誓と天使
天界に存在する天使達の長にして、ルードヴァンの次に強いとされる小柄な美少年。
どうしてこの大魔王城にやってきているのか、モニカには全く理解することができていなかった。
茫然と突っ立っていると、下から声が聞こえた。
椅子から屈んだ状態で、トクシーラが心配そうにモニカを眺めていた。
澄み切った青い瞳、サラサラと煌びやかに動く白銀の短い髪。
「驚かせてすまない。どうやら疲れているみたいだね、座るかい?」
柔らかな高い言葉から、この子供にしか見えない少年が、世界で二番目に強いとは到底思えない。
微笑みながら席を立ち、椅子を勧めてくるトクシーラに、モニカはトクンと、何かを感じてしまう。
それが何なのかを理解するまいと、モニカは首を左右に大きく振るう。
「いっ……いえいえ!! そんな! 滅相も御座いませんよ!」
「ははっ、いい子じゃないか。天界には女性が存在しないからね、気になってしまうのさ」
モニカは動機が早まりそうになっていた。
落ち着け、この小柄な美少年が気になっているのは、女性という存在だ、モニカじゃない。
はぁはぁと息を少し荒くしながら、モニカは頬を少し赤らめてしまう。
「そ、それにしても……天界の存在は、魔界に入れないはずです!」
モニカは気になったことを、トクシーラに聞いていた。
許可なしで魔界に天界の存在が侵入すれば、敵対行動の可能性ありとみなし、殲滅が許可されている。
それは天界に入る魔族も同じであり、内密に入るということは、普通の手段ではできないはずだ。
魔界に人間がやってきた場合に備えて、魔族以外の存在が魔界に乗り込んだ場合、その瞬間に察知できるようになっている。
ルードヴァンも同じであり、モニカとこの城に住む大半の存在、後は数体の魔族は解るはずだ。
しかし、そんな感覚は一切受けなかったことから、普通に魔界に侵入したということではないのだろう。
「それば僕が特別だから……いや、理屈が気になっているのか……ならヒントだ。君の知識を使えば、僕がどうしてここにやって来られたのか解るはずだよ」
そう言われても全く意味が解らない、トランスポイントによる瞬間移動なら察知されないはずだが、天使はトランスポイントを作れないと聞いている。
ルードヴァンのトランスポイントはモニカが所持しているし、それは有り得ないことだ。
モニカが悩んでいると、ルードヴァンが、話を始めた。
木の簡素な顔が書かれたお面で顔を隠し、全身をフードで隠した風格のある大男は、トクシーラと真逆だと言わんばかりの存在だ。
「それは気にしなくて構わない……こいつが此処に来たのは、天界で妙な動きがあったからだ」
そして、トクシーラが続ける。
「最近、天使達の姿が減ってきているのさ」
そのトクシーラの発言に、モニカは疑問に思い、口にする。
「天使達は、トクシーラ様の「誓」を使って管理されていると聞きましたけど?」
――誓。
お互いの同意を持って主従関係を結ぶ力。
奴隷魔法もここから派生したらしいが、奴隷魔法は色々と魔力の関係やらで欠点が存在する。
しかし、誓に関しては、誓を与えた後、お互いの同意が必要となるが、絶対に破る事のできない命令を下せる。
絶対に破る事のできない命令を与えるということは忠誠心を示すことでもあり、上に仕えるのが当然と考えている天使は、全て誓を受けて従っていると、モニカは聞いたことがあった。
この「誓」の力を持つ者は、魔界天界でも最強の存在だけとされている。
魔界ではルードヴァンとファウスのみが所持しているらしいが、天界ではトクシーラだけではないのだろうか?
