第二話 穏やかな公園と、筋肉。
「ははは! 我はベジタリアンだ!!」
人気のない公園のベンチの上に足を開いて仁王立ち。眼下を睥睨して、筋肉ウーマンは言い放つ。
そんな筋肉、野菜だけで出来るかボケめ。
帰れ筋肉の星へと。
「……何で?」
あるのか無いのか分からないが、とにかく筋肉で盛り上がった胸を反らせた顔だけ美少女は、至極当然な所のある俺の疑問に――
「肉を食うと、体臭がキツクなると言うではないか。我は見ての通り、可憐な乙女だ。それは許せん」
――非常に突っ込みづらいコメントをしました、まる。
「くっ……言い返したい、返したいがしかし……!」
ご近所さんの目から逃亡した先での、一幕である。
穏やかな公園と、筋肉
「お初にお目に掛る、主殿! 実は主殿は、先ほどのような輩で狙われておるのだ。だから、安全が保障されるまでは我が善意で護衛して差し上げよう! 何てったって我はドキドキ☆魔」
「それもういいですさっき聞きましたぁ!」
「……そうか」
あの後。
どう見ても物理攻撃にしか見えない右ストレートを、執拗に魔法だと言い募る少女に手を焼いて、俺はとりあえず近くの公園までやって来ていた。
住宅街に不自然すぎる沈黙が漂っていたから、もう少しあそこに居れば通報されること間違いなしだ。
俺だって、自分の家の外にこんな妖怪が居たら、外出する予定をキャンセルして携帯で激写する。そしてメールで一斉送信だ。
公園の中に人気はない。
賢明なお母堂達はこの歩く怪奇現象に恐れをなしたのか、鼻水垂らした子供を小脇に抱えて帰宅しているようだ。
……子供の情操教育的にトラウマ植えつけそうな生命体が隣に居るからな。
かくいう俺も、あまり首から下を見ないようにしている。
地面にぺったり座る訳にもいかないので、微妙な距離を保ちつつ、2人でベンチに腰掛ける。
その途端、今まで黙っていた俺の怒りに猛然と火が着いた。
高熱の炎が俺の胸の所から指の先までを駆け巡り、あたかも全身が沸騰したかの様な震えを得る。
「もう何ですかさっきから! 魔法とか犬とか筋肉とか筋肉とか筋肉とか! 三丈太郎は今とても混乱しています!」
極限まで怒りつつビビっていた俺は、ついに小声で怒鳴るという特技を体得してしまった。
怒っても怖くない男、三丈太郎――それが俺の代名詞だ。
どこも誇れねー。
ちなみに、レティシアと名乗る少女は直視するには少々難易度が高すぎるので、ちらちら横目で眺めるのに留めている。
ああ、間違いない。俺にはサバイヴァルの素養が有る筈だ。
例え異世界へと旅立っても、持ち前のコミュニケーション能力とこの恐らく何があっても生き残れる素敵スキル。
この二つを生かしてあっさりと野宿2日目位で現世とさよならだ。
はん、異世界に行って言葉が通じるかぼけー。
言葉が通じないのにコミュケーションとは片腹痛し水虫痒し。むしろリアルタイム言語通訳魔法の使い手を連れてこい。
肉体言語=魔法という斬新で奔放な魔法暴力論を振りかざす怪獣がグロ過ぎる。
目の前の少女は、きっと筋肉魔法が奔放過ぎて世界が追いついてこれず、人知れぬ内に異世界へと飛び込んでしまったのだろう。
とにかく今あの首からしたのモザイクを直視すれば、俺の美的感覚が安らかに極楽浄土へ旅立たれること必至。
「うむ。……突然の事ゆえ混乱するのも致し方ないと思う。だが我を信じて欲しいのだ! 決して悪いようにはせぬ、この……上腕二頭筋と三頭筋のバランスにかけて! ふん!」
「ぐおお……!」
で、出た筋肉! そこは普通誇りとかじゃねーんですかかちくしょう! 白い筋肉が暑苦し眩しい!
