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第十四話 彼女の不在と新たなる変態。




「――太郎っ!!」


 遠慮の欠片もなしに開け放たれた玄関。

 驚いて振り返ると肩で息をし、汗だくながらも瞳だけを爛々と光らせた久美子女史(もうすぐ三十路)がそこに立っていた。

 最近流行りの対戦型格闘ゲームに義妹と興じていた俺は、言葉にならないその威圧感に圧され知らず唾を飲み込む。

 ぎりぎりと精一杯握りこまれた玄関のドアノブ。陽炎のように汗を呼気を揺らめかせるその姿。


「うわあ……」


 正直――余りにキモくて叫びそうになりました。



 のどかな午後の暇時間をブチ壊す、予想外の展開である。









彼女の不在と新たなる変態








「ど、どうしたんですか久美子先生」


「……っぜ、はぁ、はひ、はひ、ふぐむ!」


 突然の来客。息も絶え絶えに何か必死で話そうとする久美子の姿に掌を突き出し落ち着いてと伝える。

 訝しげに首を傾げている撫子の姿を目の端に置いたまま台所へ行き、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを一杯コップに注いだ。

 血走った眼でドアに縋りついたままの久美子にとりあえず水を手渡す。


「あ、ありがと」


 続けて二杯、三杯。喉を鳴らして流し込むように水を飲み終えた久美子は、零れた水を袖で拭いよろよろと家の中に上がりこむ。

 むん、と濃厚な汗の臭いが鼻をついた。

 久美子に手を貸しながらテーブルの所まで案内し、座ってもらう。

 一向に落ち着かない呼吸に苛立っているかのように奥歯を噛み締めているのが見て取れた。

 ……一体何の御用なんざましょ?

 こちらを見上げている撫子と目を合わせ、同時に首を傾げる。

 続けて同じタイミングで久美子の方を向いた。未だ炯々と激情が揺れる瞳もそのままに、強く手首を掴まれた。

 ぐ、と引き寄せられる。


 う! 汗と香水が混ざって……!


「……いい、良く、聞きなさい太郎、撫子ちゃん! ついさっき、アンタん所の筋肉娘が、浚われたわっ……!」


「え? はい? やだなぁ何言ってるんですかそんな汗掻いちゃって。ドッキリ? ドッキリ?」


 困惑は感じたまま言葉になった。

 あんな全身に無敵(戦いたいと思う者が居ない的な意味で)筋肉を身に装着した吃驚生命体を誘拐? あり得ないあり得ない。

 だってこの前五kgの米袋で豪快なお手玉してましたからねスーパーで。

 重たいし強いし見た目キモいし色気ゼロだし。誘拐するメリットが一つもない。いや、お金持ちだから身代金は取れるのか?


