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第十話 女心とハゲと俺。





 体感的に随分久方ぶりのキャンパス。一週間に一度しかない、出席の欠かせない講義の教室に座して俺はテキストを捲っている。

 腕から外して、何気なく卓上時計代わりに折りたたんで置いている腕時計を見る。時刻は十三時十五分。

 講義が始まってから十五分が経過した所だ。


 静かである。マジメな学生がペンを走らせる音以外、静粛な空間が適度な集中と眠気を掻きたてる。


 嫌に響く扉の開閉音にふと、視線を上げた。

 扉の前に見覚えのあるつるりピカピカと天然地肌頭の男が一人。

 昼過ぎの気だるい日差しが燦々と差し込み、ハゲ……もとい頭頂部が輝かしい男を照らす。反射が眩い。

 堂々と入室してきた男に教室中の視線が集中する。


 そんな中――朗々と響く初老の教授の声を遮って堂々遅刻して来たおバカさんはこう言い放った。


「あれ、太郎久しぶりじゃん!? 俺! 俺俺! 俺のことちゃんと覚えてるじゃん!?」


 教えても居ないのに一瞬で俺の位置を見つけ、わざわざ指さして下さるツルツルマン。


「く・う・き・よ・め!」


 俺は驚異の口パク会話法。声を出さずに語りかける。何を読み取ったのか満面に笑みを湛えた友人Aただしハゲは親指をぐっと上げ、


「お前に借りてたマニア向けのエロ本、俺の迸るパッションで汚しちゃったじゃん!?」


「最低だお前ぇぇぇぇぇぇぇえ!!」


 軽く二百人以上収容可能な教室でそんなことをのたまった。

 思わず机に手を叩きつけて立ち上がった俺と、社会不適合発言を惜しげもなくかましたハゲに女生徒の絶対零度な視線が突き刺さる。

 この肌にピリピリくる凍てつく波動……間違いなく抹殺だ。

 俺が。社会的な意味で。

 禿げは既に手遅れなのでどうでも良い。


「……ゴホン! えー、君。騒ぐなら出て行きな」


「はっ、そんな突っ込みのキレで俺が止められるかよ!?」


 シュババビッ! 右腕を高く、左腕を低く。右膝だけを深く曲げ、重心を軽く落として訳の分からない謎ポーズを決めたツルツリーナが叫ぶ。

 空気読めてない度百%を越えて百二十%である。

 もう一刻も早く死んで欲しい。ご臨終なされた俺の秘蔵コレクションの為にも。秘蔵コレクションの為にも。凄い大事なことなので二回言った。

 俺の浪漫を返せ。


「……いいから君、珍妙な格好しとらんで」


「これは荒ぶる俺のポォォォォズ!!」


「出て行けクソ餓鬼ァァァァ!!」


「何するじゃーーーーーん!」


 きぃーんとハウリングを起しつつ、増幅された教授のアグレッシブな怒鳴り声が教室中の鼓膜を貫き窓を貫き、隣接した中庭へと消えていく。

 ついでに、年齢に見合わぬ軽快な動きでシャイニングウィザードを叩き込まれた丸ハゲ君も開け放しの窓から中庭へと消えていく。

 俺以外の場内総立ち。難易度の高い大技をキメた教授に盛大なスタンディングオベーション。

 地鳴りのような歓声が教室を揺らす。

 初老の教授も、恥ずかしげに小さく手を振って「ありがとう、ありがとう!」声を上げている。

 それを見て指笛が響き、更に沸く大教室。


「……もう何なんですかこの大学」



 密やかな俺の呟きが、渦巻く歓声と拍手に飲み込まれて消えた。











