第六十二話 結界術師、帰郷する
第四章 桜花
第六十二話 結界術師、帰郷する
ソルトを出発し、神秘の森へと向かって歩く。少し可能性を危惧していたがやはり戦争終了後、数人の冒険者が興味本位で神秘の森へと入って行ったらしい。ウェンデルト王国側の全ての冒険者は中央と西に配置したため、東に配置されたエルフと妖精を見た者はいない。
そのため神秘の森に妖精やエルフがいるのではないか、との噂が流れたのだ。入って行ったのは本当に一部の冒険者だった。その者達は全員森の中で迷った末、命からがら森から抜けて来たらしい。彼等はエルフの里周辺の、認識阻害の魔法に掛かったのだ。
持って行った食料が底をつき、数日禄に食べていなかったらしい。そんな中で低ランクとはいえ魔物に襲われるので、心底自分の死を実感したようだ。数人の冒険者が同じような目にあって以降、神秘の森へと向かう者はいなくなった。
どれだけ自分の腕に自信がある者だったとしても、森を抜けられないのであれば一切関係ない。さらに食料がなくなって弱った体では、ランクの低い魔物相手だろうと苦戦するものだ。
「こっちだな」
カリアの案内で神秘の森を抜ける。彼女はエルフの里出身のため、この森の認識阻害の魔法を受けずに進めるのだ。今現在彼女がいなくては、エルフの里に行ったことがある俺達ですらこの森を抜けることはできない。
森の中で洞窟を一つ見つける。ここは以前魔王軍幹部の死者の鎧、スラウが強力な魔物と共に住んでいた場所だ。洞窟内の魔物はスラウ討伐の際に、エルフの里の精鋭達が討伐した。元々ダンジョンでもないただの洞窟だったため、宝等も一切見つからなかったようだ。
神秘の森にあるダンジョンは、エルフが把握しているものが一つだけある。精霊のダンジョンで、その中には精霊が住んでいる。エルフの里の者達が神のように崇めている存在だ。
近くにエルフの里があるが、今回は素通りさせてもらう。最近礼を言いに来たので、わざわざ行く必要がない。神秘の森自体はかなり広大だが、ウェンデルト王国側からフスト王国側へと抜けるだけならばそれほど距離はない。
特に直線で抜けることができるならば、一日かからないのだ。最低限の休憩を取って、森を歩いて行く。
「本当に…エルフがいると楽ですね」
感嘆したようにフランが言う。山賊行為を行っていた彼は、地理の把握がどれほど重要なのか知っているのだろう。この森を直線で進めるということは、ここで夜を明かす必要がないということだ。
結界術師である俺ならば、結界内で安全に休むことができる。しかし他の者達にとって、夜の森というのはとても危険な場所だ。いくらしっかりと警戒していようが、夜行性の魔物は気配を消すのがとても上手い。気配を探ることが上手な者がいないと、見張りを立てようが奇襲される危険性があった。
この森には、ナイトウルフという夜行性の魔物がいる。木々で視界が悪い中、鼻の利く彼等は索敵能力も優れていた。
襲われなかったとしても、見張りは睡眠時間を削がれることになる。さらに神経を集中させる必要があるため、警戒するだけで疲労が溜まるのだ。冒険者が町を拠点としてその周辺の魔物を狩るのは、野営をできるだけ避けたいからである。
ダンジョンに潜る高ランク冒険者ですら、深層に潜る場合は敢えて、ダンジョンで夜を明かしてから町へと戻るくらいだ。
「また神殿跡地に行くのですか?」
神秘の森を抜けた辺りで、フランがそう尋ねてくる。またというのは、一度こちら側を偵察に来た時のことだろう。あの時はフスト王国の冒険者や兵士達に見つからないようにするため、神殿跡地で夜を明かした。
職業が暗殺者であるフランが一番偵察に向いているため、彼一人にチナへと行ってもらったのだ。神殿跡地は勇者と四天王の一件があって以降、立ち入り禁止となっている。そのため誰も来ず、安心して休むことができるのだ。
「今日は神殿跡地の近くで野営する。流石に中は休めないからな」
あの一件で魔物も人間も大量に死んで、それ以来誰も入っていない。
長時間放置された神殿跡地内部は、血が壁や床に付着して固まっている。そのため、内部に血の臭いが充満しているのだ。さらに強力な魔物の血の臭いがするため、普通の魔物ですら侵入しないのだ。
