!? あぁお汁粉! O・SHI・RU・KO……!!」
肉体的精神的に色んなダメージを負って動かない俺に業を煮やしたのか、レティシアは何となく懐かしの肉体言語。
間髪入れずに空気を打撃。走ったお陰でかいた汗を素敵に飛び散らせながらの――シャドー・ボクシング。
見えない相手を想定し、虚空に次々と拳を打ち込む。かと思えば、巧みなウィービングに急激なダッキング、絶妙なスウェーバックで攻撃を躱す。
レティシアはがしがしのインファイター体型の癖に、妙にステップが上手かった。
切り刻む様に鋭くジャブを飛ばしながら、軽やかなアウトボクシングの技術を見せる。あぁ、鋭いアッパー!
無論、駅前でそんなことをすれば人目を集めるものだ。瞬く間に人垣が出来た。
嬉しそうにそれを感じ取った筋肉露出癖の動きが加速し、合わせて額から、顎先から、お汁粉の缶を握ったままの手から汗の玉が飛ぶ。
キラキラと太陽のプリズム光線を反射するそれが、へたりこんだままの俺の方に飛んで来た。
「ひぃぃぃ……!」
汚れることも厭わない。ごろごろと地面を転がって避ける。
命の恩人ではあるが、普通に他人の汗とか触りたくないし、何かあの汗を触れてしまうとそこの筋肉が小山の如く盛り上がりそうな気がする。
速攻性プロテインか。
と、額に浮かんだ冷や汗を手で拭おうとして気付いた。
「OH! この手で触っちまったYOー!?」
レティシアのマッスル汁でヌラヌラ光る手を慌てて服で拭う。嫌な汗がまた一つ米噛みを伝って滑り落ちた。
胸に手を当てると、動悸息切れが止まらないのに気が付いた。何て恐ろしい精神攻撃!
俺は疲れた体に鞭を打ち、じりじりと後ずさる。
良く見れば、レティシアを中心に半径3メートルのぽっかり空間が出来ている。老若男女を問わないそのキモさが人々を押しだしたのだ。
気持ち悪さに子供が泣き叫び老人が倒れ、屈強な企業戦士も膝を着く。まさに地獄絵図。ここはどこだ、地獄の三丁目か。
「ははは! やはり筋肉を躍動させるのは良い! あ、我の筋肉は今日もキレてる? キレてる……キレておるーーーーッ!!」
ズザザザザ! 更に半径5メートルに渡って人々が退いた。無理もない。どう見てもヤバイ目付きをしている。
キレてるのはあくまでレティシアの脳みその中身である。
「あぁん、主殿……皆が我の筋肉に見・惚・れ・て・お・る……!! 身の内から湧き上がるこのムラムラ……!! ろまんちっく・セクシーポーズ!!」
「……」
あはん! うふん! 声だけは甘く響き、しかし体はマッチョビルダー。
金剛力士像がセクシーポーズ(自称)を取るたびに精神を蹂躙する筋肉が跳梁跋扈。
膝に手をつき胸元を押し上げ、豊満な大胸筋の割れ目をキャミソールから覗かせ、パチリとウインクを一つ。
「ぐぁあ!!」
前方に居た、黒のスーツをビシ! と決めた男性が胸を掻き毟って撃沈。力なく倒れ込み、ぴくりとも動かない。
良く見れば、口の端から白い泡が零れている。
そのポーズから片手だけ上げ、伸ばした人差し指で唇を撫ぜながら肩越しにちょんと振り返る。お尻をより一層突き出しまたもウインク。
「ぶほっ!!」
視線の先で、写真を撮ろうとしていた手から白の携帯が滑り落ち、次いで大学生らしい色黒の青年が崩れ落ちる。
カラカラと舗装された地面を滑って行く携帯を、幸運にも目を逸らしていた通行人がキャッチ。そっと青年の隣に置いてあげた。
更に祈るようにグローブの如き両手を組み合わせ、瞳に星を浮かべながらの強烈な上目遣い。小首傾げ付き。
「お母さーん! びえええええええ」
「よしちゃん! だ、大丈うぐっ……」
運悪く目が合ってしまった、小学生位の少年が泣き叫び、慌てて寄って来たお母さんが昏倒。それを見た子供が更に甲高い鳴き声を上げる。
「き、強烈だな……」
とりあえず目を逸らした。太陽を見詰めて視線を浄化、ついでに脳内も浄化。
ふと目を下げると、頭の後ろで手を組み、大胸筋を強調するように胸を張り背筋を反らせるレティシアの姿。
また二,三人が崩れ落ちる。人間の弱点を撃ち突く的確な精神攻撃に、どんどん生存者が減っていくのだ。
俺の心配は目下の所、テレビ局か警察がすっ飛んで来るのでは無いかと言うことだ。どちらかと言うと、必要なのは救急車かもしれない。
人種信条性別門地その他諸々関係なく、平等の精神でもって等しく人々の精神にトラウマ画像を叩き付けるレティシアの自称セクシーポーズ大会。
……その後10分間セクシーポーズ祭りは止まりませんでした、まる。
「さぁ主殿、人々の視線を堪能したことであるし買い物へ参ろうか! 服服洋服フリルレース!」
「フリルとかレースは止めてください」
「うむ? 可愛いであろう? 割りかし好きなのだが、どこかおかしいか?」
「くぅ……言いたいけど、言いたいけどでも……!」
歯噛みして地団太を踏む。そんな俺を不思議そうに見るレティシア。気づいてないのだろうか。激しく恐ろしい。
「も、もしかして、レティシアは、そういうフリフリで甘甘でゴスゴスな服を着たりするのかな……?」
「うむ?」
にっこり、と。花が綻ぶように笑みを零した北斗神拳の伝承者を彷彿とさせる筋肉ウーマンに、思わず一歩後ずさった。
まさか……いやそんなまさか!