女心とハゲと俺













「うおおおおおおおおお!! 横綱あぁぁぁぁぁぁあ!! けけけ蹴りに体重を乗せないでぇぇぇぇぇ!!」


 太陽が中天に昇る少し前。せせこましい6畳一間に絶叫が轟く。

 意味不明かつ不気味な夢に、俺は魘されている。目の前にはヤクザキックで俺を踏み詰る御堂久美子(三十路までカウント3ヶ月)の姿。

 戦慄の白衣をチラチラと揺らし、決して人様に公開してはいけない白いお肉が見え隠れ。

 真紫のボンテージで体を締め付けた様はまさにボンレスハム。

 ふかふかすべすべ、最高級の手触りを持つであろう肥満贅肉の持ち主である。

 いや、彼女は太っているのではない。全世界に配る夢と希望を溜め込んでいるのだ。

 大型ジャンボジェットの発着地にもなる太鼓腹型格納庫、要パスワードの隔壁付き二の腕貯蔵庫。

 競輪似生足倉庫に、無駄尻保管庫、最後の手段頬肉ため池。


「……な、何の夢を見ておるのだ主殿!?」


「あかん……あかんねんそんなそこはああいやいややもう堪忍してらめぇーーーーーーーー!」


 ギラリ。獰猛に目付きを光らせた久美子(独身)が独独しく舌舐めずり。

 たゆんたゆんとお腹のお肉を揺らせつつ、男の子のイケナイ所をガシガシと電気按摩。流石独身、欠片も容赦がない。

 俺の画面右下、HPバーがどんどん削れて行く。


「ぬぉお!! 主殿!? 今、助けますぞッ、そぉい!!」


 あわや、男として大事な尊厳的なものが失われる二歩手前で、頬にダメージ限界突破の一撃が突き刺さる。

 首の骨が過負荷に耐えきれずぐきりと異音を立てた。余りの痛みに目が覚める。

 思わず、無意識に苦鳴が口をついて出た。


「ひでぶっ!」


「ぬは! 肘が入ったやもしれぬ!?」


「……あれ? ……ひ、HPバーはどうなったんですか!」


 急速に夢と現実の境界線がはっきりと分かたれていく感覚。現実にはHPなど存在しない。

 視界に入っているもの。それは見慣れた自分の部屋だ。

 しかしやけに傾いている。

 寝転んだままつい首を傾げようとして。


「……く、首が動かない……」


 一体何の襲撃にあったのか。どう考えても脳みそをぷち殺す(悩殺)ポーズらしきものを取ってこちらを覗き込んでいるレティシアのせいだろう。

 肘がなんちゃら言っていたことだし。


「あ、主殿……」


 首が動かないので、ごろんと体ごと一回転。何とか視線をレティシアの方に合わせる。

 どこか落ち着かなげな色を浮かべた翡翠の瞳を覗き込んだ。


「はいなーんざましょ」


「撫子殿はもう帰られたぞ……後、そろそろ昼の時間だ。我は、可及的速やかにご飯とプロテインを要求する!」


「……」


 瞳に映していた感情は何だったのか。すぐさま普段の調子に戻る筋肉姫に溜息を吐く。

 もう少し俺を労われとかプロテイン残り少ないから買ってこねばとか、つらつらと意味のないことを考えた。

 それ程重い怪我でもないのか、既に首の痛みは治まりつつある。しかし敢えて体ごと転がり、時計を見上げた。

 かっ、と限界まで目を見開く。


「おう!! すぐ出なきゃ講義始まっちゃうYO!? 支度支度支度ー!」


 ゴキリ! 腕の力で無理やり頭を正常な位置に戻す。飛び起きざま、愛用のトートバッグを引っ掴んだ。用意周到な俺は、昨晩バッグの中にテキストとペンケースを突っ込んでいる。

