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第十七話 マッシブ・トライアル。




「何か、まるきり実験動物だな。笑えねぇ」


 たった一人、他に誰の姿も見えない部屋の中で溜息を吐いた。

 目の前には巨大な金属製の扉。ご丁寧にも、デカデカとペンキで『1t』と書かれている。

 試しに軽く押してみても、扉は微動だにしない。

 室内を隈なく見回しても、ボタンも役に立ちそうな器具もない。

 ただし、1tと書かれたその下、丁度目線が合う位置に切り抜いた画用紙が一枚貼ってある。

 墨汁で書かれているのはただ一言。『押せ』。妙に達筆なのがムカつく。


「いやぁ、分かりやすい『試練』だなぁ」


 ぐるぐると肩を回す。手首を振り、首を鳴らし、ついでに足首も回す。

 目を閉じる。

 大きく深呼吸して肺一杯に空気を吸い込み、出来るだけ細く長く息を吐いた。

 それに合わせてすぅっと、頭の中心が冷えて行く感覚。


 閉じていた目を、見開く。


「一丁、やりますかぁ!」



 乗り込んだ敵の本拠地、最初の障害を前にしての一幕である。









マッシブ・トライアル










「降りろ」


 目隠しするでもヘッドフォンをするでもなく、走り続けること三十分。

 高級そうな黒の乗用車が停まったのは、とある建物の前である。

 ここでごねても何の意味もない。

 しかし素直に車を降りてすぐ、俺は短く言った切りむっつりと押し黙ってこちらを注視する大男に向き直った。


「いやいや、まさかここが目的地?」


 目の前にある建物を指差し尋ねる。余りの事態に頬がひくつく。


「そうだ」


 頷く大男。


「……嘘ですよね?」


 やれやれと首を振りながら再度問い返す。


「本当だ」


 またもや短く言い切る大男。


 マジ? と視線で問うと、ふいっと視線を逸らされる。その額に汗が浮かんでいるのに気付いた。

 どうやら大男もおかしいとは思っているようだ。

 俺は建物を見、男を見、建物を見、そして男を見て思いっきり息を吸う。叫んだ。


「どう見ても一軒家です有難うございました! 普通もっとこう、大豪邸とか怪しげな研究所とか廃屋とかじゃないのかよ!?」


 かよ……かよ……かよ……。人気の無い住宅街に、俺の叫び声が響き渡る。


 そう、目の前にあるのはどう見ても普通の一軒家であった。

 落ち着いた濃い灰色の屋根にクリーム色の壁。車が二つ入る大きさの車庫と小さな門扉、これまた僅かに見える小さな庭。

 平屋では無く二階建て、微妙に造りに無個性さを感じるようなカタログ一軒家。

 俺が住んでいる所とはまた別の、極普通のお家が立ち並ぶ住宅街の中に見事に溶け込んでいる。


 曲がりなりにも、大立ち回りとか予想してドキドキしていた俺は今猛烈に恥ずかしい。

 普通の一軒家に怪しいサングラスの大男と誘拐犯と高級車とか、あれか、ドッキリかこれ。激しくそぐわない。

 もしかしてこういう如何にもな厳ついおっさん達はパートタイムで雇えたりするのか。


「あまり大きな声を出すな。折角良くして下さっているお隣の中谷さんに怪しまれる」


「よぅしまず鏡見ろ鏡。……っていうかご近所付き合い重視してんじゃねぇよ誘拐犯の癖に! フロ○ャイムかお前ら!」


 ケッ! 思わず毒づいた。いやでも誘拐犯だし、レティシアが捕まってるのが問題なんだからこれでも脅威か。

