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13、湖の館に帰る

 

 ハヤトの大学の書類は揃ったので、ハヤトとエレンとバトラーはイギリスに戻ることになった。


 ハヤトが自分で予約をしていた飛行機の格安チケットはバトラーがキャンセルし、エレンと同じ便を買ってくれた。

 行きの成田からヒースローまで九時間を、執事は寝ていたいらしく、帰りも寝たいとエレンの隣の席を譲られた。


 普段利用しているエコノミークラスではなく、座席数の少ない配置を見て、ハヤトは少し緊張した。

 ゆったりとした椅子にエレンをエスコートして、ハヤトはその隣に座る。エレンは体をハヤトのほうに向けていて、遠足に来ている子どものように、キラキラと目を輝かせていた。


「エレンは、行きの飛行機では寝なかったの?」

「はい、バトラーが何でも知っているので、色々聞かせて頂いておりました」


 九時間解説をされ続けられるとは…………それは疲れるわ。ハヤトは苦笑して先手を打つ。


「今度のフライトは夜をまたぐからね、周りに合わせて寝ますよ」

「はい」


 エレンはニコッと微笑んだ。

 しかし同意したのは、俺が寝ることだったようで、エレンが寝ることを考えてはいなかったようだ。エレンはフライト中、話したり映画を観たりとしていたが、夜ライトが落ちてもエレンは眠れないらしく、キョロキョロしていた。


「寝られないの?」


 エレンの耳に手を当てて、小声で言うと、エレンは頷いた。


「ハヤトがいるから、ハヤトをみています」


 滅多に会えない俺との時間を大切にしているのかもしれない。単なる前向き思考だけど。


 ……まあ、寝てくれないと疲れが取れないし、周囲にも迷惑だよね。


 ハヤトは、中学の時に、幼稚園のスバルを連れて映画館に行った事を思い出した。

 スバルの好きなアニメだったのに、スバルはみるのに飽きて始終がさごそ動いていた。


 ……あのときはどうしたかな。ああ、そうか。


「エレン、手を貸して」

「……?」

「手に触れてもいい? 嫌だったら言ってね」

「はい……」


 エレンは何をするのだろうと、不思議そうにハヤトの手をじっと見ていた。ハヤトは、エレンの右手をとると、そっと手で揉んだ。


「……?」

「手はね、脳と密接に繋がっているんだって。だからこうして血を流すと、あたたかくなるし眠くなるよ」

「分かりません。眠くはありません」


 首を傾げるエレンを見て、ハヤトは苦笑した。

 手に触れた時にとても冷たかったので、エレンの血の巡りは少し悪いのかもしれない。


 ……まあ、スバルも大人しくは寝てくれなかったよ。


 ハヤトは小さかった頃のスバルとエレンを重ねて笑う。でも大丈夫。すぐに手があたたかくなるから。

 ハヤトは、指の先端を揉みほぐしたり、親指と人指し指の付け根を押したりしていると、手があたたまってきて、手応えを感じた。


「反対の手も貸して」

「……はい」


 エレンは夢うつつなのか、ボーッとしたまま逆の手を出す。左手があたたまるのはすぐだった。

 エレンの体が傾いで、ハヤトの肩に髪が触れる。


「ハヤト、これ……キモチイイ……あたまとける……」


 耳もとで言われてドキッとした。えっと思って横を向くと、エレンの寝息が聞こえた。


 ……落ちたわ。チョロいね。


 と、ほくそえむ筈が、エレンの最後の言葉で今度はハヤトの動機がおさまらなかった。


 ……朝になったら忘れてくれますように!


 ハヤトは祈るような気持ちで固く目を閉じていたら、疲れから意識がストンと落ちて、眠りに落ちていた。



「ハヤト、昨日の夜の手のやつは何?」


 願いも虚しく、翌朝もエレンは忘れていなかった。飛行機から降りても、荷物を回収する間もずっと言い続けていた。


 ハヤトの荷物は軽いので背中に背負うが、エレンとバトラーのスーツケースは大きかったので、カートを借りてハヤトが押した。

 ハヤトはカートを転がしつつ、執事の年でこの作業は辛いな。と思っていたら、エレンが不思議そうにハヤトを見ていた。


「ハヤトは何でもしたいのね」

「えっ? うん、まあ何でもするけど?」


 ……したいってなんだ? 俺がカートを押したがっているのだと、エレンは思ってる?


