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12、進路に悩む

 

 兄に遊園地に連れていって貰った帰り、昴は家族や友達にお菓子や文房具を買って、ごきげんで帰りの電車に乗る。隼人もバトラーの携帯を借りたまま、後で合流することを約束して、一旦実家に戻った。

 得意気にお土産をばらまく昴を親に返すと、隼人はそっと居間の襖を閉めた。そのまま足音を潜めて祖母の部屋に行く。隼人は扉の前に膝を付き、祖母の返事を聞いて、そっと襖を開けた。


「おや、今日は礼儀正しいねぇ」


 六畳の和室に、きっちりと着物を着た老いた女性が、筆を置いて孫を見る。和服の老女は孫の作法に満足そうな声をあげた。


「折り入って相談したいことがあります」


 隼人は恐れつつも尊敬をしている祖母に、エレンの事を聞いて欲しいと思っていた。今回の帰省の一番の目的がこれだった。

 エレンの境遇は、いつもポヤーッとしている温厚な母には言えない。でも、戦争を生き延びた祖母になら聞けると思った。

 隼人は祖母に、留学先で会った少女の事情と伯爵の事を、私情を挟まず淡々と話した。


「……変な話だねぇ」


 話を聞き終えた祖母は、ポツリと呟いた。


「伯爵は変態だと思うけどね? 婆さんはどこが変だと思う?」


 祖母は、文卓に肘をつけると首を傾げた。


「ん? だって代々伝わるお貴族の名家なんだろ? その主が跡取りや家の存続をないがしろにしている気がしてねぇ……」

「あ、跡取りは三十前の息子に決まってるよ。既にその息子が実権を握っている」

「それにしてもさ、その息子も結婚してないんだろ? 孫が産まれなければとりつぶしじゃあないか。そこに無頓着な気がしてね……」


 隼人はうーんと唸る。


「そうか、エレンに気をとられていたけど、実はニコラス様も放置をされてるのか。伯爵は家を潰すつもりなのかな」

「年老いて家督とか、どーでもよくなっちまったのかねぇ」


 祖母が美しい所作で茶を飲むのを隼人はぼーっと見ていた。祖母は一息ついて言う。


「本当に興味がなければ、娘を閉じ込めないだろう。息子に面倒を全て押し付ければいいさ」

「外にばれたら外聞が悪いからでは? エレンの母親とすごい年齢が離れているし」

「後妻が若いことを秘匿していたら、写真の部屋を人目につくところにはおかないよ。あんたでも入れたのだろ? その母親の部屋に」


 隼人は呆然として、コクりと頷いた。


「閉じ込めるのは、自分のものだと主張しているも同然だよ。それは捨ててはいない」

「あの爺、何考えてやがる?」


 隼人が姿勢を崩して文卓によりかかるので、祖母はピシャリとその足を叩いた。隼人はすっと姿勢を正す。


「私にはわからんね。私は自分の娘はかわいいもの。もちろん、ふてぶてしい孫もね」


 隼人は「肩をもみましょうか?」と、袖を捲って腕を見せる。祖母は「おねがいしようかね」と、背中を向けた。


「その娘を、うちに置くのは構わないよ。まあ働いて貰うけどねぇ」

「エレンは、ビックリするほど何も出来ないよ? 幼稚園の時の昴よりも無知だ」


 祖母は不敵に笑う。


「それは、教えがいがあるというものさ。問題はそこにはないよ」


 隼人は安心して息を吐いた。祖母が問題ないというなら任せられる。

 祖母は、何を楽観してるのか。と背中の孫の顔を見た。


「分かってるかい? その異常な男が、娘の何かに執着して閉じ込めているんだよ。その何かが分からないと動かせないよ。すぐに連れ戻される」

