第一話 ロマンスにマッスルは要らない。
この作品は、作者が舞氏のHP『SS捜索・投稿掲示板Arcadia』に掲載している物の再投稿です。
「マジカル・右ストレェェェェェェェェェェト!!」
轟音。唸りを上げてふるわれた少女の右拳が、人ならざる化け物の頭部を木端微塵に吹き飛ばす。
真昼間の住宅地。突如現れた異形の怪物に襲われた俺を助けた美少女は、腰まで届く長い金髪を翻し――
「主殿、安心なされよ! このマッスル魔女っ娘、レティシアがいる限り、貴方の筋繊維には傷一つ、付けさせませぬぃ!! 痛い!!」
――全力で噛んだ。
それが、俺と魔法少女――もとい、全身正に是筋肉なお化けとのファースト・コンタクトである。
ロマンスにマッスルは要らない
「飯、飯と〜。……ってあら、卵がもうない。これじゃあ卵チャーハン作れねぇよ、塩、コショウ、味の素を素敵配分で振りかけた只の炒メシだよ……」
降り注ぐ日差しが徐々に夏のそれへと近づきつつある季節、時刻は正午少し前。
ボロっちい木造二階建て、その二階部分の角部屋。最寄りの駅から自転車で五分、通っている大学まで一五分。
日差しはばっちり南向き、6畳一間の1Kユニットバス付き。家賃4万円。
俺――三丈太郎はそういう所に住んでいる。
「あーあ、卵がない卵チャーハンはもはやチャーハンにあらじ。具材卵しかなかったしな……買い物いくか」
俺は卵様を入手するべく、冷蔵庫の扉を閉めた。家の鍵と財布だけ手に取って家から出る。もちろん施錠も忘れない。
陽気に誘われて鼻唄なぞ歌いながら、近所のスーパーへと足を向けた。自転車を使う程の距離でもないので徒歩である。
ボロながら、閑静な住宅街の間に家があるせいか、辺りは静かで頬を撫でる風が気持ち良い。
すぅっと大きく呼吸をすると、鼻を抜けるのは爽やかでどこか甘い花の香り。
我が家の斜向かいである萩村さん垂涎の的、我が家の斜向かいの更に一つお隣に居を構える、通称『花咲か爺さん』自慢の庭園から漂ってくる香りだ。
蛇足だが、何故花咲か爺さんと呼ばれているのかは、ひたすらにガーデニングが好きで好きで堪らないというお爺さんの趣味から付いた名だ。
本名は田村五郎。5人兄弟の末っ子だとか。
本人は気さくで、更にこの周辺地区のお花なんかをわざわざ世話したり、綺麗に花弁の開いた花をプレゼントして回ったりする実に良い人である。
俺は彼から小さな押し花で作った栞を貰って以来、仲良しだ。茶飲み友達とも言う。爺さんと若輩の不毛なティーパーティーである。
まぁ、楽しいので構わないけれど。
「グルルルルル」
「ん?」
不意に、俺は獣の唸り声を聞いた気がして、順調に前へと前へと進みたがる足を止めた。まさか、ここ住宅街ですよ、日本ですよ。
犬だろ犬。猛犬注意。振りかえっても何も見当たらなかったので、小さな安堵の呟きを吐き、再び歩きだす。
「グルルルルル」
「ピ〜、ピピ、ピヒョプフー」
下手な鼻歌がド下手な口笛に変わっても、猛犬(仮)の唸り声は着いて来ていた。流石に気にならざるを得ない。
「犯人はお前だぁ!」
「グルッ!?」
ずびしと振り向きざま、意味もなく人差し指を背後に向かって付き付ける。まさに一人での奇行である。
客観的に見たらかなりアレな感じであろう俺の行動は、しかし結果的に間違ってはいなかった。
何故なら――俺の後ろには、身の丈を優に越える巨大な犬モドキが居たからだ。
栗色の毛並みはぼさぼさで輝きがないが、縮尺を変えればゴールデンレトリバーに見えない事もない。
