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18/31

18、年始と不可解な夢

 

 伯爵にデータ移行完了の旨を告げたハヤトは、薄く積もった雪を踏みながら別宅に戻る。ハヤトを出迎えたエレンはなぜか振り袖を着ていた。


「ああ、そうか正月だからか」

「日本の伝統的な服だと聞きました。とても動きにくいです」

「おお。綺麗だ。よく手に入ったなぁ……あれ?」


 ハヤトは久々に見る着物を見て、合わせが逆な事に気がついた。


「エレン、これじゃあ不吉だ。直そうよ」


 それを聞いたメイドが「ええっ」と驚く。どうもネットを見て着付けたらしい。


「いいよ、俺が直すから、任せて」

「えっ……はい、お願いします」


 メイドは男に着替えをさせるのを一瞬躊躇したが、婚約者ならいいかと道を開けた。


「タオルあったら貸してくれるかな、四、五枚くらい。あと布紐も。色々パーツが足りないよこれ」


 エレンの部屋で、ハヤトはエレンを着付け直す。

 長襦袢の合わせから違うので、肌を見ないように目を背けながら直して、手際よく紐を締めた。さらに胴体にタオルを巻く。


「どうしてそんなにタオルを使うのですか? この衣服は汗をかくとかですか?」


 脇で見ているメイドに聞かれたので、ハヤトは笑って答えた。


「和装は、体型に凹凸があると美しく着せることが出来ないんだよ。ずんどうの日本人が引き立つ服なので、エレンのように凹凸があると補正が必要になるかな。ドレスとは逆だよね」