 そんなニュアンスを込めて久美子の目を覗きこむ。

 その通りだと笑うなり、アンタ少しは引っかかりなさいよバクテリア! とか逆切れするなりせず、彼女はただもぞりと手を動かした。

 付き出されたその掌には、少し平べったい布の紐。重力と重量に従って落ちて行くそのカーブを辿れば、見覚えのあるトートバッグが目に入る。

 久美子、撫子、バッグと順に見比べた。

 とりあえず本物なのか確かめよう。俺は手を伸ばす。


「……これ、レティシアのバッグですわね。どこで拾ったんですの?」


 手が届くよりも数瞬早く、撫子が久美子の手からバッグを引っ手繰る。

 ごそごそと繊手を突っ込んで取り出したのは、見覚えのある化粧ポーチ。ゴスゴスにデコレーションされた手帳。飴玉。プロテインの袋。


「うわぁ……プロテイン入ってるとか、間違いなくレティシアのですよ……」


 しかも裏にマジックで『れてぃしあ』と名前まで書いてある。どこの小学生なのか。

 色んな意味で気が遠くなった。


「このバッグがあの子の持ち物だって言うのは確かみたいですけど、久美子先生? ……貴女以前、私のお兄さまに襲いかかったとか。何考えてるんですの?」


 尖った声。風船位なら簡単に破裂出来そうな鋭さを孕んだ声音に顔を上げる。

 そう言えば襲われたんだっけ。

 余りにも日常が濃すぎてすっかり忘れてた。


 それに。


「……はぁ〜〜〜、面倒ねそこからなの? っていうか私、結構前に菓子折り持って詫び入れたわよブ太郎に」


 ゴロリ! 寝転んでだらしなく白衣をはだけ、見るに堪えない紫のボンテージと白いお肌を晒してくれやがる久美子。

 動きに合わせてぷるん、とお腹の贅沢肉が揺れる。

 露出過多な際どいボンテージで、ボンレスハムの如く拘束された生っ白いお肉が自己主張激しめに飛び出しているのだ。

 居たたまれない気持ちになって目を逸らした。ブタはお前だちくしょう。


「……本当ですの!? ちょっとコラ、目を逸らしてないで現実を見なさいお兄さま!」


「ひぶ!」


 鮮やかな軌道を描いて叩き込まれた足先が俺の側頭部に突き刺さる。

 俺はベッドの剥き出し木材の部分に全力で突っ込んだ。

 絶妙な角度だったせいで無茶苦茶痛い。

 言葉も出せずに悶え転がる。涙で滲んだ視界の端で、疲れた顔の久美子に呆れた視線で眺められているのが心に堪える……。


「ほ、本当です台所の棚にもらったお菓子がまだ入っております……!」


「それなら先に言えばよろしいのに! ……心配してたんですのに全く!?」


 理不尽! 俺は米噛みを手で押さえながら亀の如く丸まった。

 おみ足を振り上げた撫子の姿が目に入ったからでは決してない。


「……漫才は良いの漫才は。太郎!」


「お」


 すっかり息も落ち着いたらしい久美子にグワシ!と襟首を掴まれた。

 そのままガックンガックン揺さぶられる。

 ぷよぷよふにふに新感触な久美子の体が二十三重にブレて見える。


「緊張感とかないわけアンタは知り合いが誘拐されたのよ!?」


「おおお゛お゛お゛ぢづいでぇぇぇぇええ」


「落ち付いてるわよっ!」


「どっちが漫才ですの……」


「……ふん!」


 パタリ。気の抜けた音を立て力なく墜落した俺を、無言の床だけが優しく受け止めてくれる。

 ああ床、あいらぶゆー。


「で、本題に戻りますけれど、よろしいですの?」


「ええ」


「ヴぁー?」


 ぽふ、と頭を押さえられた。

 ぐったりと視線だけ上げると、真剣な表情で座り込む撫子の姿。


「レティシアが誘拐されたっていうのは本当ですの?」


「本当よ。マジよ。三十路かけるわよ」


「……賭けないで下さいそんなモノ」


「ぐ……三十路前の年齢を生かした笑えるジョークなのに……笑える……笑……笑えないわよ……!」


 何しに来たんだろう。二人の姿が見やすいようにごろりと回転する。

 手から遠のいたことで「あ……」と撫子から声が上がった気がするけど気のせいだ。

 妹に撫で撫でされるのは、お兄ちゃん恥ずかしくて堪らない。


「……もう。はいはい、笑えませんわ。で、あの子が誘拐されたとして、警察には連絡したんですの?」


「それなのよね……詳しいことはかくかくしかじかなんだけど、という訳で警察には連絡出来ない状況だったのよ。アンタ達の所に来る分には問題なさそうだったし、直接ここに連絡来るかもと思ったから走って来たのよ。お肉揺らして」


 撫子が俯いて眉間を押さえた。ほっそりとした白魚の様な指でそこを揉みほぐす。

 やや投げやりに溜息を落とし、顔を上げた。


「……真面目に話して下さい! 何がかくかくしかじかですか。何で警察に連絡出来なかったのか、そもそも何で先生が誘拐について知っているのか、全て一から十まで完全に説明して頂きますわ……!」


