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第三話 ドキムキ・共同生活。



「おお、ここが新しい我の家か! 古き良き趣があるな、ぬあっはっはっは!」


 ガッチリムッチリ筋肉ボンバーな顔だけ美少女が嬉しそうに手を叩く。字面じゃあ少しは可愛らしさもあるだろうが……ほら、聞こえないか?

 ぺちぺちじゃあない、バチコンバチコンだ。あんまり力が強いもんだから、お相撲さんの張り手みてーな音がしてんだよ……。


「そもそも、お前ん家じゃねーよ……」


 俺は力なく突っ込んだ。俺の両手にはゆさゆさ揺れる特大のビニール袋。ずっしり緑で黄色で赤色な野菜、それと卵が一パック納まっている。



 我が家を前にした、異次元生命体との一幕である。








ドキムキ・共同生活










 結局、この各部のパースが狂っているとしか思えない歩くマジカルマッスルは、スーパーにまで着いて来た。


 俺の隣、スーパー内で男性陣垂涎の露出過多さで闊歩する筋肉妖怪の姿を、遠巻きに眺める人の視線と囁き。

 俺が動けば筋肉もつられてピクピクと痙攣し、マッソゥ(マッスル)が張り詰め隆起すれば怖いもの見たさの群衆もつられてビクビクとすり足で忍び寄る。


「あぅ……はァん、見よ主殿……! 我の筋肉が、見せつける喜びに打・ち・震・え・てお・る・ぞ……!!」


 ざざざざざざ。玉のような汗を浮かべ、羞恥によるものか興奮によるものか、頬を桜色に染め上げた風神雷神象が身を捩ってポージングを決める。

 それを見て、漣が引くように遠のくギャラリー。

 今ならモーセの気分が分かる。こいつなら海くらい割れる。間違い無い。


 俺の担当をしたレジのお姉さんが、真っ青な顔で必死にバーコードを読み込む姿が余りにも目に沁みた。

 もうこのお店利用できない。噂される的な意味で。

 おそらく携帯で激写されたであろう、ゴツクてデカイ頼りになる筋肉と俺の不本意なツーショット写真は、今頃電子の世界で飛び交っているに違いない。

 わお、大型掲示板でも大人気。グロ指定画像の大本として、さぞやコラージュ技術の餌になっているに違いない。精神的ブラクラだ。


 回覧板でも回ってきそうだ。切実に泣きたい。


「でも、俺泣かない! だって男の子だもん!」


 やむなく鍵を使ってボロアパートの玄関を開けゴマ。当然のように入ってこようとする単一機能特化型筋肉インターフェースを、懸命に背中で牽制する。

 イタい話を聞かされるのも良い。化け犬に襲われたのも、まぁ良い。何故か野菜を大量に買い込ませるのも良い。趣味:ボディービルにしか見えないのも、良くないが、今は良い。

 だがしかし。


「何故、あなたは部屋に入ろうとなさるのでしょうか……?」


 遠回しに拒絶。

 てっきり、上腕筋群と前腕筋群を撓ませ、荒ぶる鷹のポーズで俺を襲ってくると思ったのだが、レティシアは玄関前で立ち止まった。

 びくぅ! と震えて半歩後ずさり、唇を戦慄かせる。


「わ、我が今部屋に入ると困るものが、散乱しているのか……?」


 もじもじもじ。

 芋虫の如く丸くて太い指の先を突っつきあわせ、上目使いで俺を見る。

 本来目線より下にある俺の顔を見上げようと、無理やり屈んだ太ももの筋肉が充実し、肩を竦める動きで懐かしの僧帽筋がぐぐっとせり上がる。

 更に胸元から大胸筋の割れ目が目に入って、コンマ2秒で目を逸らした。

 精神的ダメージを緩和する為に、何とか頑張って顔に焦点を当てる。


 潤んだ瞳も、匂い立つかの如く上気した頬も愛らしく、僅かに噛みしめた下唇は美味しそうな苺色。瞳の中に星が煌いていそうな完璧な上目遣いはしかし、今や俺の恐怖の対象だ。