「へぇー」


 メイドは関心していたが、体型の事を言われてエレンは顔を赤らめた。


「手はあがる? 大丈夫?」


 ハヤトはいちいち確認しながら、たくさんの布で出来た紐を使いこなし、きっちり帯までしめた。


「これで完了」


 ハヤトはポンと帯を叩く。エレンは腕を上げ下げしてくるくる回っていた。


「さっきと全然違います。動きやすいです。この服は着るのが大変ですね。驚きました」

「家では祖母が毎日着ているけどね。最近和装をする人は少ないから、着るときは着付けの人に頼むんだよ」

「ハヤトは慣れていますね」

「自分でもたまに着てたし、ばーさんの着付けを手伝わされていたからね」

「へぇ……」


 エレンは着物の柄が気に入っているようで、何度も鏡で袖の裏表を見ていた。


「絵画を着ているような感じです、どうやってこんな布を織るのでしょうね?」


 ハヤトは袖を持ってうーんとうなる。


「詳しくはないんだけど、これは後から染めてるね、型っぽくないから筆で描いてるんじゃないかな……」

「では本当に、絵を着ているのですね……」

「だーねー。高そう……」


 ハヤトは柄を見ようとくるくる回っているエレンを微笑ましく見ていた。


「着物は昴みたいな和風の顔が似合うと思っていたけど、そんなことないね。美人は何を着てもきれいだ」


 回っていたエレンが止まるので、ハヤトは何かと思って顔を上げたら、エレンの顔が真っ赤だった。


「どうしたの? 何かあった?」


 ハヤトが聞くと、メイドが笑う。


「ハヤトさまが誉めるからですよ。先程から十回くらいは美しいを連呼していますよ」

「えっ、あ、ごめん。気がついていなかった」

「無意識……もしかしてハヤトは誰にでもそのようなことを言いますか?」

「いや、知らないよ。意識したことはないし。第一口に出すほど綺麗な人ってそうそういない……」


 と言うと、メイドが苦笑して退出するのでハヤトは頭をかいた。

 エレンはメイドを見送ると、振り袖をふってハヤトの前に来る。


「ハヤトは綺麗な服を着た人とキスをしたくなりませんか?」

「和装を着た女性はそんなハシタナイコトを言いません」

「そうなのですか? では脱ぎましょうか」


 帯をほどこうとするエレンを、ハヤトは止める。


「着付けるの時間かかったでしょう? ちゃんと化粧して写真を取ろうよ。すぐに崩したらもったいない」

「写真をとる事は考えておりませんでした」

「なら何でこんな高そうな着物を買ったの?」

「古着屋で見かけたので、伯爵が買ったと兄が申しておりました」

「金持ちの道楽……」


 はぁとため息をつくハヤトの頭を、エレンは撫でた。多分慰めているんだろう。


「お化粧は、ダンスの時みたいなのでいいですか?」

「あー、いや、やる。俺がする」


 口では説明しにくいのでそう言うと、エレンはパアッと微笑んだ。


「教師は化粧しませんが、婚約者なら良いですか?」


 喜ぶエレンがあまりにも可愛いので、ハヤトは観念して、エレンに微笑んだ。


「エレンのおきに召すままに」



 古都で見るような古風な和装メイクをしてもらったエレンは、不思議そうに鏡を覗いていた。


「カメラ借りてくる。どうせだから家のものも皆で撮ろうよ。バトラーとかみんな」


 エレンがバトラーはキッチンにいたという。


「珍しいね、なんでキッチン?」

「ハヤトがホームシックになっているのではないかと、バトラーが日本の食べ物も買っていました」

「ああ、じゃあ手伝ってくる。何か嫌な予感しかないし」


 ハヤトは扉の前でくるりと振り返って、エレンを見て指差した。


「写真を撮るまで脱ぐの禁止」

「……!」


 ハヤトが早足で厨房に向かうのをエレンは追い掛けたかったが、靴がヘンテコで、足が開かなくてちょこちょこ歩いていたら見失った。

 エレンは、着物を着るのは金輪際止めようと思った。


 エレンがやっと厨房にたどり着いた時、ハヤトはコックやメイドと笑って調理をしていた。

 ハヤトは病み上がりなので、直接調理をしているわけでは無かったが、皆と楽しく話している彼は、エレンの前にいる、どこか緊張している彼とは別人のように見えた。

 この思いは、ハヤトの実家に行った時も思った。

 あの時も彼は子どものようにリラックスをして、心から笑っていた。


 エレンが何度トライしても見られなかった笑顔が、今目の前にあることで、エレンはハヤトと自分の間に見えない壁を感じた。


 ――お前は、搾取する側の人間だ。


 エレンの頭の中で、父の声が呪いのように頭にこびりつく。この家の床から父のようなドロリとした薄暗い闇が自分の中に這い上がってくるような気がする。

 目の前にある、笑い合う世界に飛び込みたいのに、足は縫い付けられたように動かなかった。


「エレン!」


 その光の中からハヤトがエレンに手を伸ばす。エレンが動けずにいるので、ハヤトはその光の中から出てきた。

 暗い廊下にハヤトがいると、ハヤトが汚れる気がして、エレンはハヤトを光の中に押し戻した。


「どうしたの? 着物苦しい? 着替えに行く?」


 ハヤトがエレンの様子がおかしいのを心配して優しく話し掛けてくれる。エレンはそれが嬉しくて、「大丈夫」とハヤトの腕につかまった。


「日本の食材はモチだったよ。あとアン」

「人の名前ですか? アンはよく聞きます」

「食べ物だよ、甘い豆だね。だから簡単に作れるダイフクにして貰った。ベリーハッピーみたいな漢字を書くけど、お腹が膨らむというのが語源のお菓子。食後に食べようね」


 ハヤトが出来上がった白い丸いものを見せるので、雪で作ったウサギのようだと言うと、ハヤトは赤い色素で目を入れて、ハサミで耳を立てていた。


「可愛い! 全部それにして」


