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第十五話 ロマンティック・アパカー。





「……俺、これが終わったら巨大掲示板でスレ立てするんだ。タイトルは『俺んちにデブと女王様と変態が居るんですが……』」


「叩かれるのが落ちですわね……女王? 女王って誰のことですの? ねぇ何でお兄さまは視線を逸らして口笛吹いてるんですの!?」


「撫子ちゃん、そういうのは大人の事情なのよ」


「若者よぅ、悩め悩め! それが明日への露出に繋がるのだよ! ふは!」


「黙れチビ。モヒカン。露出変態。脳無し。中年」


「ち、直接的な表現が胸に突き刺さるよ御嬢さん……! 僕の扱いが酷いね!?」


 さて何でだろうネー。変態は撫子に踏まれてると良いよ。

 狭苦しい六畳一間に俺と撫子とデブと変態の四人。どうスペースを有効活用しても狭いものは狭い。


 というか暑い。狭暑苦しい。



 匠にリフォームして貰わなければ無理だ。まぁ、何ということでしょう、こんな所にも匠の技が光ります……程度の広さもないからダメか。

 デッドスペースを活用する前に、俺が大家さんにデッドされてしまう。

 少々お年を召している大家さんに初挨拶に行った時、「貴様……ヒロヒホっ! シャァァ!」とか言って模造刀を振り回されたのは良い笑い話だ。


 当時の俺には少しも笑えなかったがな。ちなみにヒロヒホという日本人にあるまじき単語は、上手く発音できなかったヒロヒコ(孫)の名前らしい。

 じいちゃんに一体何したんだ、まだ見ぬヒロヒホよ。


「とりあえず窓、全開にしとこう」


 半端に開けていた、ボロいベランダへと続くボロ窓を全開。立て付けが悪いためガタガタと煩いがそれはこの際仕方がない。

 この部屋に越してきた時からそうだし、掃除とか小まめにしても効果無しだったのだ。


 中天から少し外れた所に掛かっていたお日さまは、今はもう西の地平線に沈みこもうとしている。


 ここから見える世界は等しくオレンジ色。

 肌に感じる風の温度は、昼間より僅かに低い。




 時間は、刻々と流れている。










ロマンティック・アパカー










「どうしたもんかね……」


 何分狭い。ので誰かが何か喋れば、等分にここに居る全員に言葉が伝わってしまう。

 あれから数時間、ゆっくりとビデオの内容を噛み締めていた各自は今、つらつらと話し合いをしている真っ最中。


「……お兄さまが狙われるのに心当たりのある方は?」


 主に撫子が問題提起と進行。


「いやぁ、何せ僕は末端だからね。アジトに居る時はいつも、半裸で一人社交ダンスを踊っていたからよく分らないよ」


「死んで下さいまし。――久美子先生は?」


「え、今さらっと凄いこと」


「やっぱり……さっきも説明した体質じゃない?」


「……」


 変態は役に立たず。久美子先生は特に今のところ手がかりなし。俺は一人で黙考。

