第五章・第二話 医療室
「・・・っぁあああ〜〜〜〜〜〜っ」
四方八方から襲い来るアラストールに全身を喰い千切られジャンは断末魔の絶叫をあげた。
「はぁ、はぁ・・・?」
彼はまだ自分が置かれてある状況を理解することが出来ずにいた。
「・・・」
ジャンは、特殊な培養液で満たされたガラス状の巨大な円筒の中にいた。
彼は、酸素を供給するチューブがつながったマスクに顔を覆われ、全身を何か特殊な布状のもので包まれた状態でその中を漂っていた。
それは、クローン技術を応用して治療を行うカプセルだった。
手足を見ると、傷口が跡形もなく消えていた。
どうやら治癒したらしい。
辺りを見渡すと、そこは医療室の中だった。
いくつもの治癒カプセルが整然と並んでいた。が、その表面は曇っていて中は見えない。
「・・・夢か」
目覚めたばかりの、ぼ〜っとしていた頭が記憶と共に覚醒した。
(ミリーは?)
その時、ジャンの視線が2人の女性を捉えた。
白髪がまじった金髪のショートボブに白衣姿の女性医師が、髪をポニーテールにまとめメガネをかけた作業着姿の女性の治療をしているところだった。
作業着姿の女性が袖を捲った左腕を培養液に満たされた透明の筒の中に肘まで突っ込んでいた。
左拳の裂傷がみるみるうちにふさがっていくのが分かる。
右耳に入れられたインカムの通信機能がオンになっているらしく、2人の会話がジャンの耳に入って来た。
「ヘレン。もっと身体を労りなさい。プラズマエンジンのコアリアクター?の整備を任されたって喜ぶのはいいけど、こんなケガしてたら体がいくつあっても足らないわよ。あなたの本業は科学者なんだから。
え〜っと、専門は、・・・何だっけ?」
「もう。何回言ったら覚えるの?
相対性理論。
でも、人手が足らないんだもん。しょうがないよ。
それに、今までやったことのない仕事するのってスゴい楽しいよ。
いろんな発見があって、いっぱい刺激があって、逆に研究もはかどりそうな感じ」
そして、傷口が完全にふさがったのを確かめると、袖を直すその女性に医師が語り掛けた。
「別にケガとかしてなくてもいいのよ。いやなことがあったとか、どうしても誰かに話を聞いて欲しいとか。相談に乗るぐらい私でも出来るから。来たくなったらいつでもいらっしゃい」
「いいの?」
「もちろんいいわよ。レイジーも誘って来るといいわ。とっておきのお菓子もあるから、今度女子会やりましょう」
「ありがとうルイス先生。やさしいよね先生は。みんながお母さんて呼ぶはずだよ。私しゃ先生を嫁に欲しいわ」
「なに言ってるの」
「えへへ。ありがとうございました」
ヘレンと呼ばれた女性は、そう言いながら会釈をして部屋を出て行った。
医師はモニターを見てジャンが意識を取り戻したことに気付き、彼の前に歩み寄った。
「ダーウィン、カプセルNo.12プライバシーモード、オフ」
〔了解しました。Drルイス〕
すると、ジャンが納まるカプセルの表面が一瞬にして透明になった。
その不安そうな表情を気遣うようにルイスは話しかけた。
「気が付いたみたいね。安心して。ここは病院よ。あなたは助かったの。気分はどう?」
「はい、大丈夫です。・・あの、妹は?ミリーは無事ですか?」
「ええ。大丈夫よ。順調に回復しているわ。ダーウィン、NO.11プライバシーモード、オフ」
医師が指差す方を見ると、自分と同じ格好で、目を閉じたままカプセルの中を漂う妹の姿があった。
どうやら寝ているらしい。
「・・・良かった」
その時だった。
“ピー、ピー、ピー、ピー”
と呼び出し音が鳴った。見ると、彼女の耳のインカムの赤いランプが点滅しているのが分かった。
「ごめんなさいね」
医師はジャンにそう断りを入れてインカムに手をあてた。
「はい。ルイスです。・・・え?・・分かりました」
ルイスが通話を終え、カプセルに視線を戻すと、妹の無事を確認してホッとしたのか、ジャンは再びうとうとし始めていた。
ルイスはそのままインカムを通してコンピューターに命じた。
「ダーウィン。カプセルNo.11、12、プライバシーモード」
すると、2つのカプセルの表面が曇り、内部が見えなくなった。
その直後。
「ドクターキンバリー。入ってもよろしいですか?」
インターフォンから聞こえた警備兵の声にルイスは「どうぞ」と答え扉のロックを解除した。
扉が開いて入って来たカエデを見てルイスはギョっとなった。
完全武装した4人もの兵士に囲まれていたからだ。
