第七章・第三話 ヒドラ
「き、きさまっ」
その凄まじい衝撃に、ギルは後頭部から甲板に叩き付けられた。
いや、その瞬間に彼は、頭突きの反動を利用したカエデのバク転宙返りからの蹴りを、自らも後方宙返りすることでかわしていた。
人間の目には絶対に捉えることが出来ない速さで体勢を立て直したギル。
その目に映ったのは、エスペランサを包む光球が一瞬にして消滅し、無数のアラストールを飲み込む海水が塊となって、一気に全方位から押し寄せる様と、その身に纏うコートが全身を螺旋状に包み、そのままドリルのように回転しながら自分目掛けて突っ込んで来るカエデの姿だった。
ズギャギャギャギャ~~~~~っ。
「っあぁぁぁぁ〜〜〜〜~~~~~っ」
漆黒の螺旋と化したカエデとディが、ギルの身体を2つに引き裂く轟音と、声にならない絶叫が響き渡ると、螺旋が解けカエデは素早く着地した。
そして、崩れ落ちるミカツ゛キを正面から支えるように抱きしめた。
抱きかかえるカエデと、それにただ身をゆだねるミカツ゛キ。
2人は、そのままその場にへたり込んだ。
カエデの両手に架かる組紐がミカツ゛キの背中越しに金色に輝き、その光りがエスペランサを飲み込む寸前だった海水を再び光りの粒子に変えながら押し退け、その船体を包み込んだ。
水球の外では複数のリングが激しい風を巻き起こしながら回転し、凄まじい量の海水が轟音とともに巻き上げられ、豪雨となって降り注いていた。
が、船上は嘘のように静まり返っていた。
崩れ落ちるようにへたり込んだままミカツ゛キは微動だにせず、それを抱きしめるカエデの視線は正面を見ていた。
その視線の先では、一番外側のリングをその場に残したまま、内側の複数のリングが回転しながら次々起き上がり、空中で交差する形で停止したところだった。
原子核を取り巻く電子のように、水球を囲みながら高速で回転する複数のリング。
それを見た時、人間の尊厳も何もかも打ち砕かれ、全ての希望を失いかけていたミカヅキは、本当の絶望というものがあることを思い知らされていた。
「・・・ダリウスの輪」
そう。
木星で使用された物と比べるとサイズはかなり小さかったが、それはまさにダリウス輪そのものだった。
高速で回転する複数のリングの内側がオレンジ色に輝き、その中に存在する全てのものが、そこに見えないプレス機でもあるかのように全方位から押し潰され始めた。
「させるかっ」
カエデがそう叫ぶや否や、組紐が放つ輝きが白銀色に変わった。
それに呼応するかのようにエスペランサを包む光球がどんどん大きくなっていく。
そして、全てを消滅させながら膨張する光球と、全てを押し潰しながら収縮していく光球が空中で激突した。
バババババババババババっ。
目も開けていられないほどの眩い閃光を弾けさせながら、膨張と収縮の鍔迫り合いが続く。
「ディ、なんとかなりそう?」
『現在サークルには2万6千エクサトンもの超重力がかかっている。
脱出するには最後のカードを切るしかない』
「そんなことしたらエスペランサが、・・・そうか、エスペランサでワープすれば・・・」
『いや。例えワープでも脱出は不可能だ。・・・上から何か来るぞ』
カエデが空を見上げると、遥か上空にポッカリと黒い穴が開いていて、そこからこちら目掛けて黒銀色の巨大な物体が落ちて来るところだった。
そのいびつに膨らむ先端部が、ダリウスの輪に届く直前に、まるで指のように開き、文字通りダリウスの輪を鷲掴みにしていた。
「なんだこいつら?」
それは指ではなく9匹の蛇だった。直上まで迫る胴体から枝分かれした9つの首が、ダリウスの輪を掴んでいたのだ。
それは、神の宝石を空に開いた穴の中へ連れ去り、マグマの海の中でエスペランサを連れ去ろうとしたあの怪物だった。
『ヒドラだ。どうやら我々をあの穴の向こうに連れて行くつもりらしいな』
「あの向こう?」
カエデは遥か上空の穴を見上げた。
獲物を捕らえた黒銀色の拳が、天空の穴目掛けて引き上げられていく。
「何か手はないのか?」
『カードを切るしかない』
「出来ない。出来るわけがない」
ババババババババババババババっ。
その時だった。
上昇して行くヒドラの周りの空間に突如として無数の閃光が瞬いたかと思うと、そこから空間を突き破って飛び出して来た物体が次々にダリウスの輪に命中して爆発し始めた。
辺り一面を閃光と爆炎の連鎖が飲み込んでいく。
だがエスペランサは無事だった。
正確には、これほどの攻撃を受けているにもかかわらずダリウスの輪はびくともしなかった。
だが、ヒドラはそうはいかなかった。
ヒドラは爆発で首が吹き飛ぶたびに、すぐに新しい首を再生させダリウスの輪を離すことなく握り続けていた。
次々に自分たち目掛けて飛んで来るそれにカエデは見覚えがあった。
「これって、まさか」
「そう。ドリルミサイルよ」
カエデの疑問に答えたのはガブリエルだった。
そう。
それは、今までカエデたちを散々苦しめてきた敵艦隊の、ドリルミサイルに変形した突撃艦だった。
もちろん彼女は船内にいて、2人の会話はディがつないでいた。
「救難信号を出して位置を教えてあげたの。敵味方問わずにね。そうすれば前回とさっきの戦闘でワープミサイルをほぼ使い果たしたはずのシェオールがこうすることは分かっていたから。本当は各惑星のバベルの塔を攻撃させたかったけど」
バっ、バっ、バっ、バっ、バっ、バっ、バっ、バっ、バっ。
閃光とともに空間に空いた穴から巨大な物体が次々に飛び出して来る。
それは、WDCとそれを追撃する敵艦隊の姿だった。
異空間でどれほどの死闘が繰り広げられていたのだろうか?