 常ではキラキラと光を反射して輝く黒曜石の瞳が据わっている。

 つ、と久美子の米噛みに煌く汗が一筋滑り下りて行った。


「は、はい……」


 割りかし傍若無人な独身(29+α)を恐れさせるとは。

 我が妹ながら何でこんなに逞しくなってしまったんだろう。

 寝転んだまま首を捻る。それにしても。


「誘拐か……」


 想像付かないな。





「……そういう経緯でしたの」


「なるホロ」


 いつもより一人減って、一人増えて三人。いつも通り狭苦しい六畳一間の只中で俺と撫子は大きく頷いた。

 レティシアは主に縦に、久美子は横と奥行き的に場所を取るので、体感的にはいつもよりも狭いかもしれない。

 ちなみに、俺は依然床に寝転がっている。というか、独身の話に相の手を入れていただけなのに撫子の尻の下に敷かれている。物理的に。

 何故だ。


「いちいち話の合間に、なるホロドゥフフそうでゴザルか、煩いからですわ」


「さいで……」


 ちら、とこちらに視線を落とした撫子が冷たく呟く。心を読まれているようなタイミングである。


「はぁ……それでお兄さま、どうなさるんですの?」


「何が?」


「いだ! いたあああぁぁイタイ抓らないでぇ! ……い、今の所が何も出来ないと思うであります……!」


「まぁ、結局何も、誰がどこに誘拐したのかすら分かっていませんものね」


 うんうん、と一人頷いて一際強く俺の脇腹を抓りあげた撫子嬢が手を離す。

 うつ伏せのまま、動かしにくい腕を動かして抓られた所を摩ろうとして「ひあ!?」撫子の足を撫でてしまう。

 ぺし、と頭を叩かれた。


「犯人に心当たりはあるんだけどねぇ……」


「いや申し訳ない。真に遺憾であるからして」


「どこ触ってるんですの! スケベ! って、今何て仰いました?」


「いや申し訳な」


「お兄さまには聞いておりませんの!」


「ごめんなさい……」


 話の流れがシリアスなのは理解しているが、どうにも頭の中で整理する時間が欲しかったのだ。

 決して、撫子を揶揄う為にふざけてるのではないのである。

 一人目を閉じ組んだ手の上に顎を乗せ、うむと頷く俺を放置して二人の会話は続いて行く。


「今、犯人がどうとか仰いまして?」


「ええそうなのよ。あの子を車に連れ込む時、男が振りかえって顔が見えたんだけど……見覚えがあって」


「見覚え……有名な男なんですの?」


 戸惑ったような撫子の声音。微かに身じろぎするのが触れた尻から伝わってくる。

 ……台詞だけ見ると変態そのものだなぁ。

 いや、お休み中であるとは言え絶大な人気を誇るアイドルである撫子に乗っかられているというのはこう、何だこう、イケナイことなのやも知れぬ。

 何がとは言わないが、柔らかい。子供だ子供だと思っていたが、義妹は思ったよりしっかりと成長なさっているようだ。

 まぁ、胸部装甲が絶望的に薄いため萌えーはないが。微乳であって美乳でない。

 ……つまり撫子の首から下お腹から上の部分には男の夢が詰まっていないのだ。ちなみに大きくなるごとに夢、愛、ロマンと詰まる物が増えて行く。

 いやいや、きっと彼女は大きい人に詰まっている分の夢を周囲に分け与えているから小さ、


「……何か不愉快な気配が」


「ぶむっ」


 ……痛い。


「さ……続けて下さいな」


「有名では無いんだけど……個人的に顔見知りでね。以前、人体解剖学とか細胞生理学とか神経生理学とか、熱心に聞きに来てたのよ。私の学会発表で興味を持ったとかで。かなり頭の回転が早い子で、面白い着眼点とかもあって……まぁ今は関係ないわね。そういう程度の顔見知りな訳よ」