しかも4人は全員身長が2メートルを越える屈強な男達で、小柄なカエデはその間に完全に埋もれ、本当にそこにいるかどうかもわからない状態になっていた。
「あ、あの〜、カエデさん?」
「はいっ」
と、元気よく上げられた右腕だけが兵士の間から見えた。
「少し離れてやれ。ミカヅキ大佐が"おかんむり"だぞ」
声が聞こえた方を振り向くと、通路にリビングストンとガブリエル、そしてミカヅキの3人が立っていた。
「しょ、将軍」
ミカヅキはそれ以上なにも言えなかった。
その顔は可愛いぐらい真っ赤になっていた。
その時だった。
「・・・お兄ちゃん。お兄ちゃん、どこ?」
いくつも並ぶカプセルの1つのスピーカーから少女の声が聞こえて来た。
「ミリー、気が付いたのか?良かった」
「お兄ちゃん、どこ?」
「隣のカプセルだよ」
「良かった。お兄ちゃん。お父さんは?」
「・・・お父さんも大丈夫だよ。・・こことは別の病院にいるって」
「良かった」
『カエデ、残念だがこの子たちの父親は・・・』
(・・・そうか)
兄から父も無事だと聞いて安心したのか、ミリーは素朴な疑問を口にした。
「なんで私たち生きてるの?」
「あの黒いコートのお姉ちゃんが助けてくれたんだよ」
「本当に?ありがとう」
その声は感謝というより驚愕に満ちていた。
プライバシーモードの為、カプセルの中は見えない。
だが、カエデは躊躇することなくミリーのカプセルの前まで歩いて行った。
「どういたしまして」
「お姉ちゃん。それは何?」
ミリーが興味を示したのは、曇りガラス一枚を挟んで話しかけるカエデの首筋に光るネックレスだった。
カエデは黒い上着に黒いコートを重ね着しているのでそれはほとんど見えない。
が、元々好奇心旺盛なミリーがカプセル内に浮かび、カエデを頭上から見下ろす格好になっているため、照明の灯りが反射し、ほんの一瞬キラっと光ったのが見えたのを見逃さなかったのだ。
「これ?」
そう言いながら胸元からネックレスを引き抜くと、その先には何かの結晶を模したと思われるペンダントがついていた。
銀の装飾が施され、その中心に宝石らしきものが埋め込まれているそれは、素人目にもかなり高価な代物なのではと想像出来た。
「きれいっ」
大きく見開いた瞳をキラキラ輝かせながら、興奮ぎみにペンダントを凝視するミリー。
「欲しい?」
カエデの思わぬ一言にミリーはカプセルの中で飛び上がっていた。
「いいの?」
「大切にしてくれる?」
「うん。大切にする。一生の宝物にする」
「じゃあ、治療が終わってからね」
そんなカエデから視線を逸らすことなく、リビングストンはルイスと話していた。
「あの子供たちの容態はどうだ?」
「あと12時間もすればカプセルから出られると思います」
「そうか」
“ピ〜、ピ〜、ピ〜、ピ〜。”
呼び出し音が鳴ったのは将軍のインカムだった。
「私だ。・・・なに?」
将軍はチラっとカエデを見た。
その表情が何を意味するかを、ディが教えてくれた。
『一難去ってまた一難』
「マジで?」
カエデがそう言い終わる前に扉が開き、パワードスーツ姿の兵士たちが医療室になだれ込んで来た。
ミカヅキたちが装着していたものとはスーツの色も肩の紋章のデザインも違うところを見ると、別の部隊なのだろう。
兵士たちはぐるりと何重にもカエデを取り囲むと一斉に銃口を突き付けた。
それだけではない。
銃口はミカヅキやリビングストン。
更にはルイスにまで向けられていた。
「これはなんの真似だ?答えろ、ゼファーソン准将」
鋼鉄をも射抜かんばかりの鋭い眼光で睨む視線の先に立つ、銀色のパワードスーツに将軍は問いただした。
「それはこちらのセリフですよ、将軍」
ゼファーソンと呼ばれた装着者はリビングストンに銃口を向けたまま答えた。
「神器を持っている。しかも敵の手の者かもしれない身元不明者を、取り調べすることもなく自由にさせるなど、とても正気の沙汰とは思えませんが」
彼はそう言いながらパワードスーツのファイスガードを開いた。
その中から現れたのは、三十代半ばとおぼしき色白で細面な男の顔だった。
「ミカヅキ隊が持ち帰った映像は見たな?」
「はい」
「なら分かるはずだ。彼女は敵ではない」
「分かりませんね」
「なに?」
「いま我々が知らなければならないのは、彼女の正体とその真意です。敵か味方かなど問題ではない」
「何故彼女が神器を持ち、使いこなせるのか?それを知ってどうする?