 自転車と家の鍵を放り込み、携帯をジーンズのバックポケットに叩き込んだ。

 着替えは朝してあるので無問題。飯を作る時間など有り得ない。寝癖など気に掛けている時間は無し。慌ただしく玄関へ向かい靴を突っかける。


「主殿!? 我のお昼ご飯は!?」


「ええい、それどころではありませぬ! 行かせてくだされー!」


 筋肉達磨の放つ声を振り払い、扉をはね開けて飛び出した。

 途端、日差しが俺に降り注ぐ。頭上に広がっているのは雲が数える程しか見つからない青空だ。

 爽やかな空気を胸一杯に吸い込み、大きく一歩目のストライドを取る。

 見てるだけで軽く鬱になれる自律歩行型圧倒的筋肉要塞より、出席が必須な講義の方が重要度は上だ。

 廊下を軋ませ三段飛ばしでボロ階段を駆け下り、愛しのママチャリ・ラヴさん二号機に飛び乗った。


「主殿ー! 我のプロテインはどうするのだ!?」


 ズバム! 玄関の扉を豪快にぶち開け、モリモリ筋肉を張りつめさせながら叫ぶ姫さまは精神の安寧的観点から無視無視。

 しっかりとペダルに乗せた足に力を入れ、勢い良く敷地から飛び出そうとして――


「痛ーッ!? あああ鍵外してねぇー!」


 こけた。

 叫びながらバッグを漁り、ロックを外す。今度こそ軽やかにラヴさん二号機(税込八千円。在庫処分品)は走り出した。

 二ヶ月前と違い、照り付ける陽光は肌を刺す様に強い。寝ぼけ気味の頭を一度振り、安全のため左右を確認しつつ大学を目指す。


 人気のない住宅街を突っ切り、コンビニのある交差点を左へ。

 青々と緑の葉を揺らす並木を抜け、二度の信号待ちを経て直進すると、徐々に大学の学舎が見えてくる。

 特別大きくも小さくもない、ごく一般的な規模の大学だ。


「ふぁーお! 遅れる訳には、いきません……!」


 ここから先は坂道だ。自転車爆漕ぎのおかげで額に落ちる汗を拭い、力を籠めて立ち上がり、更に体重を加えてペダルを踏み込む。

 古いせいなのか、碌にメンテナンスしていないせいなのか、一漕ぎ毎にギィコギィコと錆びた音が立つ。


「む、むは……!」


 ついに坂を登り切った。大学敷地内の駐輪場に急いでラヴさん二号機を押し込み、きちんと施錠。盗まれることの無いよう念の為、鍵は二つ付けてある。

 足早に駐輪場を後にしながら時計を確認した。現在、午後十二時五十五分。


「ふぁーーーーーおぅ!」


 講義の開始時間まで後五分といった所だ。駐輪場から目的の教室までゆっくり歩いて約五分。

 普通に歩いても遅れることはないが、気合いを入れる雄叫びを上げ、敢えて競歩で学び舎を目指す。

 良い席は取れないであろうが走りはしない。自転車の全力走行で疲れているのだ。

 大きく、素早く腕を振りながらの競歩を続けていると、中庭を突っ切って歩く一人の女性に目が止まる。

 黒のショートカットを揺らし真っ白な足をミニスカートから伸ばすその姿。

 普通の、筋肉でも脂肪でも義妹でも無い女の人だ。ちょっと可愛い。


「……うわキモっ」


 しかし女性は、擦れ違いざま吐き捨てる様に呟いてのけた。

 余りの驚愕に振り向くと、けっ! と顔を歪ませ、ペッ! と唾を吐き捨てるジェスチャーを残して歩き去っていくのが見える。


「……」


「あ、けーくぅ〜ん! ごめん待った? もー、今日はサービスしちゃうから、ネ? 許して〜!」


 お姉さんAは丁度駐輪場の所で彼氏と待ち合わせをしていたらしい。

 地獄の底をチョモランマの頂から見下すような先ほどの呟きから一転、猫撫で声で彼氏らしき男に飛び付いている。

 何だけーくんって。ちくしょう、お前の彼女なんかムキムキになってしまうが良い!


 う、羨ましくなんかないんだからねっ!


「……」


 やはり普通に歩くことにする。あれ、何で視界が霞んでいるんだろう。フフフあれかな、汗が目に沁みるのかな……。





 そして話は冒頭に戻る。

 あの後、華麗なシャイニングウィザードで二階の教室から地面にダイブした全開ハゲは何事もなかったかのように再び教室に現れた。

 教授の米噛みに青筋が立っていたが、今度は謎ポーズも決めなかったのでお咎めはなしだ。

 学生簿と照らし合わせて、単位という名の超個人的制裁を受ける可能性はあるが、まぁ俺には関係のないことである。

 今日出なければならない講義はこれ一つなので、後は帰宅するだけである。ダメ学生などのワードはNGだ。


「なーなー太郎。聞いてくれよ!? 俺の、俺の迸るパッションがさぁ! こう、んあーらめぇ!! ってなったんじゃん!?」


「日本語で喋れ」


 というか早く帰りたい。しつこくハゲが俺の周りをうろちょろする度、眩い反射光が俺の目を射るのだ。

 何という目くらまし。


「もういいですあの本あげますー」


「え、マジじゃん!? ケチんぼでネクラで非モテでブッサイクな太郎が、二言目にはパリィパリィ言ってあらゆる世間の荒波を受け流すあの盾役にしかならない太郎が俺にエロ本くれるって!?」


「何だとこのハゲ頭! ていうかじゃんって何だその語尾! キャラ付けか、俺以上に女に縁がないくせにキャラ付けか!? それと嘘設定連呼すんなこの陶器ヘッド! ナンパして振られる度にルルルル歌ってんじゃねぇよ校舎裏で!」