神殿跡地の近くで結界を張る。今日はここで野営し、明日チナの先にある町へと向かう。その後はナディス村まで歩くこととなる。チナはまだ戦場にいた冒険者や兵士達がいるかもしれないため、俺達のことに気付かれる可能性があった。
そのため、流石にこの町には入ることができない。次の町でも気付かれる可能性はあるが、確率はかなり低い。ナディス村へ行く道中の町なので、かなり小さな町なのだ。戦場に立てるほどの冒険者がいるとは思えない。
「数日前まで戦場となっていたとは思えませんね」
チナの近くに視線を向け、フランが感慨深げに呟く。確かに、あれだけ魔法を撃ちあっていた場所とは思えないほどの綺麗さだ。
恐らく戦争の後片付けとして、フスト王国の者達が奔走したのだろう。町から少し離れた場所で戦っていたので、流石に町が壊れるようなことはなかった。しかし、その道中の地面はボロボロになっていたのだ。
まさか、数日でここまで綺麗になっているとは思わなかった。チナから神秘の森までは、チナの冒険者くらいしか通ることはない。彼等は魔物討伐で神秘の森へと入るのだ。
俺がチナで冒険者をやっていた頃も、仲間と共に森へと入っていた。この森の性質上高ランクの魔物がいないため、低ランク冒険者でも安全に魔物を狩ることができる。
フスト王国が優先してこの場所を修復したのは、ウェンデルト王国側が攻めて来た際に展開しやすいようにだろう。
この考え方は軍事力を優先して育てている、フスト王国ならではのものだ。圧倒的に兵士の人数差があるフスト王国は、展開できなければその力を十全に発揮することができない。反対に前回のウェンデルト王国のように少数精鋭ならば、ボロボロになっている方が見つかり難くて有難いというものだ。
結界の中でゆっくりと夜を明かす。念のために結界を張っていたが、魔物は全く現れなかった。やはり今でも魔物は、この付近に近付いて来ないようだ。
見つからないようにチナを少し迂回して、次の目的地へと向かう。ナディス村へと向かう先にある町は、テコという町だ。この町は殆ど人の往来がなく、ナディス村と変わらないほど他の町との交流がない。
「見られていますね」
フランが何もないような雰囲気を装いながら、全員にそう告げる。彼はその視線を警戒しているようだが、一切攻撃的な視線はない。
町の外から人が来るということが珍しいため、俺達に視線が向いているだけだろう。
「魔法…使う?」
サーシャの鞄の中からミリアが尋ねる。彼女なりに考えてのことだろうが、今目立つことをするのはよろしくないだろう。
「住人の数を見てもかなり小さいな。それに、明らかに外の知識がない」
カリアが言う。サーシャやカリアという亜人がいるのに、彼女達にあまり視線が集中しないのだ。俺達全員に、同じだけ視線が向いている。つまり、亜人だからと差別していないのだ。亜人を見かけることがなかったので分からないが、ナディス村でも同じように差別は行われないだろう。
外との交流がなければ情報は一切入って来ない。勿論亜人がいる問ということは、小さな村の者でも知っている。だが差別されている等は、亜人がやって来ないため知らないのだ。俺も王都へ行くまでは知らなかった。
宿を取り、一夜を明かす。小さな町のため、宿は一つしかなかった。それもかなり小さな宿だ。ナディス村に向かうため、町から出る。町に来てから出るまで、終始物珍しい視線を向けられていた。しかし、やはり誰も俺達のことを知らなかったようだ。
テコはまだフスト王国の領土だが、彼等は桜花のことやウェンデルト王国の戦争のことを知らなかったようだ。
あれだけ視線を向けられるというのも、かなり珍しいことである。外との交流がない町ならば他の者が珍しいのも分かるが、終始そのような視線で見ているのは失礼なので、普通は数時間で見なくなるものだ。
数時間掛かるのは、住人が情報を共有する時間である。田舎では住人同士の情報網が緻密なため、すぐに全員に知らされるのだ。
だがこの町はそのようなことがなかった。村ではなく町といわれる程度には大きいため、あまり住人同士の繋がりはないのかもしれない。
「見えてきたな」
「あれがクロウの故郷ですか…」
俺の言葉に、サーシャが少し背伸びをして見る。彼女の身長では、まだ見えなかったようだ。
久しぶりに見るナディス村だ。フスト王国が土地を放棄したため、もうここはフスト王国の所属ではない。しかし俺が出発した時と、何も変わっていなかった。