「そうですの……」


 沈黙が三人を包む。はあ、と溜息を吐いた久美子が体を揺すった。

 テーブルに遮られてはっきりとは分からないが、床と彼女が背を凭せ掛けたベッドが軋んだので間違いない。

 一回盗み見たことがあるのだが、彼女の体重はピーkg……おや、ピーキロ……三桁ではない、と言っておこう。


「あ、そうだわ」


 パチン。指を鳴らす音。


「名前とか外見の特徴をまだ言ってなかったわよね。……名前は」


 ブーーーーー。

 シリアスな空気を投げ捨てジャーマンする音が響く。来客の少ない我が家では余り活用されることのない呼び鈴の音である。

 本当に久々に聞いた。


「はいはい、今出ますよ」


 ブ、ブブ、ブ、ブ……ブ、ブー♪

 ……リズム取ってんじゃねーよ。口の中で呟き、玄関に向かう為にゴロリと「ひゃ……ったー!」転がる。

 巻き込まれてバランスを崩し、強かに後頭部を安普請の壁に打ち付けたようだ。

 軽くなった体を起こして振り返ると、うるうる涙目で打った所を押さえる撫子と目が合った。


「うー……!」


 睨まれている。めっさ睨まれている。


「嬢ちゃん……人生はいつも戦場だぶっ!?」


 殴られた。とりあえずまぁ落ち着けと手振りで示し、

 ブ、ブ、ブー♪ ブブブブブー♪ 

 ぶんぶん煩い有名な童謡の節回しで呼び鈴を連打する不届き者の方に目を向ける。

 といっても玄関だが。


「……KUUKIYOMENAI奴め……こっそり飛び出て驚かしてくれるわ」


 そっと、そぅっと忍び足。そんな俺の匠の動きに背後から「あぁ……」という溜息が二つ聞こえてくる。

 ふふ、磨きあげたこの忍び足に感嘆の吐息を我慢出来ないようだな……!