とあくまで心の中で怒鳴りつつも、俺はひとまず神妙にレティシアの話を聞くことにした。
だって筋肉の束が迫ってくるのが怖いんだもの。
大体30分が経過した、と思う。
全く、これが買い物帰りじゃなくて助かった。この陽気の中卵に放置プレイをかましていたら、間違いなく腐る。
それでは、何の為に買い物に出たのか分からないではないか。
顎に手をあて、あるかないかの鬚をさわさわと撫でさする。
「つまり、要約するとこうだ」
「うむ」
美少女(仮)は目をつぶって頷いている。
変態と言う名の紳士であれば、この顔を見てキスをせがんでいるように見えるのだろうか。
しかし残念なことに、一常識人を自認する俺には、頷く度にぴくぴくと動く首筋の筋肉束と、そこに浮いた血管も盛り上がりしか見えない。
「……えー、さっきの犬モドキは下っ端で、まだまだ俺を狙っている物騒な奴が居ると」
「うむ」
筋肉(本)は、再び頷いた。
「……」
「……」
「……」
何だこの喋りづらい空間。普段は元気に公園を走りまわる子供も、前述の通り今日に限って一人も姿を見せない。
飼い犬の散歩を日課とするマダム達も同様だ。
――――こんなの居たら、そりゃ人も寄りつかねーかい。
しかめつらしくぶっとい腕を組み、俺の言葉に頷く顔だけ美少女を見る。溜息が出た。マジ帰りたいこれ。何だ、悪夢か。
「……で、俺が狙われる理由ってのが、何かよく分らんけども常識じゃ考えられない位上質な筋繊維の持ち主だからだ、と」
「間違いない。通常、主殿のような筋繊維はありえないのだ。――今まで重い荷物を妙に軽く感じたりした経験は無かったか?」
ねーよ。ありえないのは貴方の首から下です。鏡見ろ鏡。
「……い、いや、特には」
しかし、チキンでガラスなハートの俺は目線を明後日の方向へ逸らしながらそう言った。
また筋肉に迫られたりしたら恐ろしくて夜眠れなくなってしまう。
「恐ろしい……何という才能だ……!」
ガガガガガガ! 興奮したのか、猛烈な勢いで足を上下に揺らすレティシア。貧乏ゆすりのつもりだろうか。これでは局地型地震がいいとこだ。
その顔をぼんやりと眺め、非常に重要なことに気がついた。
ヤバイこいつ人の話聞いてない……! ひやりと恐怖が俺の背筋を駆け抜ける。
このままでは、良く分からん内に、あの見るからに凶悪な筋肉に土俵際から押し出されてしまう。既に土俵際に居る状況なのが全く笑えない。ふふ。
とりあえず話を戻すことにした。
放っておくと、公園の地面に穴が開いてしまいかねん。
「オホン! それはまぁ今は置いとくとして、えー、レティシアさん? あなたの目的は俺を護衛すること」
「うむ」
「それは俺の筋肉が特殊だから」
「うむ」
くっ……コイツ、うむうむ言ってるだけじゃねーか……。
だが、俺はめげない。諦めない。しかめつらしく難しい顔をして、腕を組んだ筋肉要塞に立ち向かうのだ。
「……何で俺のこと主殿って呼んでる訳? 罰ゲーム?」
「うむ。それは主殿が我がマジカル・マッスラーズの次期頭首を担うに相応しいお方だからだ。主殿の筋肉にはそれだけの価値が……可能性があるのだ!」
うわ嬉しくねえ。何だそのド直球な団体名。
どう考えてもレティシアと同系統の人たちが集まる集団にしか思えません。嫌過ぎる。
……て、このままだと俺もあんな風なマッチョに、なる、のか……?