 時間ばかりが経過して、未だ何一つ良い意見など出ていない。

 分かったのは、俺が実はスーパー筋肉の持ち主だということだけ。久美子はそれを、スキンヘッドの男から伝え聞いたらしい。何だその驚き設定。

 だからレティシアを誘拐した奴について見覚えがあったとか。

 奇しくもレティシアの言っていた“ありえない筋繊維”というアホな言葉が実証されてしまったようだ。

 当の本人的には全くそんな感じはしないんだけどね。


「……分からないことばかりですわね。目的も見えませんし……とにかく今の所、お兄さまが明日、彼らに従うのかそうでないのかが問題ですの」


「詰まる所、それなんだよなぁ」


 溜息を吐く。ちらと窓の外に目をやった。

 夕刻に開け放った窓の外は既に暗く、僅かな街灯と星と月の明かりだけがそこに漂っている。


 ――くぅ。


「もう夜……ん? 今何か聞こえたよね? よね?」


「……」


 何かえらく可愛らしい音が聞こえた。

 もしかしてこれ。


「お腹の音、か?」


「……っ!」


 おう、撫子が耳と言わず首と言わず、熟れ熟れトマトの情熱色に大変身。


「ぷぷ、お腹空いたからご飯にしよけー」


「……お、お手伝い致しますわ」


「ぷぷ」


「お腹空いたわねぇ」


「フォーーーーーゥ! 僕も腹ペコリンリン★だよ!」


 うわぁ凄いフォロー空間。お間抜けな展開に、誰ともなしに笑みが漏れる。

 俺はニヤニヤ、撫子は真赤なまま、独身は柔らかく、変態は激しくどうでも良い。


「うぷぷ。くぅーーだって、可愛いどぅっ!!」


 鳩尾にめり込む肘。しっかりと踏み込んで放たれたそれが無情に俺の体力を削る。

 立ち上がりかけた膝が落ちた。さっと顔が青ざめるのが分かる。


 あ、足技に加えて肘とは……!


「……何か言いまして!?」


「な、何でも、御座いまぜん゛」


 く……い、胃酸が込み上がって来るぜ。鳩尾に肘はリアルな危険が……。


「……何だか僕、君に親近感得ちゃったよ。ほら苦しくない苦しくない!」


 のそのそと近づいて来た小さいおっさんが俺の背を摩る。いいからモヒカンをバタバタさせるんじゃない。

 後お前コロンなんか付けてるんじゃねぇよ。


「だ、大丈夫」


 丸見えの肌に浮いた汗が嫌すぎる。おっさんの手を払って今度こそ立ち上がる。痣になってなきゃ良いが。

 そうだ飯を作らなければ。口にゴムを食み、髪を纏めて台所に立つ妹の所まで歩み寄る。


「今日のご飯は何な訳なのよ? ……あ! アイス買ってないわ!」


 知るか。


「僕はビィィィィィフシッテュゥゥゥ! が! 良いね! 凄く美味しいね!」


 ダマレ。否死ね。

 というか、四人分の食料あったっけか? 今日は買出しに行く日だったんだが。と、撫子と一緒に冷蔵庫を覗きこむ。


「んー……と」


 眉根を寄せ、むむむと口をへの字にひん曲げた撫子が唸る。

 無いのである。

 見事に肉も野菜も魚も無い。


 もう米? 銀シャリだけでいっちゃうのか?


