第八章・第二話 第二階層
「他の連中は上空か?」
「はい。ジルをリーダーに隊を編成し、敵艦隊と交戦中です」
「ゼファーソンの、いや、ベリアルの呪縛がなぜ解けたか分かるか?」
「わかりません。ただ突然、唐突に目が覚めたんです。百年の恋が冷めるみたいに」
「べリアルが肉体を失ったからだと思います」
通信に割って入ったのはハンナだった。
「私、見ました。その時は何が起きたのか理解出来ませんでしたが、ロイが教えてくれました。デビットの肉体を使って復活したベリアルが乗るサンダーボルトに、シラヌイから分離したエンジンブロックがワープに突入しながら激突し、そのままワープして行ったと。
ギブスン機関長が私たちを助けてくれたんです」
「そうか。ありがとうハンナ」
「いくぞ」
「ああ」
ブリガンダインの攻撃にパニックになり逃げ惑う怪物たちを尻目に、2人は再び降下を始めた。
猛スピードで流れる視界の彼方、大地に突き立つ柱の螺旋階段が続く先に通路の入り口が見えた。
その奥の歯車にあたる部分が時計の針のようにゆっくりと、しかし確実に回り、通路は今まさに閉じようとしていた。
『躊躇するな』
まさに閉じつつある入り口に2人は突入した。
その中は金属を掘って作られたトンネルになっていた。
遥か先に、暗闇を照らす光、出口が見える。
だが、その光りは急速に小さくなりつつあった。
『気を付けろ。ミノスの審判が待ち受けているぞ』
「ミノスの審判?」
その時だった。
トンネルの壁を埋め尽くす無数の穴から黄金の槍が次々に飛び出し、侵入者に襲い掛かった。
槍がトンネル内に居合わせた異形の者たちをも容赦なく串刺しにしていく。
だが、カエデとミカヅキのハルムベルテは全ての槍をかわし、かろうじて生き延びた怪物たちと一緒に、まさに閉じる直前の出口から第二階層に飛び出した。
◆
「!」
2人が飛び出したその先にあったのは、視界を遮る黒金色の壁だった。
次の瞬間。
それが、通路から飛び出して来た者たちを、まるで蚊でも叩き落とすかのように打ち払っていた。
異形の者たちが一瞬にしてはじき飛ばされる中、2人はそれをかわし、第三階層へ向かうべく急降下を開始した。
その直後だった。
降下を始めた彼らを、猛追してきた巨大な影が追い抜いていた。
「なにっ」
行く手を阻むように飛ぶ黒金色の影。
それは、コウモリのような大きな翼と、爬虫類を彷彿させる長い尻尾を持つ女性の姿をした巨大な生命体だった。
『リリスか』
「リリス?」
『この第二階層、邪淫地獄を司る女悪魔だ』
「女性に手荒なマネはしたくないんだけど」
バシュっ。
ハルムベルテの背部から射出された小さな塊。
それが弾け、ワイヤーがつながった楔が飛び出し、空中に大きな蜘蛛の巣を描くのと、その中に巨大過ぎる美女が飛び込んだのがほぼ同時だった。
リリスと呼ばれた生命体は、特殊合金製のワイヤーに自ら飛び込む格好になり、ところてんが押し出されるように切り刻まれて四散した。
・・・はずだった。
「!」
それは信じられない光景だった。
バラバラになったはずのリリスの身体が、何かに引き寄せられるように集まり、くっついて元に戻ったのだ。
「ちいっ」
ハルムベルテの背部装甲が展開し、そこから姿を現した多弾頭弾が、再び迫る黒金色の影目掛けて発射された。
ババババババババババババババババっ。
目も眩む閃光と耳をつんざく爆音。
ミカヅキはリリスの身体が爆散するのをモニターを通して確かに見た。
・・・だが、天を覆う爆煙の中から姿を現したのは木っ端微塵になった死骸ではなかった。
数百、数千、数万もの小さな黒い塊が凄まじい勢いで飛び出して来たのだ。
数万という数のそれが2人に追い付くと、融合するかのように合体し、巨大な集合体へとその姿を変えていく。
その姿は、紛れもなくリリスだった。
「ディ。あれはなんだ?」
『あれは擬態だ』
「擬態?」
『彼らの名はリリン。
リリスが数知れずの悪魔たちと交わり産み落とした子供たちだ。
それが群れとなって巨大なリリスの姿を作り出している』
リリスが再び2人に迫る。
ハルムベルテが急降下したままクルリと向きを変えリリスの方を見た。
前腕部の装甲が回転し、内蔵されたレールガンが火を噴く。
だが、リリスはリリンとなって散開し、容赦なく撃ち込まれる特殊鉄鋼弾の雨をかわしていた。
『このままでは埒があかない。彼らは我々を討つ必要がない。足止めさえ出来ればそれでいいんだ。
この状況では我々が圧倒的に不利だ』
「ならリリスを倒すことにこだわらず、我々も次の階層へ向かうべきだ」
「オレもそう思う」
ミカヅキの提案にカエデも賛成した。
だが、
『待て。さっきも言ったが、今の彼女はこの邪淫地獄を司る者であると同時に七つの大罪の一つ、色欲の罪を背負う者だ。占星術では金星と結びついている』
「どういうことだ?」
『つまり、彼女を倒せば金星の塔が機能が失われるかもしれないんだ』