濁った瞳、半開きの口から鋭い牙が見え隠れ、垂れ落ちる大量の涎を舐める舌はまさかのドドメ色。
スイカくらいなら軽く丸齧りに出来そうな口が大きく開き、牙を見せつける様に俺の頭を目掛けて大突進。
「あ、あら? ワンちゃん随分大きいねー……ってうおおぁああああ何じゃこりゃあああ!?」
「グォアッ」
思わず腰を抜かし、尻から地面に転がった。
一瞬前まで俺の居た場所を、巨大な犬モドキが駆け抜けるのを横目に捉える。
風を切り裂く、中々のスピードと重量感だ。多分、ぶつかったら呆気なく吹き飛ばされる。
お陰で尾てい骨に鈍く響く痛みを忘れることが出来たが、それは良いことなのかそうで無いのか。
とにかく事態が掴めない。全くもって訳がわからないが、あんな牙で噛まれたら確実に死んでしまうこと必至。走馬灯を見る暇すらないだろう。
「ウグルルルル……」
「おま。ちょ、おまままま待て待て待て!! まずは会話だ民主主義! 話し合おう、俺は日本語君は犬語! バイリンガルを使えばきっと円滑な意思疎通が」
「オレサマ オマエ マルカジリ」
「って話せんのかよ!?」
再び、犬モドキが俺に飛びかかる。「ぉぉぉぉぉ」と無様にごろごろと路面を転がり、奇跡的に今度も皮一枚で避けることが出来た。
鈍い衝突と破砕の音が響く。しかし、おそらく次は無い。
這いずる様にへたへた後ずさる。犬モドキは勢いよくコンクリの塀に向かって突っ込んでいて、上手いこと首から先だけが塀の向こうに消えている。
もしかしたらこれで気絶してくんねーかな、と思う俺の思考を裏切って奴は元気に大暴れ、ガシガシコンクリの塀をぶち壊した犬モドキは、俺を振り返ってべろりと舌舐めずり。
生臭い吐息を吐き出して、犬面の癖ににやりと笑う。
「オレサマ オマエ マルカジリ」
ふお、コイツやっぱ話せる!
犬モドキが喋ることに無駄な感心を覚えた俺だったが、言葉の意味が脳に到達すると同時に泡を食って逃げ出したい気持ちで一杯になった。
だが、如何せん腰が抜けているせいで立ち上がれない。
圧倒的な痛みと死のリアリティ。その余りの恐ろしさに自然、顔が引き攣り、歴戦の兵である俺の膀胱が期せずして緩みそうになった。
死にたくは無い。だが、だがしかし、この歳になって漏らしたくは無い。
前者は肉体的にまっすぐあの世へご案内、後者は社会的尊厳の抹殺、且つ自爆特攻並の精神的死だ。
視線の先ではゆっくりと体を撓め、今にも飛び掛かろうとする犬モドキの姿。
何も考えられず、咄嗟に目を瞑って頭を抱えた。
真っ白に染まった思考の中、脊髄で下された指令が俺の喉を震わせる。
込み上げる衝動のまま、思い切り、叫んだ。
「あぁもう嫌ー! 誰か助けてヘルプミー!!」
「グオアアアアア!!」
「待て! 怪物よ、その方に手を出すのはこの我が許さぬッ!!」
果たして、俺の叫びにはきちんと答えが返ってくる。
住宅街に凛と響いたその声は、確かに一瞬犬モドキの動きを止めた。
目の前、巨大な質量が頭上を仰ぐ気配。
俺も思わず目を開き、声が来たと思われる方を振り仰ぐ。きっと今俺は、涙目に違いない。
「はーっはっはっはァ!! 我は魔法☆少女! 古よりの因縁を果たす為、現世に舞い降りたり!!」
「……」
場が、微妙な沈黙に包まれる。
無言のまま、俺はそっと目の端に浮かべていた滴を払った。
ソイツは高い所に居た。
正確には、俺の近所の吉田さん宅、自慢の青い屋根の上で腕を組んで仁王立ちしていた。
