第三章・第一話 未知なる力
だが、その瞬間。信じられないことが起こった。
ミカヅキは高度数千メートルの上空でいきなり溺れたのだ。
いや、それは溺れるなどという生易しいものではなかった。
いきなり激流に呑み込まれたと言った方が正しいだろう。
その視界に映る全てが水没し、巨大な渦にもみくちゃにされていた。
どこに流されたのか、ギルの姿も見あたらない。
何が起きたのか?
敵も味方も、ワイヤーネットの鳥籠の中にいた全てのものが、それを遥かに上回る巨大な水球に呑み込まれ、それごと空に浮いていた。
それ自体が猛スピードで回転する水球の中で巨人もオルトロスもその流れに逆らうことが出来ずにもがいていた。
だが、そんな状況にあってもミカヅキは何が起きたのかを把握しようと努めていた。
その視線が何かを捉えた。
それは光だった。
水球の中心部が光り輝いていたのだ。
ミカヅキはヘルメットに内臓された望遠レンズの映像をゴーグルに写し出した。
それは神秘的な映像だった。
水球の中心部に球状の空洞があり、その中に人がいた。
その人物から金色の輝きが放たれていたのだ。
足首まで伸びる黒のロングコートに身を包み、腰まであろうかという長い髪をゆらゆらさせながら光りの中心に浮かぶ細身の人物。その姿にミカヅキは見覚えがあった。
「カエデ?」
そう。そこにいたのは、ギルの狙撃を受け、足下の火薬庫ごと吹き飛ぶ大爆発の炎に飲み込まれたはずのカエデだった。
しかもそこにいたのはカエデだけではなかった。
ジャンとミリーも一緒だった。カエデは2人の全身をコートにくるみ、兄を背負い、妹を抱いていた。
カエデが胸の前で、見えないボールでも持つかのように広げて構える両手の指には、何かリング状のものが架かっていて、それが膨大な光を放っていたのだ。
そして、その輝きがそれまでの状況を一変させた。
自らが起こす爆旋風によって荒れ狂う海面に向けて降下を続けていたレヴィアタンの動きがピタリと止まったのだ。
そして、レヴィアタンはゆっくりと上昇を始めた。
上昇し始めたにも関わらず刃が回転し続けているのは、「逃げようとすれば容赦なく押し潰すぞ」という警告だろう。
空の全てを覆い尽くしていた円筒が上昇して行く。
そして開けた視界の先には、無数の飛行戦艦がいた。
全てが白で統一された戦艦や駆逐艦や空母。
更には戦闘機や爆撃機まで有する大艦隊が、船首を水球に向けてぐるりと囲んでいた。
そしてその中に、隅々まで金の装飾を施したひときわ目を引く巨大な船影があった。
この艦隊の旗艦ガーブである。
だが、数多くのクルーがひしめくブリッジが収まる艦橋は静まり返っていた。
その場にいた全てのクルーの視線が、ブリッジ前面の吹き抜けの空間に投影された、激しく渦を巻きながら空に浮かぶ水球の立体映像に釘付けになっていた。
そして、それを見つめる多勢の中に、ひときわ鋭い眼光を放つ男がいた。
男は、ブリッジの1番奥にあるキャプテンシートから立ち上がると、指をパチンと鳴らした。
すると、目の前の巨大な水球の映像の前半分が消え、真っ二つにされたリンゴのようにその内部が写し出された。
次に映像の神々しい輝きを放つ水球の中心部がどんどん拡大されて行き、最終的には、その中心で光りを放つ輪状の何かを構えるカエデの姿のアップになって映像の拡大は止まった。
映像はキャプテンシートの前まで移動し、それを待っていたかのように男がスッと立ち上がった。
年齢は20代後半ぐらいだろうか?