 メイドが言うので、ハヤトはダイフクを全部ウサギに加工していた。

 ハヤトが一つウサギをメイドに渡すのを見て、エレンは渡さないで欲しいと思ったが、顔には出さず、無表情のまま光の中に立っていた。


「さっさと写真を撮って着替えよう。和服は胴を閉めるから食事しにくいよね」


 ハヤトがエレンの手を引いて部屋に連れていくのを、エレンは泣きたいような気持ちで歩いていた。




 その日はハヤトが病み上がりだったので、何をするでもなく、エレンの部屋で前のように勉強をしたり雑談をして過ごした。


「……なんかアホなことを聞いて申し訳ないのだけど、今日は何日? もう年は明けた?」


 この家にはテレビも新聞もないので日にちが分からなくて。とハヤトは照れて言った。


「一月七日ですね。ホリデーでいらしていたおば様も帰りましたよ。ハヤトの大学はいつからですか?」

「二十からかな? 休み長いよねちゃんと覚えてないや……というか、一週間も無駄に寝ていたのか、勿体ない」


 ハヤトが頭を抱えるとエレンは笑う。


「弱っているハヤトを見放題で、良い一週間でした」

「……もしかして、着替えとかもエレンがしていたの?」

「はい、汗をかいていましたからね。はじめは教えていただきましたが」

「誰に?」

「部屋のメイドです。先程ウサギを与えていた」


 よりにもよって、女性二人に着替えさせられていたらしい。ハヤトはさらに頭を抱えた。


「何か問題が? 辛そうですが……」

「いえ、覚えていませんが、女性に裸を見られたような事を言うので、恥ずかしいだけです」

「まあ、大丈夫ですよ。大きなタオルをかけておりましたから、見てはいません。触れましたが」


 エレンがニコニコして言うので、ハヤトは頬を手で押さえてエレンを見た。


「いつかエレンが風邪ひいた時にやってあげるよ。逃げるなよ」


 言われてエレンの顔も赤くなったので、ハヤトの気はすんだ。



 夕食も食べて、寛いでいるとニコラスがハヤトの様子を見に来た。ニコラスはハヤトの胸と背中に聴診器をあてて、大丈夫そうだねとハヤトの服を直した。


「しかし、長く寝ていたから痩せたね。やつれたというか……」

「食べればすぐに戻りますよ。元から正月は太りやすいので。すぐ丸くなります」

「何故? 日本は年明けに大食いをするのかい?」


 ハヤトは違うと笑う。


「年始にご飯を炊かないで過ごすために、モチという主食を作るのですが、俺それが好きなんですよ。そのせいで太りますね」

「オモチはランチで頂きました。甘かったです」

「材料がライスなので、どんなものにも合うんですよー。スープの具にしたり、焼いたり、フライにしたり、どんなものにも使えますねー」


 ハヤトが思いだしてにやけているので、エレンは手帳にメモをした。


「元気そうだけど、やつれているのが気になるからビタミン剤をおいておくね。酒とは飲まないで」

「元から酒は飲みませんよ……」


 ハヤトはお礼を行ってニコラスを見送ると、エレンの隣に腰掛けた。


「一週間もいたら、色々遊べたのにね、久々に会えたのにもったいなかったね」


 エレンはハヤトの頭をエレンの肩に寄り掛からせる。


「私はずっとハヤトの側にいましたので、問題はありません」

「それで何で風邪がうつらないんだ。謎」

「キスはしていませんから」


 こんな近距離でキスと言われると、ドキッとする。


「まだうつるかもしれないから、一人で寝るね」


 ハヤトが逃げるとエレンに捕まって、ソファーに引き戻される。エレンは頬を膨らましてハヤトを見ていた。


「着物を着たとき無視されましたから、ダメです」


 ……ダメなのは、俺の頭の中のほうだ。


 風邪を引く前に整理していたデータの内容がとても生々しいものだったので、エレンの側にいるだけでドキドキする。

 今エレンに触れると絶対にヤバい。


 ヤバいと思った時には、目の前にエレンの顔が見えて、エレンの望むようにキスをしていた。

 ハヤトはすぐに身を離そうとしたが、エレンが顔を寄せてきたので、再び口が触れると行為が止まらなくなった。


 ……前に、手は脳に繋がっていると言ったけど、キスのほうがよりダイレクトにくる。


 ハヤトは溶けるような甘い感情に支配されて、エレンの口をむさぼっていた。


「……っ」


 しばらくそうしていて、エレンが声にならない声をあげたところでハヤトは正気に返り、エレンから体を引き剥がした。


「ご、ゴメン!」


 ハヤトが慌てて謝ると、エレンはボーッとしてハヤトを見ていた。


「何故謝ります? キスしたかったのは、私、なのに……」

「いや、だって長くやりすぎたというか、良くないだろう、これは……」

「いいですよ」


 と言って、エレンが手を広げるので、ハヤトはその手をとりそうになって、ぱっと立ち上がった。


「ダメ。こーゆーのは結婚してから!」

「それは、ハヤトのポリシーなので尊重しましょう。でもキスはしてくださいね」

「それはいいですが、寝室ではしませんよ」


 ハヤトは急いで立ち上がって水を飲んだ。その時にニコラスが置いていったサプリが目に入ったので、説明を読んで二錠を水で飲み込んだ。


◇◇


 ……寝室ではキスはしない。


 ハヤトが言った言葉をエレンは手帳にメモをする。はじめは人名手帳だったが、知らぬうちにハヤトのルールブックになっている。

 ハヤトの好きな食べ物、場所、気にしている事を情報が入り次第かきつけていった。

 今日は寝室ではキスをしない。長いキスは結婚してからと書く。

 エレンが最近読んだ本では、キスでは子どもは出来ないようだったが、ハヤトは気にするようだ。それには絶対に理由があり、彼がそうしたほうがいいと言うなら絶対に守るべきルールなのだ。