「どうすべか。……あ! あれがあるじゃないですか。えー、安かったから買い込んでたブツが確かここに……」


 棚をごそごそと漁り、目的のブツを掴みだす。

 手に持ったそれを頭上に掲げた。

 ぺっけぺー。


「じゃじゃーん! 金無い時の俺らの味方! SU☆ME☆NN様」


「じゃあお鍋、用意しますわね」


 撫子は特にリアクションを返すことなく鍋に水を張る。

 俺は猛烈に投身自殺したくなって麺をそっと台所に置いた。

 冷たいコメントより、スルーの方が心に痛いと思い知る二十歳の夏。


「……えふん。じゃあ俺はネギ切ったりするから、麺を頼みます……」


「わかりましたわ」


 屈みこんで火加減を見ている妹。

 その隣で、俺はまな板の上に生姜とねぎを並べる。

 包丁でつっかえながらもネギを細切れに。生姜をすり下ろして、その良い匂いにお腹を鳴らしつつ麺つゆと刻み海苔を取り出した。

 いつも使っているお茶わん三つ。と、器が足りないのでご飯茶碗一つ。

 麺つゆを適当に注ぎ、だらしなく転がっている久美子を足でどけつつテーブルに並べる。

 薬味は纏めて小皿に盛り、箸は足りないので割り箸を使うことにした。


 一度テーブルに戻り、それらを並べて戻ると丁度、麺を茹で上げた撫子がお湯を捨てる所だ。

 一度ざるを使って水に晒してうどんを冷やし、水分をきってから豪快にそのままボウルに乗せる。

 冷たさが足りないなぁと思ったので、氷を数個ざるの中に落とした。ざるの下にボウルがあるので水が漏れる心配はない。

 コップに麦茶を注ぎ、撫子と協力して食卓に並べた。


「おいドグサレ共、飯の時間です」


「ごふぁぁぁぁぁ」


「ひゅぉぉぉぉぉ」


「……起きて下さいまし!」


 べしん! べしん! 撫子の平手がこの短時間で寝に入っていた二人の額に炸裂。

 コメントし辛い欠伸を漏らしながら起き上がる。

 何か凄い見ちゃいけない物を見ている気分になるのは何故だろう。

 勢いを付け、高速で手を伸ばす。


「痛い! な、何で殴るんだね!? 僕は男に殴られても性的に興奮しないのだよ!?」


 知るか変態め。堂々とベッドで寝るな。

 枕を抱えて頬を緩ませるモヒカンのオヤジの姿は間違いなく有害指定画像である。検閲が入るに相応しいキモさだ。

 思わずぐーでパンチを入れた俺を咎めることが出来る者はいまい。ぐー。


「肉肉肉肉刺身肉〜♪ ……って麺!? 素麺だわこれ!?」


「もう! 静かにして下さいまし!」


「イグザクトリィ! 嫌ならご飯抜きですからねー!」


 ぎゃいのぎゃいの騒ぐ変態二匹とそれを叱る撫子を制し、皆でひとまず手を合わせた。

 長方形のテーブルに対し、席順は俺、隣に撫子、正面に脂肪遊戯、斜向かいにモヒカンだ。

 何と潤いと常識の無い光景か。


「いいか? はいお手てを合わせましょー」


「「「頂きます」」」


「いただフォーーーウ!」


 俺は無言で席を立つ。拳を握り締めた所で撫子が華麗に宙を飛んだ。

 うどんやらを乗せたテーブルに片手をついて床を蹴る。一瞬でテーブルを飛び越え、勢い良く振り抜かれるのは可愛らしい膝小僧。

 唸りを上げて空を切るその脚線が――


「くぽ!!」


 首筋に対して横から、頸椎を刈り取るように打ち込まれた。角度的に見事なシャイニングウィザードがモヒカンの体を吹き飛ばす。

 唾をまき散らしながらベランダの方へと消えて行ったソイツとは対照的に、撫子は奇麗に着地をした。


「……」


 沈黙のままベランダに通じる窓を閉め、ついでに鍵もしっかり締める。更にシャッとカーテンも閉め切った。

 振り返ったその米噛みに青筋が立っている。


「……悪は滅びましたわ。さぁ、頂きましょう」


「うん」


「……そ、そうね」


 超怖いけど良くやった! アイ・コンタクトで褒め言葉を送ると、つんと顎を逸らして得意げに返される。


 何やら窓を叩く音が聞こえないでもないが、きっと幻聴だ。変態の相手は気力体力共に使うからな。

 眉間を揉みほぐす。


 折角のご飯時にネタに走る奴は我が家に不要です。


「あらこの薬味、美味しいわ」