「ハヤトさま、ポーターに頼みますが」


 バトラーが申し訳なさそうに言うので気がついた。


 ……そうか。金持ちは自分で運ばないのか。


 ハヤトは恥ずかしくて暴れたい気分になったが、オーケーを連呼して切り抜けた。



 迎えの車を待つ間、またエレンが手のマッサージの事を言い始めたので、ハヤトはバトラーの手を揉んで、いかがわしい事ではないと主張した。


「ああこれは眠くなりますね……。肩も腰も、ハヤト様はマッサージが上手です」


 あまりやっていると、バトラーが寝おちしそうなので、早めにきりあげた。


「実家には、常に腰が痛い祖母と、常に肩が凝る母と、夜寝ない妹がいるので」


 ハヤトが笑ってバトラーと話していると、エレンがハヤトの手をつかんだ。


「私もハヤトを眠くさせたいです」

「……ひっ」


 ……まっ昼間から、何を言っているんだこの美女は。


 ハヤトが笑って手を引き抜くと、エレンは不機嫌そうに膨れた。


「エレンさま、リフレクソロジーですよ」

「ん?」


 聞いたことの無い単語だったので、ハヤトはバトラーを見る。


「手や足の裏を刺激して、血を流したり疲労回復を促すものです。これは我が国でも専門の方がおりますし、習えますよ」

「習います!」


 エレンが真剣に言うので、バトラーは微笑む。


「へぇ……これってイギリスにもあるんだ。接骨院のおじさんから聞いたから、東洋医学だと思ってた」


 ハヤトは今度調べてみようと単語を覚える。


「しかし、どうしてエレン様はそれを会得したいのですか?」


 ハヤトはその理由が気になったのでエレンを見る。されたいならわかるけど、自分でやりたいのは何故なんだろう?