その思考を読んだのか、トクシーラが話を続けた。
「基本的に、天使は誓の力を持つ天使に従うし、誓は上書きができない……だけど、僕が生まれるまではアルダだけが誓を持っていたからね、僕が生まれてからの天使は僕が誓で従えているけれど、姿を暗ましているのは、アルダが誓を使って支配下に置いている天使なんだ」
「……トクシーラ様が、生まれる前?」
「天界ができたのは確か、1000年ぐらい前か。そして、僕が生まれたのは200年ぐらい前……天使の数は少ないからね。総勢1000体も居ないんだよ」
魔族よりも遥かに少ないが、下級天使でも大抵の魔族よりも強いのだ。
少数でも、どの天使も強力な力を所持しているので、天界で戦った場合の全勢力は魔界よりも上とされている。
「天界は、魔界と生物界の意識と無意識に放出される魔力によって創られた別次元の世界でね。天使も、下の世界の人間の意識と魔力、そこから天界の力によって誕生した生命体だ」
モニカは天界についてある程度は知っていたが、天使から語られることに知らない情報もあり、黙って聞く。
トクシーラは続けた。
「800年位前かな。まだ生物界と魔界が分けられてなかった頃、人間と魔族が争っていた世界に、先代の少数の天使達が魔族に対して大戦争を仕掛けた」
その発言で、モニカはソウマを思い出す。
ソウマが多彩なスキルを手に入れるきっかけとなった。あの荒野ができた戦争か。
「人間の魔族を滅ぼしたいという願いによって誕生した第一天使達は、魔族を消すことに特化していた……だからこそ、今でもしがらみが消えないんだろうね。あの戦いを経て、ルードヴァンの命令もあり、魔界と生物界は隔離されることとなった」
そういえば、いつもはクソジジイとかクソガキとか言い合っている仲だが、今ではお互いを名前で呼んでいる。
あれも、仲違いのポーズの一種だったのだろうか。
「天使は滅んだけど、天界は残る……そしてその戦いから300年後、僕が生まれるより300年前、アルダが生まれた。第二次天使の最初だったから、誓を持っていたということだ」
「……天界は、魔界によって出来たダンジョンによる人間達への危害を抑える役割を持っていると聞きましたけれど、それは本当なのですか?」
モニカは天界についてはあまり詳しくはない。
天界は魔界に対抗する力があり、人間を守り、世界を安定させると聞いていた。
「それもある。大体ルードヴァンと僕によってそういう風に世界を組み替えたんだけどね……。魔族が減ったことにより、人間達は人間達で争うようになった。モンスターを倒すとかもあるし、ルードヴァンの存在が抑止力にもなっていたけれど、それでも、人同士で争いになったりもしたのさ」
天使が人の意志によるものだとしたら、その頃の人間の意志によって誕生した天使は……。
「平等な、平和な世界。邪魔な魔族を消し去り、自分よりも遥かに上の存在である「神」によって支配されたいという意思……恐らく、アルダ達はそうして出来たんだろうね」
アルダの会議での発言を、モニカは思い返す。
人間を保護すると言っているが、間違いなく支配して都合のいい駒にする気だっただろう。
それは、大昔の神を崇めていた人の意思によるものだというのか。
こうしてモニカは、トクシーラが此処にやってきた理由を、推測することができていた。
「つまり……アルダ、様が何か、企んでいると?」
中級天使ロニキュスのこともある。
トクシーラがやってきたのは、その調査の為なのだろうか。
「……我もダークアイや他の生物界を調査している魔族を使い、生物界に天使は居ないか調査をしている」
「僕は、僕が誓で従える天使を使って、捜査はしている……今回は、その情報交換だよ……無駄骨だったけどね。誓を持っている者には誓が効かないからね。力尽くで聞こうにも、戦力はアルダ側の方が上だし、僕は争いたいわけじゃないんだ」
ルードヴァンの感情は解らないが、トクシーラは明らかに辛そうな顔を浮かべた。
なんとか励ましたいとモニカは考えるが、相手が相手だ、何の言葉も出てこない。
すると、トクシーラがモニカに顔をやり、ニコリと微笑んだ。
「ありがとう。その気持ちだけで、僕は嬉しいよ」
その言葉にモニカは膝をついて頭を下げ、忠誠を誓いたくなったのを何とか堪えている。
(落ち着け……落ち着きなさいよ本当にッ!?)