 そう思い直し、何の変哲もない一軒家を仰ぎ見る。


「ねーよ……」


 無理だ。

 この落ちに落ちた俺のテンションはどうしてくれるのだ。郵便受けに朝刊挟まってるぞ。ちゃんと朝取れよ。


「言うな……」


 大男の声がどことなく疲れている様に聞こえるのは気のせいだろうか。


「もう何ですかお前ら」


 俺の口調が投げやりになるのも仕方ないと思う。

 沈黙を保ったまま肩を竦めて見せた大男は、踵を返して門扉を潜る。

 極普通に玄関前まで歩き、極普通に鍵を取り出し、極普通に解錠する。

 今帰ったぞ、と一声掛けてから振り向いた。お父さんかお前。


「入れ。……安心しろ。ちゃんとアジトだ」


「……何か泣きそう」


 何故敵にフォローを入れられないといけないのだろう。

 土足のままでいい、と言う大男の声に従ってずかずかと家内に入り込んだ。

 やはり極普通の家にしか見えない。


「付いて来い」


 テンション低めで重々しく呟く男に従って、廊下を通りリビングらしき部屋に入る。

 カーテンが閉め切られているせいで少し暗い。

 身構える俺を余所にそのまま部屋を横切ってキッチンに入った。

 こちらはそもそも明かりとりの窓がないらしく、室内灯の白い光が満ちている。


 ここで何をするのだろう。なるべく油断しない様に大男の挙動を少し離れた所から眺める。


「ここだ」


 もっと何か喋ってくれ。

 大体六十センチ四方くらいだろうか。床下収納の取っ手を引き上げた大男が体を横にずらす。

 本来なら収納箱が納まっている筈のスペースには、


「梯子……」


 中は薄暗いが下の方にほんのりと白っぽい床が見える。大体十メートル位だろうか。それなりに深く、暗い闇が横たわっている。

 大男を見ると手振りで階段を示される。下りろということだろうか。


「これで素直に下りて、突き落とされたりしたらたまらんのですけど」


「俺はこれからカレーの仕込みに入る。忙しい」


「昼飯の用意かよ……じっくりコトコト煮込む気ですか!」


「あ、娘がどうなってもいいのか」


「それは先に言うべきだろ! ……いや、先に言われても微妙……? いやいや、でも……くっ」


 きぃー! 歯をむき出しにして叫び、背後に注意しながら薄暗がりに飛び込んだ。

 カンカンカン、と小気味の良い音を立てながら梯子を下りて行く。

 幸いにも何の妨害もされることなく地下に辿り着いた。

 まず感じるのは温度の低さ。

 外は既に暑いのに対して、ここは驚くほど涼しい。冷房要らずである。

 息を潜めて耳をそばだててみるが、特に誰かが居るような感じもしない。


「冷蔵庫の野菜室が開けにくいから閉めるぞ」


 渋い声に頭上を仰ぎ見ると、音もなく入って来た床下収納の扉が閉じられているのが見えた。

 もっと緊迫させてくれよ……呟き、改めて辺りを見回す。上から見た時は気付かなかったが、一方通行のようだ。

 下り立ったすぐ後ろは壁になっており、反対側にまっすぐ通路が伸びている。

 その先に、ぼんやりと揺らめく明かりが見えたので仕方無く歩き出す。きちんと舗装されているのか、床に足を取られるようなことはない。


「……さっさとレティシアを見つけないと」


 暗がりの中に一人で居るとつい強がりの仮面が取れかかってしまう。

 いくらここが悪の組織川崎支部っぽい家庭感爆発な拍子抜けさを見せつけていてもだ。

 ……そうだ、こうやって油断させる罠かもしれぬぞ!

