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1、魔法使いと出会った日

 

 ――その人は私と私の家に魔法をかけた。



 私が初めてその人に会ったのは、私の部屋だった。私はスクールというものに行っていなかったので、いままでずっと兄が私の勉強を見てくれた。

 その兄が社会人になって、私に割ける時間が無くなった。私の世界はいつもと同じく私だけになった。


 朝起きて、用意された服を着て、用意された食事をとり、用意された椅子に座り、または立ち、そのまま一日が過ぎ去るのをじっと待つ。


 あの人の言うようにここでじっとしていれば、いつかあの人も私の事を見てくれるかもしれないと思った。

 ただそれだけの為に生きていくことになんの疑問も無かった。

 私は、楽しむということ以前に、自分が生きているという事さえも知らなかった。


 そんな、椅子にじっと座っているだけの私の前に、その人は現れた。




 パンという、破裂音で私はその人の存在に気がついた。


 目を開けると、というよりも、視点をその音がした方に合わせると、小さな手が目の前にあった。どうやら破裂音はこの手を打ちならした音のようだった。

 私はその手の持ち主の顔に視点をあわせる。黙って座っている私の目の前に、柔らかそうな黒髪の、白いシャツを着た男の子が困った顔をして立っていた。


「すごいね、二時間そうして座っていたよ。瞬きをしなかったら、人形かと思うくらい、本当に生きている気配が無かった」


 私は眼球だけを動かして、じっとその人を見た。

 その男の子は私が今まで見たことのない顔立ちをしていた。

 顔が小さくて、目が大きくて、目鼻立ちが整っていて、顔の凹凸が少なかった。それは、古い彫刻が動いて喋っているような気がした。


「二時間私が座っていた事を知っているあなたは、二時間前にもここに来た?」


 ふと疑問に思った事をそのまま口にしたら、その男の子はアハハと笑った。


「気がついて無かったの? 俺がずっとここにいたことを」


 私は二回パチパチと瞬きをした。部屋に誰かいたことは知っていたが、よくあることなので気にしていなかった。その子どもはじろじろと私を見て、座っている私の周囲をくるりと一回りした。


「君は立てないの? 足が悪いの?」


 私は首を横に振る。そんなことはない。


「じゃあ何? それは俺に対するストライキみたいなものなのか? 勉強したくないとか、そういった意思表示?」

「……?」


 彼か何を言っているのかが分からなくて、私はじっと彼を見ていた。


「要領を得ないな。もしかして話を聞いていないのか?」


 彼は背筋をピンと伸ばして、早足で私のまわりをぐるぐると歩き回った。


「あなたは、誰?」

「そうそれ!」


 またパン! と、破裂音がして、その子どもが私を指差した。その子どもは私の前に立って、優雅に膝を曲げる。


「俺の名前はハヤト・シノザキ、ロードに雇われた姫君の家庭教師チューターだ」


 何も返事をせず、黙って彼を見ていると、彼はがくっと肩を落とした。


「君は本当に生きているのか? ショップの入り口に立つ人形のほうが、君に比べたらよっぽど生きているように思えてきた」


 彼はハーッと大きく息を吐いて、私に手を伸ばした。


「取り敢えず、今日は座学はやめて歩こう」

「何故?」

「あ、反応した」


 その子どもはそう言って、私の手を引いてそっと立ち上がらせた。


「エコノミー症候群って知っている?」

「いいえ」

「狭い場所にずっと座りっぱなしでいると、足の血が固まって、それが脳に行くと倒れるんだ。こんな広い部屋でなる病気ではないけどね、気を付けないと死ぬよ?」


 そこまで言うとその子どもは、口を開けて私を見ていた。


「でかいな……何才だっけ?」

「十二年」


 年齢を言うと、彼はまたため息をついた。


「小学生の女に背丈を追い抜かされる屈辱……」


 彼が下を向いて肩を落としているのが、なんだか絵本の黄色い熊ようでかわいいと思った。

 そのあとは、その子どもに連れられて、家の中と夏の庭を、私が疲れて歩けなくなるまで散策させられた。



 次の日も、その次の日も毎日彼は部屋に現れ、私は毎日歩かされた。

 彼はどうやら、兄が手配した私の家庭教師だそうだ。年齢は十六才だという。

 今彼は、シックスフォーム(プレ大学)の一学年で、夏の休暇にあてもなく旅をしていたところを、兄に拾われ、雇われたらしい。夏の間は隣の本宅から通って来ていると言う。


 私はきっと、夏の間ずっと庭を歩かされるのだろう。その時間は疲れるが、彼が小さな手で私を引っ張って色々話をしてくれるのが楽しいので特に不満は無かった。

 私は促されるまま彼に手を引かれて、広い庭を延々と歩き続けた。





 ある日、庭の散策中に、彼が飲み物をとりに屋敷に戻ったので、私はその場でじっと佇んでいた。すると背後から草を分ける足音がした。その方向を振り向くとそこには兄が立っていた。

