剣と魔法の世界
「異世界」は多くの場合、「剣と魔法の世界」です。
これまたRPGゲームの影響がそのまま出ています。
Web小説においては、ゲームほど戦いの快楽が素直に味わえるものでもないので、別種のスパイスが必要になるのですが、それでもほぼメインディッシュにあたる部分と言っていいかと思います。
「異世界」では通常、村や街の外ではモンスターが人間を襲ってくるので、戦いが必須となります。
基本、肉体で剣を取って戦うか、魔法で攻撃するかの二択です。
現実においては、もし同様の状況になったとして戦法は大きく別のものになる気がします。
野生動物と戦うのに剣ではあまりに不利なので、弓矢と槍で戦うことになるでしょう。
落とし穴や罠を仕掛けて、直接目の前で対峙することは避けるはずです。
まあこのあたりは「お約束」の領域なので、野暮な検討は控えましょう。
要は、「戦い」と「勝利」の快楽をむさぼるために、設定がお膳立てされていることを指摘したかったまでです。
快楽をむさぼること自体は、さして特筆すべきことはないでしょう。
「現実」は快楽に乏しいので、「娯楽」の中でそれを求める。
快楽を多く与えない「現実」に、ここではいちゃもんをつけるつもりはありません。
代わりに、「現実」は「娯楽」を提供してくれているのですから。
ここでこだわってみたかったのは、「剣と魔法」の意味です。
「剣」とは、肉体的能力(道具使用を含めて)をさします。
「魔法」とは、精神的能力をさしているのではないでしょうか。
肉体的能力については、あまり説明する必要はないでしょう。
身体と武器を使用する技能を鍛え、レベルを上げていくことで、敵に対峙する力を養う。
戦いにおいては、この肉体的能力だけではだめで、別に精神的能力が要求されます。
戦いに恐怖や混乱は付き物だけれど、そういったものに挫けずに自分を保つ力などでしょうか。
漠然とぼくらは精神的要素の重要性を気づいているけれど、それを明示的に把握することは難しいのです。
そこで「異世界」においては、「精神」が明示的に能力として表現されるような道具立てを用意することになります。
それが「魔法」というわけです。
「現実」においては、「精神」は「物理法則」に干渉することができません。
しかし「異世界」においては、「精神」が「物理法則」に干渉することができる。
そういうふうに「自然法則」が設定されています。
これは荒唐無稽というわけではありません。
「公理系」をどう設定するかというだけの問題で、「異世界」の自然法則はこうなっている、で終わりです。
これによって、精神的能力が明示的に表現できるようになります。
精神と魔法を使用する技能を鍛え、レベルを上げていくことで、敵に対峙する力を養う。
これが「剣と魔法の世界」の世界観です。
この世界観から見て取れるのは何でしょうか。
自身の「肉体」と「精神」の強度へのこだわりが、いやでも目を惹きます。
強度というもの自体は、「異世界」物語において、「レベル」として明示化されることが多いです。
なぜか「異世界」においては「レベル」が数値化されはっきり見て取れるようになるのです。
これもRPGゲーム由来の「お約束」です。
とりわけ不自然な「お約束」ですが、それでもほとんど不可欠のような扱いを受けています。
自分の「強さ」がわからないと、どこでどう戦うかの方針が立てられず、どうしようもない「クソゲー」になってしまうのでしょう。
「レベル上げ」というのは、受験勉強における「偏差値」に似ています。
絶対的に当てにするものではないけれど、客観的指標としての価値は大きいのです。
現実社会においては、この偏差値ほど有用で信頼度の高い指標は乏しくなっていきます。
自分のビジネススキルやコミュニケーション能力をどう数値化するのでしょうか。
上司の評価(給料の額)とか、ツイッターのフォロワー数とかに振り回されることになります。
「現実」は、自分の強さも敵の強さも皆目分からない状態で戦わされる「クソゲー」なのです。
それはさておき、「自身の肉体と精神へのこだわり」という側面を少し考えてみましょう。
これは「剣と魔法のファンタジー世界」というジャンルに固有の性格ととりあえず考えられます。
銃を使ったり、戦闘機で戦ったり、レースカーで競ったりする世界観では、おのずと違うこだわりが生じてくるでしょう。
ただ、「剣と魔法のファンタジー世界」というのが「娯楽」の中でも主流近くを占め、Web小説においては圧倒的に人気があるのはどうしてでしょうか。
先にぼくは「物語は魂の復権をめざす」という主張を書きました。
「魂」は「肉体」と「精神」の主として、「肉体」と「精神」の復権を願望してやまないのだと思います。
「肉体」の優位性が残っていた時代を欲して、時代を中世ヨーロッパまで巻き戻す。
「精神」の優位性を欲して、自然法則をねじまげ「魔法」を生み、「科学」を排除する。
たぶんこれが「異世界」物語の本質です。