 クーリングオフは、生ものには使えないのか。


「ひ、ひぃぃぃ……!!」


 余りのキショさに我慢しきれず、身の気のよだつ経験をした俺はビニール袋をなるべくきちゃなくない所にそっと置き、全力で戸を閉めた。

 バタム! 力強い音と共に閉め切られたドアが、俺の心を慰めてくれる。鍵を締めチェーンを掛ける音が俺を癒してくれる。

 しかし。

 は、早く今の映像を上書きしなければ。脳が筋肉に汚染されてしまう……! ハリー! ハリィィィィ!


「な、なな何て恐ろしい上目遣い! 違う違う、俺の理想の上目遣いはあんなんじゃありません!」


 イヤイヤと首を振って、鳥肌の浮かんだ腕をガシガシ擦る。目を瞑り、何とか見つけ出せそうな奴の可愛い所を探してみることにした。

 顔……声……髪……えぇと、後は……えぇっと……ううん……もう無い。何だそれ。

 取り敢えず、筋肉が全てを駄目にしているのだ。脳内で筋肉を緩和する為に、方程式に当てはめてみることにする。


 ドジっ子 + 筋肉 = ねぇよ。被害が甚大過ぎる。

 お姫様顔 + 筋肉 = ダウト。国民は暴動だ。

 高めのアニメ声 + 筋肉 = ダウトー! 夢を壊すな。

 金髪さらさらロング + 筋肉 = 駄目。見てらんない。

 魔法少女 + 筋肉 = ……チェンジ。魔法を使え。

 謎の美少女とドキドキ☆同棲生活 + 筋肉 = 謎の筋肉とムキムキ★筋トレ生活。あるあ……ねぇよ!


「うわあぁぁぁぁぁチクショーチクショー! どんだけ頑張っても無理だヨー! 筋肉はあらゆる萌えポイントを圧殺しちまうヨー!」


 狭っこい廊下をばたばた転げ回り、目と鼻から塩水が溢れて止まらない顔を押さえて漢泣きに暮れる俺を、一体誰が責められるだろうか。いや、誰も責められない。

 しかし筋肉少女にはそんな俺のマックスピュアハートが分からないようである。

 ゴゴゴゴゴン! 速過ぎてスタッカートを決める激しいノックを、扉にかますのだ。俺はビク! 蠢き動きを止めた。


「十分経ったぞ主殿! 我に見せるのが恥ずかしい、子供には見せられない特殊性癖の、イケナイ本やDVD、空気な人形は片付け終えたのか!? むぅん、もう我は空腹が我慢出来ぬ、入るぞ!」


 成人男子に、分かっていても言ってはならないあるまじき暴言。

 そもそも事実無根な社会的生命抹殺の一声を大音声で辺りに叫ぶと、扉がみしみし音を立てる。

 慌てて覗き窓に目を寄せると、全身をふんばってドアノブと奮闘しているらしき肉ゴーレムの姿が目に入った。

 ――ぎょ、魚眼レンズ越しだとさらに……!


「や、やめ! やめやめやめ! や・め・てーー! そんなに乱暴にしたら壊れちゃうよーッ!」


 金属の癖に、筋肉に屈しそうなボロアパートのチェーンを解除、鍵も解除。引き攣りに引き攣った作り笑顔で、俺は遂に筋肉の国からグロを配りにやって来た、恐怖の顔だけ美少女レティシアを部屋に入れた。