ポーズを決め、逞しい筋肉を見せつける兄貴な体の上に、免許証に乗っている俺の地味な顔写真を脳内で張り付け……
「キャーダメダメダメ。絶対ダーーーーーメ!! お母さん、そんなこと絶・対許しませんからね!!」
余りにおぞましい未来像に、俺は思わず性別反転。時も越えて母に転生、今の自分に注意を下す。
立ち上がり、腕を振り回し眦を吊りあげ、ミスった裏声でがなりたてた。
ありがとう俺。ありがとう母。今の一言がきっと俺を救う……。
「ど、どうしたのだ主殿……?」
「くっ……! あ、余りに邪悪な予想に取り乱しただけです。気にしちゃメッ!」
めっ、と人差し指を振って窘めた。キモイ。
横目で眺めるレティシアの顔に、引き気味の作り笑顔が貼り付いている。そうかそうか、これで引くのか。
誰が見ても引きまくるであろうダイナマイトバディ(筋肉的な意味で)の持ち主に、引かれる俺。ハハハ。
色々疲れて、自暴自棄を起こした俺はついに、ビビることさえ忘れて考えていることをだだ漏らす。
俺の行動に引いちゃうような奴に、ビビル必要、なくね? 気分は下剋上だ。奇天烈なスタイルでのテニスは出来ないがね。
「はい先生! 頭首になるのは拒否権ありですか! 筋肉リーダーは絶対嫌です!」
「わ、我は無理にとは言わぬ。当座の間は、とにかく主殿の安全を確保することが急務なのだ」
「そう。ちなみに、じゃあ俺ってもしかしてVIP?」
「うむ、我などより遥かに格上だ。ちなみに我はマジカル・マッスラーズの現頭首だが」
……何だよ、何でもかんでも突っ込むと思うなよ。
でもこれで、俺が偉そぶれる要因が一つ増えた。そう、俺は妥協を許さない男。俺VIP、コイツ平社員。
躊躇なくベンチの背もたれに踏ん反り返る。顔にニタリと悪役笑いが浮かんだ。
特に何も反応されない。ちょっと悲しい。
「ふっ……俺を狙う勢力については何か分っているのかね、ん、チミ? んん、チミチミィ?」
「うむ。ここの隣町に住む、御堂久美子(29)が主犯で間違いないと思うのだ」
呆然。俺の頭の中が真白になりあそばした。
「え、ちょ、近くね? っていうかあり得なくね? 知り合いだし! かかりつけのお医者様だよ!」
「はらが減った!!」
「ふおお!?」
くわ! レティシアは目を可愛らしく見開いて、突然意味不明なことを口走った。
続いて颯爽と立ち上がり、肉体言語で俺に空腹を訴えかける。
下手なハンマーより余程固そうな拳が、風を切る音が響く――シャドー・ボクシング。
平和主義者の俺は、俺の頭くらいなら簡単にトマト☆みたいに出来ちゃうその姿を見て、あっさり武装放棄。
必要以上に偉そうに振舞うことを速攻で諦めた。無理無理絶対無理。出来るだけ近づきたくありませんこれ。
凄まじいスピードを維持したままバビュンバビュン唸りを上げるレティシアの体に、うっすら汗が浮かび始める。
躍動する筋肉。汗。収縮し、一息にその力を発揮する筋肉。汗。それを目にしてしまう俺のコメカミに冷や汗。
放心状態で呟く。
「ハラガヘッタ?」
俺の当然な困惑はしかし、ブ厚い筋肉に阻まれた。上手く届いていないらしい。
きっと、彼女に近づくと同時にマジカル・右ストレートとやらで撃ち落とされたのだろう。南無。
「主殿、我ははらが減った。これから寝食共にする身なのだ。我に昼飯を食わせてくれ」
「は? ……いやいやいや、もう一回言ってごらん?」
俺は今聞き捨てならぬことを聞いた気がする。いいか、気のせいだと――
「これから寝食を共にする身なのだ。我に飯を食わせてくれ。ハリー、ハリー」
ですよねー! ……もう分かったからハリーハリー言いながらシャドーボクシングするのは止めてください。
いいか、徐々にこっちに近づいてくるのも無しだ。
「……もう何でもいいや。詳しい事は後で聞くから、俺卵買ってくる……」
「むう、いかん!」
「何ですか」
「我はベジタリアンだ! 一身上の都合に肉はダメだと前もって言っておくッ!!」
ムキィ! ムキムキィィ!! ベンチの上でポージングを取りつつの告白に、俺は思わず呟いた。
「嘘つけ……」
「ん!?」
「あ、いやナンデモアリマセン」
チキンと、呼ぶなかれ。