「誰だ家の呼び鈴連打する奴、ぁーーー……」


 全力全開。不用意に玄関前に突っ立っていたら扉ぶつけて開け殺してやろうかという勢いで開け放った玄関を、俺は迅速且つ慎重に閉めた。

 駄目だ。無かったことにしたい。


「ちょっとお兄さま? ……どうしたんですの?」


「太郎? アンタ何やってんの」


 怪訝そうな声に振り返り、ぎこちなく笑みを浮かべる。


「い、いやぁ間違いだったみたいでネ! ネ!」


「「……」」


 ネ! の所でほっぺに人差し指を当てて首を傾げると、物理的な威力を持つ精神波が飛んで来た。

 具体的にはどうしようもない馬鹿を見る時の世間の冷たい目だ。冷や汗が垂れる。


 ブー♪ ブブブブブブブブブブブ……

 あえてスルーしていたが、呼び鈴を何がしかの曲調に合わせて連打していた怪人物の迷惑ライブはまだ終わっていない。

 ネタがもう尽きたのか、ひたすらエイトビートで連打するという嫌がらせ行為に発展している。


「お……呼び鈴が止まった……?」


 何か不気味なものを感じ、玄関から一歩二歩と後ずさる。

 がちゃ、とドアノブを回す音が嫌に響き、ふと鍵を掛けていなかったことに思い至る。


「グゥゥゥゥッドイーーブニィィィィンッグ!!」


 ズバム! と玄関をぶち開けた先には変態が立っていた。

 間違いなく先ほど、玄関先に突っ立って呼び鈴を連打していた御方である。

 呆然と口を開け、その変態の姿を確かめる。念の為腕で目を擦ったが目の前の悪夢的光景は変わらない。


 仕立ての良い黒の二つボタンスーツ。上着の下には汗を浮かべて地肌全開。更に趣味の悪い巨大な蝶ネクタイを首にかけている。

 頭の天辺から伸びる長大なモヒカンは鮮やかなショッキングピンクで、顔にはミラータイプのスポーティなサングラス。

 身長おおよそ百四十センチ。子供の如き短躯の上に乗る顔は、サングラスで隠れているとはいえ三十以下には見えないものだ。


 一言で言えば、変態のチビ親父である。

 もうどこから突っ込めば良いのか分からないので、とりあえず叫んだ。


「今は、昼です!!」


「そういう問題じゃないでしょうこ、コレは何ですの変態ですの!」


「裸スーツに蝶ネクタイ、モヒカン……素敵だわ……」


「はっはっはっはっは」


 カオスである。

 普段比較的冷静な撫子もテンパっており、独身(29)に至っては異次元の感性でスーツから垣間見える地肌の割合とかを語りだしているのだ。

 勿論俺もテンパっている。突然家にこんな変態がやってきたら間違いなく通報物だ。そうだ通報しなきゃ。

 ポケットを探り、携帯を取り出す。

 何番に掛けて良いのか咄嗟に思い出せず、頭に思い浮かんだ単語をとりあえず叫んだ。


「そうだこういう時は消費生活センターに……!」


「ち、違います警察ですわ! 一一〇番ですの!」


 ロンパり気味の撫子に頭をはたかれ我に返る。

 何考えてんだ俺。消費生活センターに相談したって変態は帰ってくれないぞ!

 腰に手を当て、見たくもない乳首ガン見せで高笑いを続ける変態が恐ろし過ぎて更に部屋の方へと後ずさる。

 携帯のナンバーを一、一、まで打ちこんだ所で男が素早く動いた。


「はぁっ! どうやら僕のことを怪しい人物だと思っているようだね!? だがそんなことはナァァァイぞぅ、そう、僕は謎の組織から伝言を伝える為にやって来た使者だからね!」


 片足を大きく踏み込んで上体を深く倒し、両の腕を真っ直ぐ伸ばして後ろに突き出す。

 顔だけを上げそうのたまう変態の姿を見て、俺は妙に冷静になった。

 なんで変態の奇行を見ると気分が冷めるのか。考えて一秒で脳内に答えが浮かぶ。

 日頃から超絶希少生物であるレティシアのマッスルポージングという名の精神汚染を見慣れているからだ。おそらく間違いない。


 威力は向こうの方が上だしな。

 何か一瞬で馬鹿らしくなった俺は、深く溜息を吐いて一歩踏み込んだ。床を蹴って跳ぶ、その勢いを利用して全力で体ごと跳び蹴りをかます。

 良い感じに体重の乗った足の裏が鼻にめり込むのが分かった。

 肺の中にある空気を吐き切るつもりで声を張り上げる。


「何て格好してんだ変態呼び鈴連打スンナうるせぇし気持ち悪いんだよっていうか土足で堂々と不法侵入してんじゃねぇお前ぇぇぇぇぇええ!!」


「おご!? 鼻、鼻、が……!!」


 ガッ、ゴン! ビタン! 擬音にすればそんな感じになるだろう。

 華麗な飛び蹴りを成功させた俺とは裏腹に、吹き飛んだ変態はまず玄関に衝突し廊下に転び出て、鉄製の策で頭を強打してのた打ち回っている。

 衝撃で弾き飛んだサングラスがカラカラと間抜けな音を立てて滑って行く。

 荒く息を吐きながら、俺は玄関を開け放したままズビ! と小男の靴跡で汚れた家の床を指差した。


「お前後でここ雑巾がけだぞ! 聞いてんのか鼻血ブー! ついでにお前の言う謎の組織だら何だらも喋ってもらうぜー!」


 展開に付いていけないのか、背後で未だにテンパっている撫子と何かだらしなく緩んだ顔で呟く久美子。

 二人が冷静になったのはほぼ同時だった。


「はっ……余りに前衛的なセンスに脱帽してたわ! ……趣味が合いそう!」


 台詞は久美子が。


「……っこの変態! 変態! 変態変態! ですわ!」


「お、おふぅ! 痛い! 痛いね! でも良いよ僕は受け入れる! もっと踏ん……」


「このこのこの! このーっ!」


 しかし行動は撫子の方が速い。

 余程怖かったのだろう。目尻に涙を浮かべ、俺を押しのけて変態を連続で踏み付ける撫子。

 鼻血を垂らしモヒカンを乱し、無防備に踏まれながら何故か恍惚と頬を染める変態の様子に、撫子のスタンピングは天井知らずに威力を上げていく。


「ああ……も、もっと……! もっと踏ぶふ!」


「……! ……!」


 ゲシゲシ。


「も、も……そ、そろそろ終わりに……」


「……」


 ゲシゲシゲシゲシ。


「やめ……」


「お黙りなさい」


 踏み!