精悍な顔立ちと背中まで伸びる銀髪。
鍛え抜かれた長身の身体に純白の軍服を纏う彼こそ、この艦の艦長にして、白の艦隊の総司令官、白焔である。
白焔がすっと手で合図すると、カエデの手首だけが更に拡大投影された。
映像が光学処理され、あやとりのように両手の指をぐるりと一周する組紐状の物体が膨大な光を放つ様子がはっきりと見て取れた。
「ヴァルマ、お前はこれをどう見る?」
「恐れながら申し上げます」
組紐状の物体を見つめたまま放たれた問いに、白焔の斜め左前に立つ男性が口を開いた。
「ほう。動揺しているのか?」
白焔の視線の先にいたのは初老の男だった。
白髪まじりの頭と顔に深く刻まれたシワ。そして左耳から顎にかけて残る大きな傷痕。
だが、その顔は穏やかで冷静だった。
彼の名はヴァルマ。
白の艦隊の副指令にして、白焔の作戦参謀である。
その表情話しぶりからは動揺している様など微塵も感じられない。
だが、白焔には見抜かれていた。
「ならば、シェオールの作戦参謀としてではなく、貴様個人の意見として聞かせてくれないか?」
「白焔様。これはあくまで私見ですが、あれはヘスティアの組紐ではないかと思います」
その瞬間、ブリッジ内がどよめきに包まれた。
「らしくないな、ヴァルマ」
白焔のその言葉がどよめきを掻き消した。
「はい。調査部からキエルの地底深くに巨大神殿と、そこに祀られた神器を発見したと報告を受けたのが今朝です。
もしこれが我々が探し求めるものだとすれば、今まで見つからなかったものが、審判の日を直前に控えた今日になって、都合よく2つ同時に見つかったことになります。そんな偶然は有り得ません」
ヴァルマはカエデの手で光る組紐を指差しながら言葉を続けた。
「あれを我々の手中に収めさせるために仕組まれた罠という可能性もあります」
「だが」
ブリッジ前面のガラス窓から見える水球を見つめながら、若き司令官が老参謀の言葉を引き継ぐ。
「今、我々の目の前で水球を作り出しているのが組紐だと仮定すれば」
その指先が、目の前 に映し出された光の輪を指す。
「これがヘスティアの組紐だという可能性も否定できない。そうだな?」
「はい」
「ならば、まずあれがヘスティアの組紐か否か確かめさせてもらおうか」
白焔がスッと手を上げると、水球を包囲する全ての艦船の砲塔やミサイルが、その中心に狙いを定めて一斉に攻撃を開始した。
耳をつんざく轟音の多重奏が響き渡る中、砲弾やミサイルの雨が水球に着弾し、大気を震わす爆音と共に上がる水柱が水球の表面をお覆い尽くした。
それらが水球の内部にダメージを与えているかどうかは分からない。
だが、白焔は攻撃の手を緩めなかった。
艦船の砲撃やミサイルに加え、戦闘機や爆撃機があらゆる方向からミサイル攻撃や絨毯爆撃を繰り返す。
目も眩む爆発と爆音に飲み込まれる水球。
その時、ガーブのブリッジが閃光に包まれた。
◆
「よくもまぁ、次から次へと」
水球中心部でカエデは1人ボヤいていた。
『後先考えずに力を使うからだ』
「いきなり目の前に怪獣が現れたり戦争が起きてたら誰だって止めるだろ?」
『やり方に問題があると言っている。
なせもっと穏便に事を進めない?
これで力のことが公に知れてしまった』
「ディ。飛行船はどこにいった?」
『少なくともこの惑星のどこにも存在しない。私の探査、索敵能力が及ばないほどの遠く、おそらく別の空間か別の次元に連れ去られたと考えるのが妥当だろう』
「目の前の命も救えなくて何が力だ」
カエデは背中と胸元で力なく横たわる兄妹に一瞬視線を送って再び空を見上げた。
無数の巨大兵器を呑み込んだまま渦巻く激流越しに見えていた空は、今や、凄まじい爆発に掻き消されていた。
撃ち込まれるレールカノンやミサイルの破壊力は凄まじいものだったが、その攻撃も激流に相殺され影響は水球中心部までは到達していなかった。
『どうやら全方位からの砲撃と絨毯爆撃を間断なく続けるつもりらしいな』
「どれくらい続きそう?」
『サーチ完了。この艦隊の規模から搭載されている兵器の総数を推測した結果、この攻撃は最長で1週間は続くという結論に至った』
「ガチで?準備出来た?」
『ああOKだ。天文学的な計算が必要だが私は天才だからな』
「自分で言うな」
カエデがそう言うや否や、その両手に架かる光の輪が太陽のごとき神々しい輝きを放ち、それが一瞬にして全てを飲み込んだ。
◆
目も開けられないほどの眩い輝き。
その発生源は、キャプテンシートの前に浮かぶ立体映像だった。