「おぅ、鋭い突っ込み切れ味抜群じゃん! じゃあ俺はねばねば!? ねばつくじゃん!?」


「意味わからんわぁー!」


 怒髪天。奴とは違い立派に髪の毛が生えそろっている俺のテンションはそんな感じだ。

 どこか筋肉のテカリを彷彿とさせるスキンヘッドを右手で掴み、締める。握力は四十キロ位しか無いが、痛みはあるだろう。


「あイダダダダダダ! ドメスティックヴァイオレンスじゃーーーん!」


 興奮しているのか、掴んだハゲ頭は見る間にタコ頭へ。顔と言わず頭と言わず真赤に染まった茹で蛸が唾を飛ばして喚き散らす。

 うわきたね。


「お前は俺の妻ですか! キショイこと言うな名前も呼ばれないモブの分際でぇい!」


「ひ、ひどっ! 聞いて驚け俺にはちゃんとま


「さーて帰るかぁー!」


「名前くらい言わせるじゃーーーん!?」


 言い捨てるや否や駆ける。ハゲも走って追いかけてくるが、駐輪場は目の前だ。

 モブは大学から徒歩3分の所に住んでいるので徒歩。自転車に乗ってしまえば追いつけないのだ。


「馬鹿め! こうしてお前はモブとして歴史に埋もれて行くのだ!」


 ふははははは! ここ最近のストレスを発散するように哄笑を上げる。ピシ、と敬礼を送ってラヴさん二号機の鍵を外した。

 空気だけはちゃんと入れてある相棒が、俺の体重をしっかり受け止める。ペダルを一度空転させ、丁度良い位置で足をかける。


「ふは、ふあははは! 俺の秘蔵コレクションを汚した罪、しっかり後悔するがいいハゲモブめ!」


「太郎ーーーーーー! 前、前ーーーー!」


「何が前だ殺人頭頂光線反射しないで下さい! あーばヨー!」


 何故か足を止め、五メートル位離れた場所で震えている輝きに目を向けたまま、ぐ、と足に体重を乗せる。

 正しく前へと向かう筈のラヴさん2号はしかし。


「あれ? 進まない……」


 何も障害物はないはずなのに。おかしいぞ。

 原因が分からずに前を向く。

 そこに奴は居た。


「あ・る・じ・ど・の……!」


「ひぃぃデジャヴー!」


 悪鬼の形相で筋肉を漲らせ、普段着のジャージではなくいつか着ていたキャミソールとデニムのショートパンツを身に纏った筋肉姫。

 久しぶりの生筋肉が目の前で唸り張りつめ、浮かんだ汗で服が体に張り付き殺人的ラインを浮かび上がらせている。

 僅かに透けるキャミソールの下には、割れた筋肉、が……!


「ふぅ、ふぅ、ふぅ」


 そんな不思議生命体は荒々しく息を吐きながら、自転車のカゴをがっしと掴み受け止めている。

 助けを求めて視線を振る。駄目だ。ついさっきまでそこそこに人が居たのに、既にハゲ以外に人が見当たらない。何て危機回避能力の高い大学生共だ!


「あの……れ、レティシアさん……?」


 恐る恐る。そんな形容詞が似合うであろう青褪めた顔で、俺は今にも人間の限界的キモさを張り裂けそうな生命体に話しかける。

 眦を吊りあげ、ぴくぴく顔面筋を痙攣させているレティシアが怖すぎるのだ。


「えむ……」


「……えむ?」


「我はMPを補充、したいのどぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「いやぁぁぁ殺さないで! ……MP?」


 レティシアの叫びが大地を揺るがす。前にもこんな遣り取りをした気がするのは気のせいだろうか。

 それにしてもMP。お日様の下で叫んで良い単語なのか。下手をすれば、いやしなくても可哀想な人認定まっしぐらの単語である。


「家に、プロテインとか食材とかあるんですが……じ、自分で作るという選択肢は」


「我はな、主殿……!」


「な、何ですか」


「我は、料理が、出来ぬのだッ! 故に主殿手ずから作った昼飯所望、プロテイン希望!!」


「何だその我儘! 微妙に語呂が良いし! あ、ちょ、籠が握りつぶされちゃう!? ラヴさん! ラヴさん二号機ーーーー!?」


 全然嬉しくねー!