 気を引き締めなおしピシャリと頬を叩く。

 そうこうしている内に曲がり角に辿り着いた。見ればそこには一つランプが掛かっている。

 視線を転じると、またも続く直線。その突き当りに同様の灯りの揺らめきを見て、迷わずそちらに足を進める。

 一瞬ランプを持って行けないか考えたが、どうやらしっかりと壁に据え付けられているらしく簡単には外せそうもない。諦めて歩き出す。

 暗がりの中に自分の足音だけが響く。こうやって如何にも違法臭い地下通路を作っているなんて、やっぱりそれなりに力はあるのか。

 二つ目の曲がり角に着いた。今度も曲がり角の先には直線の通路が続いている。しかし今度は突き当りが見えない。

 その代わりの様に途中途中に幾つかのランプが設置されている。何となく壁に手を付きながら更に歩みを進める。


「それにしても広いなぁ」


 思わず呟いた。ひっそりと呟いた筈の言葉は、ほの暗く静かな地下道の中で意外にも良く反響する。慌てて口を噤んだ。


「……」


 本当に広い。

 先程から数えて既に四度は曲がり角を通過している。うんざりするような広さの地下通路である。

 水道管とか一体どうなっているのだろうか。一本道なのが唯一の幸いなのかもしれない。


「ん?」


 さらに歩いて数分、

 視界の先にソレが見えた。

 今まで見てきた味気ない白の壁とは違う、金属特有の光沢でもって灯りを跳ね返すソレ。

 自然と足早になり、息を切らさぬ程度の駆け足でドンドンと近づく。


「扉……」


 ソレとは正に扉であった。周囲の白と対照的な黒い金属製の扉で、ノブがただ一つあるだけの何の装飾もないシンプルな扉。

 念の為周囲に目を配るが、目の前の扉以外に先に進めそうな道は無い。

 ごくりと唾を飲み込んでドアノブに手を掛けた。捻る。

 鍵は掛かっていなかったようで、扉は軋むこともなくスムーズに動く。


「うお眩し……!」


 途端、目を射る光。

 いつの間にか通路の薄明かりに慣れていた瞳に蛍光灯らしき強く明るい白色の光が突き刺さる。

 腕で目を庇い、扉を開け放ったまま一歩後ずさる。まずい。今何かされたら対応も出来ない。


「ようこそ我が魔王城へ! 当魔王城案内人は私、青鬼が務めさせて頂きまっす!!」


 大音声が耳を射る。明かりに慣れた所で今度こそ部屋に押し入った。

 声の主を探すため、部屋中に視線を配ろうとして――

 すぐ、目の前にそいつを発見する。


「痛い!」


 そして叫んだ。次いで男の格好をズビっと指差す。

 小学校の教室程の広さの部屋、壁面に設置された巨大スクリーンの中で黒コートに素肌、レザーっぽい光沢のボトムを合わせたスキンヘッド。

 手にはアルミホイルっぽい輝きで光を反射する、ダンボール技術を駆使して作られたであろう巨大な剣っぽい何か。


 もう心の底から痛い。

 邪気眼全開の痛いファッションである。

 ビデオレターではショボイ赤鬼の面を被っていた男は今、何故か某有名な宇宙人のお面を被って青鬼と名乗っている。

 余りの異空間ぶりにどこから突っ込めば良いやら分らなくなって、俺はもう以後基本スルーの方向で行くことにした。


「ヒャーハー! いいか! O☆RE☆様はここ魔王城の魔王補佐! でも魔王不在だから実質俺が魔王! イェアフー!」


 ズビ! ズバ! とエクスクラメーションマーク毎にキモイポージングをキメる宇宙人青鬼。もう長いので青鬼。

 俺が黙っていることに気を良くしたのか、青鬼は突如流れ始めたBGMに合わせてパラパラを踊り始めた。

 でも俺は喋らない。疲れるから。


「……」


「ヒー! イヤッフゥー!? ……アッハァー!」


「……」


「フォウ! フォウ! フォウ! フォウ! さぁ皆も一緒にー!?」


「……」


「フォウフォウフォ……」


 お、効いたか。ボディブロー様に精神に効いたか青鬼め。

 顔に出さない様に、俺が内心ほくそ笑んで居ると、変態仮面は突然右腕を押さえ始めた。ガクリと膝をつく。


「ぐっ……おさまれ……おさまるんだ……ここでお前を解放する訳には……くそ、運命は俺を逃しはしないのか……!」


 突・っ・込・み・た・い……!

 怒りやら焦りやら色々爆発しそうな感情を噛み殺す為に奥歯に力が入る。

 俺は今、ハリセンで人を殺せるかもしれない……そんな感じである。

 そんなアホらしい葛藤を心中で繰り広げる俺の姿をどこからか見ているのか。

 画面の中の馬鹿はまたも突然立ち上がり、堂々とした佇まいで腕を組む。


「……さて、今のは全部思いつきの悪ふざけだった訳だが……」


 駄目だ……! 突っ込んだら負けだぞ!