WDCも敵艦隊も深い損傷を負っていた。
それでも生還できた艦は幸運な方だった。
あまりの損傷の大きさからワープアウトに耐えられず、空間の狭間で爆発する艦が続出し、火だるまになった艦影が艦載機や乗組員もろともバラバラになりながら落ちて行く様が大空のあちらこちらで繰り広げられていた。
「・・・隊長・・えま・か?」
ディを介して脳に届いたその声にミカヅキはハッと我にかえった。
「ビル?その声はビルか?皆無事か?」
「はい隊長。エバンス副長、アルバート、デビット、ハンナ、ジェラルドの5名を除く全員が無事で・・・」
ダリウスの輪を掴んだヒドラが吸い込まれるように穴の中に姿を消し、通信が途切れた。
それを猛追するWDCが穴に飛び込むのと、穴がしぼむように空から消滅したのがほぼ同時だった。
ドォオオオオオオオォンっ。
閉じる穴に挟まれ、空間に輪切りにされたWDCが大爆発を起こした。
後に続くWDCはその爆炎を突き抜けたが、そこにはもう何もなかった。
◆
空から抜け出たそこは漆黒の世界だった。
力尽きたのだろう。
ダリウスの輪を滑り落ちるように離したヒドラが、そのまま暗闇の中へ漂って行くのが見える。
「ここは?」
『宇宙空間だ。前方に地球が見える』
「あれが、地球?」
ディの言うとおり、全天に星が瞬くそこは宇宙空間で、前方に地球が小さく見えていた。
『カエデ。直上』
「!」
ディとほぼ同時にカエデも気付いていた。
自分たちの頭上に、とてつもなく巨大で、とてつもなく長い、杖のような円柱状の物体が浮かんでいた。
「あれが何か分かるか?」
『あれは、まさか?ユグドラシルから作られているのか』
「・・・そう・だ。・・き、貴様・・ら・に、・・か・勝ち目・・は・な・・い」
声が聞こえた方を見ると、そこには身体を真っ二つにされ干からびたギルが横たわっていた。
『もし仮にあれがそうだとしても、あれはただの柄だ。穂先がない』
「どうした、ディ?何を言ってる?」
「・・・ある・・だろ。・・・ほ、穂先・・な・ら、・ここに」
ガガガガガガガガガガっ。
まるで、ギルのその言葉を待っていたかのように、水球を捕らえる複数のリングがその形を変え始めた。
『なんということだ。カエデ。今すぐ最後のカードを切れ』
「え?」
エスペランサをその中心に捕らえたまま、複数のリングが交差する点を支点にしてリングが折れ、片方の支点を押し出すように曲線から直線へとその姿を変えていく。
『これが、彼らがお前の力を使ってやろうとしていた本当の目的だ』
ガクンっ。
全ての動きが止まった時、ダリウスの輪は、球から閉じる寸前の傘のような六角錐へとその姿を変貌させていた。
「でもエスペランサのみんなが・・・」
『カエデ。今しかない。次はないんだ』
エスペランサを護る光球が、それを閉じ込めるように周りを回る一番内側の二対のリングごと傘の先端部に押し出されると、傘がさらに閉じて光球は先端にはめ込まれた。
それに合わせて六角錐の底面がさらに突き出るように変形し、ユグドラシルから作られてると言われていた巨大な柄の先端部に合体した。
『これは、〈グングニルの槍〉だ』
〈つつ゛く〉