 ならば従おうと、エレンは手帳を閉じた。



 キスはしないけど、風邪が治ったのならばベッドの隣に入れて貰おうと、エレンは枕を持って、ハヤトが使っている客間に行く。ハヤトは既に熟睡していた。

 私がここにいる説明は起きてからすればいい。と、エレンはベッドにもぐりこみ、ハヤトと手を繋いで目を閉じた。


 暫く寝入っていたが、真夜中に目が覚めて、エレンは真っ暗の中、手を動かしてハヤトを探した。エレンは手探りでベッドの上を探すと、ハヤトの肩に触れたので安心した。

 しかし、すぐに、あれ? と思う。

 触れた肩に布はなく、肌に直接手が触れた気がした。


「……ハヤト?」


 エレンは名前を呼んで、ハヤトの肩をゆする。さっきのは間違いで、ハヤトはちゃんと寝巻きを着ていた。

 ハヤトの眠りは病気をしてない時は浅いので、呼び掛ければ起きるだろうと思ったが、ハヤトは目を覚まさなかった。


「…………?」


 エレンがおかしいと思い、電気をつけようと床に足をつけた所で、部屋に誰か別の人がいて、息を潜めて隠れているように感じた。

 エレンは怖くなって、急いで電気をつけようと扉に向かう。すると闇が近付いて来て、エレンの口を布で覆った。


 ……明かりまでもうすぐなのに。


 エレンは口を塞がれているので、悲鳴をあげることも出来ずにいた。エレンはこのままではハヤトが危ないと思い、じたばたと暴れた。するとその手に爪があたり、人の皮膚を裂いた感触があった。

 しかしひっかいたくらいでは、エレンを拘束する力は弱まらず、エレンの意識は次第に遠くなっていった。


 闇はエレンを再びベッドに寝かせた。そして寝ているハヤトの上を不穏に漂っていた。


 ……どうして目が開かないのか。助けを呼べないのか。


 エレンは泣きながら自分の体が動かないことを呪っていたが、そのまま意識は深い闇の中に落ちていった。



 ◇◇


 ハヤトは夢の中で、あの黒髪の女が泣いている声を聞いていた。

 周りを見るとどこもかしこも真っ白だ。泣き声を辿っておそるおそる前に進むと、黒髪の子どもが膝を抱えているのが見えた。

 ハヤトはその子どもの姿に見覚えがあった。それは、伯爵が集めている動画に出てくる子どもだ。


 ……何でこんな所にいるんだ、この女は死んだんじゃなかったのか?


 ハヤトは目の前にいる、三才くらいの肩まで髪を伸ばした黒髪の少女の肩に触れた。小さな肩は、息をする度にひっくと揺れている。


「どうして泣いているの? 君はフレイという名前かい?」


 少女は顔を上げてハヤトを見る。こぼれ落ちそうな大きな緑の瞳はエレンによく似ている。

 ハヤトが屈んで視線を合わせると、少女はこくんと頷いた。


「私迷子なの、帰る所が無いの」

「知っているよ、樹の部屋から出られないのだろう?」


 そう言うと、少女は泣くのを止めてハヤトをじっと見た。


「……あなたは誰? あなたがサーなの?」

「違うよ、俺の名前はハヤトだよ」

「ハヤト……」


 少女がハヤトの名前を口にするのを聞いて、ハヤトはその子が英語で話していることに気がついた。

 周りには何もないと思っていたが、認識をすることで周りの景色が目に飛び込んでくる。少女はエレンの家の庭で泣いていたようだ。新年を迎えたばかりの地面には所々雪が残り、冷たさが刃物のように体に染み込んでくる。


「おいで、ここは寒いよ、家の中に入ろう」


 ハヤトが手を広げると、少女はハヤトに向かって手を伸ばした。ハヤトはその子を抱き上げて、背中をポンポンと叩く。子どもはハヤトの頭にしがみついた。

 そのまま子どもを抱いて別邸に入ると、中は真っ暗で誰もいなかった。


「……ここ、こわい」


 少女がハヤトの首に巻き付く。この寒い家の中で、その少女のあたたかさは救いだと思った。ハヤトは少女の頭をそっと撫でる。すると少女はハヤトの肩に頭を乗せてボソッと言った。


「ハヤトキライ」


 ……抱っこしてあげているのに何をいいやがる。


 ハヤトはその子の額をぺちっとはたくと、少女はふてくされて頬を膨らました。


 ……なんとなく、エレンに似ている。


 長い廊下を歩きながら、ハヤトは子どもに話し掛ける。


「伯爵がね、君を助けたいって、ここに呼び戻したいみたいなんだ。そんなことって出来るのかな?」

「わかんない。でも、ずっと呼ばれているの。でも私はそこに行くのはいやなの」


 ……誰に呼ばれている? 伯爵に?