「も、もう堪忍して……」


 メソメソ涙を零すモヒカン。これで美少年とかだったらショタの世界的には許されたかもしれないシチュエーションである。

 だが露になったコイツの顔はどの角度から見てもおっさん顔で、鼻血と痣に彩られたじゃがいもの如き面では通貨換算して一ペソの価値もない。

 美麗な顔を怒りとか色々で般若の如く歪め、執拗にぐりぐりと男を踏み詰る撫子相手ではいわんをや。

 ここで俺に出来ることは一つ、素直にご冥福を祈ることだけなのである。




 全員が落ち着いて来た所で小男に玄関の汚れを雑巾がけさせ、家に上げた。

 先程とは一転、氷の鉄仮面を張り付けた冷厳な撫子の眼差しが、正座して更に小さくなっている裸スーツを貫いている。


「……で、何の御用ですの? ふざけたりしたら逮捕ですわ。ふざけなくても逮捕ですけど」


「お、脅しても無駄だ……僕は如何なる拷問にも口を割らないように


「……は?」


「ええはい、勿論本日はご用件が御座いまして! へへぇ!」


 弱っ! 小物過ぎるだろコイツ……。

 撫子が眉を歪めくい、と顎を上げただけで顔を引き攣らせて土下座に移行する変態蝶ネクタイ。


 義妹に任せておけば話は聞き出せそうなので、俺は黙ったまま状況を見守ることにする。

 ヘタレたモヒカンのヘアスタイルを眺めているのが可笑しいのもある。ぷぷ。


「で、ご用件は?」


「はい! あの、あの僕はですね、佐藤御嬢さんという方を誘拐した一味の一人なんですがっ! ……あ、詳しいこととかは下っ端なんで分からないんだね!」


 衝撃告白来ましたコレ! 何でこんな駄目な奴寄越したんだよ。


「伝言、と言ってましたわね?」


「はいっす! 僕ビデオレター預かってまして! ……ええと、コレっす!」


 小男を部屋に引きずり込む際に、玄関先で見つけて拾っていたブリーフケースからビデオを取りだす。

 モヒカンは将軍様にするかのようにずりずりと正座でにじり寄り、両手で捧げ持つようにしてビデオテープを差し出した。

 ちらと撫子に目くばせされ、表面に貼ってある最近流行りの連続ドラマのタイトルは無視して受け取る。

 今時ビデオかよ。

 幸い我が家ではビデオデッキという素晴らしい機器が現役で活躍中なので、放り込んで再生ボタンを押した。

 型の古いテレビの画面に、どこかの会議室らしい様子が映る。


「……」


 中央に、部屋を分断するように設置された長机。座り心地の悪そうなパイプ椅子がその隣に並ぶ中、一つだけやたら重厚なソファが目に入る。

 こちらに背を向ける形で鎮座しているソファ。頭髪のない輝かしい後頭部が僅かに背凭れから飛び出しシュールさを誘う。


「やぁ諸君。この相手を馬鹿にする意図満々のビデオレターを見ているということは、そちらに脳なしの役立たずでぶっちゃけさっさと首にしてくれと各所から嘆願書が来ているエージェント変態がちゃんと行ったようだね?」