「今どんな気分? ねぇ今どんな気分?」


 アスキーアートそっくりのダンスを見せつけるハゲ。宇宙人面がやけにムカつく。

 だけど我慢。今は忍ぶる時なのだ。下手にコイツを刺激して、レティシアに何かされたら目も当てられない。

 ……そもそもレティシアがまだ生きているかも不確定なのだが。


「……ち、面白みのない奴め。まぁいい、約束通りここまで来たんだし、女は返してやろう。――ただし、三十分以内にここまでこれたらな?」


 ころころと雰囲気の変わる奴だ。先ほどとは違う意味で奥歯を噛み閉め、腹の底に力を入れる。

 一度深く呼吸をしてから口を開いた。


「……先に、レティシアの安全を確認させろ」


「いやはや、そうさせたいのは山々何だけど、残念ながらカメラのケーブルが届かないんだよ」


 お面越し、更に画面を通しても明確に伝わる揶揄の表情。

 ニヤァっと笑うその顔が容易に推測出来る。

 今まで会った中で最悪の人種だ。

 用意周到で口が上手く、相手を嬲るのを楽しむ節がある。


「じゃあ、何故俺をここに呼んだ?」


「さぁてねぇ、何ででしょうねぇ〜」


 ……今は我慢だ。

 手を変え品を変え、声色もお面も衣服も雰囲気も変え、ひたすら俺を苛立たせようとする手合いである。

 どうせマトモな答えは引き出せまい。

 諦めて腕に付けている時計を確認する。時刻は十時二分。


「……今、俺の時計で十時二分だ。今から三十分後、十時三十二分までがタイムリミットでいいのか?」


「まぁ、切りも悪いし五分からにしようじゃないか。さて、ここでルール説明だ。この先に、君に見合う試練を幾つか用意した。それを全て突破してここに来ること。ちなみに一本道だから迷う心配はしなくていいぞ? 制限時間は三十分。間に合わなければ女は殺して俺は逃げる。間に合ったらチャンスをやろう」