「お隣さんのおすそわけです。何でも実家の方でも美味しいと評判な生姜なんだとか」


「うどんの茹で具合も丁度良い見たいですわね」


「撫子の腕が良いから」


「もう! お兄さまったら」


「はははは」


 そんな和やかな遣り取りを挟みつつもうどんを完食。

 覗きこんだざるの中には小さな麺の一欠片も残ってない。掃除機の如きバキュームで三十路一歩前が掻き込んだからだ。


 ……結構な量を湯がいたはずなのだが……まぁボンテージを内側から張り裂かんばかりに満ち満ちる白い肌を見れば納得できる。

 一食でこれだけ食えばそりゃあぶくぶくぶくぶく、デブること必至。


「あ゛−−喰ったわ。喰らったわコレ! 後片付けは私がやるから、アンタ達は休んでなさい」


「あい」


 白衣を脱いでボンテージだけの邪悪な姿に変身した久美子がお肉を揺らして立ち上がり、脂肪を震わせて流しへ消えていく。

 破壊力抜群の光景から目を逸らした俺は有り難い申し出を受け取り膨れたお腹を抱えて寝転がった。

 天上からつり下がる蛍光灯の白い光をぼやっと見つめる。

 お腹が空いていては良い案が出ないな、と思っていたが、お腹が満ちても良い案は出ない。

 流しの方から聞こえてくる水の音をBGMに、ふとそんなことを思った。

 明日の朝九時までに、レティシアを見捨てるかどうか決めないといけない。馬鹿げた話だ。何だそれは。俺にどうしろと言うんだ。


 俺は半ば現実逃避気味にゆっくりと瞼を下ろす。


「……お兄さま」


「なぁにー」


「……レティシアが居ないこと、で、何か問題はあるんですの?」


 目を開く。隣で同じ様に寝転がって伏し目がちに、躊躇を挟み込みつつ声を上げた撫子に顔を向けた。

 戸惑いをたっぷりと振りかけた声音は、流れる水の音にかき消されそうな程小さく力無い。


 これまで誰も発言しなかった内容だ。俺も、多分久美子も考えついていながら言葉にはしなかった言葉。

 それを敢えて口にした妹に、何を言えば良いのだろうか。

 しかし俺の口は意思を無視して勝手に動き、意味を為さない音の羅列を吐き出した。


「それは……」


「撫子は! そんな危ないことに首を突っ込んでお兄さまに傷ついて欲しくありませんの! だから……」


「……うん」


 言いたいことは分かる。

 独身の話に寄ると、拳銃っぽい物を持っていた奴が居たらしいし、そもそも白昼堂々誘拐なぞして脅迫のビデオを送ってくる様な奴らだ。

 義理とか人情とか馴れ合いとかを纏めてひっくるめて切り捨ててしまえば。


 俺の中にはレティシアのことを忘れて、このまま平和に暮らしていたいという希望がある。


 危険な目になぞ会いたくない。

 俺は愛と勇気に溢れた物語の主人公ではないのだ。

 殴られれば傷つくし、もしも拳銃なんかで撃たれたら呆気なく死んでしまうだろう。

 おおゆうしゃよ、死んでしまうとはなさけない、と復活させてくれる王様も居やしない。

 いっそセーブ出来ればいいのだが俺の人生にセーブポイントなんて便利なモンはない。

 格闘技どころか喧嘩も殆どしたことが無い様な男に何が出来る?

 誰だって我が身が一番可愛い。


 水の音が途切れたのに気がついた。

 首を横に倒すと、そこにはこちらに背を向けタオルで手を拭く独身の姿。動きに合わせて、はみ出たお尻の肉がふるふると揺れる。


「……是非モザイクが欲しい所ですな……」


「……二段腹で挟み殺すわよ。ちょっとシャワー借りるわ。そうね、一時間位かかるかもね」


 だから何話してても聞こえないわ。呟き、返事を聞くこともないまま久美子は浴室へと消えて行った。

 揺れる腰回りの脂肪に含まれた不器用な優しさを感じ取って、心の中で礼の言葉を呟く。


 俺は再び蛍光灯に視線を戻し、目を瞑った。

 頬には撫子の強い視線が注がれている。それを熱として感じながら、胸の内で渦巻くどろどろをそのまま唇に乗せた。


「レティシアは……まぁ突然現れて押しかけて来たからな。生活費は入れてたけど、家事は一切手伝わないしムキムキで心臓に悪いしベッド取られるし家は狭くなるしロリ巨乳お姉さんの画像とか集めらんないし筋トレさせられるし物は増えるしたびたび攻撃されるし……」