「ダンスと同じです。これなら人前でハヤトに触れることが出来ます!」


 にこやかに告げる少女を見て、ハヤトとバトラーは笑顔のまま、お互い顔を見合わせた。


「エレン様? 貴方は女主人なのですから、人前でそういった事はされないほうが良いかと」

「ハヤトは良いのに、私がダメな事は多すぎます……」


 しょんぼりするエレンにバトラーは節度と礼儀についてこんこんと説いていた。ハヤトはエレンの顔が直視出来なくて、目の前を過ぎ行く人を見て雑念を払う。


 ハヤトは今まで色んな人を笑わせて来たけれど、俺を笑わせたいとする人はいなかった。それをされたときの自分を想像すると、色々と耐えられそうに無かった。


 ハヤトはスバルにするように、エレンに接触するのは止めようと心に刻み付けるが、その反面でエレンがかわいくて仕方がない自分が存在する。

 ハヤトはエレンを、チラリと覗き見る。


「人前でなければ良い……」


 と呟いていたので、聞かなかった事にした。



 二人のスーツケースを車に積むのを手伝うと、ハヤトは二人と別れて学校近くに借りた下宿に戻った。

 普通のご家庭の一部屋に住まわせて貰う形なので、ホームステイともいえる。ハヤトは戻りましたと報告して、お土産のお菓子をホストファミリーに渡した。

 旅の衣服を洗い、乾燥機前でたそがれていると、ホストマザーが乾いた衣服を部屋にいれといてくれるというのでお願いした。ありがとう現地ママ。



 ハヤトは通いなれたバスに乗り、エレンの住む湖のある町に向かう。湖畔で自転車を借りて、しばらく湖を見ていた。


「不義理は許さない」と言う祖母の力が無いと、エレンを日本に呼ぶのは無理だ。

 伯爵の顔を見るのは辛いが、一度は話を通しておかないと祖母の協力は得られない。


 これは、しなければならない通過儀礼だから。と自分に言い聞かせ、ハヤトは自転車を押して坂を上った。


 屋敷についたら、伯爵もニコラス様も不在で肩透かしをくらう。

 いきなり伯爵に対決する前に、ニコラス様に話を聞きたい。今日はニコラス様に会いに来たと言うことで、本宅で待たせて貰った。


 ハヤトは暇をもて甘し、百年以上前に建てられたという屋敷を見てまわった。

 磨き抜かれた廊下は鏡のようで、壁には古い絵画や調度品が置かれている。ふるめかしい壺とか、うっかり落としたら首がとびそうなほど高価に見えた。


 ……こーゆーの、母が喜びそうだ。


 ハヤトのダンスは母の影響で、母はこういった古城や美術品、そしてキラキラしたものが好きだった。

 ハヤトはエントランス脇の二階から下のホールを覗いていると、伯爵が入ってくるのがみえたので、咄嗟にその場にしゃがんで隠れた。


 迎えの使用人と共に階段を上がって来る伯爵に見つからないように、そーっと反対側へと移動していたら声を掛けられた。


「そこの道化、後で部屋に来るように」


 ……はい、バレてました。


 ハヤトは観念して立ち上がり、伯爵の後ろを付いていった。


 伯爵は上着を使用人に預けると、椅子に沈むように腰かけた。そのまま目を閉じるのを見てハヤトは、この人は疲れているのだなと思った。

 伯爵は片目を少し開けて、ハヤトを見る。


「しばらく見てないが、あまりかわらないな」


 ……身長は少しはのびたのですが。長身の伯爵から見たら些細すぎてわからないようです。


「お前がここにいるのは、エレンも戻っているのか」


 ハヤトは入り口に立ったまま伯爵に答える。


「空港までは一緒でしたので、俺より先に戻っていると思いますが、確認していません」


 伯爵は部屋の使用人を見ると、戻っていると頷いた。その返事を受けて、伯爵は机の書類に目を通す。しばらく部屋に紙をめくる音だけが流れた。


「それで、俺の提案を受け入れる気になったのか?」

「いいえ」


 伯爵の質問にハヤトは首を横に振る。


「俺は伯爵の道化になる気はないよ。でも、エレンには会いたいんだ」

「なら、今まで通りに別宅に行けばよい。ここに来なくても済むだろう。本件はそこには無いな?」


 ハヤトは言うべきか。言わざるべきか悩んで、じっと伯爵を見ていた。


「エレンを、この家から解放したい」

「具体的には何かを考えているのか?」

「俺が働いてエレンを養う。ごく一般的な平民家庭の構造だ」


 それを聞いて、伯爵ははっと笑う。


「学校はどうする? お前があの女を養えると? あいつは何も出来んぞ?」

「伯爵がやらせないからやらないだけで、彼女はなんだって出来るよ」


 ハヤトが反論すると、伯爵はのんきに使用人に茶を頼んんでいた。


「学校は行け。学歴も後ろ楯もない外国人は使えん」


「学校に行け」。ハヤトはそう言われてホッとする反面、指図をされてイラっとくる気持ちもあった。


「別に伯爵の世話になる気はないよ。出来れば伯爵からエレンを引き離したい。なるべく早く」

「あの女が、ここ以外で生きていけると思うか?」

「出来るよ。エレンはとても物覚えがいい。俺とのほとんどの会話を覚えてる。本人にも学ぶ意欲があるから、スポンジのように何でも吸収する。やれば何だって出来る人だ」


 伯爵はカップに注がれた紅茶を一口飲んだ。


「やらせなくていい。私はあれをここから出す気はない。お前があいつに会いたいならここに来い」


 ハヤトはその頑なな返事に疑問を覚える。


 ……閉じ込めるのは、自分の物だと主張していること。


 祖母の言葉が頭に浮かんだ。伯爵はエレンの何に執着しているのだろう?