「ご丁寧にどーも、さっさとくたばってしまえ。……後一分三十秒」


 時計の針だけを無心に追う。横目で部屋を眺めると、右手方向に一枚の扉があることに気付く。

 他に扉は見当たらないので、これがスタート地点なのだろう。だが万が一もある。


「あの扉が、スタートってことか?」


 腕時計をして居ない方の手を上げる。先ほどからこいつは、明らかにこちらの様子を把握した上でおちょくって来ている。

 間違いなく、カメラか何かで今の俺の様子を監視しているだろう。

 なら、俺のこの動きも見えている筈だ。


「いやいやぁ、どうかな? ――おおっと、怖い顔するなよ、あの扉がスタート魔王城の地点さ……はい、スタート。精々頑張ってくれたまえ?」


 ハゲ仮面の言葉が響き終わる前に駆けだす。

 勿論慎重に行った方が良いのは分っているが、三十分しか時間がないのだ。巧遅よりも拙速を尊ぶべきだろう。

 迷わずドアノブを掴み、捻る。押しあけた扉の先には――同様の部屋、しかし高さだけが全く違う第一の関門。


 冒頭の一室である。



 助走を付け、勢いを乗せた状態で扉に突っ込む。

 正面に突き出した両掌を強く強く叩きつけながら歯を食いしばった。


「ぬぐ……!」


 びくともしない。

 それでも諦める気にはなれなかった。しっかりと踏ん張りなおし、腰を落として力を籠める。

 瞬間的な筋肉の緊張で、急激に心臓の回転数が上昇し発汗、合わせて筋肉が唸りを上げる。

 しかし動かない。


「おやおや、まだ最初の試練なのだよ? だらしがないなぁ」


 ……。


「あれあれ〜、何をしているのかな? かなかな!?」


 ……俺は更に力を込めた。


「ぷぷるぷるぷるぷぷるぺ〜。シャンデリィィィアー!」


 ……力を込め。


「なぁ俺は今インスタントラーメンのシーフード味を食べてるんだが……ズゾゾ。お前は何食ったんだね? 残飯?」


 ……畜生ムカつく。

 徐々にではあるが、ここに来て今まで溜めこんでいた怒りのリミッターが外れかかっているのが分かる。

 これまでは激昂しても意味がないと我慢に我慢を重ねて来たが……黙っていても腹立たしい声は一向に止まらない。

 むしろ囃し立てる様にその苛立ち度を上げて行く。


 どこか見えない場所にスピーカーでも設置しているのだろう。耳障りな声は部屋中に反響しながら容赦なく俺の脳を蝕んでいく。

 目に見えない毒素に充ち溢れたその音は俺の脳を通じて精神を犯し、無遠慮に肌を撫でる。


 唐突に、昨晩の撫子の声が脳内で再生された。

 この事件の元凶、俺の体。魔法。ぐるぐると聞きかじった知識が渦巻き、やがてそれも灼熱の怒りの海に沈んで行く。

 連れ去られたレティシア。悲しみ苦しむ撫子。脅された久美子。ふざけている犯人。


 怒りに呼応して真っ赤に、真っ赤に染まッテ行く視界ノ中デ――



 鎖ガ引キ千切レル様ナ、音ガ――


「グ、ヌアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」


「……エクセレント!」


 よろよろと二、三歩もつれる様に足を前に出た。

 瞬間的に真赤に、徐々に薄く他の色が戻ってくる視界の中で、今引き出した感覚を掴もうと僅かに残った理性が意識を凝らす。

 荒い息を吐きながら膝に手をついてしばらく呼吸を落ち着ける為に目を閉じる。

 体が熱い。今まで使われていなかった器官を行使したかの様な違和感を感じる。

 吐く息は熱いが、だからと言っていつまでも呆けている訳にはいくまい。

 気力で持って休息を求める体を捻じ伏せる。


 時計を見た。


「……後、二十四分」


 時間が無い。言い聞かせる様に数度呟き足を前へ。その足を妨げるはずの重たく分厚い扉はもう無い。

 視線を上げると良く分かる。

 瞬間的に絞りだした力は扉を押し開くのには十分過ぎたようで、馬鹿馬鹿しくも1tと銘打たれていた両開きの扉は大きく開け放たれている。


 というか、開け放ち過ぎて壁に食い込んでいる。


「やり過ぎたような気が……」


 こういうのはレティシアの担当だったはずなのに。

 ひとまず先へと急ぎながら、確かめる様に掌を握り締めた。

 昨晩撫子からの衝撃告白の後、聞かされた話だ。

 常識外の筋力を生み出せる筋繊維。だけど俺の無意識下の制限がそれを妨げていること。