「僕が言うのも何だけど。酷いものだよね、あの人……」


「ていうかお前、味方からも変態って呼ばれてんのかよ。まずはそこだろ」


「しっ! ……静かになさって下さいですの。まだ何か話してますわ」


 正座のまま力なく項垂れたエージェントが指先でそっと涙を拭う。ちょっとキモかったので素で突っ込んでしまった。


「そう……ご想像の通り俺はこの組織のリーダーさ。しかしてその正体とは!」


 勢い良くソファが回転する。


「ああ、行きすぎ、行きすぎですリーダー!」


 このビデオを撮影している奴だろうか。どこか焦った男性の声が言う通り、回転し過ぎてまた背中を向けていた。

 輝く後頭部は咳払いをし、今度はゆっくりと反転して姿を見せる。


「さて、これが俺の顔な訳だが……」


「戦隊物のお面被ってんじゃねーか……」


 どこまでもふざけた奴である。

 頭痛を覚えて米噛みを押さえると、隣で同じ様に眉間を揉んでいる撫子の姿が見える。

 どれ、と思って背後を見やると、顎に手を当て妙に厳しい表情をした独身。


「……この蝶ネクタイ、どこで買ったのよ!? 脱帽だわ……」


「いやいや、僕なんてまだまだですよミス。それにしてもその白衣ボンテージ……ご自分で考案なされたんですか? いや素晴らしい」


「うふふ! そうなのよ! 若い子のファッションの相談に乗る時はあえて進めないのよね……これが似合うのは私だけだもの!」


「感動だ! 僕たちは気が合いそうですね!?」


 いぇーい、いぇーい、とハイタッチをかます変態二匹から目を逸らした。変態は変態同士仲良くやっていて頂きたい。出来れば遠い所で。

 変態の国なんかが丁度良いのではないだろうか。

 まぁいい。このビデオ見たらこいつ警察に突き出そう。

 決意してテレビ画面に注目する。無駄に長話をする戦隊物仮面は、中々本題に入らないらしくジリジリと時間だけが過ぎて行く。


「――という訳で、俺はこのお面を手に入れたのだよ。壮絶な値切り交渉の末、観客の拍手に包まれつつ五十円玉を店主に差し出したのだ」


 もう凄まじくどうでも良い。げんなりとリモコンを手に取って、早送りしようと腕を上げた瞬間。


「おやぁ、もしかして今早送りしようとしているのかね? かねかね!? いかんなぁ、これから本題に入るというのに!」


 イラっと来る言いまわしだが、本題を聞けるならまぁ我慢出来んこともない。一端上げた腕を下ろす。


「では只今より俺主催による大★野球拳大会! ウホッ!〜男だらけの地獄絵図〜を開催します!!」


「うっきゃああ! 畜生! 畜生!」


 何だコイツムカつく! ばしばしと床を連打しながら身悶えた。

 投げやりに寝転んだ撫子が小さく呟く。


「……ここまで来ると、呆れてしまいますわー……」


「――というのは冗談でな。ファファファ、レティシアはわれがゆうかいした。返してほしくばあすのあさ9時、われがつかわした者におまえがしたがってついてくるがよい」


「某ラスボス先生インスパイアしすぎだろ。後お前スーファミ版やったろ? ひらがな多いぞ」


「うふ、うふふ……! どう、どうどうこのボンテージ、際どいでしょう!?」


「あぁ何て眩しい……今度僕も着てみるよ! ところで裸スーツならぬ、スーツボンテージというのは如何だろうね!?」


 誰か何とかしてくれ。そう思っていると、画面の中のふざけた男は「アヂュー」と言って姿を消した。

 映像はここで終わりのようだ。黒く染まったテレビ画面から目を外し海よりも深くドブ川よりも澱んだ溜息を吐き、撫子と目を合わせる。

 ――今の忘れたいから必要な所だけ纏めてくれぃ。

 ――嫌よ撫子も忘れたいんですの。

 駄目か。とりあえず未だに変態談義に花を咲かせている馬鹿二名にリモコンを投げつけ沈黙させる。


 そこでふと気付いた。

 ビデオデッキはまだ再生を続けている。


「またアレだろ……パッと画面が変わって言い忘れたよ! とか言って出てくるんでしょー」


「――その通りだよ!」


「うわ……」


 本当に現れた。というか台詞を予想していたのかコイツは。

 しかも先ほどとお面が変わっている。紙で出来たペラペラの赤鬼の顔。節分豆を買った時、おまけで付いてくるような粗悪な奴だ。

 ……突っ込まないぞ?