「あの別宅や使用人の維持費だって多額だろ? 昔と違って貴族も大変だと聞くよ? エレンがいなければ別宅空くじゃん。経費節約になるよ」

「別に金には困ってないよ。事業は成功しているからな」


 ……伯爵は事業をおこしているらしい、今度調べようと心に刻み付けた。


「顔を見たくもない程嫌悪している娘を、大金はたいて手元に置く意味ってあるのか?」

「娘を野に捨てるわけにもいくまい。俺にも体裁があるんだ」

「いや、結婚して出ていくなのなら体裁は保たれるだろ? 他に何か理由は無いのか?」

「別宅の使用人が路頭に迷うな」


 ハヤトはうーんと考える。


「いっそのこと、別宅でホテルとか開けば? 観光地だし客も来るだろ? うちの親も古城とか大好きだよ。見るのはね。雇用も増えるし」


 伯爵は書類を見ながらハヤトと話を続ける。


「お前がやるなら任せてもいいよ」

「ん? えっ? いや、無理だよ」

「お前は何で医大なのだ? 医者になりたいのか?」

「ああ……」


 ハヤトは面接されているような気持ちで伯爵と向き合った。


「研究したいことがあって、医大なら手がかりが得られるかなと」

「具体的に何だ?」


 ハヤトは言うべきか悩む。この人に言っても理解できるのかなと。


「言葉や視覚を介さず、人の意識を共有する物理的な方法を探しています」

「なんだそれは」


 ……笑われると思った。まあ、踊っている時の心のリンクを踊り以外で再現出来ないかなと思うだけなんだけど。


「まあ、それはライフワークなので放置して、ドクターのライセンスを取得しようと思うのは、ある程度経験積んだら国境なき医師団に入ろうかなーと思いまして」

「ん? 何だ、家の家業を知っての医大かと思ったのにな」


 ハヤトは、ん? と首を傾げる。


「伯爵は、どんな事業をされているので?」

「医療機器の開発と販売だな。いくつか病院もやっている」


 それを聞いて、ハヤトはライセンス取るのはやめようかなと苦笑した。


「すみません、今知りました。領地の運営だけをしているのかと思っていました」

「それでは生きていけん」

「ですよね……」


 ……中世じゃないのだから、土地持ってるだけでこの暮らしは出来ませんよね。


 ハヤトは困ってヘラっと笑った。


「まあ、医者になるなら雇っても良い。そこにエレンもつけるのもアリだ。その頃にはエレンもいい年になっているだろう。成人したならここから出ていってもいい」


 伯爵の口から、エレンの解放が出てきた事にハヤトは驚いた。


「卒業まで六年かかりますが、それまで待ってくださると?」

「無事に学位がとれたらの話だな。無理そうなら適当に嫁に出す」


 ……婿を取るのではなく、嫁に出すと言う。やはり拘りはエレン本人じゃなくて、外聞と体裁にあるのか?


「待ってやるから、たまには遊びに来いよ。ここはつまらんから、道化が必要だ」

「いいかげん道化枠は捨ててくださいよ……来にくいじゃないですか」

「婿殿とお呼びしようか?」


 ハヤトはブンブンと首を横に振った。それは勘弁してくれ。


「六年かかることをエレンに告げてくる」


 ハヤトは静かに部屋を出る。暫くするとパタパタと廊下を走る音が響いた。


「ほらな、引っ掛かっただろ? 可愛い子には旅をさせろとはよく言ったものだ」


 伯爵はさも楽しそうに肩を揺らして笑っている。部屋に立っている使用人は何も答えなかった。



 ハヤトは自転車を押しながら別邸に行くと、庭の手入れをしていた庭師に久しぶりと声を掛けられた。庭師はバラを切ってくれて、エレンに持っていけと渡してきた。ハヤトその場ではいらない葉と刺をおとして水切りをする。


「ずいぶん花に慣れているな。花屋でバイトでもしていたのか?」

「ああ、花は小さな頃から触れていたんで」


 ハヤトは庭師に礼を言って、花を自転車の籠に入れた。

 ハヤトも小さい頃は、自分は親の家業を継ぐのだと思っていた。スバルの父親が現れるまでは。

 旅先で一目惚れした男の子どもを産んで、片親のまま私生児の俺を育てた母は、数年経つと海外から日本に遊びに来て、行き倒れていた大男を拾って来た。熊のようなその男は、あっという間に篠崎の家風に慣れ、篠崎の婿養子になった。


 スバルの父親のジョンはとてもいい人だとは分かっているのだけど、女だけの家を俺が守るのは自分だ! と、意気込んで生きてきたので、自分よりがたいのよい男の登場には失望を隠せなかった。


 ……あの家で俺が出来ることはもうない。


 それ以来、ハヤトは自分の居場所を探してふらふらしていた。留学もはじめは母が身籠ったらしいオーストリアで探していたが、実の父の情報は皆無で、実の父親を探す事は意味が無いと分かり、スバルの父親の親戚がいるイギリスに決めた。