我々に使いこなせると本気で思っているのか?」
「まさか貴方まで、神器が所有者を選ぶなどという戯れ言を本気で信じているのですか?
目を覚まして下さい。これは我々にとって最後のチャンスです」
「なに?」
「この力が我々のものになれば、こちらから火星に攻め込むことが出来る」
「あの人は?」
「ジェフリー・ゼファーソン准将」
「火星って?」
「シェオールの本拠地は火星にある。
それがゼファーソン准将の持論なんだ」
カエデの質問にミカヅキが答えた。
「またその話か」
リビングストンはうんざりした様子でゼファーソンに反論した。
「その根拠はなんだ。火星に総攻撃を仕掛けて本拠地がなかったらどうするつもりだ。奴らの真の目的も分からないのに・・・」
「そんなものは関係ない」
ゼファーソンは声を荒げた。
「真の目的?このままいけば、それを知る前に我々は全滅する。もはや作戦室でくだらない会議をしている場合ではない。
敵の目的など知るか。今、我々がしなければならないのは奴らを根絶やしにすることだ。目的とかは一切関係ない。死ぬか生きるか。それだけだ」
「そこまで言うからにはあるんだろうな。奴らの本拠地が火星にあるという根拠が」
冷や水を浴びせるかのような将軍の一言。
だが、准将はまさにその言葉を待っていた。
「もちろんです」
彼はそう言うと将軍の前に左腕を差し出した。
手首に巻かれた時計の文字盤が光りを放ち、そこから立体映像が浮かび上がった。
そこに写し出されたのは、乾いた空と広陵たる赤茶けた大地。
その向こうに連なる山々の中に一際大きな山があった。
「火星?オリンポス山か」
「はい。あの日から事実上廃棄処分となっていた無人探査ドローンを再起動させ撮影した映像です。ちなみにドローンはこの撮影直後、何者かによって破壊されました」
「再起動の許可など出した覚えはないぞ。また勝手なマネを・・・」
「ここを見て下さい」
リビングストンの説教など全く意に返さない様子で話を続けるゼファーソンが立体映像のある地点に指先で触れると、その部分が拡大された。
「!?」
その瞬間、医療室はどよめきに包まれた。
一際大きく拡大投影された山の頂上に、誰もが一度は見たことがある円形の塔が建っていた。
「これは、バベルの塔?」
「そう、バベルの塔です。だが、問題の本質はそこではない」
ゼファーソンはそう言いながら塔の最上階の部分に触れ、映像を更に拡大させた。
そこはまだ未完成だったが、そこに何かが納まるであろうことは、その形から安易に想像出来た。
「これは?」
「見ての通り、鐘突堂です。肝心の鐘がまだ納められていないようですが」
「鐘?バベルの塔の大きさはどれくらいだ?」
「直径が基礎部分で60キロメートル。高さが240キロメートルです。
その上に建つ鐘突堂の大きさから予想される鐘の直径は13キロメートルとなりました」
「・・・13、そんな物を作って何に使うつもりだ?・・・まさか、終末を告げる鐘か?」
「いえ、おそらく奴らの遠く離れた仲間たちに自分たちの居場所を教え、こちらに呼び寄せるための鐘だと思います」
「なんということだ」
「これで私の意見が正しいことが理解していただけたようですね」
あくまでも低姿勢に、だが勝ち誇るようにゼファーソンが言葉を締めた。
〈つつ゛く〉