「何かって、何?」

「会った事もない私に聞きなさんな」


 真顔で分からないと言う祖母を見て、隼人はフゥと息を吐く。


「まあいいや。エレンと結婚して日本に連れてくるのを目的として俺はこれから動くよ。俺の収入が安定するまでは、篠崎のお世話になります。宜しくお願いします」


 隼人は祖母に向かって膝をつき、深く頭を下げた。祖母は、はい。と承った。

 話が終わって出ていこうとする孫に、祖母は言う。


「それ、あんたが大学を出てからでいいんじゃないかい? そのほうが後に助かるだろ?」

「それはね……確かにそうなんだけどね。悩みどころですよ……」

「四年後には、あの子も十八だから親に関係無く籍をいれられるだろ? 向こうに聞いてみなさいよ」

「行きたく無いんだよな……」


 襖の前でため息をつく孫に、祖母は冷たい視線を送る。


「こっちが嫁を引き受けるのはいい、でも不義理は許さないよ。結婚は家同士の結び付きだ。ちゃんと話をしておいで」

「……ばぁちゃん」

「なにさ?」

「何でもない……」


 ……あの伯爵、俺の顔にとても興味があるみたいなんです。食われるかもしれん。


 とは口に出せなかった。隼人は黙って祖母の部屋を出た。



 大学入学を蹴るか決心がつかないまま、親に書類を書いて貰って、隼人はエレンの待つホテルに向かった。

 帰りがけに母が、使い捨て容器に隼人が好きなおかずを詰めてくれた。隼人は東京に向かう新幹線の中でありがたく母の弁当を食べた。


 気まぐれにしか家に帰らない息子でも、会えばこうして好物を作り、歓迎してくれる。

 俺なんて親を捨てているも同然なのに、伯爵がエレンを捨てるのを怒るのは自分の身勝手な気がしてきた。


 伯爵は、俺のどこを気に入って、エレンのどこに執着しているのか、がこの交渉の大事な部分だ。伯爵に会うのは気まずいけど、エレンの為なら頑張らなくては!


 隼人は遠ざかる富士山を見ながら、伯爵と対峙する決意を固めた。



 夕方に、隼人はホテルの最寄り駅の改札を出ると、目立つ場所にエレンが立っていた。


「えっ、俺電車の時間教えたっけ?」


 隼人が慌てて近寄ると、エレンは首を横に振る。


「もしかして、ずっとここで待っていたの? 一人で?」


 エレンはコクリと頷く。危ないな。ナンパでもされたらどうするんだと辺りを見回すが、あの夢の国でも存在が浮いていたエレンに声を掛ける勇気ある男はいないようだった。

 聞くと、バトラーも少しは付き合って立っていたようだが、疲れて駅に座っているという。


「わああ……!」


 隼人は慌てて待合室に行くと、バトラーはこくりこくりと船を漕いでいた。隼人は執事に平謝りをする。するとこっちが勝手にやった事ですからと、謝罪を拒否された。


 隼人は気がすまなくて、部屋でバトラーの肩や腰をもんであげたら喜ばれた。


「私もそれをやってください!」


 振り向くとエレンが目を輝かせている。

 隼人は遊園地でエレンに、誰にも優しくするなと言われていたのを思い出して苦笑する。

 誰にもには、老人も含まれてる?


 しかし、バトラーがいるのにエレンの体に触れるのはこう……なんというか、不適切なのではないだろうか。

 断ればエレンがすねる。決行すれば俺は色々恥ずかしい。これはどっちを選ぶべきか………。隼人は困ってバトラーに視線を送ると、バトラーは既にソファーで寝ていた。


 ……これは、寝たふりなのか。それとも気持ちよくて寝てしまったのかどっちだ?