「……そ、そう羅列されると」


 困ったような撫子の声。


「……いやはや歩くデメリットみたいな奴だな。魔法とか訳わかんねぇし」


「否定はしませんわ……」


 そう言って苦笑する気配。

 しかし気付かないふりにも限度があった。先ほどからずっと、撫子の声は震えている。

 何だかんだでレティシアと一番仲の良かった彼女が、友人を切り捨てる様な言葉を口にするのにどれだけの勇気を要したのか俺には分からない。

 分かるはずが無いのだ。


 震災で家族を亡くし。

 その容姿のせいで碌に友達も作れずいじめられ。

 芸能界で成功した後もやっぱり周囲の期待や下心、やっかみのせいで友人を作れず。

 今になってやっと手に入れたであろう友人なのに。


「何か訳わっかんないすわー……今朝まで元気にプロテイン飲んでた奴が誘拐? で助けたいなら俺が来い? これ何てエロゲ?」


「お兄さま……」


「撫子は、レティシアが居なくなった方が良いか?」


 意地の悪い問いかけだ。空気に溶け込んだ俺の言葉は、自分が思っていたよりずっと冷たく響いた。


「お兄さま……っ!」


 音を立てて頬を張られる。次いで衝撃。熱くて柔らかくて小さな物が圧し掛かる感触にようやく目を開いた。

 乱暴に掴まれた肩も引っ叩かれた頬も妹が乗っかっている腹も全部熱い。


 何より、顔中に止め処なく降り注ぐ雫が一番熱い。


「ふ……っ! ……っく!」


 抑えきれない激情を堪えるように顔を歪ませ、黒曜石の瞳一杯に涙を溜めた撫子の顔。

 悩んだのだろう、きっと。兄か友人か。

 縛ったままの墨色の髪の毛が滑り落ちて頬を掠めた。


「な、撫子は……あの子を見捨てたいなんて、そんな、そんな訳……!」


 いやはや馬鹿だなぁ俺。

 ゆっくりと手を伸ばして撫子の涙を拭う。Sっけはあれど優しい撫子が、友達が居なくなることを望む訳ないのだ。

 そんなことは、ずっと共に居た俺が一番分かっている筈なのに。


「うん。ごめん。分ってる」


「分ってない!!」


 叫び。魂削るかのように押しだされたソレが部屋を揺らす。


「撫子は、レティシアが大切な友達で! でも――でも!」


 流れ落ちる涙もそのままに、レティシアは強い視線で俺の瞳を覗き込んできた。

 濁流の様にうねる激情を直接叩きつけられる様な感覚に知らず、ごくりと唾を飲み干した。


「でも撫子は、私は――お兄ちゃんが好きなの! 私をずっと、何度も助けてくれたお兄ちゃんが好きだから! でもあの子も大切でっ! お兄ちゃんには怪我なんてして欲しくなくて! だから、でも……」


「……あー」


 気の抜けた声が喉から漏れる。

 パニックだ。

 じっくりと時間を掛けて浸透してくる文章がガツンガツンと脳を揺さぶる。

 途端に視界がぼやぼやと揺らぎ、撫子の姿だけ鮮明になる。


 ん!?

 え? なにナニ何の話!? 急展開!?


「は? ぅえ? 何の、え、えぇ!?」


「……ぐすっ」


 あ、ヤバイヤバイ何がヤバイって俺を好きって何それプリン好きの好きなのかイヤこのタイミングでそれは鬼畜過ぎるだろjkじゃなくて。

 ああああ妹よお兄ちゃんの胸元に顔を埋めちゃらめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!

 な、何か喋らなくては!


「くぁせdrftgyふじこlp!!」


 駄目だ! 日本語にならぬ!


「ぐす……うぐ……むむむ」


「と、ととととと兎に角!? 離れて頂けないで、しょ、しょうか!?」


 うわやべぇ声が上ずる。

 この、このミッションは彼女いない歴=年齢をひたすらに守り抜いてきた俺にはハードルが高すぎる。


「……や!」


「ぬぐ!」


 一度涙目の上目遣いで俺を睨み付けた撫子は余計がっしりと抱きつ……ああそうです認めよう俺は今義妹に抱き付かれています!

 ややややめやめ頭をグリグリ擦りつけないで匂いを嗅がないで満足そうに息吐かないで……!


「い、妹よ……兄のたってのお願いだよ離してお・く・れ! あ、兄は行かねばならぬのだ!」


「やー! どうせ部屋から出れないもの!」


 べっとりと糊の如く張り付いた妹が離れてくれない。

 仮に誰かに知られたら、ぺっと唾を吐かれて親指を地面に向けられること必至の事態である。


「行かせて下され! 行かせて下されー!」


「行かせませぬ! 行かせませぬー!」


 後から思い返すと顔を押さえて床を転げまわり恥ずかしさが恥死レベルに達するであろう遣り取りを交わす。

 ドタバタ暴れていると、不意に涙目のままの撫子が片腕だけ離して振りかぶった。

 助かった!