 兄は私より一回りほど年上だ。私と同じく父に似ていて、背が高く、髪は巻き毛の金髪で、瞳は初夏の木々の色に似ている。兄はとても優しい人だった。

 兄は私を見て、とても驚いた顔をしていた。


「エレン、お前……」


 何故驚いているのか知りたくて、次の言葉を待っていると、ハヤトの足音が聞こえた。


「ロード、こちらにいらしたのですか?」


 ハヤトは私に冷たいレモネードを渡すと、タタッと兄の側に行き、にこやかに話をしていた。

 私はそのハヤトの笑顔を見て驚いた。

 だって、私といるときに彼は笑わないので。


 ハヤトの満面の笑みは、穏やかに微笑む兄とは全然違って面白い。エレンは黙って二人を見ていた。すると、二人が私の方を見た。


「いや、妹がずいぶん焼けたなあと、さっき見て驚いたよ、元気そうだ」

「日焼け止めは塗ってるんだけどそんなに焼けたかな? 姫は放置しておくとずっと動かないので、午前中の涼しい時間帯は外を歩いて貰ってます。動かないと人間すぐに弱るんで」


「そんな、老人じゃないんだよ」と、兄は困って笑っていた。私はその二人がまぶしいと思った。

 私の視線に気がついたのか、兄が私の方に歩いてくる。兄は私の頭に手を置いて笑いかけた。


「散歩は楽しいかい?」

「ハイ」

「ハヤトは良い先生かい?」

「………」


 今度は頷かなかった。思えば先生と呼べるほど、彼に何かを教えて貰ってはいない。

 兄は困ってハヤトを見た。ハヤトは申し訳なさそうに言う。


「すみません、そういえば一度も座学はしていなかった。毎日体力増進だけをしていました」


 すると兄は本当に楽しそうにハハハと笑った。


「勉強を教えないチューターがいるとは想定外だった。エレンは飲み込みが悪いかい?」


 兄が聞くと、ハヤトは真剣な顔をして言う。


「そういったレベルの話では無いと思いまして」

「なら、どういった事なんだい?」


 兄は少し屈んで子どもと視線を合わせる。兄は本当に優しい人だと私は思う。

 ハヤトは言うべきかしばらく悩んで、重い口を開いた。


「あなたの妹さんは、生きていると言えますか?」


 私と兄は、しばらく何も言えずに立ち尽くしていた。庭では蝉が鳴いていて、ハヤトの声が少し遠いなと私は思う。


「俺は、欲していない奴に何を教えても意味がないと思うのです。俺が勉強するのは俺の将来の為だし、知識を得て経験を増やす事は心から楽しいと思う。でも彼女はどうでしょう? 一日中誰にも会わず、会話せず、椅子に座っているだけの人に、俺の言葉は通じているんだろうかと不安になります」


 そこまで言うと、ハヤトは真っ直ぐに兄の目を見て話した。私はその顔が美しいと思った。


「彼女に必要なのは、心の底から何かをしたいと、欲する事だと思います。食べたいでもいいし、歌いたい、踊りたいでも何でもいい。そーゆー欲求を得て欲しいのです」


 ぼーっとハヤトを見ていたら、ハヤトは私を見て、怖い顔をして人差し指を向ける。


「水分、飲む。今日は沢山歩いたから昼は多目に食べてもらうよ」


 私は驚いてレモネードを口につけた。今まで食べ物、飲み物が美味しいと思ったことは無かったが、その飲み物は疲れて火照った体に染み込んで、とても美味しいと思った。


 半分くらい飲んだところで顔を上げると、兄とハヤトが私を見ていた。


「……?」


 何かしら? と首を傾げると、ハヤトは私から目を背けた。すると兄が教えてくれる。


「初めて笑ったね、エレン」


 兄が、穏やかな笑顔で私を見ていた。

 笑うとは、今の兄のような顔をしたということなのだろうか? そして、どうしてハヤトは私から顔をそむけるのか?