 隼人は毛布を手に、ソファーに近付くが、バトラーは本当に寝ているようだった。


「エレン、駅には何時間いたんだ?」

「昼からです」


 隼人が駅に着いたのは十七時頃だった。そりゃ、五時間も駅に立ってたら疲れるわ。

 隼人はため息をついて、エレンの顔を見た。


「バトラーは疲れて寝ているよ? 君は疲れてはいないの?」

「昨日と違って、今日は立ってただけですから、全然疲れてはおりません」


 ……静止していることに特化してるエレンの感覚はなんだかずれている。


 隼人はエレンの顔をまじまじと見る。頬や鼻の上がうっすら赤くなっている。照れているわけでもないから、おそらくは日焼けをしたのだろう。


「エレン、化粧は? 日焼け止めは塗った?」

「いいえ」

「エレン、荷物見せて? 化粧品は何を持って来ている?」

「えーっとですね、これです」


 エレンはトランクをドン! と足元に置いた。


「俺が開けるのは恥ずかしいから、エレンが開けて化粧品だけ出して……」

「分かりました」


 エレンはなんの躊躇もなく、隼人の目の前でトランクを開けた。中は綺麗に整頓されていたが、下着類も入っているので隼人は横を向く。


 ……ばーさんや、昴のとは全然違った! 胸にさすハンカチみたいだ!