「ほ……」


 ぽつりと落ちた呟き。気になって思わず背後を振り向くと、そこには驚きをそのツラに貼り付けて凄いことになっている禿げが目に入った。

 わなわなと震えている。


「惚・れ・た・ぁー! 初めましてマドモアゼル! あなたは何て素晴らしい女性なのでしょう!」


 奇怪な叫び。愛するラヴさん二号機の危機に滑りこんだのは、頭髪の無い頭部も眩いハゲ男。

 こちらからでは太陽を反射して輝く後頭部しか見えないが、何故か籠を親の敵の如く握りしめるレティシアの手を取り、がっつり戸惑わせている。

 そのお陰でラヴさん二号機の籠は無事だ。そうっと自転車から降り、余りにも常識から遠い所に居る二人から離す。

 一応鍵を掛けてハゲの様子を遠巻きに眺めることにする。ハゲと筋肉。

 異空間過ぎてぶっちゃけ近づきたくないにも程がある。

 こやつらは頭の中身が急展開過ぎるのだ。


「な、何だお主。主殿の友人か?」


「はい親友ですよマドモアゼーール! いやぁ本当に綺麗なレイディだ! すみませんがお名前を……」


「ちょ、おま!」


 思わず衝撃が口をついて出た。振り返ったモブは一言二言レティシアに声をかけ、素早く俺のもとへ駆けつける。

 しっかと肩を組まれる。距離の近い笑顔が怖い。


「太郎お前……いつの間にあんな可愛い女の子と知り合ったじゃん!? 驚きじゃん!?」


「お前の美的感覚が驚きですよ!」


 俺がこう言うのも無理もないと思う。首から上は確かに美少女に相違ない。しかし首から下は異次元モンスターの一種だ。

 親切にも俺はそこの所をしつこく説明してやる。

 如何に筋肉体の上に美少女顔が乗っているとキモいのかを解説する。

 しかし、瞳をキラキラ輝かせ頬を上気させた禿頭はそんな忠告に耳を貸さず、しっかりと俺の手を掴んだ。

 ぬらりと汗で滑る。振り払った。男に迫られてもちっとも嬉しくないしむしろ気持ち悪い。


「いいんだいいんだ。お前の言いたいことは良く分かる……だがな、俺達はライバルだ! レティシアさんは絶対に渡さねぇ!」


「何言っちゃってんの!?」


「何よりあの筋肉……垂涎ものだぜ! ずっと隠していたが……俺は筋肉フェチなんだっ!」


 フェチなんだ……フェチなんだ……フェチなんだ……大学の駐輪場にエコーを伴って響き渡る告白。

 爽やかな笑顔で唾をまき散らしながらの友人の言葉に、俺は冷静に一歩下がった。

 正直、ドン引きである。


「語尾語尾。後キャラ崩れてんぞお前」


「レティシアさーん! 僕と一緒にお昼しませんか!? 勿論僕が出しますよ! 何食べます? ささみ!? 鶏のささみ!?」


 もはや筋肉に取り憑かれたハゲに日本語は通じないのか。筆舌に尽くしがたい笑顔のままレティシアの許へとUターン。

 再びレティシアの手を捧げ持つように取って誘いをかけている。


「むぅ、しかし我はプロテインが……それに主殿の手料理……」


 流石の無敵筋肉要塞も新手の変態には耐性が低いのか。やや仰け反りながら言葉を濁す。

 しぶるレティシアに業を煮やしてか、返す刀で紳士の敵・アブノーマルハゲが飛んで来た。


「おい、太郎……! お前レティシアさんに主とか呼ばせてどんなアブノーマルプレイなんだよ俺そんなこと許さねぇぞ俺も混ぜべばっ!」


「落ち着けぇぇぇぇぇ!!」


 迫り来るハゲの生理的気持ち悪さに、全力で拳をブチ込む。

 良い感じの手応えを残して、ハゲの体は舗装されたアスファルトの上をごろごろ転がって行く。

 ハゲが提げていたブリーフケースが宙を舞い、本人とは対照的に、控え目な音を立てて地面に墜落した。

 ……これで正気に戻ったか?