魔族トップが居る時に魔族が天界トップに傅くとか、どんなことになるのかが解らない。
ダークアイは今頃笑い転げているのだろう、想像でき、後でしばこうと、モニカは決意した。
トクシーラは帰ろうとしていたので、モニカは質問する。
「あの、気になったことがあるんですけれど……」
おどおどとしてしまうモニカだったが、トクシーラは笑顔で応える。
「なんでも聞いてくれて構わないよ。モニカさん」
それなら「好きなタイプとか聞いちゃうぞ♡」と言いたくなるのを必死に堪えて、モニカは聞く。
「アルダ様が誓を持っているのなら、トクシーラ様が誓を持っているのはどうしてなのですか?」
これを聞いたのは、ファウスが誓の力を持っていることが、よく解らなかったからだ。
トクシーラが誓を手に入れた理由を聞けば、もしかしたら解るかもしれない。
少し考える素振りを見せながら、トクシーラは答えてくれた。
「えっと……そうだね、誓の力は生まれた時から持っていたから推測になるけど……僕が最初の第三天使だからなのだと思う」
「第三天使、ですか?」
「第一天使は魔族を滅ぼす為に生まれ、魔族と戦って滅びた存在、第二天使は魔族を対処し、人間を支配する為に生まれた存在、アルダ達のことだね。そして僕は、平和な世界にしたいという意思で生まれたんだ」
つまり、ここ数百年の間に、人間の意思が変化してきたということなのだろうか。
そして新世代の天使が誕生した。
だからこそ、誓の力も新たに手に入った。
恐らくファウスが誓を持っている理由とは違うのだろう、それに、トクシーラの発言には、僅かに嘘がある。
モニカは発言から嘘を見抜ける。トクシーラの今の説明は大体が本当のことだが、どこかに嘘があるというのが、何となく解っていた。
しかし、その嘘が何なのかは、モニカは理解ができていない。
少しだけ寂しげな顔を、トクシーラは浮かべた。
「……僕もただの役割を果たそうとしているだけの存在だ。アルダと何ら変わらない」
「ちが、違います! アルダは魔界を滅ぼし、人間を支配すると企んでいますけれど、トクシーラ様は魔界も、世界全てを安定させようとしています!」
気が付けば、モニカは叫び、それを聞いてトクシーラが驚く。
「私は生まれた時からこの世界が好きです。だからこそ、世界を安定させているルードヴァン様に忠誠を誓っています……それはトクシーラ様も同じです!」
隣に大魔王が居る中で大天使長も同じぐらい好きだと言ったようなものか。
マズいかと考えてしまうが、モニカはもう止まれなかった。
それを聞いて、驚愕を浮かべながらも、トクシーラは満面の笑みを浮かべて。
「ありがとう、君に会えて、よかった」
感謝の言葉と一礼をして、トクシーラは椅子ごと姿を消していった。
とりあえず、モニカはルードヴァンに謝罪する。
何も気にしてないと言ってくれたことに、モニカは感謝していた。
side・ラバード
「ただいま帰りました!」
魔界の最奥にある山道の小さな家。
簡素な部屋であり、そこに二人の男が見える。
その一人、長身で筋肉質の大男、黒髪が腰まで伸びたロングヘアーが背後で綺麗になびいている。
人の姿と化した、邪神龍レグロラ・アークドラゴンが、手を挙げて挨拶し。
「モニカに怒られたのか、相手がエルドと慣れ合っている人間なら負けるのは仕方がないだろうに……なぜ人間と慣れ合うエルドォ!」
「その勝手にエルドさんを思いだして勝手に叫ぶの、なんとかなりません?」
咄嗟に「面白いから別にいいですけど」と付け加えそうになっていたのだが、そういえばモニカさんに忠告されてたなと、ラバードは言うのを止めた。
というか、怒られたのを人間に負けたからだと思っている辺り、この邪神龍もどこかぶっ飛んでいる。
レグロラは、久々にエルドの話を聞いたからか、ここ三日はテンションがやたら高い。
「俺様は魔族と慣れ合っている。俺様の方が凄いと思うだろ! ラバードよ!!」