 とにかくまずは離れないとこう、色々何ていうかこう、あぁんメーデー! 俺の体がサンバースト!


「よぅーしそのまま落ち着いてまずはお兄ちゃんから手をぶふぉーー!!」


「っこの馬鹿兄! 馬鹿兄! バカバカバーーカ! つい口走っちゃったけどこ、こく、告はきゅ、告白したのになんで避けようとするわけ信じらんないんですけど何考えてるんですの答えとかないのかよぅ!? うわああああああ!」


「ちょ、れぶっ、れ、連打はお止しになってくぼは!? ぬぁぁああぁ!」


 痛い! 超痛い痛すー!

 振り上げ振り下ろし振り上げ振り下ろし振り上げ……残像を残しつつ高速で上下する撫子のぐーが俺を強かに打ち据える。

 狙っているのかいないのか、奇しくも全弾顔面に命中をぶふぅ。

 体重こそ乗っていないが、手首のスナップを利かせているのか凄く痛い。

 片腕は抱きしめられたまま動かせないので、何とかもう片方の腕で驚異の連打をガードする。

 あれだ。速度は多分マジカル・ジャブに等しい。


「言葉遣いがごっちゃになってませんかおぜうさま!?」


「うるさい黙れ返事を言えぇぇぇぇぇ! やや内角を狙い抉りこむように打つべし打つべし打つべし!」


「痛、痛い痛い! チクショー無茶言うなぁぁぁぁ!」


 俺の本棚に明日の○ョーが並んでるせいか! そうなのかコアな奴め!


「ああもう撃ち方やめーーー!!」


「わぷ!」


 俺は兎にも角にも痛みとか未曾有の大混乱とかから抜け出すために腕に力を込めた。

 少々乱暴ながらも両手を使えるように抱きしめられた状態から脱出し、逆に抱えるように拘束。

 胸元に顔面を突っ込んで小動物じみた悲鳴を上げる撫子をぎゅうと押さえつける。

 よしこれでパンチから逃げだせた!


「むぅ、むぐ……な、何するんですの!? く、苦しいで、す、わ……」


「……あれ!?」


 打ったのか、小さな鼻の頭を赤く染めた撫子が顔を上げる。何故か小さく萎んでいく語尾に首を傾げ、俺は気付いてしまった。

 ……逃げてない。逃げてないぞコレ! むしろアレだ、何だか俺の上に乗っかって足を絡ませた撫子を俺が全力で抱きしめゲフンゲフン!


