第2話 ヒメジョオン
「……はあ」
「何でためいきをついているんだ?」
お屋敷の庭へとでて、自己嫌悪に陥っていたとき、庭師の柴田雄次さんが私に話しかけてきました。
彼は、私を見て苦笑していました。
「なんでもいいではありませんか。あなたにはなにも関係のないことです」
私はこの人が苦手でした。こうやって、人が来て欲しくないときに限って、彼は姿を現すからです。
私は苛立ちを柴田さんに対して感じました。このままだと、感情にまかせて柴田さんにひどいことを言ってしまいそうです。
だから私は、この庭もテラスの時と同じように立ち去ろうとしました。
「そうやって、逃げだそうとするわけだ」
私が柴田さんに背中を向けると、背後から柴田さんの少し馬鹿にしたような声が聞こえてきました。
私はその言葉で、感情が私のいうことを聞かなくなったのが分かりました。
「あなたに、私の何が分かるっていうんですか!」
私は柴田さんの方へと向き直ります。
心の中で、柴田さんに対する怒りがふくらんでいきました。
柴田さんを睨み付けると、彼は口元を皮肉なものへと変えました。
「確かに、お前のことはよく知らない。でも、今お前が嫌なことから目を背けて逃げているってことぐらいは俺でも分かるよ」
「そんなことありません! だいたい、そうだとしてもあなたになんの関係があるんですか。ほうっておいてください!」
彼の一言一言全てに腹が立ちました。
なんでもお見通しだというように、私に話しかけてくるその姿が憎らしいと、いらだたしいと思いました。
負の感情が私の心を覆っていきます。
彼は私を見下してきます。そんな様子を見ているとさらに苛立ちがましてきました。
感情のまま口を開こうとしたら、先に柴田さんの方が口を開きました。
「俺はお前と関わっていないんだから、関係はない」
私はその一言を聞いて訳が分からなくなりました。
「では、なんで私に『逃げている』などというのですか! 私のことを知らないのでしょう!」
「様子を見ていれば、そのぐらい何となく分かるよ。あと、君が感情に操られていることとかね」
その言葉は、特に彼に対して苛立ちを感じた言葉でした。
なぜなら、あまり話したことのないような人に、今の私の状況を当てられてしまったのですから。
「関係がないのだったら話しかけるのをやめてもらえませんか?不愉快です」
とにかくこの場から逃げ出したくて、私はそう言うと前へと一歩踏み出しました。すると、さっきまで人を馬鹿にしているような雰囲気だった彼は、怒ったような雰囲気になってしまい、こちらを睨み付けてきます。
私はその雰囲気に飲み込まれてしまい、さっきまでの感情の高ぶりが覚めていきました。
しかし、今度は柴田さんの感情が高ぶっていきました。
「不愉快だと? こっちの方が不愉快だ。感情に流されて、挙げ句の果てに自分が何をしたか分かっていない」
「なっ! 私はあなたに対して何かした覚えはありません」
「お前、自分の足元を見てみろ」
柴田さんに指を指されてみてみると、そこには私に踏まれた一輪の花がありました。
私が慌てて足をどかすと、彼はその花の近くへとしゃがみ込みました。
「俺は、お前のことはよく知らないけど、庭にたまに来たときの表情から花が好きだっていうことぐらいは、俺だって分かる。けれど、今日見かけたときは、その花に対してまで怒りの感情をぶつけようとしていた。だから、話しかけたんだ」
柴田さんはそう言いながら、私のせいで潰れてしまった花を元のように立たせようとしました。しかし、潰れてしまった花は柴田さんの手から離れると、またすぐに倒れてしまいます。
「柴田さん。この花はもう二度と立つことはできないのですか?」
柴田さんの様子を見ていて完全に感情の波が収まった私は、この花の状況を何とかしたいと思いました。
そんな私の様子を見た柴田さんは、さっきまでの怒った雰囲気がなくなり、私に向かって微笑みました。
「この花はヒメジョオンと言うんだ。花壇に埋めてたんだが、種がとんできたみたいだな。こいつは、踏まれたぐらいじゃへこたれない」
「本当ですか?」
私も柴田さんのようにしゃがみ込んで花を見てみます。ヒメジョオンは少し小振りな、とてもかわいらしい花でした。今は、私が踏んでしまったせいで元気がなさそうに見えますが、しばらくすればまた元気になると分かり、安心しました。
「ちなみに、花言葉は『素朴で清楚』だそうだ。お前もこの花を見習った方が良いんじゃないか?」
「それってどういう意味ですか!」
私は拳を柴田さんに向かって振り落とそうとしました。しかし、柴田さんはそれをよけてしまい、あたりません。
「まあ、『素朴』って言う点は大丈夫だから、後は『清楚』の部分だな」
柴田さんはまじめな顔でそういったあと、すぐに笑い始めました。
そんな笑っているところを見ていたら、私まで笑いたくなってしまい、2人で笑いました。
そうやって笑っているだけで、楽しくなっていきます。
「こんなに笑ったのは、初めてかもしれません」
私が、まだ笑いを止められずに言うと、柴田さんも笑いながら、
「それはいい。笑っていれば、感情に流されることもないからな」
そう返してきました。
私はこの短い間の中だけでも、エリックさんや、まだ見ぬエリックさんの婚約者への負の感情を忘れることが出来たのです。