 あの扉が本当に1tもの重さがあったのかは知る由も無い。

 しかし現実に、全力で当たってもピクリとも動かせなかった扉を開けたのは紛れもなく俺だ。

 マッスルだのなんだのと半信半疑だったが、使える能力なら今はどうでも良い。


 あのスキンヘッドの苛立ち口調も少しは役に立っている。

 リミッターだのどうだの、要するに心底からブチ切れてしまえば良いらしい。

 確かに怒って興奮状態な人間に常識がどうとか言っても聞かないだろう。そう言う意味では助かった。


 どうせ、同じように人間の身体能力じゃ突破出来ないような『試練』が用意してあるのだろうけど。



 何故か高さが五十センチ程しかない扉をくぐる。今度の部屋も同程度の広さ大きさの様だ。ただし。


「……古典的ー」


 目測で幅、七メートルくらいか。部屋のこちら側と向こう側を区切る様に横たわる巨大な溝が鎮座している。

 ベタな試練だが、五メートルはありそうな深さの底にはびっしりと剣山の如く鋭利な棘が見えている。

 慎重に下りても、この溝を渡り切れずに落ちて着地しても、間違いなくあの世に旅立てる鋭さと長さだ。


 鈍く灯りを照り返すその切っ先を見ていると、自然と身震いが沸き起こる。

 それに部屋の広さの関係で、助走を取る距離は無さそうだ。とれて小さく一歩だろう。

 元の部屋から助走を付けて飛び込むには扉が小さすぎる。俺の骨が超合金とかだったら壁をぶち抜いて無理やり距離を作れるのだが。

 如何せん、俺は筋力が強いだけ。重い物を持ち上げることは出来ても、同じ力で壁に突撃敢行することは出来やしない。

 そんなことをしたら普通に骨が砕けてしまうこと必至。


 時間はない。従って迷ったり躊躇ったりする余裕は無い。

 先程僅かに指先を掛けた、今まで認識していなかった自分の能力。魔法と言うからにはMPなのだろうか――を意識する。

 撫子はレティシアにこう聞いたと言っていた。


『要は自転車の乗り方の様な物らしいですわ。一度出来れば、後は慣れるだけだと』


 どうやら少しは感覚は馴染んでいるようで、今度はそう時間もかからず体が熱く成っていくのが分かる。


 問題ない。飛べる。

 根拠も無く只そう思い、ゆっくりと膝を撓め体を沈み込ませる。

 動きに合わせて、太腿の大腿筋群や広背筋、大臀筋、下腿三頭筋が充実してミチミチと張り詰めた。

 深く息を吸い、止める。ヘモグロビンが取り込んだ酸素をむさぼり食い、全身を駆け巡りながらエネルギーに変換していく。


 そして。


 体全体に蓄えた力を一気に――解き放った。


「ふぬぁ!」


 一歩、ほんの小さな助走を付けて床を蹴る。大地の楔から解き放たれ、宙に舞う体の眼下には広がる針の山。

 恐怖を押し殺してバランスを保つことだけを考える。勢い良く飛び出した体はやがて三メートル、四メートルを越えて徐々に失速を始めた。

 五メートル、六メートルを越えるか越えないかでみるみる内に失速、落ちて行く高度。

 力を入れ奥歯を噛み締め、手を伸ばす。


「っ!」


 ギリギリの地点で対岸の縁を掴むことに成功した。

 ドクドクと緊張で脈打つ心臓の鼓動を感じながら、普段なら考えられない膂力を発揮して体を引き上げる。

 額から流れおちる汗を拭い、時計を見た。宙に居る間はとても長く感じたが、先程から五分も経過していない。


「……ふぅ」


 ともすれば震えそうになる膝を叱咤する。ここに来てガタガタ震えているだけなら、家の布団に包まっている方がマシだ。

 レティシアを取り返す為に来たのだから、立ち止まっている暇はただの少しも存在しない。

 唇を引き締め、走る。今は少しの時間も惜しい。







「……遂にここまでやってまいりました」


 ひたすらダウナーで、一つも突っ込み所の無い道筋だった。

 あれから後に傾斜九十度の壁を飛び越えたり。1.5tと書かれた扉を押し開いたり。

 部屋に入った瞬間扉がロックされ、カラコロと手榴弾が転がってくるギミックでは全力越え疾走で反対側の扉まで逃げ込んだり。


 それら色々な試練を乗り越えて今ここに居る。

 流石に手榴弾が出てきた時は焦った。服の端が吹き飛んだしな。

 立ち止まっていれば死んでいただろう、確実に。

 本当に馬鹿げた話だ。ここは日本なのにな。