 ニコニコ笑顔で玄関を開け放ち、勢い良すぎて外廊下の壁にバチコーン! と衝突させたレティシアは、俺を見るなりこう言った。


「めし!!」


「……退化してんじゃねーよお前……」


「飯!!」


「そういう意味じゃねーよぅ!」



 ガスコンロから噴き上がる炎が渦を巻き、その上を長年の相棒である厚底フライパンが華麗に舞う。

 ――重要なのは、押す力より引く力。動きに沿って、綺麗に空中に飛び上がった命の素が回転する。

 コゲないよう、しかしムラのないよう――職人の技での優雅な片手フライ返し。ジャッジャッと小気味の良い快音を立てて混ぜ込まれる食材達。


 塩と胡椒は高々と掲げた手からサラサラと振り落とされ、米と卵の海へと均等に消えていく。続いて加える味の素はちょっと多め、味のアクセント。

 何より手早さ、時間が大切だ。短すぎれば火が通らず、長すぎれば油でべちゃりとなってしまう。

 極みの頂点、ぱらぱらの触感を追い求めて、出来るだけ高速で鍋を振る。

 仕上げに醤油を回し入れ、香ばしい匂いが沸き立てば――それ即ち、完・成。


 綺麗な半球を意識して、一粒足りともばらつくことなく皿に盛られた米どもは、ツヤツヤ輝きしっかりその存在をアピールする。

 輝く卵は食欲をそそるゴールデンイエロー。ちょん、と福神漬(百円。近所のスーパーの特売品)を好みで添えて、俺はテーブルに舞い戻った。


「あーらよ、出前一丁ーー!!」


 ガスン、コト、と音を立ててテーブルに不時着させたチャーハン共の前に素早くスプーンを並べる。

 食べ物にはいつも感謝の心。お米には七つの神様だ。

 腰を下ろし、小さくいただきます、と呟いてそのスプーンを手に取った。右手にスプーン、左手に水をなみなみ注いだガラスのコップ。

 いつもは邪魔な紙束類も、食事時ばかりはその辺に適当に退場なさってもらっている。

 完璧だ……ある種の満足感と共にこんもり盛ったチャーハンにスプーンを差し入れた所で、俺に声が掛った。

 もやもやと霞む湯気の向こう、そこにちんまりでかでかと鎮座する地上戦専用肉体兵器。

 このクソ狭い家でペットを飼うスペースはないので、言うまでもなくレティシアだ。動物ではなくて化生の類だが。

 ふふふ、人間って何年生きたら筋肉に化けるのかな。


「あの、主殿。……何故、我の前には、チャーハンのみっしり詰まったフライパンが……」


 見る。不器用なのか、ぐーでスプーンを握っているレティシアの顔には、困惑の色。首から下は水を弾く綺麗な青色。

 このショートレンジで筋肉と向き合う自信がない俺の苦肉の策、秘蔵のレインコートを被せているのだ。

 生々しい筋肉の割れ目が隠れただけで効果抜群、それでも無茶苦茶デカイ大女には違いないが、大分無差別テロ的な精神攻撃力が抑えられている。

 あれはMP攻撃に等しいのだ。題して、『不思議な踊りも、見なければ効果はあるまいフハハ作戦』である。

 なので、俺もわりかし普通に対応できるようになった。


「何故って……それくらい食べるんじゃないの? 遠慮しちゃやーよ?」


 ふふん、如何にベジタリアンとは言えど、卵は兵器だと……おっと間違えた、平気だと言っていたんだ。この位は食べるだろうよ。

 如何な妖怪とて、卵で人は殺せまい。


「な、何合炊いたのだ……?」


「5合。あ、足りない?」


 むぅ、ぬうぅ! 唸り、恐ろしい物を見るようにチャーハンを見るレティシア。

 暫く親の敵でも見るような目でチャーハンを睨んでいた彼女は、やがて首を一つ振り二つ振り、猛然と米をかっこみだした。

 ぐーで握ったスプーンは不安定で、余りに勢いが付きすぎてぽろぽろと幾らかご飯粒が零れている。MOTTAINAI。


「……! ……!」


「おう、おう……そうか美味いか。ほれチャーハンは逃げはせぬ。ゆっくりと食うがよかろう。ほほほ」


 見てても不毛なので、俺も自分のチャーハンに取りかかる。

 香ばしい香り、豊潤な卵の甘み、しっとり味のついた米の旨み、そして何より全体のハーモニー。

 ただの米、ただの卵、そしてただの市販調味料を使っているのにも関わらずこの味……!