 ハヤトは妹にしていたように、抱っこをしたその子を胸に押し付け、背中をトントンと叩いていたら、その子どもはボソッと行った。


「ハヤトがいるなら行ってもいい……」


 ……まさかのツンデレ?


 ハヤトは吹き出しそうになるが、ぐっと堪えて、その子を客間のベッドに入れて毛布ですまきにする。その間にハヤトは寒さを何とかしようと室内を物色していた。


「暖房は入ってないな。イヤに寒い……暖炉の火ってどうやってつけるんだろう……」


 テレビで見た映像で、燃料は石炭だった気がするけど、この部屋には無さそう。石油ストーブとか何処かに無いだろうか。

 ハヤトが熱源を探して、色々な部屋を探すが、部屋をあたためられそうなものは見つからなかった。


 ……あとはもう体温しかないか。


 ハヤトは収穫がなかった事に落胆して部屋に戻る。ベッドに潜ると、手足を擦って身を震わせた。


「ハヤト……」


 その子どもがハヤトの肩に触れるので、ハヤトはその子を引き寄せた。昔よく、妹がベッドに潜り込んで来たのを思い出してハヤトは笑う。

 すると子どもは起きあがり、ハヤトに覆い被さった。その子どもの長い髪が、上から流れ落ちるようにハヤトの顔にかかった。


「……ん?」


 何だこの髪の毛? あの子はこんなに髪の毛が長かったか?

 ハヤトは顔にかかる髪をどかそうと手を動かしていた。かき分けた闇の色の髪の奥には、熱くて柔らかい、白いものがあった。それはざわざわとうごめき、ハヤトの唇を奪う。


「……!」


 突然キスをされて、驚いたハヤトは、その子どもをどかそうとするが、重くて動かなかった。その長い髪を持つ闇はニヤリと笑う。


 ……こいつ、大きさがこどもじゃない、俺よりも大きい。


 その手がハヤトの肌を滑り、ハヤトの体温をすするように口が触れるのを感じて、全身が粟立つ。


 ……あれか、あの異世界にいる女が若い王様と寝ているのを見たから、夢に見ているのか。


 これは夢だ、今すぐに起きるべきだ。

 という心と、夢ならばいいのでは無いかという心がせめぎあっている。そして起きようとしても、瞼ひとつ動かないのだからどうしようもない。

 ハヤトは動けないまま、砂浜に打ち寄せる波のような感覚に抗えずに、その女の形をした闇に心と体を貪られていた。



「……!」


 ハヤトが目が覚めた時は、既に日が登り、寝たときと同じ場所、エレンの住んでいる別邸の客間にいた。


「夢? それにしてもなんて夢だ……」


 あの映像の女、しかもエレンの母親と寝る夢を見るなんて……。

 ハヤトは衣服や寝具を確認するが、特に異常はなかった。でも、ベッドの隅にエレンが使っている枕が置いてあるのを見つけた。

 その辺を見ると、シーツにシワがあり、人が寝ていた形跡がある。


 ……もしかして、エレンが夜のうちにここに潜って来ていて、あの映像で頭が沸いてる俺がエレンに手を出したのでは?


 そう思うとそうとしか思えなくなる。夢とは違い、ハヤトの体には生々しい人の体温や汗の湿り気が残っている気がする。


 ハヤトは服を着替えて部屋から出て、枕を持ってエレンの部屋に行くと不在だった。

 ハヤトはエレンの寝室に枕を置いてベッドを見ると、やはりエレンがここを使った痕跡は無かった。


 ハヤトはエレンを探すが、別邸の誰も知らず、本宅に行っても分からなかった。

 メイドが言うには、寝巻きが置いてあり、服一式とコートとブーツが無いと言う。エレンは寝巻きを着替えて外に行ったようだ。


 伯爵とニコラスは会社に行っていると聞いた。

 ハヤトは執事に頼んでニコラス様に聞いて貰うが、ニコラス様も知らないと言った。


 ……エレンが伯爵と外出することはあるまい。コートが無いのなら、湖畔に散歩に行ったのかもしれない。


 ハヤトは外を探しに行こうとするが、風邪がぶりかえすと執事に止められる。エレンの捜索は執事に任せて、ハヤトは客間に連れ戻された。


 ハヤトはそこでエレンの帰りを待っていたが、その日エレンは家に戻らなかった。


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