 つい最近まではその親戚の家においてもらっていたけど、遠いので通う学校の側に移った。


 ……あと六年で何をすべきか考えないと。


 ハヤトは自転車を車庫の片隅に置かせてもらい、花を持って別邸の呼び鈴を押した。


 エレンは最近は部屋から出て生活しているらしく、ベルボーイより先にハヤトを出迎えた。

 前は常に無表情だったエレンが、今じゃ笑顔で走ってくる。

 スバルのように突撃してくるわけでもなく、そばに来てニコニコするだけだが、ハヤトはエレンが心から自分を歓迎してくれていると感じた。


「それはバラですか?」

「そうだね。匂いが大丈夫なら君の部屋に生けるよ」


 エレンはハッとしてハヤトを追いかける。


「カドーですか? ハヤトのグランマがしているのをお家で見ましたよ」


 そう言われてハヤトはバラをじっと見る。艶やかな薔薇を祖母の流儀で生けるのは難しいと判断した。


「この花がしてほしいように生けるよ。花瓶とスポンジ等を貸して貰いたいな」

「ハヤトは花とお話が出来るの? ダンスはしていないのに?」

「そんな気がするだけだね。まあ見ていて」


 小さな籠から薔薇が溢れるように配置して、途中拝借したアイビーとリボンで周囲を飾る。

 花を引き立てて空間を構成するような祖母の教えとは違い、誰が見ても愛らしいと思うようなアレンジにしておいた。


「ハヤトさまって、何でも出来るのですねぇ」


 道具を片付けているメイドが驚いていた。


「色々やったけど、これは最初覚えたものだね。うちの家は花を活けてご飯を食べているので」


 エレンは丸く生けられた花のまわりを歩きながら見ていた。


「こーゆーのもお金を貰えるのですね」

「大金は無理だけど。ほら。花は人に贈ったり、結婚式のブーケにしたりするでしょう。いつの時代でも需要がありますよ」

「それは、素敵なワークです!」


 エレンは目を輝かせて花をみている。

 親の家業を誉められて、ハヤトは嬉しくなった。家から逃げてしまったけど、やはりあの家と家族は大切で大好きな人達なんだ。

 ハヤトは道具を手入れして、箱に入れてメイドに渡した。


「ハヤトは、何をしていても真剣ですね」

「ん?」


 常時自分を見ているエレンが妙なことを言った。


「ダンスをしているときもそうですが、今の道具に触れている時も背筋が伸びて美しいです。これは悪い意味ではありません。歩いていてもハヤトはどこか綺麗なのです」

「それは多分……」


 祖母が礼儀と道具の使い方に厳しいからで、歩き方はダンスのせいだと思うと説明するが、エレンは何故か納得しなかった。


「この前、ハヤトのおうちに行ったとき、何かが違うと思いました」

「何だろう? どこが違う?」


 エレンはうーんと考えて言う。


「家でのハヤトは子どもみたいに安心していました。ここでは、常に緊張しているようです」

「……緊張は、まあするね、うん」

「どうして?」


 エレンは首を傾げる。


「え、いや、ほら、家だとバイトしないでもご飯を出して貰えるし、昼寝をしていても笑って許して貰えるというか……」


 そうか。あの家は卵の殻のようなもので、硬い殻の中にいるときは俺は子どもでいられるのか。エレンはそれを指摘しているんだとハヤトは思った。


「ここでも寝てください。私は笑いませんし許しますよ」

「ええ……それはちょっと」


 躊躇うハヤトをエレンはソファーに座らせる。


「ホテルでバトラーも寝ていました。ハヤトも寝るといい」

「無理だよ」

「いいから寝てください」


 何故か仁王立ちでハヤトを威圧するエレンを、ハヤトはかわいいと思った。

 そのやり取りを見ていたメイドがそっと退出するのを見て、ハヤトは冷や汗が出た。

 ハヤトはエレンに諦めて貰おうと説得にかかる。


「エレン、寝るためには安全と安心が必要なんだ。残念ながらここでは俺は全然安心出来ない」

「ここには敵も狼もいません!」


 ……敵は本宅に住んでいるだろうと思うが口には出さなかった。


 エレンは俺を寝かせてどうしたいのか?