「げふ。いや、実に普通のチャーハンだった。美味し美味し……ほれ水」


 ふと気付くと、チャーハン一人前位の量をかっこんだレティシアが、苦しげに逞しい大胸筋の辺りを叩いていた。

 何だろう、ゴリラが良くやるウホウホなあれだろうか。ちなみに、正式名称はドラミングと言うらしい。


 水を渡してやる。そしてふと思った。

 コイツ食うの遅くね?

 ごきゅごきゅと喉を鳴らしグラスを干すと、室内レインコート女はテーブルに突っ伏す。その表情は金髪に隠れて俺には見えない。


「おいどうした。それよりスプーンに米粒付いてるぞ、行儀ワルしないの」


「わ、我は……」


「あん?」


 凛とした声音を最大限低く伸ばし話すその様に、地獄の底から響いてくる魔王の声を脳内でイメージ。

 王様からひのきの棒と五十ゴールドだけを渡され、さぁ世界を救うのじゃっ、などと言われて放り出され、色々あってついに魔王城に辿り着いたその行き先。

 おどろおどろしい声に引かれて奥へ進み、きらきら煌めく勇者装備(地面に埋まっている物もあった。何て扱いが悪いんだ)を確かめて、玉座の間へと飛び込んだ勇者は遂に、魔王と……と、そこまで考えた所で、妄想の翼を振り払った。

 出てくるのはあれだ、威厳に満ちあふれ悲壮な過去を抱えた威圧感たっぷり雰囲気たっぷりの魔王陛下では無い。

 筋肉の鎧に身を包み、筋肉の拳と美少女顔を装備した妖怪なのだ。

 黒のマントに、あぶない水着装備。うげぇ。


「我は……小食なのだ……主殿が用意してくれた故、食べ尽そうと思ったが……ぉえぷ。えぷ」


 ……その図体でか。心中で呟く。

 依然、もっさりとフライパンの上で自己主張をするチャーハンの野郎は健在だ。余り、というか殆ど減っていない。

 予想外の展開だった。俺が一合コイツが一合としても、それが真実なら残り三合が余る計算になる。


「あらぁ……一人分で精一杯?」


「うん」


 こくり、弱々しい仕草で雨合羽が頷く。動きに引っ張られて、ターバンの様な長い金色の髪もうねうねと動く。


「もう無理?」


「うん」


 おう、同じ反応しか返しやがらねぇ。

 チャーハンはラップして冷蔵庫に入れておけばいいとして、ちょっと面白くなってきました。これはやらねばなるまい。


「あ?」


「うん」


「積乱?」


「うん」


「ネバギバ?」


「う……ううん」


「っち」


「むぅぅ」


 苦しそうな割に余裕はあるらしい。俺は滅多に使わない救急箱を漁り、粉の胃薬を一包分取り出して金髪筋肉の頭の上に乗せた。


「いいですか、絶対吐くなよ? ここ俺の家、吐く場所はトイレであって部屋ではありません。だからその胃薬飲んで休んどけ」


「むぐ……むぐ……」


 コップを受け取り、横になるよう手で促す。寝床を貸してやれ? ははは馬鹿な。

 それにしても。

 顔は、可愛いんだけどなー。体を横たえる為、肘をついた拍子にすり減った畳がミッシミッシ凹む音が聞こえる。


「……」


 なにか釈然としない思いを抱きながら、手早く食器を重ねて席を立った。後片付けの時間です。

 流れる水音。マスカットの微妙な香り、台所用洗剤の泡がふわふわと漂う。水をなみなみ満たしておいたフライパンは洗い頃だ。

 汚れはお早めに落とすのが吉。ちょっと背後が気になって、手を止めて振り返る。


 床に転がる一本の丸太……否レティシアは、すぴすぴ寝息を立てていやがった。

 食って寝る。原人かお前、という俺の嘆きを余所に、余ったチャーハンが冷蔵庫に仕舞われた。




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