「私が笑うことを、ハヤトは良く思いませんか? 目を背けられました」


 真顔で聞くと、兄はハヤトの頭をポンポンと叩いていた。


「嫌ったわけではないよね? エレンに見とれていたのだよね? ハヤトは恥ずかしがっているんだよ」

「うっせ! ロードだって見てただろ」


 煩わしげに兄の手を払うハヤトの頬は、日に焼けたのか赤く染まっている。それがとても可愛らしいと思って、私の頬が緩んだ。


「それだよ。エレン。その表情だ」


 兄が指摘するので、私は自分の頬を両手で触った。確かに頬は動いていた。そして、少しだけ胸がくすぐったいような気がする。

 兄は私の頭に手を置いて笑う。


「笑う事を覚えたね。笑顔は対面する相手も笑顔になるよ」


 私はチラリとハヤトを見る。ハヤトは目を細めて兄と私を見ていた。


「今度エレンに大きな帽子と日焼け止めを買って来るよ。帽子は何色がいい?」

「白のつばが大きなのと、麦わら帽子。あと虫かごと網も欲しいんだけど」

「虫取りするきかい? ここで」

「何かを飼育してみるのもアリかと思って。ロードは子どもの頃、何をして遊んでいた? 子どもの遊び用具なら何でもいいんだけど。暇を潰せるようなもの」


 兄は困って笑う。


「あまり遊んだ記憶はないな。乗馬と銃とフェンシングなら習わされたけど」

「何かないかな。姫が座っているよりかは楽しいと思うようなもの」


 二人はうーんと頭を悩ませていたが、思い付かなかったようで、決断を先伸ばしにした。


「ん」


 彼はそう言って、私に手を伸ばすので、私は彼と手を繋いだ。私とハヤトと兄は三人で並んで庭を歩く。


「もしかして姫って、今日初めて喉の乾きを覚えたの?」

「そうかもしれないね」

「じゃあ、ランチを食わずにお腹がなるまで時間を潰してみるかな……何か食べたいものは無いの?」


 ハヤトが私に聞くので、私はわからないと首を横に振った。


「むしろ変なものを食べさせて見るのはどうかな? 辛かったり苦かったり」

「エレンは好き嫌いを言わないよ。量も食べないけど」

「例えば、家の田舎に虫の幼虫をライスにまぜたのとかがあるけど、そーゆーのも平気?」


 私はよく分からなくて、コクンと頷いた。


「虫は勘弁して欲しいよ。小さくて沢山いるものとか苦手なんだ」

「蜂の子とか高くて買えないけどね。ふーん、ロードって虫苦手なんだな」

「小さい頃、蜂に刺されたからね」

「ならもう一度刺されると死ぬかもね、それは避けたほうがいい」


 それは大変だと思った。兄を蜂に近づけてはいけない。

 三人は日陰を選んで歩き、別邸に向かって足を進めた。途中兄が振り返り、私とハヤトをじっと見る。


「君たちはいつもそうして手を繋いでいるのかい?」


 私は頷いた。彼は頻繁に私に手を取る。


「あ、妹にやるようにしてた。姫は大きいもんね。変だね」


 ハヤトがそう言って手を離すので、私は足を止めた。


「どうした? 部屋に帰りますよ? 疲れたでしょう?」


 私が動かなくなったので、ハヤトは私の顔を下から覗いた。兄は私を見て、ニヤリと笑う。


「もしかしてエレンは、手を繋ぎたいのかい?」


 兄がそう言って、私に手を差しのべるので、私はその手をつかんだ。そして、空いた手をハヤトに伸ばす。


「おお」


 ハヤトは目を丸くして、私と手を繋いだ。

 ハヤトはまた下から私の顔を覗く。


「姫、手を繋ぎたいとか、やりたいことがあったら何でも言ってくれていいから。食べたい、のみたいもの、欲しいもの。何だって叶えるよ」


 私は兄の顔を伺う。兄は私の顔を見て、ゆっくりと頷いた。

 右と左。私の両手は、私に声をかけてくれる人に繋がった。私はそれがとてもうれしくて、兄のようにフフと笑う。

 どうして兄はいつも笑っているのだろうと不思議に思っていたが、心が満ちていると自然に顔が緩むものなのだと知った。

 兄の柔らかい大きな手と、ハヤトの小さくて硬い手は対照的だなと思い、その感触を、今を忘れたくないと胸に刻みこんた。









挿絵(By みてみん)


    ←ハヤト     エレン→



新連載(全25話)です、よろしくお願いします

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