「ふ、ファンの方々ごべんばはいー!」


 あ、あ、鼻血出そう。


 ふにゅふにゅと力が抜けて茹でダコそっくりの物まね芸を披露する撫子を慎重に隣にキャッチアンドリリース、自分は反対側にゴロンと半回転。

 うつ伏せになって般若心経を必死に唱える。妹は貧乳。妹は貧乳。妹は貧乳。じゃなくて。


「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦……」


 高校の時、校則違反で反省文十枚書けと言われた時に死ぬほど細かい字で般若心経を写経しまくったので未だ頭に残っている。

 約二百六十字が延々とリピートされる反省文。唖然とした生活指導の表情が痛快だった。そしてそれは武勇伝になっているらしい。


「Be cool、もちつけ、いや餅をついてどうすんだ俺。Be cool……ふぅ」


 よーしよし良いぞ、良いぞ良いぞその調子! このまま冷静な思考を取り戻すんだ。


「……うむ」


 何かそんな感じ。

 冷静になると、今俺がどれだけキモかったかとかちゃんと答えろよとか、色々なことに気付いてしまう。

 恥死だ。


「いやああああああぁぁん」


 とりあえず両掌で顔を抑え、ごろごろと床を転がり回ることにする。

 ばたこんばたこん足を振り体を捻りのたうち回っていると。


「……な、何やってるんですの!」


「ぐふっ」


 互いに寝転んだまま、げしりと蹴りつけられて俺の身悶えターンが強制終了。それでも体が離れたおかげで大分冷静になれている。

 はずだ。


「……で? どうするんですの」


 ぷい! と音が出そうな位の勢いで顔を背けた撫子がぼそりと呟く。

 やっぱりアレは本人も恥ずかしかったのか。

 頬に朱を刷いたまま、それでもその黒曜石の瞳に抑えきれない揺らぎを見てしまった俺は。


「行く」


「……そう、ですの」


 ――脳裏にチラつく暑苦しい馬鹿笑顔を思い起こしてしまった。

 それ故か、すとんと気持ちが落ち着いてしまう。


「多分もしかしたら万が一いやいや億が一の確率ではあるものの、俺はレティシアのことが好きなのかも知れん。あの筋肉娘が死ぬとか訳わかんねぇし。でも正直、いきなし告白されて気が動転した。撫子はやわっこくて良い匂いがしてドキドキもした。でもまだお前は妹で、だけど大切なヒトでもある」


 我ながら酷い奴だ。


「……酷い人。いっそ、奇麗に振ってくださる方がよろしいのに」


 苦笑する。その通りだと思う。


「はっきりしないのは、アレだ。まだ俺自身良く分ってないからだ。行く決心はついたけど、じゃあレティシアが好き好き大好き愛してるーで助けに行きたいのかって言うと、何だか違うような気もする。撫子の姿にグラついたしな」


「グラついたんですの?」


「……まぁ。威力が高かったからな」


 手をついて身を起こす。

 落ち着いてはいるが、頭の中にはぐるぐると色んな理由が巡っている。


「色々、色々理由はあるけど悩んでたって仕方無いし。やらなくて後悔するのは分ってるんだから、とりあえずやってから考えることにした」


 大丈夫だ。何せアレだ、スーパーマッスルらしいし。

 何かをやる時は第一動機、原初の衝動が重要なのだ。原動力は大切だ。


 妹を泣かせたくないから?

 レティシアが大切だから?

 違う、いや違わなくもないがそれだけじゃ何か青臭くてこっ恥ずかしい。そういう感じの青春夢ノートな理由は、若い世代に任せたい。

 ただ何となく、泣き寝入りは気に入らない。

 そう、これでいいのだ。これがいい。


 俺は俺の周りを含めて適当に馬鹿やって生きて行きたいのだ。こんな訳の分からんイベントで俺の日常をぶち壊されるなんて了承出来よう筈もない。

 レティシアが居ないと妹が泣く。俺も何かしっくり来ない。何より何かあの仮面野郎は気に食わん。

 OKこれだ。

 決めてしまうと、悩んでいたのが馬鹿らしくなった。思わず笑みがこみ上げてくる。

 簡単だ。シンプルなのは良いことだ。


「……無理は」


「ノンノン、無理は男の特権なのだ、妹よ。賢いやり方? 何それ美味しいの? 大体誘拐だの脅迫だの、人を馬鹿にしたやり口が気に入らん。勝手に誘拐されたレティシアもけしからん。是非とも連れ帰って説教かまして奴の嫌いなピーマン祭りを開催しようとすら思う」


「それは何か違う気が……」


 確かに。一理ある。肩をすくめてみせた。


「ま、大丈夫じゃね? 何か良くわからんけど、俺ってスーパーマッスルらしいし。レティシア引きずって案外平気な顔で帰ってくるって」


 安い気休めだが、こう言えばきっと撫子はこちらの意を汲んで笑ってくれるはず。

 俺の知っている妹ならば、きっと。


 果たして、撫子はにっこりと微笑み返して来た。その瞳に強く光が灯っている。いつもの澄ました強気顔だ。

 一先ず胸を撫で下ろす。胸の内には、等分の謝罪の念も渦巻いている。


「ふぅ、言いたいことはありますけど、今は勘弁しておいて差し上げますわ……でもお兄さま?」


「んん? ナンだいマイシスター」


 すす、と撫子がこちらに寄って来る。そっと肩に手を掛けられた。


「それと告白の返事を濁すのとでは、乙女的にはまた違うお話ですわ……!」


「ふお……!」


 がっちりと握られた両肩が音を立てているように痛い。握力何キロ何だろう、とか現実逃避をしてみる。

 だが目の前で、イイ感じに怒り笑いしている撫子の表情は変わらない。満面の笑みで目だけ笑ってないって何だそれ。

 ホラー!