その告白にカエデもミカヅキも言葉を失った。
「それは確かか?」
『確信はない。これは私の希望的推測で賭けだ』
それを聞いたカエデは思わずぷっと吹き出した。
『なにがおかしい?』
「ごめん。まさかお前の口から『希望的推測』とか『賭け』なんて言葉が聞けるなんて夢にも思ってなかったから。それならやるしかないな」
「どうすればいい?」
『彼らを統率しているのは母たるリリスだ。彼女を討つしかない。
彼女を討てば、男親の違うリリンたちは自分こそが統率者にふさわしいと互いに主張し、争いを始めるはずだ』
「リリスはどこにいる?」
『おそらくあの集合体の中心にいるはずだ。
子供たちを統率するには近くにいるのが一番だからな』
「どの世でも親っていうのは過保護だな」
“バウンっ”
ハルムベルテの左上腕部の外装の一部が上下に跳ね上がると、それは弓へと姿を変えた。
右手で絃を引くと、右手上腕部が回転してせり出てきた矢をミカヅキはリリス目掛けて連射し始めた。
レールキャノンを応用して作られたそれは、圧倒的なって物量でリリスに襲い掛かった。
リリスは数え切れないほどの矢に貫かれて散りじりになったかに思えたが、すぐに再結集し、巨大な塊を形成し始めた。
その瞬間だった。
ミカヅキは、数個のパーツを合体させて作り出した巨大な矢を、塊の中心に向けて射った。
それに気付いた無数のリリンが盾になったが、矢の勢いを止めることはできず、それは、黒金色の塊の奥深くに突き刺さり大爆発した。
ドオオォォォォォォォオオンっ。
籠った轟音と共に、矢の内部から飛散した特殊鉄鋼弾の雨が、塊の内側からリリンたちを直撃した。
「ギニィヤァァァァ〜〜〜〜〜〜〜っ」
その時だった。
突然、絶叫が響き渡った。
声が聞こえた方を見ると、そこには腰まで伸びる黒髪が印象的な美しい女性がいた。
黒金色の肌の、均整が取れた身体に不釣り合いなコウモリのような羽と、蛇のような尻尾を持つ彼女こそ、この階層を与えられし女悪魔リリスだった。
そして、彼女の胸は矢に貫かれていた。
だが、その矢はハルムベルテが射ったものより明らかに小さかった。
何故?信じられないといった表情でリリスは矢が飛んで来た方角を見た。
無理もなかった。
子供たちが作る鉄壁の塊の中心に居たはずの彼女は、巨大な矢が刺さり大爆発が起きた時も確かに子供たちに守られていた。
だが、今その瞳に映っているのは、矢を構える巨大な鋼の騎士の、装甲が展開した胸元から、生身をさらして弓を構えるミカヅキの姿だった。
そう。今、彼女の胸に刺さる矢を放ったのはミカツ゛キだった。
そして、彼女は気付いた。
彼女は、いや彼女だけではない、ミカツ゛キも光り輝く光球の中にいて、その中心にカエデが浮いていた。
その両手に架かる組紐が、神々しいまでの輝きを爆発的な勢いで放ち、リリスは自分でも知らないうちに、おそらくは大爆発が起きた瞬間に、まるでその光に引き寄せられたかのようにハルムベルテの前に移動していたのだ。
「ギャギャギャギャギャ~~~~~~~っ」
母を助けようと近付いて来るリリンたちが、光球の周りを回る3つの羽に容赦なく撃墜されていく。
「!」
そんな中、リリスの顔を間近で見たミカヅキは呆然となっていた。
「フィルゴ?お前、フィルゴ・クレソンか?」
そう。苦痛に歪むその顔は、紛れもなく赤の艦隊旗艦シャムエル副艦長、フィルゴ・クレソンその人だった。
「お前も恐竜人間だったのか?」
[ち、違う。私は人間だ。私はデリンジャーのために、自らの意志で身も心も神に捧げたのだ]
「なに?」
[貴様らをこの先には行かせない]
「ミカヅキっ」
[アァアァ〜〜〜〜〜〜っ]
2人の会話にカエデが割って入るのと、リリスが断末魔の叫びをあげたのがほぼ同時だった。
それを合図に、残されたリリンたちがカエデたち目掛けて全方位から一斉に襲い掛かった。
彼らは自らの主権争いよりも、母の最後の望みを叶えることを選んだのだ。
だが、今のカエデとミカヅキには彼らにかまっている余裕などなかった。
遥か下方に見える第2階層へ通じる入り口の奥で、歯車が少しずつ回り、通路がゆっくりと、だが確実に閉じて行く。
「バイツ。オーバーブースター」
〔了解〕
ハルムベルデの周りを回る3つの羽から再び光りの粒子が溢れ、鋼の機体を包み込んだ。
「ディ。気合い入れろ」
コートがカエデを包みながらドリルのような形に姿を変える。
それが回転速度をさらに増しながら加速してハルムベルテとともに急降下していく。
だが、それを待ち受けるように、残されたリリンたちが地上へと集結し、巨大な〈いそぎんちゃく〉のような姿になっていた。
真上を向いて開いた、牙がびっしりと並ぶ大きな口と、その周りに並ぶ触手をぐちゃぐちゃ動かしながら入り口の上に立ち塞がるリリン。
カエデとミカヅキは、躊躇することなくそこへ突入した。
〈つつ゛く〉