 頭を振り、視線を上げる。


「史上最大最高空前絶後にして並ぶ者無しの知略策略陰謀闇討上等ラスボス永久凍土的な必殺技を持つであろう俺の間」


 数メートル先には如何にも、と言った感じに金色銀色で装飾された観音開きの大きな扉。

 その上にはふざけているのかと言いたい位長い一枚のプレート。

 右手を見れば。


「控え室」


 やる気のないシンプルな一枚扉の上には、短く書かれた言葉。

 何が控えているのか知らないが、今さら控え室に用は無い。ずっと控えたままで居て下さい。


 ゴミゴミと色んなガラクタで散らかっている部屋の中を、ラスボスの間目指して移動する。

 時間は残り五分ほどしか無い。


「おおっと! 待って貰おうかい!?」


「スゲェ! パネェ! ここで登場するとかマジクールだぜ兄ちゃん!」


「……」


 自称魔王俺命名青鬼ハゲ宇宙人の居るであろう所まで後少し。


「おい無視すんじゃねぇ! テメェの舌ぁ引っこぬいておきゅばはぁんぬぐるらぁ!?」


「マジパネェよ兄ちゃん! 難し過ぎて何言ってるか俺には分んないよ!」


「……」


 ……っち、邪魔だなこのコンクリートブロック。

 何で大型車のタイヤ積んでるんだよ。冷蔵庫も。


「いいか良く聞け! 俺様ぁ地元じゃ知らねぇ奴のいねぇワルだ! テメェに恨みはねぇが、潔くここで主人公の俺に敗れて散っちまえクラァ!」


「パネェーーー! 悪!? 悪悪じゃんよ兄ちゃん!」


「おうよ悪悪だ! 分ったらテメェ黙ってねぇ」


「煩い黙れ」


「のぉ!?」


 イラッ☆と来た。なので手元にあったコンクリートブロックを豪速で投げつけてやった。

 残念なことに当たっては居ないようだ。後悔はしていない。

 やはり怒りを感じているとリミッターを外し易いようだ。


「っぶねぇだろぉがクラァ!」


「う・る・せぇんだよギャアギャア囀ってんじゃねぇこのクソ餓鬼が! 耳の穴から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうかこのボケが!!」


「……」


 振り向きざまの俺の顔は、多分今悪鬼の如く七変化中だろう。

 レティシアがかかっているこの状況下で、脳内お花畑の相手をしている暇は一ミリもないのだ。

 ギラギラと睨み付ける先、ダボダボのスーツをだらしなく着崩したどう見ても少年な二人は驚いた様に目を見開き、次いで真っ青になって震えだす。


「て、テメェ……ひぃぃ!」


「に、兄ちゃひぃぃ!」


 ひぃひぃ煩い奴らめ。あ、コンクリートブロックをまだ投げているからか。

 当たらない様に適当狙いだが、まぁ当たると普通に死ねるだろうから怖いのも無理はない。さっさと俺の視界から消えてくれ少年たちよ。

 これまでの行程で、俺のイライラはずっとピーク状態を維持しているのだ。日本経済並の低迷っぷりなのである。


 一刻も早くレティシア連れ帰ってふざけたハゲ男を殴り飛ばして、家に帰って寝たい。

 ガラクタが邪魔だ。涙目になってへたり込む少年を確認して投コンクリを止めて順調に蹴散らしながら扉に近づく。


「おい」


 またかよ。扉に手をかけようとした所で違う男の声が掛かり、仕方なしに振りかえ


「死ねよ」


 ――らず、咄嗟に右側に体を投げ打つ。

 しかし僅かに間に合わない。左肩を掠って突き抜けて行く灼熱感。痛み。衝撃。火薬の匂い。

 漠然と直感する。銃だ。


 転がっていればガラクタに紛れてこちらの様子は分らないだろう。

 痛みに呻きそうになるのを歯を食いしばることで我慢する。痛い。

 咄嗟に銃弾が掠めた所を手で押さえ、見る。

 丈夫だが、安物の半袖Tシャツの袖が一部分だけ血で汚れている。幸い、銃弾は掠めただけのようだ。

 表面の肉が少し抉られて血が出ているが重症ではない、と思う。

 そうやって傷口を見分する俺に、再度銃弾が襲いかかった。今俺が隠れているガラクタを破壊してやると言わんばかりに鉛玉が撃ち込まれる。


「ハハハハハハ! 楽しいなぁ銃を撃つのは! アハハハハハハハハ!」


「あー、テステス。マイクのテスト中ー。三丈太郎君、ここまで辿り着いたことに敬意を表して、プラス五分オマケしてやろう。その男はちょっと特殊な性癖の持ち主なので難易度が高いが、頑張って最後の試練を乗り越えてくれたまえ」