 エレンはタンスから大きめのショールを出して椅子に掛けた。ハヤトはその動作を見て、真意を探ろうとするが分からなかった。

 エレンはハヤトが座っているソファーにストンと腰を掛けて、体をハヤトのほうに向ける。


「今、君の父親に会ってきたけど、その話は気にならない? 俺を寝かせる方が先なの?」

「伯爵はどうせ私をここから出しません。他に私のするべきことがあるなら聞きます」

「六年だ」

「何がですか?」


 ハヤトはまっすぐにエレンの目を見て言った。


「六年後に、俺が大学の学位を取得すれば、エレンはここから出ていっても良いと伯爵の許可を得た」

「……え?」


 要領を得ないエレンに、もう一度説明をする。


「六年後に、君と結婚して、住居をここから外に移す。家を借りて住むよ」

「日本ですか?」

「それはまだ決めていないな、俺の就職先に近いところがいいと思う」

「そこには、ハヤトしかいませんか? 伯爵も兄も、バトラーもみんな……」

「いないよ。使用人を雇えるだけの給料は期待しないでほしいな」


 エレンはしばらくぼーっとしていて、すっくと立ち上がった。


「では、では、ハヤトのご飯を作るのも、ベッドを作るのも私ですね! これは大変なのです。だって私は何も出来ないので!」


 笑顔で自分の無能を語るエレンは、なんだかずれていてかわいい。


「ご飯は俺が作れるよ。洗濯は機械がやるし、ベッドメイクもそんなに重労働では無い。ここみたいに大きな家を借りるのは無理だしね」

「部屋は小さい方が、ハヤトの側にいられます」

「確かに」


 ……どうしてこの人は俺に触れたがるのか。


 ハヤトは楽しそうなエレンを見て微笑んだ。


「真っ先にハヤトが昼寝をする空間を作りましょう」

「そんなことを言うと、ずっと寝るよ? 俺はすることがないと動かないし」

「はい! ねてください」


 ……ぐうたら宣言を笑って許されてしまった。


 ハヤトはなんとも言えない愛しさが込み上げて、エレンの頭を撫でる。


「エレンは、何か生き甲斐を見つけないとね。俺が働いている間は一人にしてしまうので」

「ハヤトを見ているのが好きですよ」

「奥様同伴では働けないよ。エレンは家で待つことになるよ」

「奥様……」


 何故かぼーっとしているエレンを、ハヤトは小突く。


「ダメだな。一人にするのは多大に不安だ。やはり実家に行くか……」


 エレンから顔をそらし、床を見て考えているハヤトの顔を無理矢理エレンのほうに向けさせる。


「……いたいよ? 突然何?」

「二人が良いです。スバルはたまに会えればいい」


 ハヤトは照れ笑いをごまかすように、エレンに言う。


「なら、一通りのハウスワークを出来るようにならなければ。あと義務教育終了試験も受けようか。あれがないとバイトもできないし」

「ハウスワークに試験がありますか?」

「いや、勉強だよ。この国で生きていくにはそれなりに重要な試験です」

「分かりません」



 そこまで話していた所で、部屋がノックされへてニコラスが入ってきた。ニコラスはハヤトを見ると笑顔で近付いて来る。


「久しぶり、ハヤト。君がここに来ていると父に聞いて、顔を見に来たよ」


 ハヤトは立ち上がってニコラスに頭を下げる。


「ご無沙汰して申し訳ありません。大学に受かったのでまた来訪しました」

「あれ? 父に聞いた話と違うな……」

「何を聞きました? 俺はゆくゆくはエレンと籍を入れて、この家からエレンを解放したいと思っているのですが……」


 ニコラスはハヤトの話を聞いて頷いた。


「なるほど、そういった話か。父はさわりしか話さないから、エレンが日本でハヤトを捕まえて来たしか言わなかったよ」

「全く話が伝わってないじゃないですか……」


 ハヤトが頭を抱えると、ニコラスは笑った。


「入籍は大学卒業後かい? ハヤトはプロテスタントなのかい?」

「え? 俺は無宗教ですけど……」


 ハヤトが言うと、ニコラスは目を丸くした。


「宗教が無い人がいるとは思って無かったよ」

「え? そんなに重要ですか? 神とかいないのに祈っても何かをしてくれたりはしないでしょう?」


 ニコラスは困ってエレンを見るが、エレンはハヤトの意見に頷いていた。


「でもハヤト、礼拝は歌が綺麗ですよ」

「ゴスペルとかは聞き応えがあるけどねぇ。そこから生まれた文化や芸術は認めるけど、俺が神を信じる事は無いよ。もし式をするのに必要なら、エレンに合わせるし」

「今時の若者はそんなものなのか。私としては結構衝撃的な意見だった。覚えておこう……」


「えっと、ロード、さっきエレンと話をしていたのだけど、エレンにGCSE(義務教育終了試験)を受けさせる事は出来る?」

「試験を受けることは出来るよ。つてはある。でもエレンはそれで良い成績がとれるかなぁ?」


 ハヤトはニッと笑う。


「そんなん今からやればいいし。試験十六才だろ? 余裕よゆう」

「どうかなー。まあ、勉強再開か。忙しくなるね、エレン、よかったね」

「はい、良いお話です」


 エレンが満面の笑顔で答えるので、ニコラスもエレンの頭を撫でていた。撫でたくなろよね。かわいいもん。


 笑顔で話をする兄妹を見ていると、ハヤトの顔も緩んでくる。

 大学の学費はばーさんが貯めたのと俺がバイトをしていた分があるからなんとかなるけど、後には新居を借りる為の資金も必要だ。

 どこに住めば伯爵から逃げられるのか、そしてエレンとの新生活をするために、どれくらい金があればいいのか、ハヤトの考えなければならないことは沢山あった。


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