「言い忘れていたことがあったんだが……いいか? お前の家は現在、俺の手の者で見張られている。意味が分かるか? お前ら全員、外に出ることも、どこかに連絡することも許さないってことだ。もしも妙な真似をしたら、迷わず小娘を――殺す」


「……っ」


 雰囲気を一変させ、僅かに覗く瞳だけを暗く輝かせた男の言葉に息を飲んだ。画面越しでも伝わる凄絶な殺意が体に絡み付く。

 殺す、喧嘩の時など不用意に口にされがちなチープな単語が、現実味を帯びて胸に突き刺さる。

 どこか楽観視していて現実味の無かったレティシアの誘拐という事件に対して、俺は初めてはっきりとした危機感を抱いた。


「三丈太郎、お前に出来ることは二つだけだ。大人しく俺に従うか、女を見捨ててお家でガタガタ震えているか――分ったらお返事は? あぁ、見捨てた場合はお前たちに危害は加えないと約束しよう」


 この男はヤバい。脳の奥で警鐘の様に鳴り響く何かに従って表情を引き締めた。

 何となしに感じる既視感、どこかで覚えているはずのそれに目を細め思い至る。

 そうだ、昔、親に連れられて裁判の傍聴に行った時見た連続殺人犯と同じ雰囲気だ。常軌を逸した憎悪や悔恨を抱えた人間の色。

 子供の俺はソイツが纏うそれが怖くて、泣きべそをかいた記憶がある。

 コイツも、そういう類の人間らしい。


「じゃーなー。また明日、会おうぜ? あ、あとエージェント変態は今日付けで首だから。皆の歎願書来てるし」


「えぇ!? ちょ、リーダ……あぁぁ……」


 今度こそビデオの再生が終わる。最後の最後、にっこりと馬鹿丸出し満面笑顔を浮かべた男が妙に怖かった。

 あそこまで態度や言葉が豹変する奴など滅多に居ない。

 首を宣言され項垂れる変態を尻目に、片手で心臓の辺りを押さえつけた。高速で大きく脈打つ鼓動の音が耳に響き、五月蠅ささえ感じる程だ。


「……お兄さま? お兄さまってば!」


「お、おう……」


 撫子の声で我に返った。いつの間にか息を止め、緊張で体が凝り固まっていたのである。

 大きく息を吐きだすと同時に、嫌な汗が噴き出てびっしょりと体を濡らす。


「……大丈夫ですの?」


「撫子こそ」


 心配そうにこちらを覗き込む、青ざめた顔の撫子の額を指で小突き無理に笑顔を浮かべた。ぎこちなくはあるだろうが仕方無い。

 幾度か深呼吸すると、少しは気分がマシになる。空気を読んだのか、珍しく押し黙っている久美子と変態の姿を確認し、頭をかいた。


 ――どうすれば良いのか分からない。

 もしかしたら監視など付いてないのかもしれない。迅速にこのビデオを持って警察に行く方が良いのかもしれない。

 レティシアの両親共に社会的地位とかあるし、そちらに一任するのがやはり筋だと思う。

 でももし、そうやって『何か』してレティシアが殺されてしまったら?

 そう思うと何もする気が起きなかった。

 殺したのはお前だ、とあの男に吐き捨てるのは簡単だろうが、間接的にでも俺がそのトリガーを引いてしまうのは気分が悪い。

 何よりあの男の真意がつかめなかった。そもそも何で俺を呼ぶ?


 時計を見る。

 時針と分針はそれぞれ、三と五を示している。午後三時二十五分。指定された時間まで後十七時間と三十五分。


「どうすりゃいーのかね……」


 俺の呟きが静かな部屋に広がり、反響して自分に返ってくる。


 撫子、久美子、変態。そして俺。皆今しがたのビデオを飲み込めていないまま、秒針が時を刻む音だけがやがて部屋に満ちた。

 選択肢は、決して多くは無い。





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