ローテーション
俺の知り合いに、小西という男がいる。三ヶ月くらい前に、アルバイトとして入ってきた。
歳は知らない。部品を検品しながら、俺のとなりで黙々と作業をする横顔に何度か声をかけたが、反応は何を訊いても鈍い。「うん」と小さな声で頷くか、何も言わずに単に首を縦に振るだけだ。歳を訊くと、決まって首を傾げる。
自分は三十四だとその横顔に向けて言ってみても、首を二度三度縦に振るだけだ。何か言葉を返してきたり、表情を変えたりすることは全然ない。何だかそれは、俺の年齢に対して首を縦に振っているのか、或いは検品している品に向かって納得したとしてのものなのか。真意すら曖昧なリアクションだった。
普段はローテーションで職場を変えているのだが、半月もすると女性陣二人のうちの一人が、彼とはペアを組みたくないと、この班のリーダーでもある俺に言ってきた。
同じくローテーションに入っている二人の男に昼休みに訊いてみても、本音は女性陣と同じだった。仕事がしづらい、話が全くないまま続くし仕事の話ですら反応の薄い彼とはやりにくいと。
そんなことで二ヶ月半。俺は毎日同じ仕事を同じ男としている。一日殆んど喋らない。工程に入り仕事を始めると、用がない限りずっと立ちっぱなしで同じ事を繰り返す。時間が経過し、マンネリになってくるとどちらからか話を切り出すのが毎日の流れだった。
時間は長いが、話を少しでもすると気分が冴え眠気から遠ざかる。仕事が捗るのだ。無駄話ではあるが、長話にはならない程度に、俺はこのコミュニケーションを必要としていた。
同じ職場でも話をしない人は沢山いる。となりになったときくらいは、気さくに何かしらの話をするのがあってもいいというのが、自分なりのやり方の一つだとスタイルとして行っている。
そんなこんなで三ヶ月経ったわけだ。話をするようにれば、ローテーションを再開して回していくことになっているのだが、小西は話をしようとはしない。
無口な人だな。でも仕事は確りやってくれている。ローテーションに入れば、もっと仕事を覚えていけるのに。一日の仕事量も殆んど俺と変わらない。流石に三ヶ月も同じ事をやっていればこうなるか。
仕事を終えて、皆ぞろぞろと帰っていく。小西が俺に向かい会釈をしてきた。いつものことだ。何も言わないで頭をただ下げるだけ。俺もそれに倣おうかと思うが、お前とは違うとばかりに頭を下げて「お疲れ様」と言ってやった。
女性陣と男二人に帰りの挨拶をしてから、ローテーションで回っている一つ一つの職場を見ていく。散らかっていないかとか、製品の数がこなした数と合っているかなど、リーダーとして毎日見ている。
今日は週末。今片別れを告げた女性陣と男二人で飲み会をする約束をしていた。小西は誘っていない。誘うどころが、今日一日通して話したのが「おはようございます」と「お疲れ様」の二言のみだ。その言葉も、俺だけ言って、あいつは会釈のみ。三ヶ月も同じことをしていると、仕事で分からないことなどなくなり、沈黙の時間が一日中続いている。
やっと終わった。長い一週間だったな。まあいい、これから飲み会だ。そうだ、今日はストレス発散にカラオケに誘ってみよう。俺だけこんな状況が続いているのだ。皆は分かってくれる。全員一致で二次会はカラオケだな。
職場から居酒屋へ直行すると、既に皆揃って待っていてくれた。縦長の席に四人ずつ向き合って座り、いつも端に座る俺を真ん中に座らせたいと、男一人が席を空けてきた。遠慮するが、どうぞリーダーと言って無理に座らせようとする。しょうがないなと言いながら、珠には真ん中もいいかなと満更でない顔をして椅子に座った。
ビールを注文して、皆で乾杯をした。つまみを口に入れながら、仕事のことを話し出す。話題は流れて小西のことに触れた。俺からこれは切り出した。小西のことを尤も知っているのは俺だし、皆も少なからず聞きたいだろうと思ったからだ。
相変わらず話をしてこないことや、仕事が早くなってきたこと。内容は薄っぺらいが、それぞれビールやつまみを口にしながら頷いたり、彼について聞いてきたりしてくれた。
意外に小西に興味があるのか、その話でお開きとなった。
さあ二次会だ。俺は席を立って「カラオケ行くぞ」と、赤く薄らいだ顔で回りに向けて笑顔で言った。
「ごめん。俺ちょっと今日無理だ」「俺も今日はいいかな」いけない理由を次々と耳にして、自分は「マジで」と、無理に明るく言った。愕然としていたが、それを露にはせず分かれるまで明るく振る舞い店を出た。
同僚と別れ、一人駅に向かい歩いていると背後から聞き慣れた女性の声が耳に入ってきた。名字を呼ばれ立ち止まり振り向く。
どうした? 同僚の女性だった。小西と仕事をしたくないと、俺に告げてきた人だ。
女性は突然直角に近いくらい上半身を曲げて、「すみません」と大きな声で言ってきた。何のことか、俺にはさっぱり分からない。彼女が身を起こすと、顔が赤らいで小刻みに震えていた。深刻な顔にも見える。
「私のせいです」
「だから何が?」
顔を掻いたりして、俺は彼女の顔を改めて見る。目を合わせようとしてこない。
「塚本リーダーが左遷されるの、私のせいです」
「左遷? 何のこと。俺何も聞いてないんだけど」
「小西さんが三ヶ月も同じところでやらせているのは、あいつが悪いからだって、白幡さんが」
「白幡って、課長が?」
彼女は、ぎこちなく頷いた。
どうなってんだ。俺は何も聞いてない。何がどうなってんだ。いつも通り今週も仕事をしていただけなのに。
「今日実は送別会だったのって分かってます?」
「いや全然。誰の」
彼女は何も言わず、人差し指を弱々しく俺の胸に向かい刺してきた。
「俺? 俺が、なんで」
「だから……左遷されるって白幡さんが」
眉を潜め、俺は俯いた彼女を見つめた。そして、ズッズッと、一歩一歩後退り、全力でこの場を離れ走り出した。
「嘘だーーーっ!」
嘘だ。嘘だろ。何で俺が左遷なんだよ。するならあいつだろ。小西だろ。何でだよ。
訳の分からぬまま俺は走り、ある場所に向かった。角を曲がりまた違う店のある通りに出た。
「大人一人で……はい、五時間でお願いします」
言い過ぎたか。いや今日はそんな気分なんだ。
部屋のキーを渡され、俺は一人叫び歌い出した。