「お・に・い・さ・ま……?」


「ひぃぃ食べないでー!」


 目を瞑りばっと腕を上げて顔を庇う。

 だが、予想に反してぽす、と軽い感触。


「……?」


「……せめてこれ位は受け止めやがれですわ」


「うむ?」


 痛くない。そっと目を開けて見下ろすと、撫子の頭の天辺が目に入る。胸元にしな垂れかかって顔を擦り付けるのだ。


「うにゅーん。ごろごろ」


「ね、猫の鳴きマネとはまた器用な」


 まぁあれだ。良く考えたら役得って言うかそうじゃなくて抱き付かれてるよさっきよりは冷静クールに行くんだ。ダンボールはどこだ。

 駄目だこりゃー。


 なので、半錯乱状態である俺の耳がそれを聞き付けたのは全く持って偶然である。

 それは僅かに床が軋む音。

 何か気を逸らす物が欲しくて顔をそちらへ向けたのは、半ば反射だった。

 顔が引き攣る。恐怖と驚きでびく! と大きく体が震える。


「うふふ……! うふふふふ青い果実……!」


「うひ……!?」


 怖! 久美子が台所に身を潜めるように隠れ、目だけこちらを向けているのだ。ぎょろりぎょろりと素早く動くお目目がグロテスク。

 じんわりと台所の暗がりに紛れるその姿は正に是化生そのもの。独身過ぎて世を儚んでついでに自棄食いして独身死した独身幽霊だ。

 濡れたままの亜麻色の髪から水滴が滴り落ちている。拭け。


「ホホホホホ気にしなくて良いのよ続けて! さぁ続けてご両人! 私のことは気にしないで好きなだけ! オホホ……オホ……そう、独身年増なんて放って置いて2人でいちゃつくが良いわ……!」


「な、撫子! あれ! あれ! あんなの兄ちゃん見たことないぞ!?」


「んにゃー……ってきゃあああああああああああ!?」


 バシバシと撫子の肩を叩いて久美子を指差す。甘えまくりモード(俺命名)全開だった撫子が久美子に気付き一瞬で飛び離れる。

 同時に何故か、撫子は腕を曲げて肘を引き、腰の捻りを加えながら固めた握りこぶしを撃ち出した。

 真赤に染まった黒髪美少女の腕は華麗な円弧を描いて空気を切り裂き――


「見ないでぇぇぇぇ!!」


「あ、っぱかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 俺の顎を撃ち抜く奇跡的威力の神速アッパーカットとして撃ち込まれた。

 何という理不尽。


 首が引っこ抜けそうな衝撃に引きずられて背後に吹っ飛ぶ。ベッドの端に強か後頭部を強打して、俺は声にならない悲鳴を上げた。

 今の俺の状態を数式で表すとこうなるだろうきっと。

 脳が揺れる+痛い=瀕死。


「ぉ、ぉぅ……! ぁぉう……!」


「オーッホホホホホホホホホ! カップルなんて許さないわ私個人的に! オホホ! 愉快! 愉快だわオーホホホホホ!」


 アシカかオットセイそっくりの奇声を上げて痙攣する俺。

 台所に潜みつつギラギラした瞳で高笑いを上げる久美子。

 頬を掌で押さえてクネクネと身を捩っている撫子。

 そう言えば延々ベランダで放置プレイ中のモヒカンオヤジ。


 狭苦しい空間、たったの六畳一間なのに、余りにもカオス極まりない状況である。


 脳が揺さぶられているので見える世界も揺れている。気持ち悪い。

 もう何かどうにでもなれと俺は目を閉じた。


 どっとはらい。








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