第八章・第十話 第九階層到達・・・そして、
その次の瞬間。
カエデたちは深黒の空間にいた。
そこは上下も左右もわからない。
いや、感覚的にそれを理解することさえ出来ない、そう。正確には理解することさえ許されないと本能が感じるほどの巨大な重圧に支配された場所だった。
だが、カエデたちはそこが何処かすぐに理解することが出来ていた。
突然、カエデたちを包む漆黒の繭、ディの表面が青白い炎に包まれ激しく燃え上がり、辺り一面を照しだしていたからだ。
「ディ!」
ディはそのまま落下し、暗闇の底にあった水面に激突した。
「水?こんなところに?」
凄まじい勢いで水蒸気を発生させながら、炎が消えていく。
『これはカイーナと呼ばれる川だ』
「川?」
螺旋を形成するコートの表面は焼けただれ、その身を焦がした炎が消えてもなお全身から白煙が立ちこめている。
最後の力を振り絞るかのように弱々しく回転しながら、なんとか陸地に這い上がると、螺旋が事切れたかのように解け、中からカエデとミカヅキが転げ落ちるように姿を現した。
カエデの顔色はずいぶん良くなってはいたが、血の気はまだ失せたままで、スーツのヘッドギアのフェイスガードを開け、顔が露になったミカヅキも全快には程遠い様子だった。
「ここが目的地か?」
なんとかコートの姿に戻ることが出来たディにカエデが尋ねた。
『そうだ。ここが第九階層、反逆地獄。我々が目指していた場所だ。
ここには波紋を描くように4つの川が流れている。
外側からカイーナ、アンテノーラ、トロメーア、ジュデッカ。
そしてその4つの川に囲まれた中心に彼が封印されている』
その言葉に瞬時に反応し身構える2人。
だが、4つの川に囲まれた中心の大地には誰もいなかった。
“ボワっ”
小さな発火音を伴いながら、階層の壁のあちらこちらに備え付けられた松明に灯りがともっていく。
全ての灯りがつき、階層内を照らした時、カエデたちは辺り一面に巨大な影が落ちていることに気付いた。
「!」
見上げた視線の先にあったのは、巨大な人の姿だった。
人と表現するにはあまりに大きく禍々《まがまが》しい、まさに悪魔と呼ぶに相応しい巨人が2人の頭上にいた。
だが、彼は宙に浮いているわけではなかった。
彼はこちらに背を向け、逆円錐の頂点にあたる階層の壁に四肢を突き立てて落ちないよう踏ん張っていたのだ。
そして、彼の背中からは鋭く尖った巨大な物体が突き出ていた。
それが何か、2人はすぐに理解した。
「そういうことか」
『そうだ』
ミカヅキの言葉をつなぐようにディが続けた。
『彼がルシファーだ。
そして我々が見てきた各階層を貫く柱は、彼を封印 するために神々が放ったイリン・クァディシンの聖槍だ』
「封印できなかったのか?」
『神々は彼の全ての力を奪い宇宙の果てに追放した。いや、したはずだった。』
「どういうことだ?」
『光りよりも早い速度で宇宙の果てに向けて飛ばされた彼は、偶然目の前を横切った惑星、つまりこの地球に激突した。
そこで神々は第七天界に住む双子の天使イリンと、やはり双子の天使クァディシンに彼の封印を命じた。
その後は見ての通りだ。
封印の槍は彼を貫いた。それでも安心できなかったのだろうな。
天使たちはご丁寧に地上にも封印の魔法陣を施し、さらには厚さが数十キロメートルにも及ぶ氷でそれさえも隠した。
だが彼は四肢を壁に突いて踏ん張り、槍で大地に串刺しにされ封じられるのを一時しのぎではあるが回避した』
「そして彼に追随して天界を追われた者たちの中で、この場所が封印される前に〈ここ〉にたどり着けた者たちが、彼を救い出すために、天文学的な時間を費やして、この大掛かりな逆円錐形の階層と歯車を作りあげた」
『ああ。恐竜人間も貴重な労働力だったはずだ。だが、それでも圧倒的に数が足らなかった。だからこそ魂だけで実体を持たない彼らには身体が必要だった。
そこで人々の弱い心につけこみ、悪の道に引きずり込むことにした。
罪を犯すことは悪魔に魂を売ることだ。
だから罪を犯して死んだ者たちは地獄に堕ちる。
その者たちの骸と悪魔たちの魂が生前の契約に基づいて融合し、彼らは身体を手に入れているのだ』
「じゃあ、ヘレンたちは?」
『彼女たちは逆に悪魔の魂を呑み込み、その力を手に入れた。
彼女たちの怨念が悪魔のそれを上回ったのだ』