(自分のこと俺様って呼べば、自分のこと我って呼んでる奴より上だと思っているんだろうなー)
笑顔を浮かべて「そうですね」と言うと、レグロラは満足げに笑いだした。
「でも、エルドさんと会いましたけど、確かにレグロラさんの方が強そうでした」
実際には互角ぐらいな印象だったのだが、ラバードはとりあえず煽てておくことにした。
すると、レグロラは少し不満げになって。
「……人間と関わるからだ。確かに俺様も魔族と戦い、強くなった自覚はあるが……今の俺様の方が強いと、思われる程度になるとはな……」
ライバルが弱くなったら、それはそれで嫌なのか。
ラバードがそう考えながらレグロラと話をしていると、ニッとファウスが笑みを浮かべる。
室内だろうが木の笠を外さず、鋭い切れ長の鋭い眼、スラッとした長身の人間の剣士と間違われてもおかしくないファウスは、獰猛な笑みを浮かべた。
なんで家の中でも笠を被っているのか知りたいが、機嫌を損ねて殺されたくはない。
「お前が強くなったんだよレグロラ……ラバード、モニカに怒られただけか?」
「はい! モニカさん物凄く怒ってましたよ! そこまでの事はしてないと思うんですけどね」
「そうか、それならいいんだ……俺の夢を邪魔されることだけは、許されないからな」
二つあるというファウスの夢のことか。
どちらもラバードに対して、具体的な説明はしてくれない。
聞いても答えてくれないので聞かずにいると、ファウスはレグロラを一睨みして。
「レグロラ、外に出ろ、鍛えてやる」
「はっ! ただ戦いたくなっただけだろうに、なら、お互い飽きるか死ぬまでやり合うとするか!」
そう言って、二人は家を出て、山道を降りていく。
ファウスは時々家にやってくるレグロラとこうして戦っていて、それをラバードが不満げに眺めていた。
山道を下り、辺りには特に目立つものもない草原にやって来た。
魔界は広いので、こういう空間が結構存在している。
ここ最近、ファウスはレグロラとよく戦っている。
明らかに加減をしているファウスがレグロラを圧倒するのだが、時々いい一撃がファウスに入る時もある。
そして今日も、そんな戦いが始まりそうになったので、ラバードは我慢の限界が来てしまった。
「ズルいですよ! なんで私は見ているだけなんですか!!」
そんなラバードの癇癪を受けて、やれやれとレグロラが嘆息した。
「ふぅ、見ているだけでも十分参考になるだろうに」
「いやいや、三日前に気付いたんですよ! 私は戦うことで強くなると! あの感覚、素敵だったなあ……」
明らかにステータスで劣っていた剣士相手でも、自らの動きが滑らかになっていく感覚を受けた。
それなら、ラバードよりも圧倒的に強いファウスと戦えば、更なる成長が望めるかもしれない。
そう期待していたが、ファウスは首を左右に軽く振う。
「お前は、俺の二つ目の夢を叶えてくれるかもしれない存在だ。鍛えると俺の夢から外れる。だからお前とは戦わない」
全く意味が解らないので、遂にラバードは聞くことにした。
「そろそろ夢ってのを、教えてくれません?」
「教える必要はない」
「ああ、そうだな、その通りだ」
レグロラは知っているような素振りを見せて、ラバードはムッとする。
それに気付いたのか、ファウスはラバードの頭をポンと軽く叩き。
「一つ目の夢はそろそろ叶いそうなんだ……」
「へっ?」
ポカンとしているが、ファウスはどこか楽しげだ。
何かを待ち焦がれているかのように、期待に胸を膨らませている。
「もうすぐ……もうすぐ叶う……」
ファウスは、どこかに向かって高く手を伸ばし、それを何も言わず楽しげにレグロラが眺めている。
まるで待ち焦がれていたモノが、その手の先にあるかのようだ。
ファウスが手を向けた先にあるモノが何なのか、夢がどれほどのモノなのか、ラバードは楽しみに待つこととした。