「た、頼むじゃん……もうお前への恨み節は抑えめに後で丑の刻参りに留めるから、兎に角俺とお食事出来るよう説得してくれじゃん……!」


 もう駄目だコレ! ごろごろと地面を転がり、這いずったまま俺の足首を掴むハゲの額から一筋の血。まさにゾンビの如し。


「分かったから離して下さいうわぁぁ俺のズボンで血を拭おうとするなぁぁぁぁぁ!」


「ぶぼぁ!?」


 取り敢えず足の裏で頭の輝きを封じ込めるように蹴りを入れ、レティシアの所へと駆け戻る。

 ハゲもレティシアもどちらも精神的ブラクラに等しいが、今は慣れているだけこちらの方がマシだ。

 得体の知れない趣味を全開にしたモブキャラは、余りにも直視しがたい存在へと進化していらっしゃるのだ。

 近づきたくないし見たくも無い。というかもうあらゆる縁を断ちきってしまいたい位の超絶キモさご降臨中なのである。


「……うおぉ……何というグロ野郎だ……! と、という訳で今日は一先ず、アレと昼食を取ってくれ! 俺は帰る!」


「待つのだ、主殿! ……アレというのはあの頭の悪そうなハゲのことか!?」


「レティシアさん!? 俺の愛を分ってくれ! 具体的には、こう……こう! こんな感じでイェハー!」


 背後で悲痛な悲鳴が上がっているが、後、ちょっと見てみたらありもしないラインを空中に描いているが、気のせいだ。

 俺は、初めて見たレティシアの蒼白な顔に逆に落ち着いて来ていた。

 そう、決してBAKA☆力で掴まれた肩がみしみしと音を立てているからではない。断じてない。


「そうですあのハゲのことです。彼は脇役の星、役立たずの国変態の町から地球に移住してきたモブキャラです。彼に名前などないのです」


「な……ハゲであるだけでなく、役立たずなのか!」


「チクショォォ! 俺はハゲじゃねぇぇ!! 剃ってるんだよぉぉぉぉ!!」


「では俺はこれで!」


 シュタ! と片手をあげ、地面が大好きなのかまだ転がったままの筋肉趣味なキモハゲーラと、呆然とする筋肉搭載型精神爆撃機に別れを告げる。

 だが、一向に肩を掴む手が離れない。そして一秒ごとにレティシアの顔が悪鬼へと変貌していく。

 間近でそれを見せつけられる俺の恐慌は計り知れない。

 禍々しい気配に当てられ、通りがかった黒猫が泡吹いて気絶。カラスの群れが電線から飛び立ち、やはり途中で気を失って地面に落ちる。

 辺りは是正に大・殺・界。

 俺の膝も笑っている……!


「離して離して! 僕もう帰ゆーーーーーーーーーー!!」


 視覚から脳へ、背筋を通って全身に行き届いたその限界を越えた恐怖に期せずして幼児退行。

 じたばたともがくが、頑強な手は全く外れない。ピクリとも動かない。


「主殿は……主殿は! 我に、このハゲとで、でででぇとして来いと申すのかっ!? 許せぬ、無体に過ぎるぞ主殿ッ!」


「いやなんでそんなぁぁあ肩が外れぢゃううう」


「レティーシアすぁーーーん! 俺とでー」


「黙らぬか痴れ者がッ!!」


「おうふっ……」


 バタバタガシャン! レティシアの剛腕を振り抜かれたハゲは、視界の端から端へ、綺麗に消えて無くなった。

 同時に、自転車をなぎ倒す様な派手な音が続く。

 震える俺の視線の先でにっこり、とレティシアが満面に笑みを浮かべた。


「主殿には、女心というものについて、教育が必要なようだな……帰るぞ主殿! さぁ、我を後ろに乗せて2人乗りだ!」


 ムチムチムチ! 女性に有るまじき筋肉を漲らせ、ヌラヌラと光る上腕二頭筋を見せつける。

 その筋肉のどこに女心があるのかと小1時間問い詰めてみたくなったが、きっと無駄だろう。

 蝶々毎飛ぶお花畑で、花咲く様な満面の笑みを浮かべるレティシアの米噛みにはぶっとい青筋が立っている。


「は、はい」


 結局、素直に返事することしかヘタレな俺には出来なかった。

 解放されてすぐに自転車を数台巻き込んで転倒しているハゲを一瞥して、すぐに目を逸らす。あれは他人他人。

 願わくば死んで欲しい。



 そして俺はラヴさん二号機の後ろにレティシアを乗せ、絶対自身より重い彼女に苦戦しつつ家を目指すのであった。


「今ならアトラスの気持ちが分かる……」


「ぐふふ、女性一人、かよわい女性たった一人が重いとは言わぬよなぁ」


「いっ……! 肩を抓らないで下さい!」


 下り坂を猛スピードで下りる最中、俺の涙がキラリと風に流されて行った。




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