露出の際どいピンクのキャミソールと、デニムのショートパンツを履きこなした少女の視線が俺を射る。
愛らしい顔立ちの少女だ。
さらさらと風にたなびく髪は、光にけぶる豪奢な金色。
大きな瞳は碧の宝玉をそのまま嵌めこんだ様で、深く澄んでいる。
桜色に上気する頬も滑らかで、顔立ちだけなら確実に――中世のお姫様で通用するだろう、そんな甘い美貌。
「とぅ!!」
窄められた唇もまた愛らしく、銀の鈴の音の如く澄んだ掛声と共に飛び降りた少女の体は、地響きを立てて俺の目の前に降り立った。
……いいか、地響きだ。決して、羽のように音もなく着地したりはしない。現実はそんなに甘くない。
どうやら、神様は俺が酷く嫌いらしい。戦わなきゃ現実と。
「無事であったか!?」
勇ましく肩越しに振り向き、俺に声をかける少女の動きに合わせて、屈強な僧帽筋と三角筋がうねり、上腕二頭筋がムチムチと盛り上がった。
着地の衝撃を受け止めた丸太のように太い大腿筋群が、ショートパンツを張り裂かんばかりに張りつめ充実する。
ついでに言うと、飛び降りる際にチラ見せしたおへその周囲には、男子の憧れ6つを越えて8つに割れた偉大な腹筋様。
胸部はもう既に胸ではなく、発達した大胸筋が服を押し上げているだけで、引き締まったお尻はつまり鍛えられた筋肉の証。
すっくと立ち上がったその姿は、オイルを体に塗りたくってポーズを決めるガチでムチなお兄さんがたに引けを取らない堂々の約180センチ超。
見事な凹凸を描く(筋肉的な意味で)筋肉はもう筋肉大爆発。
「うわぁ……もはやグロ画像だよ……」
怪奇、マッスル女!! 一言で彼女を言い表せば、正にそれだった。
想像してみて欲しい! ――首から上は、幼げな感じの甘甘美少女、首から下は、……女性物のピンクのキャミとショートパンツの下に豊満な体(筋肉的な意味で)を押し込めた、文句の付けようもない心の姉貴、ガチムチマッスルボディ。
ふふふ、“美少女に助けられて運命の出会い”、なんて甘いシチュエーションで盛り上がった気分が、一気にレッドゾーン突破だろう……?
「「……」」
図らずも、この時俺と犬モドキは心中でシンクロを果たしたと思う。非常事態なのに。
「「それは、ねーよ……」」
「何だ?」
犬モドキを前にして、余裕綽々に俺の方へ向き直る筋肉塊――もとい少女。
どこの怪物だコイツ。よっぽど犬モドキより恐怖の対象だよ。
街中を練り歩かせたら自然とお布施が集まるよ。
「い、いえ、何でも有りませぬ!」
しかし小心者の俺が、目の前で小首を傾げる圧倒筋肉搭載型無差別精神爆撃機に対して素直に思ったことを言えるはずもなく――――
――っていうかもしチョークとかかけられたら、首、折れちゃうよね!?
「主殿! これから我が、この犬モドキを魔法で倒してみせよう!」
「あ、あぁ」
そんな訳で、せいぜいが目を逸らすことしか出来ない俺は、魂の命じるままに頷いた。もう、何も見たくない。
そして話は冒頭に戻るのである。
「ただの右パンチじゃねーか……」
満面に笑みを湛えた、自称魔法☆少女レティシアと、未だ腰を抜かしたままの情けなさ全開スタイルでアスファルトに転がっている俺。
そんな俺の呟きは、住宅街を吹き抜ける風に流されて消えた。
――ジーザス神よ、どうせなら。炎とか魔法っぽい攻撃を繰り出す奇想天外サーカスへ売却確実な魔法☆少女を寄越せ馬鹿。
心なしか、俺の心の中にも寒い風が吹く。