2:疑問と恐怖~干物を添えて~
私、森江ヒカリは、何時間か前まで恋の『こ』の字も知らなかったというのに、よくわからないままにキスの経験値だけ異様に、ほんと異様に稼いでしまいました――もうお嫁に行けない…………いや、むしろお嫁に行くことになりつつあるようです。
うん、もう自分でもよくわからない。
「だからッ!ちゃんとした説明をしーてーくーだーさーいー!」
「祝言をあげる為に連れてきた……と、何度も言っている」
私のファーストキスを奪った男は、先程、よ~うやくヴェルガートだと名乗った。
彼は海――といっても、私の知る海とは別の世界だが、その海底に住まう『竜』だという。
普通なら交わることのない、私の世界の海と、彼の世界の海――それを一時、無理矢理繋ぎ合わせて私を迎えにきたらしい。
そして今、彼の住む邸にご招待……っていうか拉致されていた。
「それ説明になってないですからね!?ちゃんとわかるように説明を――」
「わかるように――すればいいのか?」
ヴェルガートさんはすっと目を細め、体にわからせてやる、と言わんばかりに迫ってくる。
「ひぃっ……!ちゃんと口で説明してくださぃぃぃ!」
「無論、口で説明してやる……たっぷりとな……」
「なっ、ちがっ……!言葉!言語での説明を――」
眼前に迫るヴェルガートさんを必死に押し退けようと、胸を強く押すものの、ぴくりとも動かない。
「忘れているヒカリが悪い」
本来なら、私には『記憶』があるはずだという――それを覚えてさえいれば、今疑問に思うようなことは何もなく、だから詳細なことは言う必要がない……ということらしいが……そんなもの納得できるかい!だってその記憶は――
「前世のことなんて普通覚えてるわけないでしょぉが!」
「お前は普通ではない」
ヴェルガートさんが私の頬に手をかけ、クイと顔を持ち上げる。
「この目が……」
金色の目と目が合う。
「この目が俺とお前を繋いでいる……お前はこの目でずっと見てきたはずだ」
覚えているはずだった、忘れてほしくなかった――そう言いたげに、ヴェルガードは睫毛を伏せる。
「お前は……」
言いかけた言葉を遮るように、「まぁまぁまぁまぁ」と高い声がした。
「呼んでない」
「ヴェルガート様には呼ばれてませんが、場の空気に呼ばれまして」
声の主を探してキョロキョロしていると、足元から「奥方様、こちらでございます」という声と、足にツンツンと触れるものがあった。
奥方様じゃない――そう言おうと目線を下にする。
「お初にお目にかかります、私は――」
そこには従者の服に身をつつみ、恭しく挨拶をする、真っ白な――エイの干物がいた。
「ひぃぃぃぃぃぃ!!!!」
「おやおや……」
愉快そうに目を細めるエイを見て、また「ひぃ」と声が出る。こっち見ないでぇぇぇぇぇ!
興味のある人は是非『エイ 干物』で検索してみて。怖いからほんと。
「ヒカリが怖がる、さがれ」
「まぁまぁまぁまぁ」
エイの干物はヴェルガートさんの言葉を軽く流し、ふわりと浮き上がると、こちらにずずいっと近づいてくる。
大迫力の干物に、涙目になって後退りした。
「ひぃぃぃ……」
「ふふっ、お可愛らしい方でございますね」
紳士的に微笑んでいるらしいが、恐怖に背筋がゾワッとする。
「奥方様、私は――――――で、ございます。」
え?なんて?怖いのと、早口でよくわからず、ぽかーんとしてしまう。
呆けた私の様子に、干物はニッコリ笑って先程よりゆっくりと話しだした。
「失礼いたしました、私は――ジューム・コーリレ・カイザー・スイ・ギョーマウン・ラ・マ・クーネル・ストコロ・ヤブジラージ・イパイパ・シューガン・グリーン・ポンポコピー・コナー・チョチョーケと申します」
「覚えなくて良い」
名前に圧倒されてぽかーんとしている私に、「お前の好きなように呼べ」とヴェルガートさんが言った。
「ヒカリ様とおっしゃるのですか。覚えやすい、良い御名でございますね」
あの呪文みたいな名前は1ミリも覚えられる気がしないので、私は『エイさん』と呼ぶことにする。
エイさんは、すっと私の手をとると「ヒカリ様に永遠の忠誠を――」と言って、ちゅっ……と甲にキスをした。
収まりかけた恐怖心がぶり返し、ヒュッと喉が鳴った。全身が固まる。
エイさんは「おやおや」と、優しく微笑んだ。
* * * * * * *
「それでヒカリ様は何をお知りになりたいのでしょうか?」
エイさんは落ち着いて話ができるよう、テキパキとお茶の準備を調えてくれた。
透明のティーカップに、薄青の飲み物が入っている。おそるおそる口をつけると、ハーブティーに似た風味で、ほっと心を落ち着けてくれる。
「えっと……どうしたら帰してもらえま――」
「帰さん」
エイさんでなく、ヴェルガートさんが即答した。
「恐れながら、その手の質問は平行線になるかと……」
エイさんはくすくすと笑いながら、お菓子を「どうぞ」と勧めてくる――見た目はまんま角砂糖なんだけど……お菓子……だよね?
あ、甘酸っぱくてなかなか美味しい。変なの。美味しいからいいけど。
「む……疑問は色々あるんですけど、何から聞けばいいやら……」
「時間はたっぷりありますからね、ゆっくりどうぞ」
まずはここはどこ?って疑問があるけど、『異世界の海だ』ってのは聞いてるし、それ以上の答えなんてないんだろうなぁ……
なんで連れてこられたのかは『祝言をあげるため』、なんで祝言をあげるのかは『お前は俺の番だからだ』でしょ。
一問一答だから要領を得ないけど。
あとは……そうだ、前世がどうのこうの言ってたっけ。
「えっと……前世について聞きたいんですけど」
「はい、前世の何についてお話しましょう」
「何についてというよりも、前世がどうと言われましても、何も覚えてないので……」
『何も』というところで、ヴェルガートさんの眉がピクリと反応した。
機嫌悪そうで怖いなぁ……と目を反らすと、エイさんが超目を見開いてこっちを見ていたので「ひぃっ」て声が出た。こわい。
「あのっ、何も覚えては……ないんですけど、何かある……っていうのは……わかります……」
慌てて取り繕うが、嘘ではない。
懐かしいというか、既視感というか、言葉にはできないけれど、ヴェルガートさんと私に『何か』があるというのは理解していた。
だからこそ、切羽詰まった危機感なんてものはなく……それに心の奥底では、元の世界には帰れない、帰ってはいけないという思いがあるのを、なんとなく感じてしまっていた。
「だから……この『何か』がなんなのか知りたいです」
「なるほど……かしこまりました。では僭越ながら私がご説明いたします」
エイさんはヴェルガートさんをちら、と見ると「よろしいですね?」と声をかける。ヴェルガートさんは何も言わなかったが、「さて、何からお話しましょうか……」とエイさんは思案顔だ。
「ヒカリ様はヴェルガート様の『魂の番』と呼ばれるお方にございます。その結び付きがヒカリ様のおっしゃる『何か』……という答えになるかと思います」
そして……とエイさんは続ける。
「あなた様はヴェルガート様の三十三番目の奥方様でございます」
は?
【どうでもいい設定】
エイさんの声は某ねずみのイメージですハハッ