「異形の者たちは何なんだ?」
『彼らは下級の悪魔だ。人間の骸を手にするなど許されない。
だが、さっきも言ったようにこの大掛かりな仕掛けを作るには膨大な数の人手が必要だ。
そこで人間に殺された獣や魚、爬虫類や両生類、そして鳥たち、人間への怨念がこもった骸を使って身体を手に入れさせた。その結果誕生したのが彼らだ』
【その通りだ】
ディに応える形で放たれた、その言葉を聞いた瞬間、2人は、膝から腰そして背骨を通って脳天へと数万匹のゴキブリが通り抜けたような、言葉に言い表せない悪寒に襲われ、膝から崩れ堕ちるように倒れ込み嘔吐していた。
『久しぶりだな』
【ああ。君が私に反乱をやめるよう説得した時以来だ。
今さら何の用だ。またお説教か?アヴディエル】
『本当はもっと早く来るつもりだった。
だが、遅れたのは君たちが仕掛けた最終戦争のせいだ。あのおかげで私がどれだけ苦労したか・・・。
いや、今はよそう。
君もわかっているはずだ。反乱など起こしても、また潰されるだけだと』
【貴様が邪魔をしたからだろう。それも一度ならず二度までも】
大地が真っ二つに割れてしまうのではないかと思えるほどの、凄まじい怒りに満ちた声が階層内に響き渡り反響を繰り返す。
ディはとっさに触手を伸ばし、カエデたちの耳を塞いだ。
が、心を身体ごと握り潰さんばかりの重圧に、2人は胃の内容物はおろか胃液まで吐き尽くし、それでも吐き気は治まらず、血を吐き続けていた。
(アヴディエル?それがディの本当の名前?)
ミカツ゛キは、飛ぼうとする意識を辛うじて繋ぎ止めていた。
『これは君自身がまいた種だ。君にも言い分があるだろうが時間がない。悪いが君の命を奪う』
【もう遅い。私の役目は終わった】
『なに?』
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴっ。
突然の地鳴りと共に大地が揺れ始めたかと思うと、それは、次の瞬間には大地震となってカエデたちに襲い掛かっていた。
階層内全てが縦横無尽に振り回され、壁に無数の亀裂が走っていく。
カエデたちは、その時すでにディの繭に包まれていた。
なおも勢いを増す揺れと壁に広がる亀裂は、ルシファーが手足を突いている場所にも到達し、脆くなった壁は彼の手足に押される形で陥没したが、それでも彼はバランスを崩しながらもまだ踏ん張っていた。
その時だった。
階層が崩れ落ちてしまうのではないかと思えるほど振動と轟音が激しくなった次の瞬間。
階層の天井に渦巻き状に亀裂が走ったかと思うと、そのまま天井を粉砕しながら何か巨大なものが姿を現した。
天井だけでなく各階層を貫く柱、イリンとクァディシンの槍さえも当たり前のように砕きながら降りてくるそれは、巨大な筒の内側に何重にも重なるように並ぶ無数の刃を、超高速で回転させながら、進路上に存在する全てのものを粉砕しながら進む円筒形の物体だった。
そして、その姿にカエデもミカヅキも見覚えがあった。
「レヴィアタン?」
そう。それは、ガブリエルたちの攻撃により、完膚なきまでに破壊されたはずのレヴィアタン
に間違いなかった。
何故ここにレヴィアタンが?
だが、カエデたちにそんなことを考えている余裕などなかった。
黄金の巨大過ぎる削岩機は、カエデたちの頭上で踏ん張っていたルシファーをあっけなく八つ裂きにしたかと思うと、彼の断末魔の叫びをかき消すかのように爆音を響かせながらカエデたちに襲い掛かった。
ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガっ。
黄金の削岩機は、カエデたちに逃げる間も与えず大地に激突し、大量の土砂を巻き上げながら、そのまま地中奥深くへと潜って行った。
どれほどの距離を進んだのだろうか?
レヴィアタンは突然停止し、今度は逆進し浮上し始めた。
更なる土砂を巻き上げながら、巨大な円筒が大地から引き抜かれ、その先端が姿を現す。
だが、レヴィアタンは止まらなかった。
止まるどころか更に加速し、凄まじい勢いで上昇して行く。
それは、カエデとミカツ゛キが命を懸け死にもの狂いで通り抜けて来た全ての階層をあっけなく突き抜け、あっという間に南極上空に達していた。
〈第八章終わり。第九章へつつ゛く〉