 じっとりと浮かぶ脂汗。吐く息は痛みを堪える為の熱い物だ。

 馬鹿の様に次々撃ち込まれる銃弾によって身動き出来ない俺を、嘲る様な男の声。スピーカーから流れるハゲの声だ。

 間違って扉に打ち込まれた銃弾に当たって死ね! 毒づき、ひとまず身を起こす。

 慎重に体勢を整えながら、とりあえず弾切れを待つ。

 銃なら弾切れがあるはずだ。

 それにしても、順応が速過ぎると思わないでもない。脳みその中でアドレナリン他各種脳内麻薬がどばどば出ているのだろうか。

 スーパーマッスルの使いすぎでハイになっているのかもしれない。今この状況を切り抜けられるのならば何でも良い。


 しかし、弾幕とでも言うべき銃撃は一向に終わりを見せない。

 物影をこっそりと移動し、見つからない様に気を払いながら襲撃者の姿を見る。


「アハハハハハ! 弾は一杯あるからな! おいお前、さっさと弾交換して銃寄越せ!」


 最悪だ。

 無個性なスーツに身を包んだ男は、傍らに先ほどガタガタ煩かった少年らを置き、ついでに装弾してあるであろう大量のマガジンも置いている。

 両手でしっかりとホールドした自動拳銃が取り換えられるのが見える。少年の手に一丁、男の手に一丁。

 男は一丁を撃っている間に、少年を使ってもう一丁の銃に弾込めをさせて延々撃ち続けているのだ。高笑いで。

 嫌過ぎる。


「……待ちだな。ごくろーさん……って訳にもいかないか」


 呟く。興奮し過ぎて鼻血を出している様な狂った男だ。碌に狙いも付けていまい。

 自動拳銃だしその内ジャムる。というか腕とかが限界を迎えて、引き金を引けなくなるだろう。何せ馬鹿撃ちだ。


 しかしこのまま只待つのはよろしくない。狙いは適当でも、兆弾は危ないし、さっさと片をつけてレティシアの無事を確認したい。

 周辺に転がっているガラクタの中から一つ手頃な物をチョイスし、掴む。

 俺には喧嘩の経験は無い。殺し殺される血みどろの争いなんかもやったことが無い。格闘技なんてテレビで見る程度の、ごく普通の人間だ。

 しかしスーパーマッスルならそれはそれ、らしい戦い方が有る筈だ。

 原始的? 投石は立派な武器だよ、誉め言葉をありがとう。


「せー、の!」


「早く! 早く早く早く! イミディエイトリィ! 銃を寄越せよクソ餓鬼が!」


「うう、何でこんな目、に……? うひぃぃ!」


「兄ちゃん!? って冷蔵庫ぉ!?」


 そうです冷蔵庫です。所詮拳銃だ。唸りを上げて飛んでくる大型冷蔵庫など撃ち落せまい。

 質量が違うのだ。拳銃は、空を裂いて飛んでくる大型冷蔵庫を破壊する為に生まれた訳では無い。


「うご!」


「ぶひ!」


「パネェ!」


 ……また詰まらぬ物を以下略。

 狙い通り飛んで行った冷蔵庫は弾込めをしていた少年二人に衝突、ついでに銃を乱射していた脳内トリップ野郎を巻き込み大破。

 騒々しい音を立てながら吹き飛んで行った。

 音が途絶えたのを確認して、そっと相手の様子を窺う。どうやら上手いこと気絶しているらしい。

 安堵の息を吐く。

 一応、転がっていた拳銃二丁はガラクタがごちゃごちゃと積み重なる一角に蹴り込んでおく。これで咄嗟には取り出せまい。

 ついでに男の服を破いて包帯代わりに腕に巻き付けた。とりあえずの応急処置である。


 ふんと鼻を鳴らして向き直る。オマケとやらのお陰で、ギリギリ制限時間は残っている。

 今度こそ青鬼とご対面だ。余程頑丈な造りになっているのか、あれ程銃弾を撃ち込まれた扉はほとんど傷ついていない。

 気を落ち着ける様に深呼吸し、扉に手を掛ける。左肩が痛むのに顔をしかめながら勢い良く取っ手を引いた。

 あそこまで人を馬鹿にするのが好きな奴が、扉を開けた瞬間ズドン、なんて面白く無い手を打つ筈が無い。

 やるなら、レティシアを見せて、助けることの出来る可能性を提示しておいてからその手段を潰す位のことはする筈だ。そういう陰険な野郎に違いない。


 扉の向こうから唐突に溢れる光。

 激しい光が目を灼いた。





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