 隼人はレースでいっぱいになった頭を振って、邪念を追い払う。


「はい、これです」


 エレンの取り出した化粧ポーチには、基礎化粧品から全て入っていたので、隼人は頷いた。


「お化粧しますか? ダンスですか?」


 目を輝かせて隼人を見るエレンに、隼人は苦笑する。


 ……化粧はダンスと直結しているらしい。


「違うよ、化粧をしないときのこれの使い方を覚えて貰おうかなと、思って」

「それは、先程のバトラーにしていた事とは違います。それに隼人は前に、化粧はもうしないと言っていました」


 よく覚えているな。隼人は困ってエレンを見た。


「マッサージは、疲れている人にやるものなんだ。エレンはどこか疲れているの?」

「いいえ、別に?」

「では、ずっと立っていたので足にきていると仮定して、足をやりましょうか。俺が足に触れても大丈夫?」


 エレンが頷くので、隼人は椅子に座らせた。


「靴を脱がせるよ……」


 隼人は座るエレンの足元にしゃがみ、足に触れて靴を脱がせる。ストッキングのすべすべした感触がエロい……。

 隼人は煩悩を打ち消しながら、エレンのふくらはぎを揉みほぐす。そして足の裏もしようと、足先に触れると、エレンは隼人の手から足を抜いた。


「……?」


 隼人が顔をあげると、エレンの顔は真っ赤だった。


「バトラーには、肩と背中と腰をやったけど、エレンもそうする?」


 聞くとエレンは顔を手で隠して首を左右に振っている。隼人は中断して、椅子を持って来てエレンの横に座った。


「足を触るのは嫌だった?」

「嫌というか、恥ずかしいと思いました。足は汚いですし……」


 それを聞いた隼人はクスッと笑う。


「じゃあ肩にしようか」


 隼人がエレンの頭に手を置くと、エレンはビクッと身を竦めたので、隼人は驚いて手を離した。


「ま、前は隼人に触れるのはとても楽しいと思っておりましたが、今日は違いました」

「どう違うの? ちなみに俺は綺麗な異性に触るのはとても恥ずかしいけどね……」


 エレンは赤くなった頬を手で押さえて、隼人の意見にコクコクと頷いていた。ここにきて、恥じらいを覚えたらしい。


「ダンスは恥ずかしく無いのが、不思議です……」


 ボソッと言うエレンに、隼人はそうだねと笑った。ダンスは踊ることに集中するからな。


「化粧品の使い方は、自分でできるからそれをやろう」


 エレンは頷いて、隼人の言うように顔を洗い、化粧水をつけてクリームを塗った。


「エレンは肌綺麗だからまだ化粧しなくてもいいけど、過度な日焼けや、風呂の後の手入れくらいは自分でしようよ」


 化粧品はつかいさしなので、普段はメイドがやっているのだと隼人は推測した。

 隼人はコットンにビタミンCの含まれている化粧水をつけて、エレンに渡す。


「鏡見て、これを頬とおでこにはたいて」

「………はたく? こうですか?」

「そう、上手い上手い」


 日焼けで少し赤くなっている箇所につけてもらって、隼人は一息ついた。


「外出時は日焼け止めだけでもつけてね。えーっと、瓶に印をつけるから」


 隼人がペンでお日さまのマークを書いているのをエレンは覗いた。


「隼人はお化粧をしないの? とても詳しいのに」

「踊る時は母のモノを借りていました。でも自分のは一つも持ってないんだ。買うの恥ずかしくて……」

「バトラーは毎日髭を手入れするのよ? 隼人は?」


 聞かれて隼人は言葉を濁して力なく笑う。


「俺、髭はえないみたい……」

「まあ……でも、バトラーくらいのお年になれば生えますよ」

「だといいけどね。まあ髭そりの手間が無いのは良いことです」


 エレンは照れている隼人に手を伸ばし、その頬と顎に触れる。


「ふふっ。ツルツル……」


 以前と同じく、楽しそうに隼人の顔を触るのエレンを、隼人はどうしようか困って見つめた。


 ……もしかして、されるのは照れるけど、するのは平気な人なのか?


 ひとしきり撫でられて、エレンの手が離れた。隼人はふぅとため息をつくと、自分の足に肘を置いてエレンの顔を覗く。


「君は触ってもいいなんて、ずるいなぁ……」


 そう言って笑うと、エレンは少し驚いてギュッと目を閉じた。


「どうぞ。隼人が顔に触りたいとは思っていなかったので……」


 隼人は笑ってエレンの頬にそっと触れた。エレンがキュッと身を固くするのが手から伝わってくる。

 しっとりときめ細かい肌に触れて、親指が唇に触れると、エレンは身を引いた。


「……!」


 エレンは触れられたところに手をあてて、パチパチとまばたきをしている。隼人は頬杖をついて、ニヤニヤしながらエレンを見た。


「接触はドキドキするよね。前は平気だったのは、妹にしていたように接していたからだよ」

「は、はい……」


 エレンの顔が真っ赤なのを、隼人はとてもかわいいと思う。口がにやける。


「そうですね。昴さんに触れるのとは全然変わりました。これは驚きです。私は隼人に触れたいとするのを制限するべきだと思いました」


 かたっくるしいエレンの口調はどこかユーモラスだ。


「家族ごっこも終わりですね。これから少しずつ別のものになっていこうね……」

「別とは?」

「Lover……」

「………」


 エレンがじっと隼人と見るので、隼人は軽く笑う。


「Listen(聴く)、Over Look(見る)、Voice(声をかける)、Excuse(赦す・許す)でラブのようですよ」

「聞く、見る、声をかける、赦す」

「三つは普段からやりますけどね。赦す前に喧嘩をしないといけないかもねぇ」

「喧嘩はしません」

「喧嘩するくらい仲良くなりましょうとの事ですから。喧嘩しても仲直りすれば平気です」

「仲良くないから喧嘩をするのだと思っていました。そうではないのですね?」

「エレンはまだ知らなきゃいけないことが沢山あるね。長い目で一緒に色々経験して行きましょう」

「……はい」


 話も終わって、エレンはポーチを片付けた。

 バトラーはまだ寝ているので、隼人は部屋に設置してあるテレビと新聞を見ていた。


 ……お互い手を触れるのも躊躇する段階で、結婚とか口に出すのはおこがましいかも。


 隼人は赤くなって反省をしていると、エレンが隣に座って、隼人にぴったりと身を寄せた。

 隼人は新聞を見ているふりをして、エレンの様子を伺っている。エレンは隼人が何を見て、何を読んでいるか知りたいようだった。


 ……この人は本当に俺の事が気になるんだな。


 隼人は赤面しないように新聞を目で追いつつ、楽しげな記事があったらエレンに読んで聞かせた。

 フムフムと、懸命に自分の話を聞いてくれるエレンは、なんて愛らしいのだろうと思う。


 とりあえず、エレンを伯爵から引き離したいが、どうしたものやら……。と隼人は思案にくれた。

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