白焔の目の前に映し出された光の輪が、艦隊の攻撃に呼応するかのように、爆発的な光を放った。
「くっ」
白焔が手で払うと目の前の映像は消え、ブリッジ前面のガラス越しに見える水球の姿も、光量を落としたものに調整されていた。
「レヴィアタンをラグランジェポイントまで退避させろ」
若き総司令の号令と共に、天空へと伸びる巨大な柱は、空の彼方へと上って行った。
水球中心部の輝きは、外から見てもはっきりと分かるぐらい眩しく大きくなり、それ自体の回転速度も増して行った。
そして、その回転速度に呼応するかのように遥か下方の海面も渦巻き始め、まるで吸い上げられるかのように海水が渦を巻いて上昇し、水球にぶつかった。
うねりながら上昇するそれを吸収しながら、水球が凄まじい勢いで巨大化していく。
その速度は想像を絶するほど速く、水球を囲む大艦隊の最前列に並ぶ突撃艦群があっという間に飲み込まれていた。
高速戦艦、駆逐艦、軽・重巡洋艦、戦艦、そして空母。
全ての艦船の部要員は見た。
小さかった水の塊がみるみるうちに大きくなり、視界全てを覆う水の壁となって迫って来るのを。
ゴオォォォォォォォォォォオオオンっ。
水に飲み込まれたことを伝える激震が船首からブリッジ、そして船尾へと駆け抜けて行く。
旗艦ガーブを含む白の艦隊は、抵抗を試みる間もなく水球の中に納まっていた。
全てを押し流す激流に揉まれているにも関わらず、バランスを崩したりコントロールを失う艦船は一隻も出なかった。
全ての艦船が航行システムを大気圏内航行モード[アキレス]から水中航行モード[トリトン]に切り替えていたのだ。
それに加え、艦隊の中の一隻が急に方向転換したり、撃沈されるような不測の事態に備えて、艦船と艦船の間には十分な間隔がとられている。
しかし、あまりの激流ゆえに、どの艦船も魚雷を発射することも出来ず、水球から逃れた戦闘機や爆撃機も、味方が飲み込まれたそれを攻撃するわけにもいかず、ただ見ているしかなかった。
「なかなかやるな」
膠着状態に陥っているにも関わらず白焔には焦りも不安もなかった。
その目は光を失っておらず、この状況を楽しんでさえいるかのように見えた。
「はい。頭はきれるようです」
それはヴァルマも同じだった。
今日に至るまで、彼らに与えられた任務は神器の回収のみだった。
それは全ての命運の鍵を握る、絶対に失敗の許されない任務であった。
が、彼らにとってそれは何の刺激もない、ただ退屈なだけの任務をこなしているだけでもあった。
そんな彼らにとって、想像を越える力を見せつける存在の登場は、戦士の血を呼び覚まさせるには十分過ぎる出来事だった。
「さて、どうする?」
「はい。艦隊を後退させるのも手ですが、艦隊の最大速度よりあの水の塊が巨大化する速度の方が遥かに速いのは明らか」
「もしあの水の塊に地球上の全ての水を、あのスピードで吸収し続ける力があったら」
「もしそうなれば残念ながら我が艦隊に逃げる術はありません。このまま中心近くに取り残され、いずれ水圧に押し潰されるでしょうな」
「レヴィアタンを使うべきだったと思うか?」
「いえ。相手の力量を計り知ることが出来ない以上、それは避けるべきです。賢明な判断だと思います」
そこで彼の言葉は止まった。
モニターに映っていた、カエデの両手に架かる組紐の輝きが青白い光に変わったのだ。
“ビーーっ、ビーーっ、ビーーっ、ビーーっ。”
それと同時に艦内に警報が鳴り響いた。
「何事か?」
「司令、大変です。我が艦隊を覆う水塊の温度が中心部から急激に低下しています」
若き司令官の問いに、担当のクルーが答えるのと同時に全面のモニターの映像が上空からのものに切り替えられた。
そこには、今まさに凍り付こうとしている水球の姿が映し出されていた。
「反転と同時に推力全開」
「だめです。水塊の完全凍結を確認。身動きがとれません」
「ヴァルマ」
「我々を閉じ込めた氷の総重量はおそらく数十億トンにおよぶはずです」
「しかも水は凍ると膨張して体積が増える」
「はい。このままだと我が艦隊は全方位から氷に押し潰され圧壊するか」
「氷に閉じ込められたまま、海面に叩きつけられる。という可能性もあるな」
「はい」
「これほどの事象を起こせるもの。それはもはや神の器以外あるまい」
白焔は再び目の前に投影されたカエデを見た。
「お前が何者かは知らないが、例えこれがヘスティアの組紐でなかったとしても、これは我々にこそ相応しい力だ。返してもらおうか」
彼はそう言うと、指を〝パチン″と鳴らした。
〈つづく〉