「もちろん、着るに決まっているではないか。 こう、もさもさでフリフリなワンピースとかをな、こう、一回転したりとか、な?」
こう、の所でその場でターンを決めて見せる。剛腕が振り抜かれ、偶々近くを歩いていた男性の鼻先を豪速で通過。
腰を抜かせた男性は、服が汚れるのにも構わずに這いずって逃げて行く。半泣きだ。
しかし……イッメェーージンヌ。
身長百八十超、巷で話題の未来からやってきたサイボーグの如く成長させた筋肉の肢体を、フリフリのワンピースに包むその姿……!!
淡く膨らんだ袖から弾けんばかりの力瘤が覗き、裾から突き出るおみ足は奇跡の引き締め。
引き締め過ぎて究極進化、競輪選手の如くなっている。
そんな西洋の誉れ高き憂愁の美とはほど遠い、罰ゲーム(ただし見る方が)に等しいコスプレをしたしたレティシアの姿が、脳内に展開されている。
そして可憐に一回転するのだ。唸る筋肉で風を引き裂いて一回転。竜巻ラリアートの余韻を残しつつ、にっこり笑顔で小首を傾げたりするのだ。
あ・あ・あ・あ・あ! ヒドイっ!
「……もういいです。ほらレティシアさんデパート行くよー」
ここで普通の美少女なら是非ともお手を拝借して歩き出す所だが、それは無理だ。俺はスタスタと歩きだす。
ちゃんと隣にレティシアが付いて着ているのを確認して、大型デパートの偉容を見上げた。
地上十四階、地下三階。この辺りでも有名な巨大デパートである。
大抵のものは此処で揃う、らしい。なので多分、特大サイズの女性服もある筈だ。
レティシアから札束を預かっている俺は、歩くお財布として彼女の買い物に付き合う義務があるのだ。流石に置いて帰る程鬼ではない。
人の波に乗って自動ドアを潜ると、冷房独特のひんやりとした空気が俺を包む。肌寒さを感じる位に過剰な冷房に、さっと汗が引いて行く。
さて、女性服売り場は何階か。巨大な案内板の前で足を止め、しげしげとそれを眺める俺の横を暴風が駆け抜ける。
人の流れと空気を裂いて遠退くレティシアの姿をげんなりと見詰めた。今度はあれだ、何の騒ぎだこんちくしょう。
「こんにちはぁッ! そこな店員の御方! 女性物の売り場は何階なのか教えてくれぬか!?」
「あ、はい。女性服の売り場、は……じょ、女性服!?」
バッ、ババッ! カウンターに着いて来客の案内をしていた女性店員が、作り笑顔をかなぐり捨て物凄い形相で筋肉を二度見。分かりますその気持ち。
自分の首から下がか弱い女性の目にどんな風に写るか全く気付いていないレティシアは、不必要に筋肉を滾らせ、ずずいとカウンターに詰め寄った。
ビクビクとその筋肉に血管が浮かび脈動するのに合わせて、哀れな女性店員さんの顔がドンドン引き攣って行く。
「そうだ、ぬぅん! ……ん? どうかしたのか? 青褪めておるが体調が悪いのか? む、ふぬぁ!」
「ひぃ! お、お気遣いなく……! じょじょじょ女性服売り場は七階になっております! エスカレーターはあちら!」
「有難い! ぬは!」
真珠のような白い歯を煌かせ、ウインクを一つ飛ばして上腕二頭筋をみなぎらせる。サービスのつもりなのか。
「はぅ」
「あれ、もう行った……ちょちょ、と大丈夫ー!? あああ救急車ー!」
未確認筋肉物体に暑苦しすぎるポージングを見せつけられた女性店員は、静かに息を吐き出し気絶。
隣で薄情にも目を逸らして耳を塞いでいた同僚の女性店員が気付き、泡を食って彼女の体を抱きとめた。
別に俺は悪くはないのだが、何故かこう言いたくなる。
「あわわ……ご、ごめんなさい」
小さく謝り、無辜の民を次々と精神爆撃、かつ撃破しながらエスカレーターの前でこちらに手を振るレティシアの方を向く。
今日一日で、一体何人が犠牲者になるのか。余り深く考えないように頭を一つ振り、俺は前へと足を踏み出した。
「主殿ーーッ! 早く早くーー!!」
溜息を吐く。今日は長い一日になりそうだ。
そして、やりとりは冒頭に戻る。
「主殿主殿! これは! これは我に似合うと思うか!?」
「うわーいまずはサイズを確認しようね! 入るかぼけー!」
「は、入るっ! これしきのサイズは我にだって……あ」
明らかにSサイズ。どう頑張っても入らない衣類を摘んだレティシアの手から異音。
「おまっ」
や、破いてんじゃねーよ! とあくまで小声で怒鳴る俺。
「ぬ、ぬな……!」
「……お客様? どうかなさい、あああ! ウチの商品!」
結局、可愛らしさの欠片もない男物の服をいくつか買った。
レディースが入らないんだもの。仕方ないよね。
無論のこと、レティシアが女子にあるまじき膂力で引きちぎった服については謹んで弁償させて頂きました。